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新刊著者訪問 第3回

『条約改正史—法権回復への展望とナショナリズム—』
著者:五百旗頭薫
有斐閣 2010年: 4000円(税別)

このページでは、社研の研究活動の紹介を目的として、社研所員の最近の著作についてインタビューを行っています。

第3回となる今回は、日本政治外交史を専門分野とする五百旗頭薫准教授の『条約改正史―法権回復への展望とナショナリズム―』(有斐閣)をご紹介します。

<目次>
序 章 研究史と前史,視点
第1章 寺島宗則外務卿と税関行政
第2章 井上馨外務卿と警察行政
第3章 条約改正予備会議
第4章 会議の間──日本の台頭と最後の暫定協定構想
第5章 条約改正会議──法権回復への国際的合意と国内対立
終 章 総括と展望

――何をテーマにされた本ですか。

日本は1850年代に開国したのですが、その時に今日から見れば不利な条約を欧米列強と結びました。これを改正するのには随分時間がかかりました。欧米に認められるためには国内を改革する必要もあって、条約改正問題は明治の政治外交の最重要争点でした。これに日本がどう取り組んだかを分析しています。

――この本の読みどころはどのようなものですか。

これまでの研究では、なぜ1894年に交渉が妥結したかを説明することを最終目標にしてきたように思います。でも私は、1887年にまとまりかかったのに国内の強硬論で挫折した経緯に力を注ぎました。同じような挫折を94年まで繰り返しますし、ある意味では今日まで繰り返しているように思ったからです。

それから、視野が広いことでしょうか。欧米との交渉だけではなく、清朝(中国)との交渉、国内諸勢力の動向、そして人々の希望や失望の形を総合的に理解する枠組みを提示したつもりです。

最後に、会議外交の分析でしょうか。1887年までに、大きな国際会議を二回開きました。よく日本は多国間交渉が苦手だ、と言われますが、会議をまとめるために井上馨外務大臣がどのようなテクニックを駆使したかを描きました。

――過去の外交や内政を読み解くことは、現代に生きる私たちに、何を示唆するのでしょうか。

因果関係を少し長く見通す目を育てるということでしょうか。

ハンナ・アレントという思想家が、『全体主義の起源』という本をかいています。ナチス・ドイツやソ連の全体主義のようなものがなぜ出てきたのかを、それより何十年も前にどういう小説が読まれていたか、何世紀も前にフランスの貴族がどういう理屈で威張ろうとしたか、というところから論じています。

五百旗頭先生

私の本は私なりの『ナショナリズムの起源』でしょうか。明治政府が次々と繰り出す通達にふりまわされる村役人や、決められた規則をまじめに執行しようとする開港場の官憲などを原風景として意識しながら、それがどうめぐりめぐって、日本の国威を賭けた条約改正案が会議場でまとまったり、怒れる壮士が上京してステッキを振り上げたり、といった風景に至るのかを考えています。

私たちは、周りがどんな風に恋愛をしているか、どんなアニメが好きか、はよく知っています。それが意味するところをもっと大きな文脈で考える習慣がつけば、政治や外交を支える人と思考の層がもっと厚くなるのではないでしょうか。

――今、社研では全所的プロジェクト「ガバナンスを問い直す」を進めています。何か関連を意識されていますか。

意識しています。近世の幕藩体制の延長で、開港場の秩序は場所によって様々でした。だから欧米や清朝に対して、細かいところは日本に任せないと収拾がつきませんよ、と説得することができました。これが初期の条約改正交渉のエッセンスだと思います。

近代国家を作っていく中で地方の多様性が侵食されると、統一国家として主権を取り返す、という外交が展開される一方で、その出来不出来がナショナルな争点としてすぐに発火するようになりました。

[画像:五百旗頭先生]
五百旗頭薫(いおきべかおる)

東京大学社会科学研究所准教授

専門分野 : 日本政治外交史

主要業績
『大隈重信と政党政治:複数政党制の起源 明治十四年-大正三年』東京大学出版会,2003年4月.
「開国と不平等条約改正」川島真・服部龍二(編)『東アジア国際政治史』名古屋大学出版会,2007年6月.
吉野作造講義録研究会編「吉野作造講義録」(一)(二)『国家学会雑誌』121巻9·10号, 2008年10月.

ローカル・ガバナンスと外交の関係を考察した、という点では珍しい本かと思います。

――このたびのご執筆でご苦労されたと伺いました。どんなことが?

読むべきこと、考えるべきことが多すぎて、とにかく時間がかかりました。編集者の方はお困りになったと思います。「鶴のように首を長くして待っています」というメールが来て、半月後には「キリンのように首を長くして」というメールです。私が「来月あたりはブラキオサウルスか?!」などとふざけていると家族の方が編集者に同情して、「いい加減に出して差し上げなさい」と叱られました。それからは、平日は終電まで、そして週末もしょっちゅうつぶして、何ヶ月も作業をさせてもらいました。

――・・・・・・周りがご苦労されたのですね。最後にひとことお願いします。

私も苦労したんですよ。でも無事に出版されると忘れてしまいました。歴史研究は積み木に似ていて、時間はかかりますが、良いパーツを見つけ、上手く使うことができた時の喜びは言い表すことができません。歴史を読んだり書いたりする人がこれからも増えればいいな、と思っています。

(2011年2月4日掲載)

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