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原田昇左右

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原田 昇左右
はらだ しょうぞう
生年月日 (1923年07月15日) 1923年 7月15日
出生地 日本の旗 日本 静岡県 焼津市
没年月日 (2006年07月02日) 2006年 7月2日(82歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京都 目黒区
出身校 東京帝国大学第二工学部卒業
(現・東京大学工学部)
前職 官僚(農林省運輸省)
所属政党 自由民主党(加藤派小里派)
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
工学士(東京帝国大学・1946年)
子女 長男・原田令嗣(元衆議院議員)
公式サイト 衆議院議員はらだ昇左右のホームページ(2003年8月8日時点のアーカイブ)

内閣 第1次海部内閣
在任期間 1989年 8月10日 - 1990年 2月28日

選挙区 (旧静岡1区→)
静岡2区
当選回数 9回
在任期間 1976年 12月10日 - 2003年 10月10日
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原田 昇左右(はらだ しょうぞう、1923年大正12年〉7月15日 - 2006年平成18年〉7月2日)は、日本政治家自由民主党の元衆議院議員(9期)。静岡県 焼津市出身。愛称は「ハラショー」。元衆議院議員の原田令嗣は長男。正三位 勲一等旭日大綬章

来歴・人物

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静岡中学静岡高校を経て、1946年東京帝国大学第二工学部卒業後、農林省(現・農林水産省)に入省。後に運輸省に転じる。経済企画庁出向、船舶局、外務省出向(ハンブルク領事)、海運局調査課長、統計調査部調査課長、航空局国際課長、大臣官房開発課長などを歴任[1]

1974年に運輸省大臣官房審議官を最後に退官、1976年の衆院選に西村直己の後継者として旧静岡1区から出馬し初当選(当選同期に愛知和男鳩山邦夫中村喜四郎中島衛西田司池田行彦堀内光雄相澤英之津島雄二鹿野道彦塚原俊平中西啓介与謝野馨渡辺秀央中川秀直甘利正など)。以後連続当選9回。自民党では宏池会に所属。通産 政務次官を経て、1989年第1次海部内閣建設大臣として初入閣。衆議院予算委員長なども務めた。

2000年に派閥領袖である加藤紘一が起こした「加藤の乱」では、大半の宏池会幹部が加藤に反発する中、数少ない加藤の同調者となる。2002年、春の叙勲で勲一等旭日大綬章を授けられた。2003年くも膜下出血で倒れ、同年の総選挙には出馬せず政界を引退した。

2006年7月2日午前7時47分、急性腎不全のため東京都 目黒区内の病院で死去[2] 。82歳。死後、正三位に叙された。

2017年(平成29年)11月17日、生家(焼津市浜当目)である「原田家住宅」(1875年建造)の主屋などが国の登録有形文化財に登録された[3] [4] [5]

関連人物

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脚注

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  1. ^ 月刊官界 1982年3月
  2. ^ "原田昇左右元建設相が死去/「加藤の乱」で共に". 四国新聞社 (2006年7月2日). 2020年7月15日閲覧。
  3. ^ "焼津の原田家住宅 古民家カフェに". 静岡新聞 (2021年9月27日). 2022年4月16日閲覧。
  4. ^ "国文化財のカフェ 9日営業開始 焼津・原田家住宅". 静岡新聞 (2022年4月7日). 2022年4月16日閲覧。
  5. ^ 文化庁. "原田家住宅主屋". 文化遺産オンライン. 2022年8月17日閲覧。
議会
先代
島村宜伸
日本の旗 衆議院予算委員長
2000年
次代
野呂田芳成
先代
粕谷茂
日本の旗 衆議院決算行政監視委員長
1998年 - 1999年
次代
中村正三郎
先代
小杉隆
日本の旗 衆議院環境委員長
1993年
次代
奥田幹生
先代
大久保直彦
日本の旗 衆議院科学技術委員長
1986年 - 1987年
次代
大坪健一郎
公職
先代
野田毅
日本の旗 建設大臣
第54代:1989年 - 1990年
次代
綿貫民輔
帝国議会
国会
統合前
運輸大臣
建設大臣
建設院総裁
建設大臣
北海道開発庁長官
国土庁長官
統合後
2001年、運輸大臣、建設大臣、国務大臣国土庁長官は国土交通大臣に統合された。長官は国務大臣としての長官を表記。
定数5
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
第38回
第39回
第40回

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