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…というわけで、本当に帰国できるのかとヒヤヒヤしてしまう状況ではありましたが、7月18日に無事帰国し、日本からの初更新です。
ちょっと前の記事に書いた通りのスケジュールで7月16日の夜行列車でエルデネットを離れたわけですが、今回はエルデネットで過ごした最後の24時間を写真とともに時系列で記録しておくことにします。
7月15日18時郵便局で引っ越し荷物の郵送手続きを終えて帰宅し、晩メシ。
豪勢に鶏のもも肉を丸ごとオーブンで焼いてしまいました。
で、
食後に1時間ほどお散歩。
この時期のエルデネットの日没は夜9時過ぎ。街は10時ごろまで明るいので、ついつい遅くまで外を歩いてしまいました。
エルデネットで見る最後の夕日が眩しかったです。
7月15日22時帰宅して
荷造りを始めましたが、
なかなかはかどりません。
とりあえず、明日の晩にはこの街を離れるということで、荷造りをしながら学生たちや同僚の先生にケータイのメッセージでその旨のご挨拶。
…すると、次から次に電話やらメッセージが届き、やっぱり荷造りが進みません。
7月15日23時これでもう最後だということで、
学生が突然やってきて荷造りを手伝ってくれました。
…うれしいじゃありませんか。
そんなわけで日付が変わって
7月16日1時、荷造り終了。
荷造りを手伝ってくれた
学生を見送って就寝。
7月16日5時半なんとなく目が覚めてしまい、起床。
朝食後、
部屋の掃除。
荷物もまとまったし、これでいつでも部屋をあけ渡せます。
7月16日10時荷造りをして部屋の掃除が済んだあと、改めて大学に置いていく書類やら返さなきゃいかんものなんかがけっこう出てきたので、それを持って
大学へ。
7月16日11時最後の丘のぼり。
2年間生活したエルデネットの町を丘の上から見下ろし、感傷に浸ります。
そして…
オボーにのぼり…
“ハダク”という絹布をオボーにくくりつけ、さらに
お茶と線香を供え、これまでのモンゴル生活への
感謝と今後の旅の無事を祈ります。
そんなわけでなんだかんだで
30分ほど丘の上でボサーッとすごし、その後1時間ほどお散歩。
7月16日15時前後最後の
インターネット利用料の支払いと
夜行列車の切符を購入。
で、ここから
立て続けに人と会う。
15時半一緒に働いていた
モンゴル人の日本語の先生2人と食事。
16時半いつも買い物していた
市場のおばちゃんに挨拶。
16時45分大学の用務員さんとコンピューターの先生がやってきて、大学から借りていたパソコンの返却。
17時プライベートで日本語を教えていた
ミホさん(モンゴル人)が来てくれて、10分ほどおしゃべり。
その後シャワーを浴びて荷物等の最終確認。そして…
7月16日18時半外国語学部の学部長とそのダンナさんの車で駅へ。
いよいよエルデネットを去るときが来ました。エルデネットの街と人々、そして遠ざかる町の風景を見てやっぱり涙が出てしまいました。
さらに……駅へ行くと、
学生数名が見送りに来ていました。
こんどの9月から3年生になる学生たちで、
私がモンゴルで働き始めるのと同時に大学に入学した学生たちです。
夏休みで田舎に帰省していたというのに、このためだけに
わざわざエルデネットに戻って来たという学生もいて、これはもう、ホントに嬉しかった。
そして…
7月16日19時ちょうどウランバートルに向けて列車が出発。なんだかんだといろいろあった2年間、最後はしんみり、ひっそりと、誰に見送られることもなくエルデネットの町を去るつもりでいたのに、最後の最後になんだかあちこち歩き回り、バタバタといろんな人が会いにきてくれたりしてめまぐるしく、でも
あっというまに時間が過ぎてしまった24時間でした。
写真を見ながらこの記事を書いている今でも、ちょっとウルウルしてしまいます。
ニアミスで会えなかった方々もいましたが、それでも帰国するまでの間に電話で話すぐらいはできたのでまぁよかったです。
そんなわけで
7月17日の朝、列車はウランバートルに到着したわけですが、そんな
感謝と感激のエルデネット最後の24時間に比べて……
帰国直前に
ウランバートルで過ごした約20時間のまぁ〜長かったこと!
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…というわけで、
前回の記事に書いた
パスポートの件も一件落着。
故障した私のパソコンに代わって大学から借りていたパソコンを今日(15日)の夕方には返却しなければならないということで、
モンゴルからの更新は今回が最後になります。
…が、最後まで残っていた仕事(教科書作り)もつい今しがたひと段落したばかりだし、荷物もまだまとまってないし、郵送する荷物もなんとなく梱包できたようなできてないような感じだし、なんだかワチャワチャしています。
でも、ひとまずこれで
モンゴルへの恩返しは終了です。
2007年9月に始まったモンゴルでの生活も早や1年10ヶ月が過ぎ、残すところ2日ほどとなり、住み慣れたエルデネットの街を明日の夜には離れなければなりません。
今週に入って多少なりとも関係のあった人たちには簡単なあいさつ程度しかできていません。
一緒に働いていたモンゴル人の日本語の先生たちも、3人のうち2人は田舎に帰省してしまったため、このまま会わずに帰国します。
でも、なんかそれでよかったのかも、という気もします。
昨日は大学へ行って学長と学部長にあいさつをしたんですが、もうそれだけで泣きそうになってしまっていたので…。
…で、帰国後は当分日本にいることになります。
思えば2003年のフィリピン・ダバオを皮切りに、ウズベキスタン、フィリピン(再)、ベトナム、モンゴルで過ごした6年ですが、この6年で切り捨てたものも失ったものも多々あって、それでも得たものは多く、振り返ってみれば充実の6年であったと思っております。
えー、書きたいこともたくさんありますが、時間もないし色々しなきゃいかんこともあるようなないような感じで、まとまるモノもまとまらないような中途半端な殴り書きのような感じですが、約2年にわたるモンゴル噺はこれにて
一旦終了ということで!
(帰国後もこのブログは続けていこうと思っています)
第2部 -疾風のモンゴル編-
完
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ナーダムも終わり、帰国日が迫ってまいりました。
…が、
本当に帰国できるのか、ちょっとドキドキしています。
私のように個人で渡航して現地採用に近いような形で働いていると、
ビザやら外国人登録やらいろいろの手続きを大学側に協力してもらって自分の判断で進めていかなければならないんですが、5月末からその準備を始めていました。
まず、本来であれば私の
労働許可証が7月1日までだっんですが、これはそのままビザとしての機能も果たしていたので、ナーダムを見るために
こいつを延長してもらうこと。
それから、モンゴルでは出国するために
「出国ビザ」なるものを取らなければならない。
ちなみに、
これらの費用は全て大学側で負担してくれるという。
で、去年まで大学にいた担当の人なんかはそこら辺の作業に慣れていたため、頼まなくてもむこうから「ちょっと手続きすっからパスポート持ってきて」と言ってくれ、私も全幅の信頼を寄せていたんですが、
今年からその担当者が代わってしまい、何しろ「引継ぎ」などという作業が滞りなく行われるわけのないモンゴルでは、こちらからいろいろ言わないと動いてくれない。
ということで、大学へパスポートを持っていき、担当の人にお願いします。
私が頼んだのは
「労働許可(=滞在可能期間)の延長」と
「出国ビザの申請」の2つ。
で、6月に入ったばかりのころに大学の担当者にパスポートを渡し、1週間後にはパスポートも戻ってくるだろうとのこと。たしかに去年もそんな感じでした。
…が、
なかなか手元に戻ってこないパスポート。
6月になって仕事が落ち着いたら国内旅行でもしようと思っていたのに、パスポートがないので長いこと街を離れるわけにもいかず、もどかしい日々。
で、結局パスポートを返してもらったのが6月末日。
その場ですぐに確認すると、
ちゃんと労働許可の延長はしてある。
……が、
出国ビザがとれてない。
…で、調べました。
出国ビザがなかったら、たとえ飛行機のチェックイン後であっても
税関のところで別室に連れて行かれ、その場で荷物を返されて「出国ビザとって出直してこーい」と空港を追い出されてしまうらしい。
しかも、その出国ビザの申請から取得には数日を要する上、その窓口というのが、特に私のようにそれなりの機関に勤めているような者の場合、日本人がひとりで行ってもまったく相手にしてくれず、「モンゴル人の担当者を連れて来い」と言わんばかりの対応をされるという。
だから
出国ビザはどうしてもなくてはならないもの。でもそれがないってことは…。
あの……
6月9日に大学で卒業式が行われたあと、4年生たちとバーで酒飲んだりしていたときには…
「離れがたい!」…なんて思っていたんですが、こんな事態に直面して正直に思ったのは
「たのむから日本に帰らしてくれぇーーー!」…というわけで、もう一度大学の担当者のもとへ行き、すぐにウランバートルまで行って出国ビザを取ってもらうように頼むことに。
すると……
「2回も申請しに行くことになるなんて思ってなかったから、ビザ代半分出してくんない?」だって…。
あのね………
出したよビザ代。…だって帰国したいもの。何なら全額出してもいいぐらいの勢いでしたよ。
そんなこんなで
出国ビザが発給されるのは7月14日です。
その日に大学の担当者がウランバートルまで行ってパスポートを受け取り、
7月15日には私のもとにパスポートが帰ってくる“はず”。
で、
7月16日の夜行列車でウランバートルに向かい、17日はUBで人に会ったり銀行に行ったり買い物したりして、18日の早朝の便で日本に帰国します。
…何なん、このスケジュール。
これ、ひとつでも狂わせるわけにはいかんのですが、
2年間も働いて最後がコレってどういうことなんでしょう。
そして、私は本当に7月18日の便で日本に発つことができるのでありましょうか……。
でも、最後にエルデネットではめずらしい
ロバ(上写真)にも出会えたので、なんだかいいことありそうな予感もしないではないような気があったりなかったりします。
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そんなわけで…、
先週末から数日ほどイナカに行ってきました。
エルデネットから車で1時間程度の隣町、ボルガンに住んでいる日本人仲間に誘われて、ボルガンからさらに車で草原のガタガタ道を6時間ほど行ったところにある山あいの村落、
バヤンアクト村。
その目的は…
モンゴルの夏に行われる最大の国民行事、ナーダム!
本来なら私のモンゴル滞在は7月1日までだったんですが、
これを見るためにわがまま言って住民登録を20日ほど延長してもらっていたのであります。
ちなみにナーダムとは………説明が面倒くさいので、興味がある方は自分で調べてください。
まぁ、とにかく
モンゴルの草原を舞台に繰り広げられる相撲とか競馬とか弓射なんかを、ホーショールとかをモシャモシャ食べながら見るような感じのお祭りです。
基本的に7月12日と13日がモンゴルのこよみの上ではナーダムになっていて、この2日間は首都のウランバートルで国家ナーダムが行われるんですが、それに先駆けて各地方のナーダムが行われ、各地方で行われた競技のチャンピオンが首都に上って頂上決戦をする、という感じ。
というわけで…、
相撲を見たり
競馬を見たりしてきました。
村部のナーダムは弓射(←個人的にいちばんスキ)がないのがちょっと物足りないんですが、やっぱりナーダムというのは
「いろんな競技をじっくり見て白熱する」というより、基本的に
雰囲気を楽しむものなので、
「祭り会場に行って、わちゃわちゃした祭りの雰囲気を感じながらちょこっと競技を見てワーワー言う」というのが一般的な楽しみ方のようです。
そういえば日本の祭りなんかもそんな感じですよねぇ…。
そんなわけで、ナーダム一色の村をブラブラしつつ湖を見に行ったり、山へイチゴ摘みに行ったりもしました。
そしてわが町、エルデネットは…
ナーダム会場近くのメリーゴーランド横に建設中だった
巨大観覧車も完成。ナーダム会場周辺には特設屋台ゲルも並び、準備万端。
7月10日11日の2日間に渡ってナーダムが繰り広げられます。そして、ナーダムと同時に私の
モンゴル滞在もいよいよクライマックスを迎えるわけであります…。
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夏のエルデネット散歩シリーズ・第4弾です。
2009年6月30日(火曜日)超快晴。
8時半にアパートを出発します。
この日私が目指したのは東。我がエルデネットの
街の入り口です。
………まぁ、細かい話は読んでいけばわかっていただけると思います。
というわけで、とにかく東のほうに向かって歩いていきます。
普段、この道を通るときは基本的に車内なので、こうしてのんびり景色を見ながら歩くといろんな発見があって楽しいモンです。
…で、1時間ちょっと歩いたところで
「エルデネットだけでなくモンゴルの経済さえも支えている」と言ってもいいほどの
わが町の誇り、モンゴルロシア合弁
エルデネット鉱山会社の入り口に到着。
とりあえず記念撮影。
しかし、今回の目的地はここではなく、
街の入り口。というわけで、さらに歩き続けます。
そして出発から約3時間が経過。
街の中心から9キロ地点のここは…
エルデネット駅。
とりあえずここで5分ほど休憩。
しかし、何度も言いますが、今回の目的地はここではなく、
街の入り口。というわけで、駅からまた更に東に向かい、しばらく行くと……
←目的地が見えてきました!「ЭРДЭНЭТ」“エルデネット”と読みます。
ここは街の中心から11キロ地点、さきほどの駅(9キロ地点)から2キロほど進んだ場所。
ダルハンやウランバートルといった東の主要都市に続く幹線道路沿いであり、さらに鉄道の線路の真横でもあるこの場所に
「ここからがエルデネットの街ですよ」ということを知らせるランドマークがあります。
エルデ以東の街から車や列車でやってきた人々は、これを見て
「おぉ、エルデネットについたなぁ」ということがわかる場所。そして車や列車でエルデネットを去る人たちには
「これでエルデネットを離れるのか」ということを知らせる場所。
だから
ここがちょうど街の入り口というわけです。
通りすがるだけのときには気づかなかったんですが、ちょっとした休憩所なんかもあってくつろぎの空間になっています。
というわけで……
アパートを出発して約3時間半。11キロの道のりを歩いて街の入り口に到着し、時間もちょうど正午近くということで、ここで昼メシ。
さらに1時間ほどここでひとりボサーッとすごします。
特にこれといってここに書くような出来事もありませんでしたが、今までどこか街を離れてお出かけするようなとき、この場所を見るたびに何となくここに来てこうしてのんびりしてみたかったので、帰国を間近に控えたこのタイミングでようやくここに来ることができて
感無量です。
…で、
道中、牛の群れに突撃されそうになりながらも再び11キロの道のりを歩いて帰宅。
往復22キロをひとりでのんびり歩き、たしか7年ぐらい前に買った靴にもついに穴があきました。
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