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子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-

2021年03月

「思想史講座」4月新学期のご案内・子安宣邦

*4月から「思想史講座」の新学期を始めたいと思います。コロナをめぐる難しい事態はなお続いており、ことに東京では教室の確保に難渋しておりますが、このままわれわれの思想活動の朽ち果てる道をとることなく、あえて再開することにいたしました。東京では曜日・時間を変更せざるをえませんが、どうぞ事情をご理解の上、ご参加下さいますようお願いいたします。
*昨年来「第二江戸思想史講義」として『中庸』首章の「天命之謂性、率性之謂道」というテーゼをめぐる朱子、仁斎、徂徠の解釈を追ってきました。4月からは朱子学的「鬼神論」と近世日本思想におけるその批判的帰趨とその意味とを考えてみたいと思っています。
*「第二江戸思想史講義」では朱子学をただ日本近代思想の成立にとっての否定的な思想体系としてのみ見るのではなく、東アジアに成立した唯一の普遍的な思想体系として見ることから、あらためて日本の近世近代思想の読み直しを考えるものです。

*会費は実費(会場費・テキスト代)を頂戴します。
*この会には何の入会規定もありません。当日出席した人が会員です。ご自由にご参加下さい。

*思想史講座―「第二江戸思想史講義」

*今回は『論語』の「鬼神に事えんことを問う」章の解釈をめぐりながら朱子「鬼神」論の思想的位相を考えます。


*大阪教室:懐徳堂研究会

4月17日(土)・13時00分〜15時00分

「鬼神に事えんことを問う」
ー『論語』における「鬼神論」的原型

*資料は当日配布します

参考文献:子安『鬼神論』白澤社、2012.『思想史家が読む論語』岩波書店、2010.吉川幸次郎『論語』中、中国古典選4,朝日文庫。

会場:梅田・アプローズタワー 13階5,6号室 梅田・茶屋町口下車3分


*東京教室:昭和思想史研究会(
会場は早稲田奉仕園です、時間・曜日変更)

4月23日(金)・16時00分〜18時00分

「鬼神に事えんことを問う」

ー『論語』における鬼神論的原型


*資料は当日配布します

参考文献:子安『鬼神論』白澤社、2012.『思想史家が読む論語』岩波書店、2010.吉川幸次郎『論語』中、中国古典選4,朝日文庫。

会場:早稲田奉仕園セミナーハウス・リバティー・ホール バス「馬場下」下車、穴八幡宮の裏手

「思想史講座」春期講座についてのお知らせ 子安宣邦

*コロナで休んでいた「思想史講座」を東京は2月20日に、大阪は3月6日に再開し、その日の講義をもって昨年来の『中庸』首章のテーゼをめぐる第二江戸思想史講義は終わったこととし、4月から新たなテーマによる講義を始めたいと思っております。

*4月の日程は大阪は4月17日(土)、東京は4月24日(土)を予定しておりますが、特に東京の講座については会場の問題とともに未確定で、できるだけ早く確定し、「4月のお知らせ」としてあらためてご案内をさしあげます。テーマは「鬼神論」問題の新たな展開を考えています。

* 東京の講座は3月20日(土)に早稲田奉仕園(You-Iホール)の会場を確保してありますので、私の『中国論』(『日本人は中国をどう語ってきたか』)についての中国の書評をめぐる議論(前回不完全に終えてしまった)を深めたいと思っています。資料は前回お渡ししましたが、余分をもってまいります。中国と日本との相互理解に関わる問題ですから、私の著書の既読未読に拘わらずどうぞ自由にご参加下さい。時間は午後1時〜3時半です。







しかく思想史講義・徂徠「制作」論と丸山「作為」論 子安宣邦

徂徠「制作」論と丸山「作為」論との間

ー丸山政治学的言説の陥穽

「自然的感覚的実在性を全く持たずもっぱら人間がある目的意識に従って純観念的に案出したものは最もフィクションらしいフィクションで、ここから擬制資本などという場合の「擬制」とか「虚構」とかいう意味が出て来る。「つくりごと」というのは「現実にないもの」ということから遂にはフィクションにはうそというような悪い意味すら附着するが、うそとか現実とかが自然的直接的所与からの距離の程度を意味するとすれば、むしろ近代精神はうそを現実よりも尊重する精神だといってもいいだろう。実はそれがまさに媒介された現実を直接性における現実よりも高度なものと見る精神ということだが・・・・・。」

丸山眞男「肉体文学から肉体政治まで」[1]

1 「超国家主義の論理と心理」

丸山が日本の国体論的国家観を政治・社会・心理学的論理をもって鋭く批判する政治学者として登場したのは『現代政治の思想と行動』の冒頭を飾る論文「超国家主義の論理と心理」によってである。この論文は「昭和二一年、すなわち敗戦の翌年三月に執筆し、その年から発刊した雑誌「世界」の五月号に掲載された」[2] ものである。この論文は国家的敗北と大きな国民的な犠牲をもたらしたこの「日本国家とは何であったのか」を知ることを欲していた国民にはじめて政治学的な解剖的理解のあり方を示したのである。なぜほとんどの国民は己れを無にして国難に殉じるに至ったのか、それをもたらした天皇制国家の国民における体験の論理と心理とを丸山ははじめて政治学的に解明してみせたのである。この論文が戦後日本の言説世界でもった影響力の大きさは次の事実によって知ることができる。それは戦後20年に当たって雑誌『中央公論』(1964年10月号)でなされた「戦後日本を創った代表論文」という特集によってである。そこでは猪木政道、臼井吉見、桑原武夫らを選者として一八篇の論文が選ばれているが、圧倒的多数の票をえて第一位に選ばれたのは丸山の「超国家主義の論理と心理」であった[3] 。では戦後日本の知識世界に圧倒的影響力をもった丸山のこの論文で彼が「超国家主義」と呼ぶ天皇制的全体主義国家日本とはどのように記述されたか。

2 「超国家主義」とは

丸山が「超国家主義」と呼ぶ近代日本の天皇制的な国体論的国家の成立をどのように記述していくか。明治近代史にしたがって丸山はこの国家の成立過程を記述する。明治の歴史過程にしたがってなされる丸山の記述をここに列挙してみよう。

1.「幕末に日本に来た外国人は殆ど一様に、この国が精神的君主たるミカドと政治的実権者たる大君(将軍)との二重統治の下に立っていることを指摘しているが、維新以後の主権国家は、後者及びその他の封建的権力の多元的支配を前者に向って一元化し集中化する事に於て成立した。「政令の帰一」とか「政刑一途」とか呼ばれるこの過程に於て権威は権力と一体化した。そうして是に対して内面的世界の支配を主張する教会的勢力は存在しなかった。」

2.「このような「民権」論がやがてそれが最初から随伴した「国権」論のなかに埋没したのは必然であった。かくしてこの抗争を通じて個人自由は遂に良心に媒介されることなく、従って国家権力は自らの形式的妥当性を意識するに至らなかった。そうして第一回帝国議会の召集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体として価値内容の独占的決定者たることの公然たる宣言であったといっていい。」

3.「「内面的に自由であり、主観のうちにその定在ダーザインをもっているものは法律のなかに入って来てはならない」(ヘーゲル)という主観的内面性の尊重とは反対に、国法は絶対価値たる「国体」より流出する限り、自らの妥当根拠を内容的正当性に基礎づけることによっていかなる精神領域にも自在に滲透しうるのである。」「従って国家的秩序の形式的性格が自覚されない場合は凡そ国家秩序によって捕捉されない私的領域というものは本来一切存在しないこととなる。」[4]

これは帝国日本の敗戦による国家的解体の翌年(1946年)になされた丸山による「超国家主義国」日本の形成過程の記述である。あるいはむしろ「超国家主義国」日本はこの丸山の記述によって特有の「論理と心理」とをもって存立するにいたったというべきかもしれない。ところで日本の敗戦の数年前に丸山は『日本政治思想史研究』の諸論文を書いている。丸山はその書の「あとがき」で「(本書の各章は)昭和十五年から十九年にかけて「国家学会雑誌」に掲載された」[5] ものだといっている。さらに丸山は「明治維新の近代的側面、ひいては徳川社会における近代的要素の成熟に着目することは私だけでなく、およそファシズム的歴史学に対する強い抵抗感を意識した人々にとっていわば必死の拠点であったことも否定できぬ事実である」といっている。徂徠の「作為」概念とはその成熟が望まれる近代的要素として見出され、朱子学的「自然」に対置されて、主体的人間による「作為」の意義が強調されていった。ではこの徂徠の「作為」概念と丸山の「作為」論とは20世紀日本の「超国家主義」とその論にとっていかなる意味をもったのか。

3 「作為」概念の政治学的再構成

丸山は超国家主義的国家日本の成立を記述するに当たってカール・シュミットの「中性国家(Ein neutraler Staat)」をこの論の方法論的概念として提示することから始めている。ヨーロッパの近代国家は「中性国家」であることを一つの大きな特色にしているとして、その特色をこう説明している。「それは真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的立場をとり、そうした価値の選択と判断はもっぱら他の社会集団(例えば教会)乃至は個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上に置いているのである。」人間の作為からなる純粋な形式的な法的構成体としての近代的国家の範型を丸山はシュミットの「中性国家」に見、その対極的な実体的国家の代表例として近代日本の「国体」論的国家を見て、その国家と国民集団の特質を丸山は記述していくのである。この丸山の記述、すなわち「超国家主義の論理と心理」はすでに見るように戦後社会の高い支持をえて、政治学的論説家丸山の位置を不動のものにしていったのである。

だがこのとき徂徠の「作為」はシュミットの「中性国家」を構成するような政治学的、政治社会学的な概念に変容したのである。その変容は〈倫理的実質〉から〈政治的形式〉へ、〈自然的真実〉から〈人為的虚構〉へとパラフレーズされながら丸山の戦後の政治学的評論を構成していくことになる。その代表的な論説の一節を私は本稿の冒頭に掲げたが、それをここでもう一度読みながら丸山「作為」論の意味を考えてみたい。

「自然的感覚的実在性を全く持たずもっぱら人間がある目的意識に従って純観念的に案出したものは最もフィクションらしいフィクションで、ここから擬制資本などという場合の「擬制」とか「虚構」とかいう意味が出て来る。「つくりごと」というのは「現実にないもの」ということから遂にはフィクションにはうそというような悪い意味すら附着するが、うそとか現実とかが自然的直接的所与からの距離の程度を意味するとすれば、むしろ近代精神はうそを現実よりも尊重する精神だといってもいいだろう。実はそれがまさに媒介された現実を直接性における現実よりも高度なものと見る精神ということだが・・・・・。」

この実に興味ある文章は「肉体文学から肉体政治まで」[6] というタイトルで対談形式をもって書かれたものである。昭和24年に書かれたこの文章で丸山は作為=人為的虚構の意義を語り直しているのである。丸山は上の文章に先立つ形でフィクションの意義をこう語っている。

「人間精神の積極的な参与によって、現実が直接的でなく媒介された現実として現われてこそそれは「作品」(フィクション)といえるわけだ。だからやはり決定的なのは精神の統合力にある。ところが日本のように精神が感性的自然ーー自然というのはむろん人間の身体も含めていうのだがーーから分化独立していないところではそれだけ精神の媒介力が弱いからフィクションそれ自体の内面的統一性を持たず、個々バラバラな感覚的経験に引き摺りまわされる結果になる。読者はまた読者でフィクションをフィクションとして楽しむことが出来ないから背後のモデル詮議が度々やかましい問題になったりする。つくりごとに心もとなさを感じる気持ちが結局はんらんする「実話」ジャーナリズムを支えているのじゃないか。あれこそ日本的リアリズムの極致だよ。」

長い引用になったが、徂徠の「作為」概念の政治論的再構成の意味とその結果とがもっともよくここに現わされていると見たからである。丸山は徂徠の「作為」概念を「近代精神とは「フィクション」の価値と効用を信じ、これを不断に再生産する精神」的な概念として再構成し、「フィクション」を廃し、嫌悪する日本的リアリズムの極致としての「肉体文学から肉体政治」にいたる現代日本の非精神的な文化的・政治的産物に対する批判的な評論的言説を生み出していった。だが徂徠の「作為」概念をそうした現代日本の批判的な評論的言説を可能にする概念として再構成することによって丸山は、徂徠の「作為」概念が「制作」論としてもった大きな歴史的、思想的な意味を見失った。丸山政治論が戦後世界に及ぼした影響の大きさを考えるとき、徂徠「作為」概念の丸山による読み違えは罪の重い〈世紀の誤読〉ともいいうるものである。

4 先王の「作為」とは「制作」である

徂徠における「制作」の意味を『弁道』によって考えることを私はこの講座でしたばかりである。前の講座で徂徠古学の説明中で記した文章を、徂徠「制作」論の意義を問うここでもまた引いておきたい。この重複的引用は丸山論を再びここでするという予期しなかった事態から生じたものである。

徂徠は『弁道』でまずこういう。「孔子の道は、先王の道なり。先王の道は、天下を安んずるの道なり」(弁道2)と。徂徠がまずいおうとするのは、道とはもともと先王の道であって孔子の道ではないということである。しかも道とは天下を安らかにする道であって、身を修める道ではないということである。そして「六経」を本とする徂徠古学とは「先王の道」を道の本来とする古学だということである。では先王の道とは何か。「道なる者は統名なり。礼楽刑政凡そ先王の建つる所の者を挙げて、合せてこれに命くるなり。礼楽刑政を離れて別にいはゆる道なる者あるに非ざるなり」(弁道3)。天下安民を目的にした「礼楽刑政」という制作物の総体が道だと徂徠はいうのである。道とは先王の道であり、それは天下安民を目的に建てられた礼楽刑政の総体であることを知らない後世の儒者たちは「専ら中庸・孟子に拠りて、孝弟・五常を以て道と」したりする。彼らはみな「道とは統名」であり、先王による天下安民を目的にした制作物の総体であることを知らないのだと徂徠はいうのである。かくて徂徠はこういうのである。

「先王の道は、先王の造る所なり。天地自然の道に非ざるなり。けだし先王、聡明叡知の徳を以て、天命を受け、天下に王たり。その心は、一に、天下を安んずるを以て務めとなす。ここを以てその心力を尽くし、その知巧を極め、この道を作為して、天下後世の人をしてこれに由りてこれを行はしむ。あに天地自然にこれあらんや。」(弁道4)

これは「道」の再定義である。徂徠の「先王の道」の古学は、後世の「思・孟」的儒学世界から「六経」の先王の礼楽的世界へと批判的に超出しながら、「道」を「先王の造る所」として再定義していくのである。「道」はいま「天下を安んずる」ことを目的とした先王の制作物となるのである。徂徠は『弁名』で「聖」を「聖なる者は作者の称なり」としてこういっている。「古の天子は、聡明睿智の徳あり、天地の道に通じ、人物の性を尽くし、制作する所あり、功、神明に侔しく、利用厚生の道、ここにおいてか立ち、しかうして万世その徳を被らざるはなし。いはゆる伏羲・神農・黄帝は、みな聖人なり。」[7] 古えの天子は道の制作者として聖人であったというのである。かくして人間の世の始まりの古代は徂徠によって政治論的に塗り替えられる。〈政治論〉的というのは〈制作論〉的ということである。すなわち人の世はその安定的な成立のための道の〈先王による制作〉とともに始まったということである。徂徠のいう「作為」とは「制作」の謂いである。「道」を先王・聖人の制作だとする徂徠の学を私は「外部的視座をもった制作の学」と規定した。『徂徠学講義』[8] で私は徂徠学が「外部的な制作の学」であるゆえんをこう説いている。

「『論語・孟子・大学・中庸』の四書が孔子による「仁義礼智」という言語的理念性をもった教えの原典であるのに対して、『詩・書・礼・楽・易・春秋』の六経とは、先王の「礼楽刑政」という事物的具体性をもった教えの原典である。こうして先王と礼楽と六経とは、孔子と仁義と四書に対置されて、徂徠学を外部的な制作の学として構成する方法的な視座をなすのである。先王と礼楽と、そして六経という外部的視座をもって徂徠は、社会形成的存在としての人間への視点を獲得し、日本思想史上に稀有な外部的な社会哲学的世界を構成していった。この徂徠学の外部的視座は、すでに見たように、人間の内部的な心性論的言語からなる道徳論的体系としての既成儒学との批判的抗争を通じて徂徠に獲得されたものである。」

徂徠学を〈制作の学〉としてこのように構成することを通じてはじめて、われわれは徂徠学が後期水戸学を介して近代日本の「国体」論的な国家形成に大きな影響力をもったことを知るのである。私はそのことを早くは『国家と祭祀』『徂徠学講義』で、新しくは『「維新」的近代の幻想』[9] で詳しく書いている。いま『徂徠学講義』の「序」に書いた文章を引くことで、丸山「作為」論批判としてのこの論を閉じよう。

「ところで徂徠学が宣長国学や後期水戸学を介して近代日本の国家理念の形成に深くかかわっていることの指摘は、影響的射程という思想史的地平を超え出た問題の地平にわれわれを導くだろう。神武創成の偉業を明治のいまに再現する日本の近代国家ネイション・ステートとしての形成は、中国の先王的古代の祭祀的国家理念を負っているのである。これは近代日本の天皇制国家の隠蔽された地平を一気にわれわれの前に露出させる。なぜ日本の近代天皇は詔勅や元号によって中国古代の帝王の尚書的世界を装って来たのか。徂徠学は日本の近代天皇制国家の作為的構成をわれわれに教えるのである。ここで作為とは丸山におけるような近代的思惟の特質をいうのではない。それは国家社会の為政者による制作行為をいうのである。この制作行為は、すでにいうように本質的に政治的である。制作の学として徂徠学は、日本近代の天皇制的祭祀国家を制作として見る視点をわれわれに与えるのである。」

近代天皇制的国家日本の制作論的解明は、われわれに再制作の道をも開示するのである。


[1] 丸山眞男『現代政治の思想と行動』増補版、第3部「「政治的なるもの」とその限界」、未来社、1964.私がもつ増補版『現代政治の思想と行動』の後付けには

「1964年5月30日第1刷発行、1972年9月30日第56刷発行」とある。この書は戦後日本における未曾有の発行部数をもった政治学書であった。

[2] 前掲『現代政治の思想と行動』増補版の「第一部追記および補註」による。

[3] 『中央公論』のこの特集をめぐってはすでに私は『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社、2012)の竹内好をめぐる章で語っている。

[4] 丸山眞男「超国家主義の論理と心理」『現代政治の思想と行動』増補版。

[5] 丸山眞男『日本政治思想史研究』東京大学出版会、1952.

[6] 『増補版現代政治の思想と行動』の第三部に収められているこの文章は雑誌『展望』の昭和24年10月号に掲載されたものである。

[7] 荻生徂徠『弁名』上・「聖」、西田太一郎校注、『荻生徂徠』日本思想大系36

[8] 私の『徂徠学講義』(岩波書店、2008)は聖人の命名行為は制作行為であることを「道」「徳」「礼」「天」「鬼神」「性」などの名辞の解明を通して明らかにしていった徂徠の主著『弁名』の解読書である。「制作」の学としての徂徠学の特質と意味とを私は本書ではじめて明らかにした。

[9] 『国家と祭祀』青土社、2004.『「維新」的近代の幻想』作品社、2020.

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