2009年07月31日
松尾スズキ「クワイエットルームにようこそ」
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通常と異常、普通と特別。一見すると、村上春樹のテーマのように見えるけど、そうではありません。初めて松尾スズキさんの作品を読みました。映画化もされている「クワイエットルームにようこそ」です。
主人公の女性が、薬の大量投与で病院に運ばれてしまう。しかも、精神病院の閉鎖病棟。そこには色んな精神患者がいて、まともだったり異常だったり、普通に見える人が実は特別だったり。
最初に「村上春樹のようなテーマ」といいましたが、もちろんその文体はまったく違います。笑わせるし、どことなくおげれつだし。汚いとまでは言わないにしても、直喩的なんですよね。感情をあらわにするし。抑圧的でないのです。
とても、短い本なのですが、まるで、言葉が無駄遣いされているようなほど詰め込まれています。けど、そんな印象も受けません。ところどころで、笑わされながら、最後まで読めてしまいます。
最後のシーンは、なんか想像がついたけど、鳥肌が立ちました。つまり、通常と異常、普通と特別、それがどの人に当てはまる言葉なのか、また同じ人に同じ言葉が違う場所でも当てはまるのか、そういうことを考えさせるクライマックスになっています。
解説の方が「17歳のカルテより上出来な映画」と本作の映画を評しています。17歳のカルテも好きな作品ですが、この作品の映画も見てみたくなりました。
つか、映画のキャスト、めっちゃ豪華ね。
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通常と異常、普通と特別。一見すると、村上春樹のテーマのように見えるけど、そうではありません。初めて松尾スズキさんの作品を読みました。映画化もされている「クワイエットルームにようこそ」です。
主人公の女性が、薬の大量投与で病院に運ばれてしまう。しかも、精神病院の閉鎖病棟。そこには色んな精神患者がいて、まともだったり異常だったり、普通に見える人が実は特別だったり。
最初に「村上春樹のようなテーマ」といいましたが、もちろんその文体はまったく違います。笑わせるし、どことなくおげれつだし。汚いとまでは言わないにしても、直喩的なんですよね。感情をあらわにするし。抑圧的でないのです。
とても、短い本なのですが、まるで、言葉が無駄遣いされているようなほど詰め込まれています。けど、そんな印象も受けません。ところどころで、笑わされながら、最後まで読めてしまいます。
最後のシーンは、なんか想像がついたけど、鳥肌が立ちました。つまり、通常と異常、普通と特別、それがどの人に当てはまる言葉なのか、また同じ人に同じ言葉が違う場所でも当てはまるのか、そういうことを考えさせるクライマックスになっています。
解説の方が「17歳のカルテより上出来な映画」と本作の映画を評しています。17歳のカルテも好きな作品ですが、この作品の映画も見てみたくなりました。
つか、映画のキャスト、めっちゃ豪華ね。
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2009年07月30日
村上春樹 (文), 稲越功一(写真)「使い道のない風景」
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とっても短い本です。こんな短い文章で、一冊の文庫になってしまうなんて、なんてこったっていう感じです。58点のカラー写真と、村上春樹の文章が綴られています。
アメリカの郊外で書かれた旅行と移り住むことの違いに関する考察。それとフランクフルト、ギリシャ、ドイツの田舎町の描写。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のきっかけとなった風景について。
ギリシャで過ごした日々の思い出と、その日々で書かれた「ノルウェイの森」について、少し。
そして、最後にいつか旅行好きの猫を飼うというの夢について書かれています。
この本が発刊されたのが1998年で、当ブログの前稿の「スプートニクの恋人」が発刊されたのが1999年なのですが、ギリシャでの「描写がスプートニクの恋人」のなかにも散見されます。こうして、小説を書く筋肉を養っていくのかなあという印象を受けました。
とっても短い本です。こんな短い文章で、一冊の文庫になってしまうなんて、なんてこったっていう感じです。58点のカラー写真と、村上春樹の文章が綴られています。
アメリカの郊外で書かれた旅行と移り住むことの違いに関する考察。それとフランクフルト、ギリシャ、ドイツの田舎町の描写。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のきっかけとなった風景について。
ギリシャで過ごした日々の思い出と、その日々で書かれた「ノルウェイの森」について、少し。
そして、最後にいつか旅行好きの猫を飼うというの夢について書かれています。
この本が発刊されたのが1998年で、当ブログの前稿の「スプートニクの恋人」が発刊されたのが1999年なのですが、ギリシャでの「描写がスプートニクの恋人」のなかにも散見されます。こうして、小説を書く筋肉を養っていくのかなあという印象を受けました。
村上春樹「スプートニクの恋人」
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大学2年生か大学3年生のときに、僕はアメリカの大学に通っていて、なぜかこの本が大学の図書館にありました。そのとき一度は手にとって読み始めたのですが、なぜか「おもしろくない」と思って読まなかったのです。あれから、4〜5年がたってついに、読みました。
書き始めは、どう考えても村上らしくないんですよね。彼らしい文章の流れが無い。当時もそうだったのかもしれないですが、今回読んでいて、なんどか、「本当に村上春樹だよな」と著者の名前を確認したほどです。
しかし、半分を過ぎた頃からはなんとなく村上らしくなってきます。その物語の中には、村上の作品にいつも登場する井戸が「ない」と明示されるし、猫は記憶や新聞の中にはいても、やはり今は「いない」と明示されます。村上の作品にいつもあるのに、今作品には「ない」ことが明示されるのです。唯一あるのは、いつもの電話機、もっと限定的に言うなら受話器です。
語られるテーマはいつも通りの「こちら側」と「あちら側」。しかし、村上が今回、明示的に挑戦しているのは、「存在」ではなく、「不在」が持つ意味でしょう。主人公が愛する「すみれ」が「あちら側」に行ってしまうのですが、主人公はこの物語では「あちら側」には行きません。不在に強い、意味が付与されるのです。
そのような村上らしさと村上の挑戦が見える後半ではなく、あえて前半から今回は引用したいと思います。
そうそう、この小説を読み終える頃に驚きが一つありました。僕が初めてこの小説を読みかけたのが、20歳か21歳の頃。その時には、ただ「らしくない」と思って読むのをやめたのですが、この主人公の年齢が小説の終わりに明かされてはっとしました。物語は主人公が24歳の夏。そして、その年の12月に主人公は25歳になると言うのです。僕は今年の夏に25歳になりました。僕は偶然にも(あるいは無意識に)主人公と同い年になるの待って、この本を読んだのです。
小説には読む上での賞味期限があると言いますが、それと同じように「読みごろ」というのがあるのだなと思いました。
大学2年生か大学3年生のときに、僕はアメリカの大学に通っていて、なぜかこの本が大学の図書館にありました。そのとき一度は手にとって読み始めたのですが、なぜか「おもしろくない」と思って読まなかったのです。あれから、4〜5年がたってついに、読みました。
書き始めは、どう考えても村上らしくないんですよね。彼らしい文章の流れが無い。当時もそうだったのかもしれないですが、今回読んでいて、なんどか、「本当に村上春樹だよな」と著者の名前を確認したほどです。
しかし、半分を過ぎた頃からはなんとなく村上らしくなってきます。その物語の中には、村上の作品にいつも登場する井戸が「ない」と明示されるし、猫は記憶や新聞の中にはいても、やはり今は「いない」と明示されます。村上の作品にいつもあるのに、今作品には「ない」ことが明示されるのです。唯一あるのは、いつもの電話機、もっと限定的に言うなら受話器です。
語られるテーマはいつも通りの「こちら側」と「あちら側」。しかし、村上が今回、明示的に挑戦しているのは、「存在」ではなく、「不在」が持つ意味でしょう。主人公が愛する「すみれ」が「あちら側」に行ってしまうのですが、主人公はこの物語では「あちら側」には行きません。不在に強い、意味が付与されるのです。
そのような村上らしさと村上の挑戦が見える後半ではなく、あえて前半から今回は引用したいと思います。
「こういうのもたぶんそれ(運転)と同じようなものじゃないかしら。うまいとか下手とか、器用だとか器用じゃないとか、そんなのはたいして重要じゃないのよ。わたしはそう思うわ。注意深くなる―それがいちばん大事なことよ。心を落ちつけて、いろんなものごとに注意深く耳を澄ませること」(p.60)
そうそう、この小説を読み終える頃に驚きが一つありました。僕が初めてこの小説を読みかけたのが、20歳か21歳の頃。その時には、ただ「らしくない」と思って読むのをやめたのですが、この主人公の年齢が小説の終わりに明かされてはっとしました。物語は主人公が24歳の夏。そして、その年の12月に主人公は25歳になると言うのです。僕は今年の夏に25歳になりました。僕は偶然にも(あるいは無意識に)主人公と同い年になるの待って、この本を読んだのです。
小説には読む上での賞味期限があると言いますが、それと同じように「読みごろ」というのがあるのだなと思いました。
村山由佳「おいしいコーヒーのいれ方 Second Season I 蜂蜜色の瞳」
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恒例のナツイチシリーズである、「おいコー」を読みました。もう10年くらいになるのでしょうか。僕は村山さんのこのシリーズがナツイツとして最初の一冊が出たときから読んでいるので長い付き合いです。
読み始めたときは、主人公の勝利は高校2年生で、ぼくはまだ中学生科だったと思うのですが、いま勝利は大学2年生でぼくが、大学を卒業して大学院2年生になってしまいました。
以下、amazonより転載
相変わらず、主人公の勝利は優柔不断で、なんとなくはっきりしなくて、どことなく独善的というかわがままというか。読み始めたときは僕はまだ何の経験も無くて、けっこう心から感情移入とかしてたのですが、今じゃすっかり、勝利の行動にいらいらさせられたり、「こうなってはいけないよな」なんて思っています。けど、それって結局、感情移入してるし、勝利を通して、自己反省しているんですよね。
夏が来て、書店にナツイチが並び始めると買わずにはいられない、読まずにはいられない一冊です。
恒例のナツイチシリーズである、「おいコー」を読みました。もう10年くらいになるのでしょうか。僕は村山さんのこのシリーズがナツイツとして最初の一冊が出たときから読んでいるので長い付き合いです。
読み始めたときは、主人公の勝利は高校2年生で、ぼくはまだ中学生科だったと思うのですが、いま勝利は大学2年生でぼくが、大学を卒業して大学院2年生になってしまいました。
以下、amazonより転載
内容紹介
かれんと勝利の物語、新章突入!夏、鴨川でついにかれんと勝利が初めて結ばれてから3か月。二人に「2回目」はまだ来ない。久しぶりに東京に出てきたかれんが勝利の下宿に泊まることに...。
内容(「BOOK」データベースより)
何の保証もないとわかっていても、彼女から強い約束を引き出したい。僕だけだ、と。一生、僕以外は愛さない、と。遠距離恋愛で、思うように会えない勝利とかれん。久々に週末を一緒に過ごすが、ちょっとした誤解から、なんとなくギクシャクしてしまう。愛おしすぎて、相手を思いやる気持ちが空回りする。それでも少しずつふたりの歩みはすすんでいく...。人気シリーズ待望のSecond Seasonへ。
相変わらず、主人公の勝利は優柔不断で、なんとなくはっきりしなくて、どことなく独善的というかわがままというか。読み始めたときは僕はまだ何の経験も無くて、けっこう心から感情移入とかしてたのですが、今じゃすっかり、勝利の行動にいらいらさせられたり、「こうなってはいけないよな」なんて思っています。けど、それって結局、感情移入してるし、勝利を通して、自己反省しているんですよね。
夏が来て、書店にナツイチが並び始めると買わずにはいられない、読まずにはいられない一冊です。
2009年07月15日
福岡伸一「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」
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福岡さんの本を連発してしまいました。「生物とー」が科学情熱本であり、知識を得ようとする研究者の姿をドラマにしあげる本であるとすれば、本書は知識そのものが面白いという感じです。
ちょっと雑学的なところもあって、コラーゲンなんて摂っても意味がないとか、太らない食べ方とか、遺伝子組み換え食品は安全か(筆者は「壮大な人体実験である」と危惧しています)、などの問を立ててそれに対して生物学的、なかんずく「動的平衡」的こたえを与えようとする試みです。
また、「生物とー」で打ち出された「生命とは何か」という問に対して生み出された「動的平衡」という答を使った、オムニバスストーリーにもなっています。全体的に面白さは失われていませんが、「生物とー」がどきどきのドラマであったのに対し、本書は「へーー」という知識を得れる本となっています。
福岡氏が訳して近日発売予定(今年末?)の「エレファントム」も読みたいなと思いました。
目次(抜粋)
プロローグ 生命現象とは何か
第1章 脳にかけられた「バイアス」−人はなぜ「錯誤」するか
第2章 汝とは「汝の食べた物」である−「消化」とは情報の解体
第3章 ダイエットの科学−分子生物学が示す「太らない食べ方」
第4章 その食品を食べますか?−部分しか見ない物たちの危険
第5章 生命は時計仕掛けか?−ES細胞の不思議
第6章 ヒトと病原体の戦い−イタチごっこは終わらない
第7章 ミトコンドリア・ミステリー−母系だけで継承されるエネルギー産出の源
第8章 生命は分子の「淀み」−シューンハイマーは何を示唆したか
福岡さんの本を連発してしまいました。「生物とー」が科学情熱本であり、知識を得ようとする研究者の姿をドラマにしあげる本であるとすれば、本書は知識そのものが面白いという感じです。
ちょっと雑学的なところもあって、コラーゲンなんて摂っても意味がないとか、太らない食べ方とか、遺伝子組み換え食品は安全か(筆者は「壮大な人体実験である」と危惧しています)、などの問を立ててそれに対して生物学的、なかんずく「動的平衡」的こたえを与えようとする試みです。
また、「生物とー」で打ち出された「生命とは何か」という問に対して生み出された「動的平衡」という答を使った、オムニバスストーリーにもなっています。全体的に面白さは失われていませんが、「生物とー」がどきどきのドラマであったのに対し、本書は「へーー」という知識を得れる本となっています。
福岡氏が訳して近日発売予定(今年末?)の「エレファントム」も読みたいなと思いました。
目次(抜粋)
プロローグ 生命現象とは何か
第1章 脳にかけられた「バイアス」−人はなぜ「錯誤」するか
第2章 汝とは「汝の食べた物」である−「消化」とは情報の解体
第3章 ダイエットの科学−分子生物学が示す「太らない食べ方」
第4章 その食品を食べますか?−部分しか見ない物たちの危険
第5章 生命は時計仕掛けか?−ES細胞の不思議
第6章 ヒトと病原体の戦い−イタチごっこは終わらない
第7章 ミトコンドリア・ミステリー−母系だけで継承されるエネルギー産出の源
第8章 生命は分子の「淀み」−シューンハイマーは何を示唆したか
2009年07月09日
福岡伸一「生物と無生物のあいだ」
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うわさのベストセラーをついに読みました。そしてうわさ通り、かなり面白かったですね。いわゆる新書というのではなくて、科学者の熱が伝わってくるような一書です。科学とは何なのか、演繹、帰納、ひらめき、データ、直感のあいまいさなど、著者の科学に関する思うところを、冷静に、しかし熱く語ってくれています。
「生物と無生物のあいだ」というタイトルですから、てっきり、なにが生物で、何が無生物なのかを記述する本なのかと思っていましたが、「生命となにか」という問に答えるのが本書でした。それは、著者自身が大学の初年度に問われた問でもありました。そして、その大学一年目に出会った問に対して出した一つの答えが、本書であるのです。
著者が出した答が以下。特に下の二つが著者の答です。
「生命とは自己複製するシステムである」(p.134)
「生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである」(p.167)
「生命とは時間軸に沿って流れる後戻りのできない一方向のプロセスである」(p.263)
答そのものよりも、そこに至るプロセスが、素人にも分かるように、おもしろく、ドラマを交えて展開されています。
なかなかに、読んでよかったなと思える一冊でした。
目次
第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
第2章 アンサング・ヒーロー
第3章 フォー・レター・ワード
第4章 シャルガフのパズル
第5章 サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
第6章 ダーク・サイド・オブ・DNA
第7章 チャンスは、準備された心に降り立つ
第8章 原子が秩序を生み出すとき
第9章 動的平衡とは何か
第10章 タンパク質のかすかな口づけ
第11章 内部の内部は外部である
第12章 細胞膜のダイナミズム
第13章 膜にかたちを与えるもの
第14章 数・タイミング・ノックアウト
第15章 時間という名の解けない折り紙
エピローグ
うわさのベストセラーをついに読みました。そしてうわさ通り、かなり面白かったですね。いわゆる新書というのではなくて、科学者の熱が伝わってくるような一書です。科学とは何なのか、演繹、帰納、ひらめき、データ、直感のあいまいさなど、著者の科学に関する思うところを、冷静に、しかし熱く語ってくれています。
「生物と無生物のあいだ」というタイトルですから、てっきり、なにが生物で、何が無生物なのかを記述する本なのかと思っていましたが、「生命となにか」という問に答えるのが本書でした。それは、著者自身が大学の初年度に問われた問でもありました。そして、その大学一年目に出会った問に対して出した一つの答えが、本書であるのです。
著者が出した答が以下。特に下の二つが著者の答です。
「生命とは自己複製するシステムである」(p.134)
「生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである」(p.167)
「生命とは時間軸に沿って流れる後戻りのできない一方向のプロセスである」(p.263)
答そのものよりも、そこに至るプロセスが、素人にも分かるように、おもしろく、ドラマを交えて展開されています。
なかなかに、読んでよかったなと思える一冊でした。
目次
第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
第2章 アンサング・ヒーロー
第3章 フォー・レター・ワード
第4章 シャルガフのパズル
第5章 サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
第6章 ダーク・サイド・オブ・DNA
第7章 チャンスは、準備された心に降り立つ
第8章 原子が秩序を生み出すとき
第9章 動的平衡とは何か
第10章 タンパク質のかすかな口づけ
第11章 内部の内部は外部である
第12章 細胞膜のダイナミズム
第13章 膜にかたちを与えるもの
第14章 数・タイミング・ノックアウト
第15章 時間という名の解けない折り紙
エピローグ