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'''南豊州'''(なんほうしゅう)は、[[中国]]にかつて存在した[[州]]。[[大元ウルス]]の時代に現在の[[江西省]][[撫州市]][[南豊県]]に設置された。大元ウルスの行政上は[[江西等処行中書省]]に属した。
'''南豊州'''(なんほうしゅう)は、[[中国]]にかつて存在した[[州]]。[[大元ウルス]]の時代に現在の[[江西省]][[撫州市]][[南豊県]]に設置された。大元ウルスの行政上は[[江西等処行中書省]]に属した。


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* 植松正『元代江南政事社会史研究』汲戸書院、1997年
* 杉山正明(削除) 『 (削除ここまで)モンゴル帝国と大元ウルス(削除) 』 (削除ここまで)京都大学学術出版会(削除) 、 (削除ここまで)2004(削除) 年 (削除ここまで)
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2024年5月24日 (金) 04:49時点における最新版

モンゴル時代の江南投下領。南豊州は右(東)に位置する。

南豊州(なんほうしゅう)は、中国にかつて存在した大元ウルスの時代に現在の江西省 撫州市 南豊県に設置された。大元ウルスの行政上は江西等処行中書省に属した。

華北寧海州とともに、チンギス・カンの叔父のダアリタイ・オッチギンを始祖とするダアリタイ・ウルスの投下領であった[1]

歴史

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唐代南豊県を前身とする。モンゴル帝国第5代皇帝セチェン・カアン(クビライ)によって南宋が平定されると、1281年(至元18年)に南豊県の11,000戸がダアリタイ王家の投下領として与えられた[2] 1282年(至元19年)には県から州へと昇格になり、江西行省に直属する「南豊州」となった[3]

朱元璋明朝を建国すると、南豊州は再び南豊県と改められ、建昌府に属した。

脚注

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  1. ^ 植松 1997, p. 100.
  2. ^ 『元史』巻95志44食貨志3,「太祖叔答里真官人位......江南戸鈔、至元十八年、撥南豊州一万一千戸、計鈔四百四十錠」
  3. ^ 『元史』巻62志14地理志5,「南豊州、下。唐為南豊県、隷撫州。宋改隷建昌軍。元至元十九年、升為州、直隷行省。戸二万五千七十八、口一十二万八千九百」

参考文献

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嶺北行省
遼陽行省
河南行省
    河南江北道
    淮西江北道
    江北淮東道
    山南江北道
    湖広行省
      江南湖北道
      嶺北湖南道
      嶺南広西道
      海北海南道
      江西行省
        江西湖東道
        海北広東道
        江浙行省
          江南浙西道
          浙東海右道
          江東建康道
          福建閩海道
          陝西行省
          鞏昌都総帥府
          四川行省
          四川南道宣慰司
          叙南等処蛮夷宣撫司
          甘粛行省
          雲南行省
          曲靖宣慰司
          羅羅斯宣慰司
          臨安広西宣慰司
          大理金歯宣慰司

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