前回の続きです。ちょっと間が開いてしまいましたので、前回の内容を忘れてしまった…という方は、前回の記事をお読みください。
ウズベキスタンで勤務することになっていた大学でも、モンゴルで2年間勤めていた大学でも、
日本人教師が必要な環境だというのに学校側がそれを拒み、学生たちを犠牲にしてしまったという私の過去の経験についてお話しましたが、ウズベクでもモンゴルでもその酷な決定に関与していたとある組織があります。
それが言わずと知れた「国際協力機構」、
通称「jica」。
というわけで、
それぞれの事例でどんな事態がjicaによって引き起こされていたのかをここで検証していきたいと思います。
まずはウズベキスタンの事例から…
反政府暴動が沈静化し、そろそろフェルガナ大学にも日本人教師が復活できるのではないか、と現地の学生たちも期待し始めたそのころ、ときを同じくして
jicaもまた現地の状況を視察に行きなさったそうです。
そこで「フェルガナ大学にも日本語を学んでいる学生たちがいる」ということからjicaの面々もフェルガナ大学を視察。…が、ここでフェルガナ大学の学長をはじめとする大学上層部の面々は
「日本政府公認のボランティアが我が大学にも派遣される」と
勝手に妄想を膨らませてしまい、結果、私のように
何の後ろ盾もない流浪の日本語教師は必要ない、という結論に達してしまったような感じ。
これを受け、元フェルガナ大学日本語教師で、当時、フェルガナからの撤退を余儀なくされてタシケントに移り住んでいた日本人の先生が、タシケントのjicaオフィスに確認を取ったところ
「我々のフェルガナ視察の目的はそのようなものではなく、あくまで短期出張が可能かどうかを見定めるものであり、
現地の方がそれをどう受け取ろうと知ったこっちゃない。」…と言われたという。
これにより
「jicaイコール敵」という図式が私の頭の中で成立してしまいました。
それから約3年の時を経たモンゴルでの事例を見てみましょう。
もともと、私が勤めていたモンゴル国立大学オルホン分校で、私の前任として勤めていたのは青年海外協力隊の日本語教師の方だったんですが、どうやら紆余曲折があってjicaでは後任の日本語教師の要請を出さず、結果として1年間日本人教師のいない期間がありました。
で、そんな状況の中で私がまんまと赴任したわけですが、私は
人間関係の悲喜こもごもみたいなものについてはどちらかというと鈍感な方だというのもあったのかもしれませんが、jicaがボランティアの派遣を取りやめるほどの問題点らしきものも感じずに日々楽しく勤務しておりました。
そんなモンゴルでのお仕事も2年目に入ったあるとき、私と同じ町に住んでいてそれまで別の学校で働いていたjicaシニアボランティアの方が私の勤める大学でも教えることになり、私自身としても同じ職場に日本人が増え、前にも増して日々楽しく勤務しておりました。
やがてそのjicaシニアボランティアの方も任期を終えて帰国したころ、
大学上層部では再びjica熱が高まり、jicaにボランティア派遣の申請を出すことを決定。その後ウランバートルからjica事務所の方がやって来たんですが、せっかくウランバートルから何時間もかけてエルデネットくんだりまで来たというのに、その方は
数十分ほど学長とか学部長と話しただけ。実際に日本語を教えている現場を見ることもせず、現場にいる学生や教師の様子を見るわけでもなく帰ってしまわれました。
しかし、これにより、うちの大学の人たちはみんな
「jicaの先生がまたうちの大学に来てくれる」などというちゃんちゃら甘っちょろい考えを持つようになってしまい、
そんなのも手伝っての「日本人の採用取りやめ事件」が勃発した、というわけです。
が、それ以降、私も注意してjicaのサイトでモンゴル国立大学オルホン分校からの要請が公開されているかどうかチェックしているんですが、それらしきボランティア要請は今のところ出されてはおらず、おそらく
大学の上層部が眼を覚まし、自分がフラれてしまったことに気がつくまでは日本人教師不在という状態が続くのではないかと思われるような感じ。
現場の末端(教師や学生)には眼もくれず、上層部に思わせぶりな態度を見せる、そんな人、ぼく、キライです。
…しかし、ここでトートツに話が変わってしまいますが、モンゴルに2年間住んでいてひとつ思ったことがあります。
モンゴル人というのは中国人を激しく嫌っています。
モンゴルに住んでいる中国人が被害にあう事件も多く発生してるし、とばっちりで被害を受ける日本人もいます。
モンゴル人が酒を飲めば(というか飲んでなくても)中国人の悪口が飛び出すことも多いです。
…が、モンゴルの市場で売られているもののほとんどが中国で作られ、モンゴル人がそれを中国で買い付け、モンゴルに持ち込まれたものです。モンゴルの民族衣装を作るための布も、今では中国のものがほとんどです。
中国に悪態をついているモンゴル人に、
「それじゃああなたは中国に行ったことがありますか。中国人と話したことがありますか。」と言っても、ほとんどの人は中国に行ったこともなければ、面と向かって(←ココ大事)
中国人と話したこともない人が多いです。
眼に映る部分だけを見て、人から聞いただけの情報を鵜呑みにし、よく知りもしないで悪態をつくというのは実によろしくない。
実際、モンゴルに住んでいる間に私も数週間ほどですが中国を訪れました。
それでもモンゴル人が抱いているような嫌悪感はまったく感じませんでしたし、
むしろ中国に悪態をついているモンゴル人に対するツッコミどころの方が多いのではないかとさえ思いました。そしてそれは、中国についてあーだこーだと言ってる日本人にも通じる部分があるような気もします。
そして、ここで
「jicaキライ」といっている私に対しても、同様に
「それじゃあお前はjicaの何を知ってんの?」と言われると、実のところ私が見てきたjicaの実態というのは
外側から眺めてなんとなく見える部分しか知らず、それを見て一方的にふざけんなと思っていただけに過ぎません。
よく知りもしないで自分の目に映る部分だけを見て一方的にキライだの何だのというのはまったくもって愚かしいことであります。
そんなこんなでウズベキスタンで後ろ髪を引かれ、申し訳ない気持ちでモンゴルを引き上げた私の
「徹底的にjicaを知るための“弔い合戦”」の火蓋は切って落とされたわけです。
つづく
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