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パンサー尾形 東日本大震災で父が津波にのまれていた「奇跡的に...」 その後の自身の仕事にも影響

[ 2024年1月17日 17:29 ]

パンサーの尾形貴弘
Photo By スポニチ

お笑いトリオ・パンサーの尾形貴弘(46)が16日放送のテレビ朝日系「証言者バラエティ アンタウォッチマン」(火曜後11・45)にゲスト出演。自身が心を入れ替えお笑いに全力で取り組むようになったきっかけを明かした。

尾形は宮城県東松島市出身で、中央大学卒業後、サッカークラブのある会社に就職し、営業職に就くも、1年後には芸人になるため会社を退職。02年に東京NSC(吉本総合芸能学院)に8期生として入学し、お笑いコンビ「グレートホーン」として活動を開始した。

だが、07年にコンビは解散。ピン芸人・サンキュー尾形として活動したが、結果が出ず。故郷に帰る決断をしたものの、菅良太郎を誘い、向井慧も加わる形で08年に「パンサー」を結成した。

そうしてトリオは菅の書くネタ、向井の軽妙なツッコミ、尾形の勢いのあるキャラが定着し、ライブシーンで人気者に。「めちゃくちゃ人気あったんで。渋谷の劇場、ヨシモト∞ホールってところから、出待ちが結構原宿方面まで...。体感ですけど」と語るほどの人気だったとした。

女性ファンが増えたことで、笑いよりモテたいという気持ちが大きくなったものの、ある日をきっかけに尾形は心を入れ替えて、何事にも全力で取り組む芸人になったという。

その出来事とは11年の東日本大震災だった。VTRで尾形は「震災があって、俺の家が流されてるのがテレビでやってて。随分映ってますよ。うわ、俺んちだよと思って」と回顧。「親父は津波にのまれちゃって、そこから1カ月近く連絡取れなくて父ちゃん母ちゃんとね。俺は覚悟をしてたんですよ。しようがないと。父ちゃん母ちゃんもういなくなってしまったと」とも話した。

それでも「結局いっぱい探して、2人とも何とか生きてたんですけど」とし、「そういうのがあって、俺、一生懸命やろうと。まず目の前のことをね。本当に一生懸命やろうって思ったのがデカいかもしれないですね。考え方は変わったんだと思います」と振り返った。

スタジオで尾形は「親父がやっぱのまれて、津波来て、足も傷だらけで、沈んでもうダメだって時にほかの誰かの家が流れて来て、そこにケツが当たってこう(浮き)上がったんですよ」「奇跡なんですよ」と説明した。

そこで現在の原点、一生懸命やるというふうになったと言われると「目の前のことをやるという」と力を込めた。その翌年からはテレビへの出演が増え始めたという。

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