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モンゴルの大学でのイベントの話です。
海外どこでも日本語を教えている機関、または日本と何らかの関わりがある教育機関などでは、規模の大小はあれ「日本語や日本文化などに関するイベント」みたいなものがよく開催されています。
私が勤めている大学も例外ではなく、日本語学科の学生たちが毎年春の雪融けとともに贈る一大イベントが行われます。
と、ゆーわけで…
去る3月25日から28日までの4日間、モンゴル国立大学オルホン分校の日本語学科がお贈りする「日本語週間」というイベントが開催されました。
そんなわけで、ようやく肩の荷も下りてちょこっとヒマになった今週、この「日本語週間」の模様を数回に分けてお伝えしていきます。
イベント開催前日、いつも通り行われた授業のあと、学生たちは夜遅くまで大学に残り、外国語学部が置かれている三階の廊下の装飾作業をしていました。
「いよいよ明日、開催されるのか」と、気合い十分の学生たち。
しかし………
ここまでの道のりはそれほど長くもなければ険しくもない、いたって平坦な短い直線道路でした。
……というのも、実は今回の日本語週間、日程が決まったのは1月中旬。折しも旧正月休み直前で、モンゴル人全員が旧正月前の「脳みそツルツル状態」。旧正月明けのことなど誰一人考えてはいなかったのです。
そんなわけで、「旧正月休みが終わって、大学の授業が始まったら話をつめていきましょう」ということになったものの、二月中旬、いざ旧正月休みが終わって大学に行くと、1か月にも及ぶ三年生の実地研修期間が始まってしまい、イベントの中核として後輩たちを引っ張っていかなければいけない三年生が本番の1週間前まで大学に来ないという事態が発覚。
とりあえず、私も含めた日本語教師三名でやれることだけやってしまい、あとは学生たちに任せるという形で「イベント内容とプログラムの決定」「日本語学科の全学生を学年に関係なく4つにグループ分け」「諸々決まったことを三年生以外の学生たちに告知」と、そこまでやったところで「あとは学生たちがそれぞれ三年生に連絡を取り、やるべきことをやってくれるはずです」と言うモンゴル人の先生の言葉を信じ、私も出しゃばったことはせず、助言としてちょこっと口を出す程度のスタンスで望むことにしました。
そんなわけで学生たちはそれぞれがマイペースに自分のやるべきことだけをやり、何か質問などがあるときはモンゴル人の先生の所へ行き、日本語に関するネイティブチェックが必要なときには私を訪ねて来るような感じで、さしたる緊張感もなく、いたって平和に淡々と準備が進んでいくのでありました。
そんなこんなで迎えたイベント開催前日の飾り付け。これに関しては私もまったくノータッチだったので、けっこう楽しみにしていたんですが………
←折り鶴です。
時間と手間をかけた割には「地味」でした。
つづく
突然ですが……
「馬の頭」です。
………そんなわけで、
←マイ馬頭琴、初披露です。
おそらく私のモンゴル生活における最初で最後の高い買い物になるだろうと思われます。(約200ドル)
昨年10月末ごろに先生を紹介してもらって馬頭琴を習いはじめているわけですが、その先生ご用達の職人さんが作ったもので、昨年11月に注文し、受け取ったのはその翌月のことです。
そんなわけで昨年秋に先生を紹介してもらったあと、1か月ぐらいは先生の馬頭琴を借りながらもそれなりに順調にレッスンを受けていました。で、12月。待望のマイ馬頭琴を受け取り、ざぁこれから張り切っていこうかと思った矢先、年末年始のイベントやらいろいろがあって先生の方が忙しくなってしまい、レッスンは一時中断。で、年が明けたら明けたで私の方が大学の前期試験とか後期の新時間割への対応なんかで忙しくなってしまい、再開のめどが立たないまま旧正月間近になってしまい、やっぱり練習再開されず。
で、2月に入ってすぐ、先生から「いつから練習来れる?」みたいなメッセージが私のケータイに入り、私も「…んじゃあ旧正月明けから始めましょう」ということで合意。「大学の正月休みが終わるのと同時に再開すればいいかー」ぐらいに思っていたところ、旧正月明けすぐに先生から再び私のケータイにメッセージが入って…
「なぜ来ない!?答えろ!」と。
「うひー、すみませーん。週明けに大学の方の仕事も始まるんで、また来週からお伺いいたしますー。」と返事を送ってみたところ、それに対する返事はナシ。
それでもとりあえず先生の家に行ってみたが留守。で、その後も何度か「明日の夕方行きますよー。大丈夫ですかー。」みたいなメッセージを送ったりしても返事はなく、先生の家に行っても留守、という状況が1か月近く続き、気づけば3月。馬頭琴の練習が中断して3か月半が過ぎようとしていました。
ところが10日ほど前、久しぶりに先生から私のケータイにメッセージが入り、
「今夜18時36分にうちに来てください。」
…えらい急だな。ていうか、そこまで細かく時間指定してきたのはなぜ?
などと思いつつ、その日は用事があったのでその翌日、先生のお宅へ。約3か月半のすれ違いを経て、ようやく馬頭琴のレッスン再開となりました。
ちなみに先生はこの人。
バットウルジー氏(50歳ぐらい)
モンゴルには珍しい長髪で、楽器マニアのロックオヤジです。馬頭琴の他にピアノやギターの教室をやったり、パワーを持て余している若者を集めてバンドとかもやってます。
指導だけではなく、奏者としてもそこそこ名の通っている人で、若いときにはソ連各地を放浪(?)して演奏していたという経験もある、話し好きの面白いおっさんです。約1時間の馬頭琴のレッスンも、最初の20分ぐらいはこの先生の「チューニングと称した独奏」から始まります。その日の気分によってモンゴルの伝統音楽からクラッシックやロックまで、いろいろ弾いてくれます。さらにノッてるときにはホーミーも聞かせてくれます。なかなかいい歳の取り方してます。
それにしても、昨年末からつい最近までのすれ違いがあったので、私の馬頭琴の腕はいまだに基礎中の基礎しかできていません。ていうか、先生からは基礎からのやり直しを命じられてしまいました。
モンゴルを去るころにはそれなりに演奏できるようになってるといいんですが…。
とりあえずヒマを見ては練習するようにしています。
毎度おなじみ定点観測の3回目です。
エルデネットの街も暖かくなってきて、というか、寒くなくなってきて、春はもうすぐそこまで来ている様子。そんなわけで今回は、徐々に雪が減っていく様子をご覧ください。
2008年1月14日(月)
昨年末で大学の前期日程が終了し、前期試験も終わってこの日から後期の授業が開始しました。昼間でもマイナス10度以下の日が続き、もっとも寒かったころです。
2008年1月21日(月)
白いです。特に書くこともありません。いたって平和な1日でした。
2008年1月28日(月)
1月14日に試験休み兼年末年始休みが終了して授業が始まったんですが、授業があったのは2週間だけで、今度はこの日から「旧正月休み」に入りました。そんなわけでこの日は大学の教授室で軽いパーティーが行われました。
2008年2月4日(月)
モンゴルでは、大学が提供してくれているアパートに住んでいるんですが、私が入居するときすでに台所にでっかい冷蔵庫がありました。が、それがまぁビックリするほど古いモノで、なんか変なニオイはするし音はうるさいのであまりつかいたくはなかったんですが、それしかないので仕方なくそのボロ冷蔵庫をつかっていました。
しかしこの日、大学の方から「新しい冷蔵庫を買ったので今から持っていく。今日は家で待機してろ」という電話が入り、遂に新品冷蔵庫が我が家にやってきました。
ちなみに右の写真は古い方の冷蔵庫です。
2008年2月12日(火)
毎週月曜日に撮っているこの写真ですが、2月8日がツァガーンサル1日目、で、11日の月曜日は招待を受けていたので定点観測できず、翌12日(火曜日)の写真です。
2008年2月18日(月)
旧正月休みが終わり、この日から大学のほうも授業再開です。ちなみにこの前日の日曜日、馬頭琴の先生からケータイにメッセージがありました。
「なぜ練習に来ないんだ。答えろ!」
で、それから何度か連絡しようと試みてはいるんですが、この日を最後に音信が途絶えてしまっています。先生の家に行ってみてもいつも留守だし。
2008年2月25日(月)
前回の記事より、「万年筆が乾燥にやられてるからインクがでないのか!」と気がついたのはこの日です。「黒ヒョウ」の絵もこの日に描きました。
2008年3月3日(月)
3月に入り、だいぶ暖かくなりました。雪も融けはじめています。
2008年3月10日(月)
完全に雪がなくなりました。春の訪れです。ここからこの原野が徐々に色づき始めます。そんなわけでようやく退屈な雪景色の定点観測は終了です。次回をお楽しみに。
万年筆救済作戦の続きです。
前回の記事をまだ読んでいない方は、先に前編をお読みください。
洗浄を終え、無事に復活を遂げた万年筆ですが、これを今までと同じように使っていてはまた同じように乾燥にやられてしまう。というわけで、万年筆の保湿器を作るべく集められたのは右の写真、ジャムの空きビンとスポンジです。
まず、下の写真のようにスポンジを丸く切ったあと、中心部を丸くくり抜き、ビンの底に詰め込みます。
で、このスポンジに水をしみ込ませ、中央部の穴に万年筆を収納。そのままビンの蓋を閉めればなんともカンタン、万年筆保湿器の完成というわけです。
…が、このままではスポンジにしみ込んだ水が中央部の穴に流れ込み、万年筆が水浸しになってしまう恐れがあります。そうなってしまえば保湿どころの騒ぎではない。何かいい方法はないものか…と、考えをめぐらせたところで登場した救世主がコチラ。
ごらんのとおりのゴム手袋です。
瓶詰めのジャムやピクルスの蓋を開けるためだけに使っているこのゴム手袋ですが、万年筆保湿のために多少の犠牲を払っていただくことになりました。
そんなわけで…
←左手人差し指を切断!
で、これを万年筆保湿用スポンジの中央の穴に差し込みます。
↑構造はこんな感じデス。
実際に万年筆を収納すると……
こんな感じです。保管時はもちろん蓋を閉めておきます。
これにより、万年筆が乾燥によってインクが出なくなってしまうこともありません。万年筆たった一本の保湿ために犠牲となったスポンジとゴム手袋の左人差し指のおかげで、今のところ万年筆は絶好調。難点といえばこの万年筆保湿器、携帯には向かないというところでしょうか。
そのうち携帯用万年筆保湿器も開発してみようと思います。
そんなわけで、
無事に復活を遂げた万年筆を使って、ご覧の通り「子鹿」の絵もかわいく描くことができました。
突然ですが、下の絵をご覧ください。
授業で使うために最近描いた「黒ヒョウ」の絵です。
「モンゴルでの日本語の授業に、なぜ黒ヒョウの絵が必要なのか」などという疑問はさておき、この黒ヒョウ、もっとカッコよく仕上がるはずだったんですが、黒ヒョウの持ち味でもある「威圧的な黒さ」が表現できず、いささか精悍さに欠ける黒ヒョウになってしまいました。
どうしてこんな仕上がりになってしまったかというと、その原因は「万年筆」にあります。
以前、絵教材(第3回)の記事にも書きましたが、私は絵を描く際、濃淡を表現するのに万年筆を使っています。
しかしこの万年筆、もうかれこれ8年ぐらい使っているんですが、モンゴルに来てから急にインクの出が悪くなり、線がかすれるようになって来てしまいました。さすがに長く使っているというのもあって、かなり手に馴染んでいるんですが、もともと安物(300円ぐらい)だったというのもあり、「そろそろ万年筆の替えどきなのかなぁ」などと思っていました。
そんなある晩のこと…
いつものように部屋で翌日の授業の準備をしているとき、なんとなく「冷たいお茶がのみたいなぁ」と思い、冷蔵庫に冷やしてあった紅茶と、氷を何個かグラスに入れ、そいつを机の上において引き続き作業をしていたところで、その冷たい紅茶入りのグラスを見て、あることに気づきました。
「グラスが汗をかいていない!」
今まで住んでいたフィリピンやベトナムといった熱帯の国では、冷たい飲み物を飲んでいるとグラスの外側に水分が付着し、グラスが汗をかいたようになってテーブルの上がすっかり水浸しになってしまうところです。が、ここでは冷たい飲み物があってもグラスがまったく濡れていない。…てことは、それだけ空気が乾燥しているということなんだなぁ…なんて思ったところで、はたと気づきました。
「最近、万年筆のインクの出が悪いのは、ペン先でインクが乾いて固まってるからなんじゃねぇの?」
…ということで、「万年筆救済作戦」の開始です。
まずは万年筆の解体および洗浄。
右の絵のようにペン先を水道の蛇口にくっつけて水を出し、インクを出しきってしまいます。
その後、ペン先にたまっているインクを完全に出してしまうため、ぬるま湯にペン先を一晩つけておきます。お湯が冷たくなってしまわないように、パール(暖房機)の上で保温しておきます。…すると翌朝にはペン先にたまっていたインクが溶け出し、お湯が若干ではありますが黒く染まっていました。
→
そして乾燥。空気が乾燥しているので、万年筆もすぐに乾きます。
これで万年筆は復活を遂げました。
しかし、これだけで安心してはいけません。空気が乾燥している土地で生活している以上、いままでと同じように使っていては、また同じことを繰り返すだけです。
そこで登場するのが……
←ジャムの空き瓶とスポンジ
コイツらを使って、万年筆を乾燥から守る「万年筆保湿器」を作ります。
そんなわけで詳細は次回につづく。