前回の続きです。
いよいよ私のjicaに対する弔い合戦が始まりました。
…といっても、具体的に言うと
「青年海外協力隊の試験を受ける」という、ただそれだけのこと。
しかし、実を言うと協力隊の試験を受けるのは
今回が3度目で、過去2回は2000年と2001年の春。日本語教師の資格を取ったばかりで教授経験はまったくなかったころに挑戦したことがあります。
が、いずれも
1次選考で箸にも棒にもひっかかることなく不合格。
まあ、当時の私は日本語教師としては未経験者だったし、そのころ、協力隊の日本語教師というのは倍率10倍とか20倍とか、とにかく
狭き門であったわけです。
で、それ以降は協力隊という道はあきらめ、フィリピン、ウズベク、ベトナム、モンゴルでのお仕事はいずれも民間のボランティア団体やNGOからの派遣であったり、現地採用みたいなカタチで日本語教師の職に就いていました。
…が、海外で働いたりしていると、やはりjicaなどからの派遣で活動している日本語教師の方々に会う機会もあり、そんな中で話を聞いていると、
日本語教師としてはまったく未経験、しかもこれといった日本語教師の資格があるというわけでもなく、前職も日本語教育とはまったく無関係だったなんて人がその「狭き門」を通過して政府の傘下で日本語教師として派遣されていたりすることもあるという事実に直面。
要は、
協力隊の選考を通過するには資格や経験というものはさして重要ではない、ということです。
そしてもうひとつ、協力隊の選考といえば「健康診断」がかなり厳しいとも言われています。しかし、わたくし
かれこれ10年以上も健康状態は極めて安定してるし、体重が大きく増えたり減ったり、なんていうこともまったくありません。
だから、私が過去に協力隊の選考試験を受けた際、健康状態が理由で不合格だった、ということもたぶん考えられません。
というわけで、今の私と2000年当時の私を比較してみると
資格:2000年に養成講座を修了(ひとつめの資格取得)。2001年に検定試験に合格(ふたつめの資格取得)。というわけで、以前の協力隊受験時点で資格は持っていた
経験:以前、協力隊受験をしたときには未経験だったが、2003年以降6年ぐらいにわたって4カ国で経験をつんだ
健康:まったく変わってないし大きな病気もしてない。
…そこで導き出されたのは
1)日本語教師としての経験はないが資格はある状態で2度受けて惨敗
2)しかし、無資格で未経験の人でも合格したという実例はいくらでもある
3)ということは、
経験があろうとなかろうと私は合格できない4)ちなみに健康状態はここ十数年まったく変わっていない
5)だから、
健康診断で不合格ならやっぱりいつまでたっても私は合格できない…というわけで、今回、協力隊の選考試験を受けるにあたっての私自身の意気込みは
「いくら頑張っても私は合格できない、という前提条件はあるが、それでも本気で、本気も本気、超本気で、これまでの6年の経験の全てをこの試験にぶつけて、玉砕する覚悟で受験する」という…
…あの、日本語教師に限らず
様々な職種で協力隊の選考には毎回1000人以上の若者が挑戦しているようですが、そのなかにこんな
サムライのような意気込みで受験している人、いったい何人ぐらいいるんでしょうかね。
というわけで昨年10月、jica主催による青年海外協力隊の
説明会に参加。
10年前はたしか200人以上も余裕で収容できるほどの
ホテルの大広間みたいなところで開かれいていた説明会。
今では
ちいこい貸しビルで、せいぜい60〜70人程度入ればいっぱいになってしまいそうな狭い会議室で行われました。
(内容はほぼ変わってなかったけど)さらに10年前と変わった点はこれだけではありません。
1次選考。以前はやはり受験者全員が一堂に集まり、各職種別の試験と英語の試験を受けていたんですが、何年か前から
1次は書類選考のみになってしまいました。
が、日本語教師だけは書類選考に加えて決められた日に
web試験というヤツを受けなければいけない。
…というわけで
2009年11月23日14時、
日本語教師web試験開始。応募後にjicaから送られてきた試験用URLにアクセスしてログインし、1時間以内に問題に答える、という感じの試験なんですが、どんな問題が出題されたかというと…
1.コミュニカティブアプローチが日本の日本語教育に入ったのはいつごろのことか、そしてそれはその後どのような影響を与えたか、具体例をあげながら述べなさい。2.次の中で「〜ている」の用法として他と異なるものが一つある、それを指摘してなぜそれが異質なのか説明しなさい。 a 妹は学校へ行っています。 b 兄は貿易会社で働いています。 c 母はメガネをかけています。 d 彼はもう来ています。3.いわゆる「学校文法」をそのまま日本語教育の現場で使用した場合に起こる不具合について、具体例を挙げて説明しなさい。4.地理的・文化的に日本から遠く、日本語学習が進学や就職に役立たないような環境に日本語教師として派遣された場合の協力活動の意味について述べなさい。5.「知る」と「わかる」の意味・用法の違いを説明しなさい。6.外国人が初級段階で習う日本語の“条件”を表す学習項目を例文とともにあげなさい。7.学歴や職歴に記すもの意外で時間やエネルギーを使った活動をあげ、それが日本語教師をする上でどのように役立つかを述べなさい。
8.「この歌を知っていますか」という質問に対して、初級学習者が「知っていません」と答えた場合、何が問題なのかを説明しなさい。…という、
1時間で以上8問をそれぞれ150文字以内で答えるというもの。
開始前はしおらしくちょっと緊張なんかしてたし、それなりに気合を入れて臨み、いきなり
1番みたいに
記憶の遥か彼方に消え去ってしまっているような問題が飛び出してどぎまぎしてしまったんですが、
全体的には思っていたより簡単な(というか、わりとサクサク答えられるような)問題ばかりだったのでちょっと拍子抜けしてしまったような感じです。
が、何しろ私は
何をどうしても協力隊には選ばれない星の下に生まれているわけですから、とにかく手を抜かず、パソコンのキーボードを叩き割ってやるぐらいの勢いでガンガン答えてやりました。
そしてこの1次選考の結果がでたのが
2009年12月16日。フィリピンでの短期のお仕事が始まって1週間後のことです。
jicaサイトにアクセスすると……
ちょっと長くなってしまったので次回、激動の完結編に続く。
次はなるべく早めに更新します。
テーマ:青年海外協力隊(JOCV) - ジャンル:福祉・ボランティア