الإفطار ....
「イフタール」:断食期間における日没後の食事のこと。
8月1日からイスラムの断食月、
ラマダンが始まりました。
日照時間は
全ての飲食はもちろんのこと
喫煙もせず、中には
唾を飲むことさえしない大バカ者もいるという、あのラマダン。
モルディブは
国民の100%がイスラム教徒であるため、もちろんラマダン時期にはほとんどの人が断食をしています。
そして日が沈んで断食が解禁されると、人々は飲み食いに専念。
家族水入らずで、あるいは客人を招待し、または職場の同僚や気の合う仲間などで集まって食事をするわけですが、この
断食期間中の食事をアラビア語で
イフタールといいます。モルディブの言葉では何というかわかりませんが。
...というわけで、そんなラマダンが始まって数日経ったある日のこと、
学校主催による職員のためのイフタールパーティーがあるということで、ディベヒ語(モルディブの言葉)で書かれたこんな
招待状までいただいてしまったので、行ってまいりました。
会場となったのは、
この、
夜の学校の...、
しっかりバイキング形式のパーティー仕様に模様替えが施された
体育館。
開始時刻は夜の
9時半。
なんとなーくみんながわらわらと集まり始め、
いつ始まるのかなぁ〜、などとそわそわしていると、これといった開式の挨拶とかそんなものは何もなく、
さぁパーティーが始まるぞぉー、という高揚感のようなものは
なかなか見えてこず...、
誰かがなんとなーく料理の方に進んでいくと、それにつられてみんながなんとなーく料理の方に進んで行き...、
何の前触れも説明もなくなんとなーく流され始めたスライドショーなんかを見ながら、なんとなーくみんながそれぞれのテーブルについて食事を始め...、
一時間も経つと、お腹が満たされた人から
なんとなーく帰っていくという、
...そんな
ダラ〜っとしたパーティーでした。
私が今まで行ってた国では、こんな
招待状まで発券するような正式なパーティーともなれば、例えば
フィリピンなんかは開式にあたって国歌斉唱、偉い人の挨拶なんかがあって、ようやく食事。んで、その合間には歌やダンスが繰り広げられ...、という感じだったし、
モンゴルでは必ず酒盛りが始まり、やがて会場はダンスフロアと化していつまでたっても宴は終わらない...、みたいな感じだし、同じイスラムでも
シリアなんかでは
"学校主催のイフタール"ともなればやっぱり最初と最後に誰かしらが挨拶とかをしていたし、個人の家なんかでやるようなイフタールは夜を通して行われるような感じだったし...。
特に開式も閉式もなく、
なんとな〜く始まったらパッと食ってサッと帰る、というのがモルディブ式なんでしょうか...。それとも単に夜遅かったからでしょうか...。
ちなみに、食事なんかも
ご飯モノとか
麺類とか、
何かの丸焼きみたいな
ガッツリ食べる系の料理は一切なく、
こんな感じの
ショートイーツと呼ばれる
コロコロしたひと口サイズのおかず的なものしか出されておりませんでした。
というわけで、我々日本語教師陣もそれらをモソモソと食し、なんとなく周りの人と会話をしたら1時間ほどで会場をあとにしたのであります。
...えと、
なんかそんな感じです。
テーマ:モルディブ - ジャンル:海外情報
というわけで...
モルディブでは、というか、イスラムの国々では8月1日から
ラマダンが始まりました。ついでになんとなく
授業も始まりました。ラマダン中なので時間割とかいろいろ変則的な上に、まだ前任の先生もいっしょなので、ゆるい感じのスケジュールでスタートしています。
...が、まぁまぁ
そんなことはどうでもいいじゃないですか。まだまだ
四国遍路のお話を書かせていただきます。
四国遍路の
一日目は住宅街の平坦な道でありながらも小雨舞う中でのスタート。
二日目は難所中の難所と言われる山道を歩き、
三日目は照り返しきつい国道をただひたすらに歩くという、一筋縄ではいかない遍路道を歩き続け、迎えたお遍路の旅
四日目。
朝6時半に宿を出て、7時ちょうどに
十九番札所の
立江寺に到着。
前日までの困難なる道がまるでウソのように今日は順調に進んでいきそう。
...なんて、今となっては
ちゃんちゃら甘っちょろい予感もしつつ、この日はそこから
二十番の
鶴林寺、
二十一番の
太龍寺、
二十三番の
平等寺と合計4箇所の札所を巡ったんですが...、
二十番の
鶴林寺は
標高500メートルの山の頂にあり、それも
まるで壁を見ながら歩いてるような勾配のきつい山道を歩かなければならないという、これまたやはり徳島県内の遍路道における難所のひとつをゼェゼェ言いながら歩き、
二十一番の
太龍寺はさらにその上を行く
標高600メートルの山にあり、これも急勾配の坂道を歩いていかなければならない、というか、
そんな坂道をわざわざ歩くのは馬鹿げたことだと言わんばかりに
ロープウェイが通っているほどの峠をやっぱり汗だくになりながら歩き、
そして
二十二番の
平等寺は、前二つの霊場ほどではないにせよ、
やはり峠越えをしなければたどり着けない場所にあり、この一日でそれぞれ
標高500m、600m、200mの三つの峠越えという荒行を行い、すっかりヘトヘトになりながら、この二十二番平等寺の隣にある民宿で一泊。
そんなこんなで足の方も筋肉痛とかにはなっていませんでしたが、両足に
マメができ、それをかばいながら歩いたりしたもんだから足首がちょっと
変なふうに痛くなったりしつつ、残す
二十三番札所をお参りすれば
徳島県内の霊場を全て歩くことになる、というとりあえずの区切りが目前に迫っていたのでした。
...というわけで迎えたお遍路
5日目。
二十二番の
平等寺から
二十三番の
薬王寺までの距離は
23キロ弱。
徳島県内の霊場二十三箇所制覇を目指し、いつ悲鳴を上げてもおかしくない状態の足を前に出し、朝からとにかく歩いて歩いて歩き続けます。
そして十何キロか歩いたところで...、
この旅はじめての
海が見えてきました。
薬王寺のある
美波町はウミガメの産卵場所としてその名を馳せる
大浜海岸を有する漁師町。潮の香りと波の音で身体中にマイナスイオンを浴びながらさらに歩き続け...
二十二番平等寺を出発して約6時間後、
徳島県最後の霊場である
二十三番札所の
薬王寺に到着しました。
これまで歩いてきた霊場の中でも特に大きく、きらびやかな
薬王寺。四国霊場のひとつというだけでなく、
厄除け大師でもあることから、お遍路以外の参拝客も多く見受けられます。
...で、
モルディブ行きも決まってしまったし、徳島県の霊場を全部回ったということでちょうどキリもいいし、
このお寺でとりあえず今回のお遍路の旅はひと区切りすることにしました。
というわけで最後に薬王寺の隣にある
薬王寺温泉で旅の疲れを落とし、日和佐駅から電車に乗り、
5日間歩いた道のりをたった1時間半ほどで徳島駅まで戻り、最後に
徳島ラーメン食って帰路につきました。
わずか
五日間の旅でしたが、朝5時とか6時とかから歩き始め、お寺が閉まる夕方5時ギリギリまで歩き続けるなんて日もあったりしながら、
徳島県内にある23の霊場を全て歩いて巡ること
その歩行距離は150キロを超えるほどになります。
それでもまだ弘法大師が歩んだ1200キロには遠く及びません。
そしてその道中、街と呼べるような場所はほんのわずかで、ほとんどが
山の中かまたは
山間の集落。ケータイの電波はおろかテレビの電波すら届かず、地デジに移行した今もケーブル引かないとテレビが見られないような所もありました。
そういった場所をただただ無心で歩き続けていると、なんか
悟りを開くとかそれほど大げさなことではないんですが、それでもなんか
周りのこざこざしたことなんかがけっこうどーでもいいことのように思えてしまっておりました。
特に、この旅の間じゅうずっとシリアや今回のモルディブへの派遣元となっている団体の方からほぼ毎日いろいろと連絡が入っていて、それがまた
日本滞在中のお手当て(お金)の問題であったり、それに絡んで
モルディブへの派遣時期を早めてほしいとかなんとかであったり、それでも
そのものズバリを直接申し上げるのではなくて、遠まわしに遠まわしに、ときには見え透いたウソなんかも織り交ぜながらいろいろ言われていた、というのもあって
「なんだか世知辛いなあ」なんて思ったりもして、この旅で立ち寄った場所やお世話になった人たちののんびりとした生活とは対照的だよなぁ、とか、だからといって都会の片隅でそうやってちいこいことを言いながら生活していくのもそれはそれで否定はしませんが、
あれやこれやととにかくいろいろあって、欲望とかなんかそういうのに襲われるようなときもたまにはあるけれども、それでもやっぱり
素直に、というか
ありのままに、
自然に生きていくのが理想だよね。(それが現実的にできるかどうかは別として)
...と思った今回のお遍路の旅でありました。
この続きは来年、モルディブから帰国したらまた行けるところまで行って、とかを繰り返しながら八十八ヶ所制覇できたらいいなぁ...。
というわけで
四国遍路の話はこれにて終わりです。
次回からようやくモルディブのお話を書いていけそうです。
テーマ:お遍路 - ジャンル:旅行