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新刊著者訪問 第10回

『失業と救済の近代史』
著者:加瀬和俊
吉川弘文館 歴史文化ライブラリー328 2011年: 1700円(税別)

このページでは、社研の研究活動の紹介を目的として、社研所員の最近の著作についてインタビューを行っています。

第10回となる今回は、近代日本経済史・水産経済を専門分野とする加瀬和俊教授の『失業と救済の近代史』(吉川弘文館 歴史文化ライブラリー328)をご紹介します。

<目次>
失業の歴史を考える意味―プロローグ
失業問題の歴史を追う
失業者の生活と意識
失業問題観と対策論争
唯一実施された失業対策 失業救済事業
失業保険制度不在の原因と影響
失業問題の現在―エピローグ
あとがき/参考文献/失業問題・失業対策関連年表

――前回では大瀧先生が最後に「失業とは市場経済の社会悪である」とおっしゃったのですが、今回は失業の歴史を繙いた本を取り上げることになりました。まずはこの本の概要を教えて下さい。

本書の各章の内容をごくラフにまとめれば、1.失業問題からみた戦前日本経済の歩みのスケッチ、2.失業者の生活と意識、3.失業対策構想(官僚、労働組合、社会改良論者、マスコミ)と財界の反対論、4.実際に採用された失業対策事業の論理と実態、5.実現しなかった失業保険構想の意義、となります。この中で私が描きたかったのは、失業保険制度を否定し、日雇労働の提供だけに対策を限定した戦前日本の政策の背景、実態、影響です。

――そもそも戦前の日本における失業問題とはどういうものでしたか?

失業の本人・家族にとっての苦労は基本的には現在と同じであり、本書でも私はその点を強調していますが、戦前的な特徴ももちろん少なくありません。失業者に占める日雇労働者の比重が高かったこと、失業対策は実質的には日雇失業者のみを対象にした治安対策であったこと、失業保険制度がなかったため事務労働者・工場労働者には頼るべき公的対策がなく、自力でもがき回るしか無かったこと、高等教育を受けた者が1920年代〜30年代初頭の不況期に大量の失業者となって「大学は出たけれど」の状況が続き、若者左傾化の素地を作ったこと、男子の6分の1程度しか徴兵されない非皆兵型の徴兵制のために、運悪く徴兵された者は23歳で除隊すると自営業の跡継ぎ以外は必ず失業者にならざるをえず、その恨みつらみが日中戦争以降に非入営経験者が徴兵された際の過酷な腹いせにつながったこと等が指摘できます。

なお、しばしば誤解されていますが、公共土木事業に日雇失業者を吸収しようとした失業救済事業は、いわゆるケインズ政策とは大きく異なっていて、緊縮政策の下で一挙に拡張されて、ピークを迎えています。1930〜31年の金解禁政策期の緊縮政策によって公共事業の大幅削減がなされ、請負人配下の熟練建設労働者が半失業状態になっていた時に、残存している公共事業の一部をさらに削り取って、請負人を排除し、登録失業者だけが就労できる特別な事業としたわけです。これに続く高橋財政の時期は、逆に本来の公共事業を拡張し、失業救済事業を圧縮することによって、失業者を日雇自由市場の中で競わせることになり、失業が高齢者に集中することになったわけです。

――うまくいかないですね。政府の失業対策は、戦前から戦後へと戦争をはさんで大きく変わりましたが、なぜでしょうか?

戦前は貴族院の資本家議員が結束すれば、企業にとって都合の悪い労働政策関係法案をすべてつぶすことができましたので、採用された政策は資本家の黙認するものか、法律を必要としないものだけでした。職業紹介法の成立(反対者は既存の有料職業紹介業者のみ)、失業保険法案の構想段階での放棄(財界の反対表明による)、失業救済事業の実施(反対は土木請負業者のみ。内務省の予算措置によって実施され法律的根拠を持たない)という対比にこの関係は明らかです。また、失業対策の対象という点では、浮浪的な失業者の暴動(米騒動の再来)が何よりも恐れられ、治安対策として日雇失業者に救済の対象が絞られたのに対して、戦後は失対事業の変質過程を間にはさんで、正規労働者が救済の主対象になりました。雇用者全体の中でのホワイトカラーの増加と日雇層の減少、長期雇用慣行の定着といった趨勢と、資本家の意向がストレートには通らなくなった新憲法体制が戦前との相違をもたらしたわけです。

――ところで、この本は今までの先生の研究をまとめる機会になったそうですが、執筆の際にご苦労されたことはありましたか?

私は一定の体系にそってテーマを追及するといった研究スタイルをとることが苦手で、農業政策史、漁業の現状分析、協同組合論、労働市場史、社会政策史等を、必要に応じて雑多に進めてきました。失業史についても、土木事業での日雇労働者救済策と失業保険方式による事務労働者・工場労働者救済の構想、資本家の失業救済策反対論と労働組合の資本家負担による失業手当制度要求、除隊兵の失業問題と彼等の被害者意識等、個別の論点の実証作業をしてきました。それらの種々の事象を整合的に配置して失業問題の全体像をつくる作業は、事実発見のスリリングさがないので、依頼されなければ手をつけなかったと思います。

留意した点は、失業があれば失業問題・失業対策があるというわけではなく、重化学工業の成長を基盤として、扶養家族を有する男子労働者が安定した雇用関係を結べる段階に到達した後で初めて、失業による生活破綻の重大性が失業者にも為政者にも明示的になり、対策の必要性とそれを制約する論理が展開するという事実を、論理としてではなく、具体的事例にもとづいて実感してもらえるように努力したことです。皆が貧しい時代には仕事がない者はただの貧困者であって失業者としては把握されないし、職を失った武士や敗戦後の旧地主、旧職業軍人は階層として消滅したのであって、固有の意味での失業者ではありません。

[画像:加瀬和俊先生]
加瀬和俊(かせかずとし)

東京大学社会科学研究所教授

専門分野:近代日本経済史・水産経済

主要業績
『集団就職の時代』青木書店、1997年5月.
『国際比較の中の失業者と失業問題――日本・フランス・ブラジル』(編著)東京大学社会科学研究所研究シリーズ No.19, 2006年2月.
『戦間期日本の新聞産業』(編著)東京大学社会科学研究所研究シリーズ No.48, 2011年12月.

――「明日は我が身」の失業問題と本書の帯にもありますが、最後に読者へのメッセージをお願いします。

失業問題は、当事者にとっては死活的な問題であり、生きる意欲にも、メンタル・ヘルスにも密接に関わっています。失業は存在しないとか、救済政策があるから失業が増えるとか、失業対策の意義を否定する見解もあるようですが、現在とほとんど同じ内容で歴史の中に刻まれている失業者達の苦労と為政者の逡巡を直視することが必要だと思います。

経済政策的には極めて無理の多かった高橋財政が、高橋是清本人の制御を越えて拡張され、戦争へと突き進んでいってしまった戦前の経験は、ワークシェアも、平等化を図りつつ生活水準を抑制していく方向も、現実的選択枝としてはありえないと思わされていた状況の下で、日本よりはるかに貧しい国々の富を略奪して好景気を強行的に維持・拡張しなければ失業問題を解決できないと、民衆の多数が信じてしまった結果だと私は思っています。

(2012年5月30日掲載)

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