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このたび、当モンゴル国立大学オルホン分校独自の教材として「日本語文書作成(モンゴル国立大学オルホン分校編)」の編集作業が終了した。
以下にこの教材についての概要を記述する。
まず、本教材は2007〜08年度、08〜09年度にモンゴル国立大学オルホン分校の日本語学科三年次に在籍していた学生の日本語レベルに合わせて作成されており、それを実際の授業で使用しながら学生の理解、反応を見た上で改善し、最終的にひとつの教材としてまとめたものである。
また、本教材は大きく「本冊」「練習問題集」「教師用指導書(および練習問題解答例)」の3つのパートに分けられており、以下にその詳細について記す。
1.文書作成・本冊
これは、モンゴル国立大学オルホン分校において日本語学科3年次の必修科目である「日本語文書作成」の主教材として使用されること、また、同科目を日本語母語話者である日本人講師が教授することを前提として編纂されたものである。
その内容は「第1課・箇条書き」「第2課・短信」「第3課・文書作成の理論と技術」「第4課・事実文と意見文」「第5課・要約文」「第6課・手紙文」となっており、導入として簡単なメモ書き程度の文書から始まり、文書作成の技術、随筆などを経て、最終的にビジネス文書の作成ができるところまで学生の文書作成能力を引き上げられるようになっている。
各課とも3〜4の項目に別れており、各項目の終わりには簡単な練習問題があるので、教師は項目ごとに学習者の理解を量ることができ、最終的にひとつの課を終了した時点で「課ごとの練習問題(下記)」に取り組み、学習者の理解を再確認することができるような構成になっている。
2.練習問題集
上記「本冊」の項目で触れたとおり、課ごとの確認問題、単元テストとして練習問題を作成した。
これは上述の通り学習者の文書作成能力を確認するものであるが、同時に当大学で毎月一度、学生に義務付けられている「биe даалт(課題レポートまたは中間試験)」としての使用も視野に入れて作成した。
3.教師用指導書および練習問題解答例
前述の通り、本教材の本冊は日本人講師が教授することを前提として作られている。しかし、当大学が今後、日本人講師不在のままモンゴル人講師だけで全科目を担当することが続く可能性はきわめて高く、そのような状況を鑑み、主たる目的として「モンゴル人講師のため」の指導書と練習問題の解答例も作成した。
また、著者(渡辺)が実際の授業で行った教室活動の内容や練習問題(本教材に掲載されていない問題)もここに記してある。
さらに、モンゴル人講師の授業スタイルを考え、担当講師が教室内でこの指導書をそのまま読み上げるだけでも授業が成立するように配慮して編纂した。
4.そのほか
以上3点のほか、巻末には原稿用紙、履歴書、職務経歴書を付録として添付。
さらに、「総合問題」として著者が作成して実際に期末、学年末試験として実施した問題をそのまま掲載し、今後、同科目を担当する講師の負担をなるべく軽減できるようにした。
以上が本教材に関する概要であるが、ここに記載されている各事項はあくまで編者による「編集作業終了時点における思案」である。
本教材を使用して教授を担当する講師が独自の判断で使用方法を見つけ、実際の教室活動に活用すると同時に、訂正、削除、追加が必要な部分があれば改善を重ねて「より使いやすい教材」にしていただけることを望む。
2009年6月25日
日本語文書作成(МУИС-ОАСС編) 編者
……というわけでぇ、何やらいろいろゴチャゴチャと書いておりますが、実は6月9日に大学で卒業式が終わった時点で私の
モンゴルでの仕事も晴れて終了〜とはならず、9月の新学期から日本人教師がいなくなるということを考えて、
“自分がこの2年間で担当した科目のうち、特にモンゴル人の先生には教えるのが大変だろうと思われる科目のための教材を作っておこう”と思い、その作業をひとり黙々と進めていました。
エルデネットはもうすっかり夏の陽気だというのに…。
で、それが先週末にようやく完成。今回の記事はその教材の一部の、
教科書なんかを買ってもまずほとんどの人が目を通すこともないであろう「この教科書を使う前に…」みたいな御託の部分です。
とりあえずモンゴル人の先生がこれを実際に使うかどうかは別として、
自分の仕事を何らかのカタチとしてここに残すことはできそうです。
大学側が言っているように、何年かあとに本当に日本人講師がまたこちらに来るかどうかはわからないし、一部では
JICAの人が学長と話をしに来た、JICAに要請を出した、だからJICAのボランティアが配属される、などというちゃんちゃら甘っちょろい声もちらほら聞きますが、私が見たところ現時点でまだ募集要項すら公表されていないし、何より
「少なくとも私自身が」日本政府の慈善事業をあまり信用していない部分もある(関係者の皆さんスミマセン…、あくまで
“人”ではなくて“やり方”をね、あまり信用してないんです…)ので、そんなことを考えると、私がここを去ったあともまだ当分は日本人不在が続きそうな感じです。
悲しいかな
犠牲になるのはいつも学生、なんですよね…。
なので、大切なのは
学生一人一人に対する愛、ということで、愛を込めて一冊の教科書をしたためてみました。
もしいつか実際に日本人の先生がこちらに来ることが決まり、その方がウェブ上で何かしら検索したときにこのページが偶然ヒットしてくれることを祈りつつ、この記事をここに掲載した次第でございます。
というわけで、
この調子で実はあと一冊、「日本事情」という科目の教科書作りもまだ残っています。
帰国するまでに間に合うかなぁ…。
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そろそろ帰国が迫ってまいりました。
とはいいつつも、実はこの記事を書いている時点でまだ帰国日が決まっていません。
…というのも、出国ビザの申請と住民登録の抹消手続きのために大学に預けたパスポートがまだ手元に戻って来ず、飛行機のチケット予約もできません。
しかもパスポートのコピーをどこにしまったのか探しても見つからず、そんなこんなで
パスポート不所持なのでうかつに街を離れるわけにもいきません。まぁ、引継ぎ書類の整理やらいろいろと残っている仕事がなかなか片付いてくれないというのもあり、夏だというのにここ数日は家に引きこもってパソコンの前で作業をしていることが多く、そんなことしてるとストレスもたまってきてしまうので、気が向いたときに食料持って半日ぐらい市内のあちこちを歩き回ったりしています。
…というわけで、前々回の滝、前回の山菜採りに続く
夏のエルデネット散歩シリーズ(第3弾)。
今回私が訪れたのは右の写真。
ここはウランバートルからのバスが到着するバスターミナルで、いわば
エルデネットの玄関とも言える場所なんですが、このバスターミナルの奥の丘の中腹に見える市のモニュメント。
…の、さらに奥の方にそびえている
岩山の頂上を目指します。
写真で見るとそれほどでもないような感じですが、実際に正面から見据えるとかなりゴツゴツした急斜面なので、ここを真正面からガシガシ登って行くのではなく、山の裏手に回って頂上の岩を目指します。
ぐるっと回りこんで横から見るとこんな感じ。
左側が山の裏手で、右側を下ったところにバスターミナルとエルデネットの街が広がっている格好です。
しかし、この丘というヤツは実際に上ってみるとけっこう急勾配で、想像以上に体力を使ってしまいます。
景色だけ見るとこんな感じなんですが…
ゼーゼー言いながら30分ほど登っていくと巨大な岩が現れるので、さらにこいつをガンガン登っていきます。
すると……
←登頂成功!小ぢんまりとしたエルデネットの街全体が一望できます。
というわけで、約2年間住んでいたこの街を見下ろして感慨に浸ってみました。
ついでにここで昼メシ。
山の上を吹き抜ける風が心地よかったです。
時間もあったので、帰宅後に写真をつなぎ合わせてこんなのも作ってみました。
↑エルデネット全景↑
画像クリックで“ちょっとだけ大きめの画像”が現れます
左端の平らなハゲ山がエルデネット銅鉱山と、その周りに工場やらの建物が乱立。で、真ん中のぐちゃっとした部分が街の中心。そこから右に行ってちょうど雲の陰になっている辺りにゲル集落が広がっていて、一番右がエルデネットの最高峰であるバヤンウンドゥル山。
これで180度パノラマぐらいですが、こうしてみるとホントに何もないですね。
ちなみに、ウチから歩いて山を目指し、頂上で昼メシ食ってボサーっとしたあと下山。で、帰宅まで3時間弱ぐらい。
モンゴル第三の都市とはいえ、これだけ身近なところに自然があるというのはいいモンだと改めて思います。
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1年ぶりにモンゴルの山菜の話です。
こちらは5月も半ばに入れば草原も青く色づき、エルデネットの町から歩いて行ける近場の山では
よもぎや
ハーブがわんさと採れるし、山まで行かずともそこらじゅうに
菜の花も咲いてるし、ちょっと足をのばして水辺に行けば
つくしも採れる…、そんな心躍る季節となります。
…が、今年は仕事の後片付けやらいろいろ用事が重なったりしてなかなか山へも行けず、先週末になってようやく山菜採りに出かけることができました。
というわけで山へ。
この日のターゲットは
定番のよもぎと、できれば
新たなる山菜の発掘です。
……と、
山へ向かう道中でモンゴル人夫婦に声をかけられました。
モ「おめぇ、こんなところで何してんだ?」
私「食べるための花とかを採りに来たんだ。(山菜とかそれに類するモンゴル語がわからなかった)」
モ「食べるための花?」
私「日本人は山の植物で料理をするんだ。」
モ「そうなのか。そんならこっちのほうがたくさんあるから一緒に来いよ。」
…というわけでこの夫婦に連れられ、私の
お決まり山菜採りスポットとは反対の方向へ。
なるほど確かにこっちのほうが緑も濃く、いろんな植物がたくさんある感じ。……ですが、止まることなく山道を歩き続けること1時間弱。
←!!
ひと山越えて小さな集落に出てしまいました。実はこの夫婦、人里離れたこの小さな集落に土地を構えて家を建てようと計画しているらしく、なにやらせっせと測ったり穴を掘ったりし始めてしまいました。
…なのでその間、私はこの集落のはずれにある茂みで山菜採り。
とりあえず
よもぎと
ハーブっぽい葉っぱをほんのちょっと採りました。
…というわけで、この集落に小1時間はいたでしょうか。
よもぎも採れたし、同行したモンゴル人夫婦も用事を済ませたようなので、また山を越えてエルデネットの街に帰ることに。
で、最終的に………
←こうなりました。
何なんでしょう、これ。
ほんの数時間前に初めて会った異国人の家にあがりこんで、
まるで旧知の仲みたいな笑顔でフツーに憩ってます。でもこれがモンゴルです。…ていうか、
モンゴルに限らず、日本以外のアジアの国ってだいたいこんな感じですよね。
それに加えてこの夫婦がまた
モンゴル人にしてはめずらしく勤勉で、50歳過ぎて英語の勉強を始めたりしているらしく、家中の家具という家具に油性マジックで「desk」とか「refrigerator」とかの英単語が書いてあったりして、なかなかおちゃめです。なんだかんだで意気投合してしまい、
晩メシまでごちそうになってしまいました。
…と、そんなこんながありつつ、その翌日、早速
よもぎパンをこしらえました。
さらに………
私の住んでいるアパートから徒歩1〜2分程度のところに、私の
秘密のプライベート菜の花畑があるんですが…、
この写真の黄色くなってる辺りです。
けっこう人通りが多い場所なので、実は秘密もへったくれもないんですが、基本的にモンゴル人にとって
「野草を食べる」などという家畜のような食生活はありえないことなので、ここに咲いている菜の花はすべて私が独占しています。
…というわけで
菜の花の天ぷらも作りました。
一年に一度の贅沢です。
とりあえず今月中は週末の度に山へ行くことになりそうです。
やっぱこれこそ四季のある国の醍醐味、ですよね。
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お久しぶりです。
なんだかんだで気づけば10日ぐらい更新していませんでしたが…
先週の火曜日、大学の方では卒業式もつつがなく終了し、
4年生たちが無事に巣立っていきました。で、
それと同時に私のモンゴルでの仕事もこれでほぼ終了。大学まで行っていろいろしなきゃいかんような仕事はもうなくなり、今は新年度への引き継ぎ資料のまとめやら帰国準備やらをのんびりしています。
そんな中、同僚のモンゴル人の先生が「もうこれで最後なんで、男の先生だけでどっか行きましょう」と
エルデネットから30キロほど離れたところにある「滝」に連れて行ってくれました。
というわけで昼ちょっと前ごろにエルデネットを出発。
わずか30キロという短い距離でも、そこへ行くまでの間も
所々で車を止め…、その都度トランクからパンとか缶詰とかを取り出して
本気の休憩をはさみます。
やがて道を外れて草原に入り、
途中途中で遊牧民に道を聞きながら走っていると…
こんな感じで
ちいこい看板がぽつんと立てられていて…
「渓谷」そして…
「滝」です。
この写真だけ見るとけっこう立派な滝のようにも見えますが、
高低差2メートルぐらいの小さい滝です。
「滝」というからもっとスケールの大きいのを想像していたんですが、それでもちゃんと目印の看板があったり、我々のようにこうしてくつろぎに来る人がいるんだから、名所といえば名所なんでしょう。
この辺に住む遊牧民にとっても貴重な水源だろうし。
というわけで、
モンゴルで「水辺」といえば、当然ここで出てくるのは…
「肉」川辺でビールを飲みながら肉を食い、まったりと過ごしつつも、小一時間ほどで肉が終わったらあっさりと帰宅。
まぁ何にしても、帰国が迫ったこの時期に、こうしていろんな人がいろんな所に連れて行ってくれるというのはうれしいモンです。
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5月31日(日曜日)、エルデネットでは
オボー祭りが行われました。
この日、エルデネットとその近郊に住む人々がナーダム会場に集まり、モンゴル相撲、競馬、弓射の三種競技が繰り広げられるお祭りです。夏に行われるモンゴル最大の祭り、
ナーダムの縮小版みたいなモンです。
……が、この日の我々には
悠長に祭り見物などをしている余裕はありませんでした。
というのも……
そのころ、わが大学では
4年生の卒業試験が朝から行われていたのであります。
文字通り4年生の卒業がかかった「最終関門」である卒業試験。この日は
大学内が一年の中で最も緊張感に包まれる一日であります。
それもそのはず、田舎とはいえ
まがりなりにも国立大学の卒業試験ともなると、それはそれは
厳重に厳格に執り行われます。
まず、
教師側が作成する試験は、他人に盗み見られることがないように「必ずパスワードを設定すること」との注意がなされ、完成した試験は教師自身が印刷、コピーをせず、データのみを副学長に提出。
で、それを学長と副学長と学部長がチェックをして人数分コピーしたあと
封筒に入れてガッチリと封をして、試験開始直前まで金庫に保管されます。
そして迎えた試験当日、大教室に外国語学部の各学科(日本語、ロシア語、中国語、ドイツ語)の4年生全員が集結すると、学生たちは
不正行為防止のため、同じ学科の学生が近くの席に座らないように配席され、試験中は外国語学部の先生方が常に
3人以上で監督。
また、
学生たちは試験用紙に名前を記入せず、この試験のためにそれぞれ大学から与えられたコード(受験番号)のみを試験用紙に記入。
名前を伏せることで、試験の採点をする際に
「学生に対する教師の先入観」を排除し、公平な採点がなされるようになっています。
試験は2日にわたって行われ、1日目が文法、読解、語彙、聴解、会話(口頭試験)、そして2日目が和蒙と蒙和の翻訳、というスケジュール。
採点はその日ごとにすぐに行われ、その日のうちに学生に口頭で結果を発表。
…てな感じで、
モンゴルにしては(←失言)
ものすんごいしっかりしてます。
ちなみに、私の担当は初日の試験監督と聴解試験の作成および会話の口頭試験の審査でした。
そんなわけでこの日、試験は朝9時に始まって一度の休憩もなく昼の1時まで、前半最後の科目である聴解試験を各学科が順番に終えたところでようやく昼休み。
先生方には弁当まで支給されます。(モンゴルにもこんな弁当があったんですね。しかも
肉なし(!)です。)
で、
午後は会話の口頭試験。
これは各学科とも母語話者である外国人教師の仕事で、ひとり10分程度のインタビュー形式で行われるんですが、
私ひとりで日本語学科の4年生13人×10分で単純に2時間以上の長丁場。
で、その間にほかの先生方は午前中の試験の採点に追われます。
…というわけで会話の口頭試験も終わり、午前中の試験の採点も
すべて終わったのが夕方5時。
結果をまとめて副学長に提出。
そして
副学長室にて協議が行われ、7時ちょっと前ごろ結果発表。
気になる結果は………
日本語学科でひとりの不合格者を出してしまった以外はみんな合格基準(60点)になんとか達しました。
ちなみに
去年は全員合格でした。
今年は
ひとりだけ不合格です。
その場に漂う気まずい空気……。結果の良し悪しはどうあれ、全員が笑って卒業できるようにと毎日みんなが図書館に集まって勉強に励んでいたことも知ってたし、単位落とした科目がまだ残っていた学生も、
ちゃんと金を払って再試験を受けてた(
「金を払って」を太字にした理由はだいたいお察しのとおりです)し、みんな私のところにも何度となく質問に来ていて頑張っていたんですがねぇ…。
この結果発表の直後、その場にいた学生全員が
「こういうとき、不合格が何人かいれば慰め合えるんだけど、ひとりだけ不合格って…、自分は合格だけど、こんなときどういう顔したらいいんだろう…」みたいな
ひきつった顔して全員が
お互いのリアクションを探り合うように目を泳がせていました。
…でもね、実はこの不合格になった学生、私も含めて先生方全員が「仕方ない、よね?」という反応だったんです。
さらに、実は
この試験のシステムにも「やっぱりモンゴルだな」というツッコミどころがあるのでした。
というわけで、そこら辺はまた次回。
ちなみに、この日すべて終了して
大学を出たのが7時半ごろだったんですが…
オボー祭りの相撲の決勝には間に合いました。
どうでもいいけど
モンゴル人は観戦マナーが悪すぎると改めて思いつつ、9時半帰宅。
……そして翌6月1日(祝)はモンゴル全土で
こどもの日。
この日、エルデネットの街には
浮き足立った大人と子供がウジャウジャしていました。
……が、この日の我々には
悠長にこどもの日を祝っている余裕はありませんでした。
なぜなら、そのころ、わが大学では
4年生の卒業試験(2日目)が朝から行われていたのであります。
よりにもよってこんなときに2日連続で卒業試験しなくてもよかろうに……。
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