2012年04月25日
佐々木俊尚『キュレーションの時代―「つながり」の情報革命が始まる』
[フレーム]
まず本書の中心的問題であるはずの「キュレーター」とはなにかを、本書から拾って行きたいと思います。
いささか大量になりましたが「キュレーターってなに?」という質問の答を知りたい方はこれで十分かと思います。もう少し具体的に、あるいは詳しく知りたいい方は本書の第4章から読み始めることをお薦めします。
最近の新書などの本は科学作文が浸透しているといいますか、最初に本の内容の目的を伝えて、主な概念の定義をして、最重要の仮説、あるいは主張・主題を伝えて、それを証明するためにこのような手順で本書をは進んでいきますよ、ということを書くのが一般的になっていると思うのです。
しかし、この人は(あるいはこの本は?)いきなりエピソードではじめます。そしてずっとエピソードをだしてきます。それこそキュレーターの定義が第4章まで出てこないほどです。
インターネットの「つながり」が情報のタコツボ化(好きな人どうしが集まる、あるいは欲しい情報のみにアクセスを可能にするから)を引き起こすのではなく、むしろセレンディピティの元になるという議論はなかなか秀逸だなと思いました。筆者いわく、インターネットは情報を引き出す場ではなく、人とつながる場となる。そしてつながった関係を通して情報がもたらされる。好きな人や友人をtwitterでフォローして、その人の思いもかけなかった趣味や体験に触れて、自分では到底検索しなかったであろう情報に触れるというのがこれに当たります。
また、第1章、2章で展開されるマス消費とマスメディアの終焉と、消費が生むつながりとキュレーターというあらたなメディアの存在は考えさせるものがあります。いかに伝えるべき情報を伝えるべき人に伝えるかを論じたポイントは広告業界や、広報の仕事をされてらっしゃる方にはためになる話ではないでしょうか。詳しくは本書を読んでいただくとして、facebookやtwitterといったあらたなメディア(筆者の言葉で言えばプラットフォーム)を「マスメディア」として捉えてはいけない。複雑な人間関係のネットワークが張り巡らされた、つながりのメディアであるということ。facebookやtwitterに情報を流せばそれで広報はOKではない、ということが筆者の伝えたいことではないかと僕は理解しました。
ただ、全体としてはエピソードに偏重しすぎて、議論がやや散漫になってしまった印象があります。また震災直前の出版ということもあってすこし議論が古いかなあという感じがします。それは筆者が時代を作る人間というよりは時代を先読みする人だからかもしれません。急速にテクノロジーが変化して、その一方で大きな事件や事故によって人々の思想やパラダイムががらっと変化してしまう、ある意味では危うく不安定な現代にあっては時代を先読みすることは困難で、自ら作ることでしか予測はできないのかもしれません。
そうは言っても、学ぶことがないわけではありません。キュレーターが重要な役割を果たすことは今後も間違いありませんし、前述したように広告業界にお勤めの方はぜひ読んでいただいて自分の広告方法、広報方法を考えなおすきっかけにして頂ければと思います。「キュレーション」という言葉に引っかかった人は、第4章から読み始めれば、キュレーターの定義を手に入れることができると同時に「○しろまる章で述べたように」と逐一前の章への言及があるので気になったところだけ読むといいかもしれません。
目次(一部省略しています)
プロローグ ジョゼフ・ヨアキムの物語
第1章 無数のビオトープが生まれている
「ジスモンチを日本に呼べないかな」
第2章 背伸び記号消費の終焉
マス幻想に引きづられる映画業界 DVDバブルは来なかった 「アンビエント化」がバブルの背景に
あった HMV渋谷が閉店に追い込まれた本当の理由
第3章 「視座にチェックインする」という新たなパラダイム
「もっと新しい広告を!」 暗黙か、明示か チェックインはプライバシー不安を解消する
第4章 的外れな「タコツボ化」批判
第5章 私たちはグローバルな世界とつながっていく
マスメディアが衰退し、多様な文化が発信される時代に 中間文化はすでに消滅した プラット
フォームは文化の多様性を保護する
あとがき
まず本書の中心的問題であるはずの「キュレーター」とはなにかを、本書から拾って行きたいと思います。
「日本では博物館や美術館の「学芸員」の意味」「世界中にあるさまざまな芸術作品の情報を収集し、それらを借りてくるなどして集め、それらに一貫した何らかの意味を与えて、企画展としてなり立たせる仕事」p.210
「『作品を選び、それらを何らかの方法で他者に見せる場を生み出す行為』を通じて、アートをめぐる新たな意味や解釈、『物語』を作り出す語り手」p.211
「情報のノイズの海からあるコンテキストに沿って情報を拾い上げ、クチコミのようにしてソーシャルメディア上で流通させる行い」「情報を司る存在」p.211
「情報のノイズの海の中から、特定のコンテキストを付与することによって新たな情報を生み出す存在」p.241
「キュレーターの定義とは、収集し、選別し、そこに新たな意味やづけを与えて、共有すること」p.252
いささか大量になりましたが「キュレーターってなに?」という質問の答を知りたい方はこれで十分かと思います。もう少し具体的に、あるいは詳しく知りたいい方は本書の第4章から読み始めることをお薦めします。
最近の新書などの本は科学作文が浸透しているといいますか、最初に本の内容の目的を伝えて、主な概念の定義をして、最重要の仮説、あるいは主張・主題を伝えて、それを証明するためにこのような手順で本書をは進んでいきますよ、ということを書くのが一般的になっていると思うのです。
しかし、この人は(あるいはこの本は?)いきなりエピソードではじめます。そしてずっとエピソードをだしてきます。それこそキュレーターの定義が第4章まで出てこないほどです。
インターネットの「つながり」が情報のタコツボ化(好きな人どうしが集まる、あるいは欲しい情報のみにアクセスを可能にするから)を引き起こすのではなく、むしろセレンディピティの元になるという議論はなかなか秀逸だなと思いました。筆者いわく、インターネットは情報を引き出す場ではなく、人とつながる場となる。そしてつながった関係を通して情報がもたらされる。好きな人や友人をtwitterでフォローして、その人の思いもかけなかった趣味や体験に触れて、自分では到底検索しなかったであろう情報に触れるというのがこれに当たります。
また、第1章、2章で展開されるマス消費とマスメディアの終焉と、消費が生むつながりとキュレーターというあらたなメディアの存在は考えさせるものがあります。いかに伝えるべき情報を伝えるべき人に伝えるかを論じたポイントは広告業界や、広報の仕事をされてらっしゃる方にはためになる話ではないでしょうか。詳しくは本書を読んでいただくとして、facebookやtwitterといったあらたなメディア(筆者の言葉で言えばプラットフォーム)を「マスメディア」として捉えてはいけない。複雑な人間関係のネットワークが張り巡らされた、つながりのメディアであるということ。facebookやtwitterに情報を流せばそれで広報はOKではない、ということが筆者の伝えたいことではないかと僕は理解しました。
ただ、全体としてはエピソードに偏重しすぎて、議論がやや散漫になってしまった印象があります。また震災直前の出版ということもあってすこし議論が古いかなあという感じがします。それは筆者が時代を作る人間というよりは時代を先読みする人だからかもしれません。急速にテクノロジーが変化して、その一方で大きな事件や事故によって人々の思想やパラダイムががらっと変化してしまう、ある意味では危うく不安定な現代にあっては時代を先読みすることは困難で、自ら作ることでしか予測はできないのかもしれません。
そうは言っても、学ぶことがないわけではありません。キュレーターが重要な役割を果たすことは今後も間違いありませんし、前述したように広告業界にお勤めの方はぜひ読んでいただいて自分の広告方法、広報方法を考えなおすきっかけにして頂ければと思います。「キュレーション」という言葉に引っかかった人は、第4章から読み始めれば、キュレーターの定義を手に入れることができると同時に「○しろまる章で述べたように」と逐一前の章への言及があるので気になったところだけ読むといいかもしれません。
目次(一部省略しています)
プロローグ ジョゼフ・ヨアキムの物語
第1章 無数のビオトープが生まれている
「ジスモンチを日本に呼べないかな」
第2章 背伸び記号消費の終焉
マス幻想に引きづられる映画業界 DVDバブルは来なかった 「アンビエント化」がバブルの背景に
あった HMV渋谷が閉店に追い込まれた本当の理由
第3章 「視座にチェックインする」という新たなパラダイム
「もっと新しい広告を!」 暗黙か、明示か チェックインはプライバシー不安を解消する
第4章 的外れな「タコツボ化」批判
第5章 私たちはグローバルな世界とつながっていく
マスメディアが衰退し、多様な文化が発信される時代に 中間文化はすでに消滅した プラット
フォームは文化の多様性を保護する
あとがき
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