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青山テルマ 大ブレークで母に家をプレゼントも..."転落"の日々に苦悩「家の電気も付けられない」

[ 2020年10月3日 17:29 ]

歌手の青山テルマ
Photo By スポニチ

歌手、青山テルマ(32)が3日放送の関西テレビ「おかべろ」(土曜後2・28)にゲスト出演し、自身の半生を振り返った。

中学3年時に事務所のオーディションに合格し、下積みを経て19歳でメジャーデビューした。20歳でリリースした2008年のセカンドシングル「そばにいるね feat. SoulJa」が「日本で最も売れた着うたフル(R)楽曲」としてギネス世界記録に認定されるなど大ヒット。一躍、知名度を上げ「貧乏だったけど親孝行できるって、お母さんに家を買いました。ポーンって」と明かした。

待遇の変化にも驚いたそう。「レコーディングも前までスタッフが1人だったのが10人くらい」、事務所を訪問すれば「テルマさん来ましたよ」と、スタンディングオベーションを浴びる日々。「これでみんな天狗(てんぐ)になっていくんだろうな」とも思った。

瞬く間にブレークした後は「転び落ちた」と青山。「そばにいるね―」ほどのヒット曲に恵まれず、「会社に行く度にスタンディングオベーションだったのが『あ、お疲れ様です』みたいな」と打ち明け、「レコーディングもケータリングがすごかったのが水が2本とか、グリーン車が普通車になるし」と、ぶっちゃけた。

苦悩の期間は「5、6年くらい」あった。全てをネガティブにとらえてしまうほど落ち込み「一番ピークの時」には、「家の電気も付けられない」ことも。「人とすれ違うと妄想だけど『アイツ売れなくなったな』って言っている気持ちになった」と話した。

自身の境遇を「誰かのせい」にしたくなる気持ちも芽生えた。「このままでは腐る」。思い直した青山は「自分の強さを取り戻そう」と、かつて留学していた米国へ。そこで「何で自分はこんなに売れなくなったのか。自分も絶対調子に乗っていたし、全部自分のせいにした」という。

帰国した青山は「雑誌を出したり、自分が似合う服を着たりとか、自分が歌いたい歌を作ったりとか。自分の本性をSNSで出し始めた」。自然体でふるまうようになると、バラエティー番組から声がかかるように。はじけたキャラクターで人気になった。

「小さいころ芸人さんになりたくて、逆に好きすぎてバラエティーを避けてた部分があるんですよ。見る側に徹底していたんですけど、やるんだったら中途半端でやるのもだし、腹くくってバラエティーにも出始めました」と青山。番組内では岡村隆史(50)らと即興コントにも挑戦、大きな笑いを誘っていた。

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