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子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-

2015年07月


「思想史教室」からのお知らせ—9月のご案内
子安宣邦
*だれでも、いつからでも聴講できる「思想史の教室」です。
*8月の思想史教室はお休みです。9月から再開いたします。


*
論語塾伊藤仁斎とともに『論語』を読む
『論語』はどこからでも新しく読むことができます
9月26日(土)12時〜15時 1 子路篇・3 2 子路篇・4

資料は当日配布いたします。
会場:rengoDMS(連合設計社市谷建築事務所)JR飯田橋駅西口から徒歩5分


*思想史講座—「〈大正〉を読む」
20世紀の〈帝国〉日本は大正に形成されたということができます。にもかかわらず大正は明治と昭和との間に陥没させたままです。遅まきながら大正の読み直し、再発見の作業を始めたいと思います。大正の読み直しは、戦後的日本の読み直しでもあると考えています。
*9月から11月にかけて、津田左右吉による日本神代史の文献学的批判と昭和における神話的古代日本の再興の問題を考えてみたいと思います。12月から来春にかけて、『心』から『明暗』にいたる晩年の漱石を考えてみたいと思っています。

*大阪教室:懐徳堂研究会
9月19日(土)・13時〜15時
津田左右吉『神代史の研究』を読む
会場:梅田アプローズタワー・14階1401会議室

*東京教室:昭和思想史研究会
9月12日(土)・13時〜16時
津田左右吉『神代史の研究』を読む
会場:早稲田大学14号館10階教室(予定)

*問題の解説:津田左右吉の「神代史研究」は『神代史の新しい研究』(大正2)と『古事記及び日本書紀の新研究』(大正8、改訂大正13)、そして『神代史の研究』(大正13)の3冊からなります。この3冊からなる津田の「神代史の研究」をめぐって、文献学的批判の方法を中心に報告したいと思っています。


〈大正〉を読む・9

〈貧困・格差〉論と「資本主義」の読み方ーその2 子安宣邦


「資本主義のコントロールを取り戻したいのであれば、すべてを民主主義に賭けるしかないーーそしてヨーロッパでは、それはヨーロッパ規模の民主主義であるべきだ。」 ピケティ『21世紀の資本』

1『21世紀の資本』の〈教訓〉

21世紀の日本に『資本論』がわれわれの知を規制するようにしてなおあることを疑わせたのは、ピケティの『21世紀の資本』の翻訳版の刊行とともに日本の読書界に生じた反応であった。このピケティの書を『資本論』の21世紀版としたのは出版界のコマーシャリズムだけではない。多くのジャーナリストや専門家を交えた研究サークルは『資本論』を呼び出してこれを論評しようとした。そして『資本論』をめぐる書がにわかに出版されたりもした。恐らくこれは『資本論』の権威がなお残る日本だけの現象であるだろう。私もその風評にたじろいでこれを手にすることをしばらくしなかった。しかし私は「貧困論」を始めた手前、この「21世紀の格差論」を読まないわけにはいかなくなった。

私はピケティの書を購入し、慢性化した腰痛に苦しみながらも一週間余りをかけてこれを通読した。読み始めて半ばを過ぎてから、お義理に読む本ではなくなった。私にとってこれは面白い本になった。それだけでも、つまり私が完読しえただけでも、この本が『資本論』とは全く異質のものであることは明らかである。これは『資本論』ではない。これは時代と社会とその運命とを根底的に規定するような「資本主義」を語り出すものではない。

ピケティにあるのは「富の分配」の問題である。現在先進国において富はますます少数者の手に集中してしまうようであるのは、経済的に必然といってよいのかという緊迫した問いの前に彼は立っている。彼はこの問題に、18世紀以来の富の分配と格差の構造についての収集された統計資料を分析しながら、将来への〈教訓〉でもある結論を導き出そうとするのである。ピケティはこの書の序言(「はじめに」)で早くもこの〈教訓〉としての結論を語ってしまっている。
「本書の主要な結論とは何だろうか?こうした新しい歴史的情報源からどんな主要結論を私は引き出しただろうか?最初の結論は、富と所得の格差についてのあらゆる経済的決定論に対し、眉にツバをつけるべきだというものとなる。富の分配史は昔からきわめて政治的で、経済メカニズムだけに還元できるものではない。特に、1910年から1950年にかけてほとんどの先進国で生じた格差の低減は、何よりも戦争の結果であり、戦争のショックに対応するため政府が採用した政策の結果なのだ。同様に1080年以降の格差再興もまた、過去数十年における政治シフトによる部分が大きい。特に課税と金融に関する部分が大きい。格差の歴史は、経済的、社会的、政治的なアクターたちが、何が公的で何がそうでないと判断するか、さらにそれぞれのアクターたちの相対的力関係とそこから生じる集合的な選択によって形成される。」[3]

なぜピケティはこの早すぎる結論を読者に与えようとしたのか。富の分配をめぐる多くの統計資料を使った大部な経済社会史的記述からなるこの書の読者が、いいかえればピケティとともに少数者における極端な富の集中に危惧をもつ読者が、「富と所得の格差についてのあらゆる経済的決定論に対し、眉にツバをつけるべきだという」結論を共有することを願ってであるだろう。ピケティが読者に共有されることを願っている結論をさらに分節化していえば、「格差の歴史は、経済的、社会的、政治的なアクターたちが、何が公的で何がそうでないと判断するか、さらにそれぞれのアクターたちの相対的力関係とそこから生じる集合的な選択によって形成される」ということである。

ピケティがこの書の序言ですでに早く結論をいっていることに込められている願いを、日本の専門的読者である論評家たちははたして汲み取っただろうか。『資本論』を呼び出しながらなされた論評のあり方からすれば、ピケティのこの結論あるいは願いとは無縁にこの書は日本の読書界に迎えられ、論評されたといっていい。このピケティのいち早くいう結論とは無縁にこの書が読まれたということは、この書の終章で、結語(「おわりに」)で繰り返しいわれる次のような言葉の上に読後の論を展開させることを日本の論評家は決してしなかったことによっても知れるのである。

「民主主義がいつの日か資本主義のコントロールを取り戻すためには、まずは民主主義と資本主義を宿す具体的な制度が何度も再発見される必要があることを認識しなくてはならない。」(最終第16章 の末尾の言葉)

「資本主義のコントロールを取り戻したいのであれば、すべてを民主主義に賭けるしかないーーそしてヨーロッパでは、それはヨーロッパ規模の民主主義であるべきだ。」(「おわりに」)

この最後の言葉は、いまギリシアの財政的危機、ヨーロッパの統合的危機にあたって、ピケティをこの危機的状況への言論的介入に向かわせている重い動機を教えている。いまギリシアを救い、ヨーロッパを救うとならば、「ヨーロッパ規模の民主主義」に賭けるしかないのである。これは『21世紀の資本』が導いた重い〈教訓〉であり、東アジアのわれわれにとっても重い教訓であるはずである。

4 ブローデルと「資本主義」

私は18世紀以来の「富と所得の格差」をめぐるグラフ化された豊富な統計資料をもってするピケティの長い経済社会史的記述を読んで、これはアナール派の、ことにブローデルによる〈長期持続〉的な社会的、生活的構造の歴史記述だと思った。マルクス主義的経済史に批判的なピケティの位置からすれば、その「富と所得の格差」をめぐる300年余の歴史記述、あるいは歴史物語がアナール派のそれに重なるものであることは当然だろう。ピケティ自身もまた序言で、「私がボストンで教えていたときの夢は、パリの社会科学高等研究院で教えることだった」といい、その教授陣の名前、すなわち「リュシアン・フェーヴル、フェルナン・ブローデル、クロード・レヴィストロース、ピエール・ブルデュー、フランソワーズ・エリティエ、フェリス・ゴドリエ」の名を畏敬の念をもって挙げている。私がピケティの『21世紀の資本』の背後にアナール派の歴史記述を見るのは、何よりもブローデルの『物質文明・経済・資本主義』[4] を見るのは、その参照注の有無にかかわらず、当然の推定だといえるだろう。むしろこれを背後に読むことによって、ピケティのこの書の意味は一層明らかになるのである。日本の読書界のリーダーたちがピケティのこの書を迎えるに当たってもっぱら『資本論』を引き合いに出し、ブローデルの『物質文明・経済・資本主義』を見ようともしないのは彼らの鈍感と無知とを示すものでしかない。

ブローデルは「資本家(capitaliste)」という語の意味を尋ねながら、「「金銭資産」の保持者、それが十八世紀後半に資本家という語が持った狭義の意味であり、当時その語は「公債」・動産の購入、投資にまわせる現金の所有者を指していた」[5] といっている。このブローデルが解く18世紀後半における「資本家」の意味は、ピケティが18世紀に遡ってする資本とその所得をめぐる統計資料やグラフの背後にいる「資本家」とはだれかを考えさせる。それだけではない。ブローデルは経済学者アリス・ハンソン・ジョーンズの最近の著述で、「一七七四年のニュージャージー州、ペンシルヴェニア州およびデラウエア州の資産、あるいは言葉をかえれば、その地の資本の蓄積のかなりの正確さで計算することに成功した。彼女の調査は、遺言書の収集と、それらが明らかにする財産の検討から始まった。ついで、遺言書のない場合の相続財産の見積もりが行われた」ことをいっている。そしてこの調査の結果はかなり興味深いものだとして、「資本財の総額(C)は、国民所得(R)の三ないし四倍である」ことを明らかにしたとブローデルはいっている。これはピケティがその著書で実現していく〈長い時間〉における「富と所得の格差」の追跡という研究視点と方法の先蹤というべきものだろう。だが私がここでブローデルに言及するのは、ピケティの問題とその追跡の先蹤がブローデルにあることをいいたいためではない。私がいいたいのは〈長い時間〉において、「資本」と「資本家」と「資本主義」という言葉の成立とともに追跡されるブローデルの「資本主義」についてである。

〈長い時間〉は〈人間の地上的生活〉に等置される。〈人間の地上的生活〉は人間の生活が負ってきた長い時間をいうとともに、人間の生活の奥深い、あるいは幾重にも層を構成していく空間をも意味している。〈長い時間〉の歴史学とは〈深い空間〉の歴史学でもある。ブローデルの著書名の「物質文明・経済・資本主義」は歴史的概念であるとともに空間的概念でもあるのだ。ブローデルはむしろこれらを空間的に説こうとしている。「すべてを単純化してもよいとすれば、この著作の第一巻のテーマである物質生活を(家にたとえて)一階とし、第二巻の本書(『交換のはたらき』)はすぐ上の階である経済生活と、さらに上の階にある資本主義活動とを探究しようとするものだと言うことができるだろう。数階建の家というこのたとえは、ことの実相を、具体的な点ではこじつけになるところはあるにせよ、比較的うまく表しているのである」とブローデルは第2巻の「まえがき」でいっている。これはたしかに単純化された空間的な譬喩である。だがこの譬喩は衝撃的である。『資本主義』とはこの建屋の最上層階をいうのである。彼はこれをあえて「上部構造」という。この上層の「資本主義」が中層の「市場の経済」から自らを差異化させながら成立していく過程をいうブローデルの言葉を引いておこう。

「理論的モデルと観察結果のこのつき合わせにおいて、私が始終気付いたのは、通常のそしてしばしば慣習的な(18世紀には「自然の」と呼ばれたであろう)交換経済と、より上位の、精緻をきわめた(18世紀には「作為的な」と呼ばれたであろう)経済との絶えざる対立であった。私は、この区分が明白に触知できるものであり、これらの相異なる階の間では、活動の担い手と人間・行動様式・心性が明らかに同じではないと信じている。また市場経済の諸法則は、ある水準においては古典経済学が記述するとおりの姿で現れるのが、より高度の領域・計算と投機の領域においては、自由競争というその特徴的な形態が見られるのがはるかに稀であることも。影の部分、逆光の部分、秘義に通じた者の活動の領域がそこからはじまるのであり、私は、それが資本主義という語によって理解しうるものの根底にあるのだと信じている。そして資本主義とは、(交換の基礎を、たがいに求め合う需要に置くのと同程度あるいはそれ以上に、力関係におく)権力の蓄積であり、避けられぬものか否かは別にして、他に多くあるのと同様な一つの社会的寄生物なのである。・・・すべての階層制度(ヒエラルヒー)と同様においてと同様に、上部の階は、それが乗る下部の階がなければ存在しえないのも事実ではあるが、最後に、交換の直下に、よりよい表現がないため私が「物質生活」と呼んだものが、旧体制の数世紀において、すべてのうちでもっとも部厚い層を成していたことを忘れないでおこう。」[6]

人間生活の中層をなす「市場的交換経済」という活動世界の表層に「反-市場」のゾーンがあり、そこを領分として「資本主義」は成立してくるとブローデルはいうのである。「(市場経済にもっぱら属する層とならんでというよりはその上に)反-市場のゾーンがあって、そこでは、才覚と最強者の権利が君臨していた。過去でも現在でも、産業革命の以前でも以後でも、資本主義の領分が占めるのはとくにこの場所なのである。」[7] 「資本主義」という語がその成熟した様相と爆発的な力をもってその姿を現すのは20世紀になってであるが、しかし「資本主義」という語が意味の深層においてもつ(しるし)はすでにその語の誕生とともに刻印されているとブローデルはいうのである。

われわれはここで「市場経済」と区別されたブローデルの「資本主義」概念をたずねるよりも、その語の誕生とともに捺された計算と巧緻と権力の徴表をもって市場経済の表層に社会的寄生物のごとく成立する「資本主義」をめぐる歴史記述に瞠目せねばならない。

人間の歴史的、社会的存在のあり方をトータルに規定していく土台(下部構造)として「資本主義」を記述していくことと、人間社会の表層に成立し、繁殖していく一種の社会的寄生物として「資本主義」を読むこととの間にはなんと大きな距たりがあることか。この大きな距たりを知ることによってはじめて、土台からその必然性をもってわれわれを規定してくるような「資本主義」から解放され、その異様な繁殖を抑制せねばならないし、抑制することのできる「資本主義」として見出されるだろう。そのときピケティが、この21世紀の異様な「資本主義」を制御しようとするならば、「われわれは民主主義に賭けるしかない」ということの意味と、その重大さがあらためてわれわれ自身に問われてくるだろう。

[1] 『資本論』第1巻(『マルクス・エンゲルスI』鈴木鴻一郎責任編集、世界の名著43、中央公論社)。

[2] 木村正身「近代主義的貧困観の成立ーシーボーム・ラウントリーを中心に」『香川大学経済学部研究年報8』1968。

[3] トマ・ピケティ『21世紀の資本』の序言「はじめに」、山形浩生・守岡桜・森本正史訳、みすず書房、2014。引用文中の傍点は子安。

[4] 『物質文明・経済・資本主義』はブローデル(1902−1985)の晩年の著作(1979年刊)である。邦訳はI・II・III巻各2分冊、全6巻で刊行されている。『物質文明・経済・資本主義ー15-18世紀I 日常性の構造』1、2(村上光彦訳、1985)、『物質文明・経済・資本主義ー15-18世紀2 交換のはたらき』1、2(山本淳一訳、1986)、『物質文明・経済・資本主義ー15-18世紀III 世界時間』1、2(村上光彦訳、1996,99)。

[5] ブローデル『物質文明・経済・資本主義ー15-18世紀II 交換のはたら』1、第3章「生産あるいは他人の領分における資本主義」。

[6] ブローデル『物質文明・経済・資本主義ー15-18世紀II 交換のはたら』1「まえがき」(山本淳一訳、みすず書房、1986)。

[7] 同上書、第2章「市場を前にした経済」。

〈大正〉を読む・9

〈貧困・格差〉論と「資本主義」の読み方・その1 子安宣邦
[『資本論』がすでにあるとは、マルクス主義者にとって〈貧困〉の事実が『資本論』の「貧困化法則」の実例になってしまうことなのだ。]

1『資本論』がすでにあること

『資本論』がすでにあるということは、〈貧困・格差〉論にとって何を意味するのだろうか。それは次のような労働者の階級的貧困化の必然性をいう理論的言説が、すでに権威をもって存在することを意味している。私は「権威」といったが、その権威とはただ外部的に与えられた政治的なものというより、「資本主義的(カピタリスティッシュ)」生産様式と生産過程のマルクス的に徹底した理論的解明が後継者にもたらした権威、すなわち理論的権威である。『資本論』がすでにあるとは、「資本主義」解読の理論的権威性をもってそれがすでにあることを意味している。そのことは後継のマルクス主義的理論家にとって「資本主義」が、すでになされた「資本主義」の読解的法典『資本論』の精読によって再認識すべき対象となるか、あるいは理論的法典『資本論』を補充すべき実証的な現状分析的作業の対象となるかのいずれかである。とまれマルクスはすでに「資本主義」的生産過程における労働者の貧困化の必然性をいっているのである。

「だから、資本の蓄積に応じて、労働者の状態は、彼の賃金がどうであろうと、高かろうと低かろうと、悪化せざるをえないということになる。最後に、相対的過剰人口すなわち産業予備軍をつねに蓄積の規模とエネルギーに均衡させるという法則は、ヘファイストスのくさびがプロメテウスを岩に釘づけにしたよりももっと固く、労働者を資本に釘づけにする。それは資本の蓄積に照応する貧困の蓄積を必然にする。したがって一方の極における富の蓄積は、同時に反対の極、つまり自分の生産物を資本として生産する階級の側における貧困、労働苦、奴隷状態、無知、粗暴および道徳的堕落の蓄積なのである。」(『資本論』第1巻、第7篇、第23章)[1]

マルクスは労働者の貧困化の必然性をいうとともに、これを必然化する「資本主義」的私有からなる生産体制の終焉の必然性をも予告的にいうのである。マルクスは『資本論』第1巻の最終章でグローバル資本主義としての現代世界を予告するように「資本主義体制の国際的性格」をもった発展をいう。同時にこの発展が「資本主義」的体制の終焉をももたらすことをもいうのである。

「いつも一人の資本家が多くの資本家を打ち倒す。この集中すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪と並んで、ますます大きくなる規模での労働過程の協業的形態が、・・・世界市場の網のなかへのすべての国民の組み入れが発展し、それとともに資本主義体制の国際的性格が発展する。こういう転化過程のあらゆる利益を横領し独占する大資本家の数がたえず減少していくとともに、貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取は増大していくが、しかしまた労働者階級の反抗も増大させつつ、資本主義的生産過程そのものの仕組によって訓練され結合され組織されていくのである。資本独占が、それとともに開花しそれのもとで開花した生産様式の桎梏となるのだ。生産手段の集中も労働の社会化も、それらの資本主義的外被とは調和できなくなる点に達する。外被は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」(『資本論』第1巻、第7篇、第24章)

労働者の貧困化の必然性と貧困問題の最終的解決としての資本主義的体制の壊体の必然性をも予告的にいう『資本論』がすでに与えられてあるということは、「貧困問題」を考えるマルクス主義的経済史家にとって何を意味するのだろうか。

2 『資本論』をすでにもつ「貧困問題」

河上の『貧乏物語』が伝えるイギリスの「貧困問題」を考えるにあたって、私に多くのことを教えたのは木村正身の論文「近代主義的貧困観の成立」[2] であった。19世紀末期のイギリスにおける社会問題を構成していったラウントリーらの貧困調査をめぐって多くのことを私に教えたこの論文は、マルクス主義的経済学・経済史にとって「貧困問題」あるいは「貧困論」とは何かをも私に教えた。「近代主義的貧困観の成立ーーシーボーム・ラウントリーを中心に」というこの論文の主眼は、「ブルジョア的な貧困問題論は、理論史的には、とくにマルクス『資本論』の導入による即時的なインパクトを直接的契機として、しかし同時に各国ごとの資本主義の段階変化とそれに照応した労働者およびその他の勤労者の生活状態および運動の推移にも規定されながら、大きく旋回したであろうことが見当づけられる。われわれは、その状況をとくにイギリスについて吟味」することにあると木村はいっている。木村は彼が吟味しようとする19世紀末イギリスの「貧困論」的状況は『資本論』の登場(第1部、1867年刊行)をその論成立の直接的契機としてもっているような理論史的状況だといっているのである。『資本論』は木村のこの論を何重にも規定している。まず彼にとってすでにある『資本論』は彼の「貧困問題」の構成と視点とを本質的に規定している。そして彼が論じようとする19世紀末イギリスの「貧困論」成立の契機に『資本論』の登場がすでにあるというのである。『資本論』をすでにもつ「貧困問題」とは次のように定義される。

「マルクス『資本論』の立場からすれば、資本主義的社会問題の核心としての貧困問題は、なによりも資本の蓄積の対極として必然的な貧困の蓄積、すなわち貧困化の問題の現象形態として把握されるものと解される。すなわちそれはいわゆる「貧困化法則」(資本制蓄積の一般的法則)の実現の例証としての意味をもつであろう。」

『資本論』の「貧困化法則」が「貧困問題」の本質を規定している。現実の「貧困問題」とはこの本質のそれぞれの条件における現象化、あるいは実現である。マルクス自身は「この法則も他のあらゆる法則と同じく、その実現にさいしてはいろいろの事情によって修正されるが、これらの事情の分析はここでは問題にならない」(第7篇・第23章)といっている。だが『資本論』をすでにもつマルクス主義経済学者は現実の「貧困問題」をさまざまな事情における「貧困化法則」の実現のあり方を追跡し、「貧困問題」を資本制的階級社会の根底から明らかにしなければならない。木村はマルクス主義経済学者におけるこの課題をこう語っている。引用は長いが、『資本論』をすでにもつマルクス主義経済学者における「貧困論」の構成のあり方を教える貴重な文章として一節全部を引いておこう。

「しかし、これらの介在的・修正的諸事情(注:マルクスがいう「いろいろな事情」)は、労働運動であれ、国家的および民間的な種々の社会改良であれ(社会保障および社会福祉が、まさにこれにふくまれる)、さらに、資本主義の外延的および内包的な不均等発展にもとづく貧困の転嫁であれ、あるいはまた、独占価格・租税・インフレーション等によるいわゆる副次的・流通的搾取の進行であれ、最後に、現代資本主義に特有な大衆社会化現象のもとでのブルジョア的高度消費のデモンストレーション効果による勤労者生活の攪乱と不満感増大であれ、ーーいずれもけっして恣意的に登場するものではなく、その一つ一つが資本主義の特殊歴史的な条件のもとに独自な弁証法的な登場の必然性と関連とをもって形成展開されるであろうし、また、それら諸要因がいったん登場すれば、その次元で、主導的法則との錯綜した連関の全体の弁証法的運動が、歴史的現実としての貧困の定在を規定するにちがいない。その追跡は、理論的にじゅうぶん可能であるはずだが、しかしそれはおそらくきわめて厖大な操作を必要としよう。」(傍点は子安)

この文章はわれわれにマルクス主義的経済史家にとって「貧困問題」とは何かを考えさせる。彼らにとって〈貧困〉論の課題とは、あの「貧困化法則」が現実の錯綜した諸事情との弁証法的運動を通して歴史的現実としてのこの「貧困の定在」を規定していると認識することにあるといっているように思われる。『資本論』がすでにあるとは、マルクス主義者にとって〈貧困〉の事実が『資本論』の「貧困化法則」の実例になってしまうことなのだ。〈理論〉の〈事実〉に対する転倒的優位とは、『資本論』をすでに存在する権威として受容した日本のマルクス主義知識人に著しい通弊である。

ところで『資本論』がすでにあるとは、「資本主義的生産様式とそれに照応する生産・交易関係」(「第1版まえがき」)とが、物理学者が自然過程を「最も簡潔な形で、できるだけ攪乱的な影響にかき乱されることのないところで」観察し、法則性を発見する形で認識し、理論化して記述するように、「資本主義」がマルクスによって観察され、発見され、認識され、記述されてあるということである。『資本論』がすでにあるというのは、「資本主義」がそのように発見され、理論化され、記述されてすでにあるということである。少なくとも1968年にいたる20世紀世界には『資本論』は「資本主義」とともにすでにあるものとしてわれわれの知を規制してきたように思われる。だから河上肇はマルクス主義への転身とともに『貧乏物語』を『資本論』入門としての『第二貧乏物語』に書き改めたのである。[未完]



[1] 『資本論』第1巻(『マルクス・エンゲルスI』鈴木鴻一郎責任編集、世界の名著43、中央公論社)。

[2] 木村正身「近代主義的貧困観の成立ーシーボーム・ラウントリーを中心に」『香川大学経済学部研究年報8』1968。

「思想史教室」からのお知らせ—7月のご案内 子安宣邦
*だれでも、いつからでも聴講できる「思想史の教室」です


*論語塾伊藤仁斎とともに『論語』を読む
『論語』はどこからでも新しく読むことができます
7月25日(土)12時〜15時 1 泰伯篇・1 2 泰伯篇・2
資料は当日配布いたします。
会場:rengoDMS(連合設計社市谷建築事務所)JR飯田橋駅西口から徒歩5分

*
思想史講座—「〈大正〉を読む」
20世紀の〈帝国〉日本は大正に形成されたということができます。にもかかわらず大正は明治と昭和との間に陥没させたままです。遅まきながら大正の読み直し、再発見の作業を始めたいと思います。大正の読み直しは、戦後的日本の読み直しでもあると考えています。
*5月から7月にかけて、現代の「貧困問題」あるいは「貧困論」「格差論」を再考するような形で、近代日本の最初の貧乏論である河上肇の『貧乏物語』を読んでいきたいと思います。

*大阪教室:懐徳堂研究会
7月18
日(土)・13時〜15時
「貧困・格差」問題と「資本主義」の読み方
会場:梅田アプローズタワー・10階1002会議室

*東京教室:昭和思想史研究会
7
月11日(土)・13時〜16時
「貧困・格差」問題と「資本主義」の読み方
会場:早稲田大学14号館10階1040教室

*問題の解説:ピケティの『21世紀の資本』は決して21世紀の『資本論』ではありません。マルクス主義的「資本」論とは全く異なる視点と方法と言語からなる「資本」論です。私は「資本」あるいは「資本主義」をめぐるこの異なる語りと「貧困」「格差」論との間にある問題を考えてみたいと思っています。参考文献は当然ピケティの『21世紀の資本』ですが、これは高価で大部なものです。薦めることはできません。そのダイジェスト版がいろいろあります。それを本屋で立ち読みして下さい。
私はピケティの背後にはブローデルの『物質文明・経済・資本主義』があると見て、それを拾い読みしています。ブローデルのこの書はピケティの書の5,6倍もある大著です。今これを完読するのは無理と思っています。ただ私はわれわれに欠けているアナール派の歴史学への視点を持つことの重要性を考えています。



*新著刊行

『帝国か民主かーいま中国問題を考える」社会評論社、4月15日刊行
『仁斎学講義ー『語孟字義』を読む』ぺりかん社、5月20日刊行
『仁斎学講義』は好評であると出版社より聞きました。嬉しいかぎりです。

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