〈大正〉を読む・9
〈貧困・格差〉論と「資本主義」の読み方ーその2 子安宣邦
「資本主義のコントロールを取り戻したいのであれば、すべてを民主主義に賭けるしかないーーそしてヨーロッパでは、それはヨーロッパ規模の民主主義であるべきだ。」 ピケティ『21世紀の資本』
1『21世紀の資本』の〈教訓〉
21世紀の日本に『資本論』がわれわれの知を規制するようにしてなおあることを疑わせたのは、ピケティの『21世紀の資本』の翻訳版の刊行とともに日本の読書界に生じた反応であった。このピケティの書を『資本論』の21世紀版としたのは出版界のコマーシャリズムだけではない。多くのジャーナリストや専門家を交えた研究サークルは『資本論』を呼び出してこれを論評しようとした。そして『資本論』をめぐる書がにわかに出版されたりもした。恐らくこれは『資本論』の権威がなお残る日本だけの現象であるだろう。私もその風評にたじろいでこれを手にすることをしばらくしなかった。しかし私は「貧困論」を始めた手前、この「21世紀の格差論」を読まないわけにはいかなくなった。
私はピケティの書を購入し、慢性化した腰痛に苦しみながらも一週間余りをかけてこれを通読した。読み始めて半ばを過ぎてから、お義理に読む本ではなくなった。私にとってこれは面白い本になった。それだけでも、つまり私が完読しえただけでも、この本が『資本論』とは全く異質のものであることは明らかである。これは『資本論』ではない。これは時代と社会とその運命とを根底的に規定するような「資本主義」を語り出すものではない。
ピケティにあるのは「富の分配」の問題である。現在先進国において富はますます少数者の手に集中してしまうようであるのは、経済的に必然といってよいのかという緊迫した問いの前に彼は立っている。彼はこの問題に、18世紀以来の富の分配と格差の構造についての収集された統計資料を分析しながら、将来への〈教訓〉でもある結論を導き出そうとするのである。ピケティはこの書の序言(「はじめに」)で早くもこの〈教訓〉としての結論を語ってしまっている。
「本書の主要な結論とは何だろうか?こうした新しい歴史的情報源からどんな主要結論を私は引き出しただろうか?最初の結論は、富と所得の格差についてのあらゆる経済的決定論に対し、眉にツバをつけるべきだというものとなる。富の分配史は昔からきわめて政治的で、経済メカニズムだけに還元できるものではない。特に、1910年から1950年にかけてほとんどの先進国で生じた格差の低減は、何よりも戦争の結果であり、戦争のショックに対応するため政府が採用した政策の結果なのだ。同様に1080年以降の格差再興もまた、過去数十年における政治シフトによる部分が大きい。特に課税と金融に関する部分が大きい。格差の歴史は、経済的、社会的、政治的なアクターたちが、何が公的で何がそうでないと判断するか、さらにそれぞれのアクターたちの相対的力関係とそこから生じる集合的な選択によって形成される。」[3]
なぜピケティはこの早すぎる結論を読者に与えようとしたのか。富の分配をめぐる多くの統計資料を使った大部な経済社会史的記述からなるこの書の読者が、いいかえればピケティとともに少数者における極端な富の集中に危惧をもつ読者が、「富と所得の格差についてのあらゆる経済的決定論に対し、眉にツバをつけるべきだという」結論を共有することを願ってであるだろう。ピケティが読者に共有されることを願っている結論をさらに分節化していえば、「格差の歴史は、経済的、社会的、政治的なアクターたちが、何が公的で何がそうでないと判断するか、さらにそれぞれのアクターたちの相対的力関係とそこから生じる集合的な選択によって形成される」ということである。
ピケティがこの書の序言ですでに早く結論をいっていることに込められている願いを、日本の専門的読者である論評家たちははたして汲み取っただろうか。『資本論』を呼び出しながらなされた論評のあり方からすれば、ピケティのこの結論あるいは願いとは無縁にこの書は日本の読書界に迎えられ、論評されたといっていい。このピケティのいち早くいう結論とは無縁にこの書が読まれたということは、この書の終章で、結語(「おわりに」)で繰り返しいわれる次のような言葉の上に読後の論を展開させることを日本の論評家は決してしなかったことによっても知れるのである。
「民主主義がいつの日か資本主義のコントロールを取り戻すためには、まずは民主主義と資本主義を宿す具体的な制度が何度も再発見される必要があることを認識しなくてはならない。」(最終第16章 の末尾の言葉)
「資本主義のコントロールを取り戻したいのであれば、すべてを民主主義に賭けるしかないーーそしてヨーロッパでは、それはヨーロッパ規模の民主主義であるべきだ。」(「おわりに」)
この最後の言葉は、いまギリシアの財政的危機、ヨーロッパの統合的危機にあたって、ピケティをこの危機的状況への言論的介入に向かわせている重い動機を教えている。いまギリシアを救い、ヨーロッパを救うとならば、「ヨーロッパ規模の民主主義」に賭けるしかないのである。これは『21世紀の資本』が導いた重い〈教訓〉であり、東アジアのわれわれにとっても重い教訓であるはずである。
4 ブローデルと「資本主義」
私は18世紀以来の「富と所得の格差」をめぐるグラフ化された豊富な統計資料をもってするピケティの長い経済社会史的記述を読んで、これはアナール派の、ことにブローデルによる〈長期持続〉的な社会的、生活的構造の歴史記述だと思った。マルクス主義的経済史に批判的なピケティの位置からすれば、その「富と所得の格差」をめぐる300年余の歴史記述、あるいは歴史物語がアナール派のそれに重なるものであることは当然だろう。ピケティ自身もまた序言で、「私がボストンで教えていたときの夢は、パリの社会科学高等研究院で教えることだった」といい、その教授陣の名前、すなわち「リュシアン・フェーヴル、フェルナン・ブローデル、クロード・レヴィストロース、ピエール・ブルデュー、フランソワーズ・エリティエ、フェリス・ゴドリエ」の名を畏敬の念をもって挙げている。私がピケティの『21世紀の資本』の背後にアナール派の歴史記述を見るのは、何よりもブローデルの『物質文明・経済・資本主義』[4] を見るのは、その参照注の有無にかかわらず、当然の推定だといえるだろう。むしろこれを背後に読むことによって、ピケティのこの書の意味は一層明らかになるのである。日本の読書界のリーダーたちがピケティのこの書を迎えるに当たってもっぱら『資本論』を引き合いに出し、ブローデルの『物質文明・経済・資本主義』を見ようともしないのは彼らの鈍感と無知とを示すものでしかない。
ブローデルは「資本家(capitaliste)」という語の意味を尋ねながら、「「金銭資産」の保持者、それが十八世紀後半に資本家という語が持った狭義の意味であり、当時その語は「公債」・動産の購入、投資にまわせる現金の所有者を指していた」[5] といっている。このブローデルが解く18世紀後半における「資本家」の意味は、ピケティが18世紀に遡ってする資本とその所得をめぐる統計資料やグラフの背後にいる「資本家」とはだれかを考えさせる。それだけではない。ブローデルは経済学者アリス・ハンソン・ジョーンズの最近の著述で、「一七七四年のニュージャージー州、ペンシルヴェニア州およびデラウエア州の資産、あるいは言葉をかえれば、その地の資本の蓄積のかなりの正確さで計算することに成功した。彼女の調査は、遺言書の収集と、それらが明らかにする財産の検討から始まった。ついで、遺言書のない場合の相続財産の見積もりが行われた」ことをいっている。そしてこの調査の結果はかなり興味深いものだとして、「資本財の総額(C)は、国民所得(R)の三ないし四倍である」ことを明らかにしたとブローデルはいっている。これはピケティがその著書で実現していく〈長い時間〉における「富と所得の格差」の追跡という研究視点と方法の先蹤というべきものだろう。だが私がここでブローデルに言及するのは、ピケティの問題とその追跡の先蹤がブローデルにあることをいいたいためではない。私がいいたいのは〈長い時間〉において、「資本」と「資本家」と「資本主義」という言葉の成立とともに追跡されるブローデルの「資本主義」についてである。
〈長い時間〉は〈人間の地上的生活〉に等置される。〈人間の地上的生活〉は人間の生活が負ってきた長い時間をいうとともに、人間の生活の奥深い、あるいは幾重にも層を構成していく空間をも意味している。〈長い時間〉の歴史学とは〈深い空間〉の歴史学でもある。ブローデルの著書名の「物質文明・経済・資本主義」は歴史的概念であるとともに空間的概念でもあるのだ。ブローデルはむしろこれらを空間的に説こうとしている。「すべてを単純化してもよいとすれば、この著作の第一巻のテーマである物質生活を(家にたとえて)一階とし、第二巻の本書(『交換のはたらき』)はすぐ上の階である経済生活と、さらに上の階にある資本主義活動とを探究しようとするものだと言うことができるだろう。数階建の家というこのたとえは、ことの実相を、具体的な点ではこじつけになるところはあるにせよ、比較的うまく表しているのである」とブローデルは第2巻の「まえがき」でいっている。これはたしかに単純化された空間的な譬喩である。だがこの譬喩は衝撃的である。『資本主義』とはこの建屋の最上層階をいうのである。彼はこれをあえて「上部構造」という。この上層の「資本主義」が中層の「市場の経済」から自らを差異化させながら成立していく過程をいうブローデルの言葉を引いておこう。
「理論的モデルと観察結果のこのつき合わせにおいて、私が始終気付いたのは、通常のそしてしばしば慣習的な(18世紀には「自然の」と呼ばれたであろう)交換経済と、より上位の、精緻をきわめた(18世紀には「作為的な」と呼ばれたであろう)経済との絶えざる対立であった。私は、この区分が明白に触知できるものであり、これらの相異なる階の間では、活動の担い手と人間・行動様式・心性が明らかに同じではないと信じている。また市場経済の諸法則は、ある水準においては古典経済学が記述するとおりの姿で現れるのが、より高度の領域・計算と投機の領域においては、自由競争というその特徴的な形態が見られるのがはるかに稀であることも。影の部分、逆光の部分、秘義に通じた者の活動の領域がそこからはじまるのであり、私は、それが資本主義という語によって理解しうるものの根底にあるのだと信じている。そして資本主義とは、(交換の基礎を、たがいに求め合う需要に置くのと同程度あるいはそれ以上に、力関係におく)権力の蓄積であり、避けられぬものか否かは別にして、他に多くあるのと同様な一つの社会的寄生物なのである。・・・すべての階層制度と同様においてと同様に、上部の階は、それが乗る下部の階がなければ存在しえないのも事実ではあるが、最後に、交換の直下に、よりよい表現がないため私が「物質生活」と呼んだものが、旧体制の数世紀において、すべてのうちでもっとも部厚い層を成していたことを忘れないでおこう。」[6]
人間生活の中層をなす「市場的交換経済」という活動世界の表層に「反-市場」のゾーンがあり、そこを領分として「資本主義」は成立してくるとブローデルはいうのである。「(市場経済にもっぱら属する層とならんでというよりはその上に)反-市場のゾーンがあって、そこでは、才覚と最強者の権利が君臨していた。過去でも現在でも、産業革命の以前でも以後でも、資本主義の領分が占めるのはとくにこの場所なのである。」[7] 「資本主義」という語がその成熟した様相と爆発的な力をもってその姿を現すのは20世紀になってであるが、しかし「資本主義」という語が意味の深層においてもつ徴はすでにその語の誕生とともに刻印されているとブローデルはいうのである。
われわれはここで「市場経済」と区別されたブローデルの「資本主義」概念をたずねるよりも、その語の誕生とともに捺された計算と巧緻と権力の徴表をもって市場経済の表層に社会的寄生物のごとく成立する「資本主義」をめぐる歴史記述に瞠目せねばならない。
人間の歴史的、社会的存在のあり方をトータルに規定していく土台(下部構造)として「資本主義」を記述していくことと、人間社会の表層に成立し、繁殖していく一種の社会的寄生物として「資本主義」を読むこととの間にはなんと大きな距たりがあることか。この大きな距たりを知ることによってはじめて、土台からその必然性をもってわれわれを規定してくるような「資本主義」から解放され、その異様な繁殖を抑制せねばならないし、抑制することのできる「資本主義」として見出されるだろう。そのときピケティが、この21世紀の異様な「資本主義」を制御しようとするならば、「われわれは民主主義に賭けるしかない」ということの意味と、その重大さがあらためてわれわれ自身に問われてくるだろう。
[1] 『資本論』第1巻(『マルクス・エンゲルスI』鈴木鴻一郎責任編集、世界の名著43、中央公論社)。
[2] 木村正身「近代主義的貧困観の成立ーシーボーム・ラウントリーを中心に」『香川大学経済学部研究年報8』1968。
[3] トマ・ピケティ『21世紀の資本』の序言「はじめに」、山形浩生・守岡桜・森本正史訳、みすず書房、2014。引用文中の傍点は子安。
[4] 『物質文明・経済・資本主義』はブローデル(1902−1985)の晩年の著作(1979年刊)である。邦訳はI・II・III巻各2分冊、全6巻で刊行されている。『物質文明・経済・資本主義ー15-18世紀I 日常性の構造』1、2(村上光彦訳、1985)、『物質文明・経済・資本主義ー15-18世紀2 交換のはたらき』1、2(山本淳一訳、1986)、『物質文明・経済・資本主義ー15-18世紀III 世界時間』1、2(村上光彦訳、1996,99)。
[5] ブローデル『物質文明・経済・資本主義ー15-18世紀II 交換のはたら』1、第3章「生産あるいは他人の領分における資本主義」。
[6] ブローデル『物質文明・経済・資本主義ー15-18世紀II 交換のはたら』1「まえがき」(山本淳一訳、みすず書房、1986)。