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2006年12月15日

身体を置き去りにするな・2

体育という教科はいつからあると思いますか?

じつは、これ昭和22年のいわゆる6-3-3制導入の際に作られた教科なんですよ。

いや、戦前にも体育に相当する教科はあったと仰る方もいるかもしれません。
はい。確かに「相当する」教科はありました。
明治5年の学制発布とともに発足した教科名は「体術」。
翌年に「体操」と改められたその教科名は、以後実に68年の長きにわたって使われました。
その目的は「富国強兵の一環として」。

幕末の黒船来襲以降、急激に開国、そして明治維新への道を辿った日本。
黒船ショックとでも言いましょうか、明治になって作られた有名な建造物は東京駅然り、鹿鳴館然り、帝国ホテル然り、すべて西洋風です。
中村建治氏の力作「山手線誕生」(イカロス出版 注)にも詳しく述べられていますが、東京駅の設計は当初、純和風建築でなされていました。
しかし、「帝都の中央停車場としてはみすぼらしすぎる(引用前掲書)」という意見が当時の鉄道院総裁から出されたことから、今に残る西欧風の駅舎にデザインされたのです。
同書には和風建築のデザイン画も収められていますが、わたくしの感覚ではなかなか素敵な建物です。
しかし、当時の風潮は文明開化一色。
つまり、西欧化こそがすばらしいことであり、日本風のものなど「みすぼらしい」としか評価されなかったのです。
そして「脱亜入欧」ともいわれるその風潮は、人種的特徴にも及びました。

欧米人は体格がよく、だからこそ日本人は従来の文化を「捨てさせられたのだ」という考え方がやがて富国強兵という国策とリンクし、そして、日本人の体格と体力を向上させよう、そのためには運動をするのが良いということになったのです。
それこそが、体操(体術)導入の目的でした。

体操というのは、作られた運動です。

日本には系統立った運動(スポーツ)の歴史はありません。
忍術や修験道の流れを汲むような古武術や、宗教的行事の一環としての相撲(相撲はもともと神に奉納されたものです。土俵入りの際、横綱が注連縄のようなものを身につけているのは決して偶然ではありません)、武家の修練のための剣術(竹刀剣道ではなく、むしろ居合)などはありましたが、個人の精神性がかなり重視されるものばかりです。
これは世界的にみてもかなり異色な文化だと思うんですが、スポーツの歴史に詳しい方、ご意見お待ちしてます。
日本人は和を以って尊しとし、集団に拡大した自我を持つと言われますが、こと「スポーツ」においては個人主義だったんですね。意外。

閑話休題

さて、運動がいいということになって、シロートにもできるようにと開発されたのが「体操」という授業。
体操というのは、目的をもって作られた運動のことを指すそうですが、そーいやラジオ体操とか柔軟体操とかアルゴリズム体操(これ、知ってる人はNHK教育のマニアだと思う)とか、まあ確かにそんな感じですよね(笑)

今現在は記憶中枢を脳梗塞で破壊された関係でか、かなりお茶目なことを口走るじーさんと化しているわたくしの父は、昭和4年生まれ。
体操の授業を受けたほぼ最後の世代のはずです。
その昔は柔道で村代表になったとかいうスポーツ少年だったらしく、そりゃーもうわたくしの子供時代など耳にタコができるくらいの勢いで体操の授業の時の武勇伝やらお父ちゃんは柔道でこーーーーんなに強かったんだぞとゆーよーなことやらを聞かされまくりました。
そこらへんから推察するに、いっちにーいっちにーと「体操」ばかりをしていたわけでは決してないよーですが、身体を鍛えるという面が強調された授業内容という印象があります。

で、この「体操」。
日本を取り巻く国際情勢の変化から、昭和16年からは「体練科」という名称に変更、内容は体操と武道、さらに軍事教練というまさに富国強兵策を体現したようなものになりました。
そして戦後、昭和22年にアメリカ式の教育が取り入れられた際、従来の「体操」にスポーツを通した社会的、全人的な教育を目的とした「体育科」が発足したというわけで。

が、理念だけは良かったんですが、教える教師はといえば戦前戦中の教育を受けた人ばかり。
まったくもってスポーツを通じた全人的教育などできるわけもなく(笑)
結果、「6・3制 野球ばかりが強くなり」という当時の川柳を引くまでもなく、戦前からあった野球ばかりを教える風潮が目立ったということです。なんだかなぁ(笑)

スポ根マンガの草分けにして昭和の遺物「根性論」を今に伝える怪作「巨人の星」の原作者、梶原一騎氏は1936(昭和11年)生まれ。
彼が国民学校に入学したであろう昭和18年、教えられたのは体練科であったはずです。
あのとんでもないまでの根性論の展開は、梶原氏が体練科の教育を受けたことと決して無縁ではないとわたくしは思います。
余談ですが、あのトレーニング方法じゃ星飛雄馬は巨人の星どころか草野球ですら、星になる前に燃え尽きること請け合いです。
鉄ゲタうさぎ跳びだの、大リーグボール養成ギプスだの、余りのエビデンスのなさにリハビリスタッフと大爆笑させてもらってる昨今です。
良い子のみんな、くれぐれも鉄ゲタでうさぎ跳びはしないように。
道を破壊するだけでひとつもトレーニング効果などないことは言うまでもありませんので...

まあ、なにはともあれそうして運動の教育は行われてきたと。

そしてこれからもそれは続くのでしょうけれども、ここで前回のエントリの内容に戻ります。

「学力低下を嘆く声はあっても、体力低下に警鐘を鳴らす声はあまりにも小さい」というのがわたくしの主張です。

全国の高校で、世界史の授業を規定の単位数ぶん履修させていないという問題がありましたね。
受験に関係ないから、というのがその理由でしたが。
関係ないという理由で授業をしなくて良い、あるいはそんな授業は受けたくないというなら、体育や書道も危ういですね。

そんな世の中、いやだなぁ。

日本人は身体を軽視し過ぎる。
極端なダイエットに走ったり、根性論でトレーニングを語ろうとしたり。
脳梗塞で倒れたくせに、家に帰れば歩けるんだと言い張ってろくにリハビリもせずにいた結果、見事に廃用症候群で歩くことができなくなったり。(←おとーちゃん。あんたのことだよ!)

人間の身体は、使わなければその場所が廃用(筋肉や組織が衰える状態)を起こします。それはもう、恐ろしい早さで。
体力が低下しているということは、身体を支える筋力が低下しているということでもあり、そんな人間が廃用でも起こせばあっという間に寝たきりになる危険だってあります。

体力低下は危ないんですよ。

寝たきりになって、したいことも満足にできないような生活を自ら招きたくないならば。

身体を置き去りにせず、生きましょうよ。ね。



注:「山手線誕生」
山手線開業に至るいきさつ、歴史はこの一冊でまるわかりです。
全駅の駅名の由来と開業日などもわかる巻末のおまけつき。
もともとは、「東京人を買ってみた」というエントリにおいて、原武史氏の「山手線はつまらない」という記述への反証を試みた際の資料として購入したものですが、非常に興味深い内容です。一読の価値はありますよ。

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