地元熊日新聞の記者森本さんが書かれた本です。↓

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〈 書籍の内容 〉
誰も知らなかった赤ちゃんポスト
やむなき事情で育てられない赤ちゃんを病院が匿名で預かる。その後、特別養子縁組を目指す。2007年に慈恵病院が開設したのが「赤ちゃんポスト」である。「命を救う」という理念のもと10年以上運用されてきたが、同病院に続く施設は現れない。法整備も進まない。内情を知ると一筋縄ではいかないことがわかる。

2019年3月までに預けられた144人中、病院が想定した早期新生児は76人。残りの約半数が、ある程度育った赤ちゃんだった。開設第一号は3歳児だ。障害児や外国人の赤ちゃんもいる。いずれも出産状況が分からないため医療者の負担も大きい。

大手メディアが美談として報じる一方で、こぼれ落ちた事実がある。ポストに預けるため熊本入りする妊婦がいる。育った子は「出自を知る権利」を持ち合わせていない。ドイツでは、ポストが乳児遺棄の減少に寄与していないという報告書も出された。

「匿名」という壁をこえ、地元記者が細い糸をたどるようにポストに預けた母、預けられた子を訪ねた。また数多くの医療・福祉関係者や熊本市長や県知事にもあたった。賛否ではなく、赤ちゃんポストが照射する「真実」をひたすら拾い集めたルポルタージュ。



ご存じの方もいらっしゃると思いますが、熊日新聞の森本記者は、道しるべの会とは20年以上のお付き合いをしている方です。
本の最終章「真実の告知」で、ご自身が記者としての原点といえる遺伝性疾患の取材経験から得た確信として、個人的にFAPのことを記されています。

熊日新聞に入社されて5年目の1998年森本さんは、医師で作家の永井明さんを介して、移植したばかりの藤本さんと出会います。その後、志多田正子さんや患者さんとも知り合い、患者会の旅行にも同行され、熊日新聞でFAPの連載の記事を書いて頂きました。

森本さんと出会った2000年前後というと患者会の激変の時期でした。
1994年に海外でFAP患者の脳死肝移植がはじまり病気の進行を抑えることができるようになり、1999年夫は生体肝移植をし、2000年以後くらいからは、生体肝移植が主流になり、移植をしても出産もできる時代になってきました。
そんな中で、この病気の患者の苦しみを一番知っている志多田さんは「50%の確率で遺伝するこの病気のことを、子どもにどう説明するのか?」と、事あるごとに問われていました。患者家族である私もその言葉が大きな棘となって心に突き刺さりました。
「そう言われても・・・」という気持ちと、「何とかなるのではないか」という安易な気持ちとが交錯しながらも、20年後、30年後に、子どもが発病したら・・・と考えるだけで胸が苦しくなっていた頃を鮮明に記憶しています。
そして20年たった今、病気の研究は進み様々な治療法が開発されはじめましたが、問題の本質は変わらないと思っています。単純に二分するすることはできませんが、真実を知って産んだ人、知らずに産んだ人、家族で病気とどう向き合い、どんな話をしてきたかは、子どもが病気と向き合う時にとても大事なことではないかと感じています。
もちろん、何が良くて、何が悪いとか、そんな単純な問題ではなく、最終的には、患者や患者家族が、病気をどうとらえ、どう生きるかが問われます。
森本さんご自身が赤ちゃんんポストをを通して、そのことを思考停止せずに考え続けることが大切と何度も書かれてたのが心に突き刺さりました。
そして、「子どもの幸せ」と言って、やってあげた側の自己満足で終わらせるのではなく、本当に「子ども達がそれで幸せだったのだろうか?」と問い、20年後30年後の子どもの声を拾い上げ、そこから一緒に考え続けていかなければいけないのだろうと感じました。それは、FAPの道のりと重なる部分があります。

森本さん、素晴らしい本を書いて下さって、ありがとうございました。
今後とも、この病気とお付き合い下さることを心から願います。

そして、この本がたくさんの人に読まれることを願います。
もちろん私も、身近な人に勧めます!





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