2008年12月22日
「自死という生き方」に憤る
哲学は完全に門外で、エトムント・フッサールの現象学くらいしか感覚的にですら理解できる理論はない。
ハイデガーとレヴィナスは笠井潔の「哲学者の密室」の登場人物、ハルバッハとガドナスを通してしかエッセンスに触れたことはないし、ジャック・デリダに至っては、生理的に文章を受け付けられない人がデリダ論を書いているので、そもそも読む気にすらなれないのが現状。脱構築?なにそれ、食べられるもの?って状態だ。
フッサール現象学にしたところで、パトリシア・べナーの看護理論その他の記述を通して二次的に理解しているような状態だから、専門に研究している人から見れば、鼻で笑いたくなるレベルであろう。
うだうだと前置きをしたのには一応理由がある。
須原一秀という人をご存じか。
武士道の実践という幻想に取りつかれ、自然死は悲惨だという思い込みから、自らの命を絶った「哲学者」だ。
遺作「自死という生き方」は、その自死に至る思索の経緯が綴られている。
本の帯にはこうある。
「65歳の春。晴朗で健全で、そして平常心で決行されたひとつの自死」
どこがだ。とわたくしは思った。
自殺は自殺だ。
自殺した時点で、平常心は喪われている。
須原には、「己の死はそこらの自殺とは違う」という意識があるようだが、残念ながら
そこに高潔な死も卑小な死もありはしない。
魂の乗り物としての身体を粗末に扱ったものとしての記号=自殺者という統計に計上されることに変わりはない。
大体、武士道に自殺を奨めるような記述などない。
有名な言葉に、「武士道は死ぬことと見つけたり」というのがあるが、これが蓮如上人の「白骨のご文章(注1)」の言い換えであることは、「葉隠」をきちんと読んだ上でなら明白なはずだ。
自ら死ぬことの道理を説いているのが武士道なのではない。
武士という生業についているのであれば、(追記) いつ死ぬことがあってもやり残したことがないように、常に全力で生きよと説いているのが武士道 (追記ここまで)なのではないか?
また、こういう読み方もできるだろう。
武士道は、バーチャルな死を先取りする哲学だと。
死んだ後の自分を定点として、そこから過去を俯瞰するような精神のありようで生きることができるのであれば、どのような事態が起こっても、意識の中での時系列は「過去」になり、過去に起こったことと意識する以上、そこにはリアルな動揺はなく、常に平常心で生きられるのではないか?
なぜなら、「死後の世界」は常に、今生きている自分の先にあるものだから。
人生の到達点は、言うまでもなく死である。
死後の時間から「今」を俯瞰するということは、未来から現在を眺めるということである。
現在は決して未来にはなりえない。
未来とは、未だ起こっていないこと、これから起こるであろうことを指すのであるからだ。
未だ起こっていない時間から自分を、今を俯瞰する。そのどこに、自ら死ぬことを指すロジックがあるというのか。
武士道は死を希求する哲学とはなりえないのだ。
須原はそれを意識的に読み違えているとしか思えない。
わたくしは、文章に須原の病的なまでの死への依存を見る。
特攻隊の美学や、三島由紀夫の市ヶ谷での割腹自殺の過剰な美化は、自死への執着が生み出したものとしか見えなかった。
執着で聞こえが悪ければ妄執と言い換えてもいいが、どちらも須原は否定するだろう。
須原は、悲惨に死んでゆく(であろう)老いた己の幻想から逃れられなかった。ただそれだけのことだ。
わたくしは高齢者施設に勤務している関係上、様々なお年寄りに出会う。
須原のいう「悲惨な自然死」が現実であるというならば、なぜわたくしが出会う高齢者には素敵な笑顔の方が多いのだろうか?
天寿を全うして、わたくしたちの前から去ってしまわれる方は毎年複数おられる。
病院のベッドで最期の時を迎える方もあれば、ご自宅でご家族に見守られながら...という方もいる。
残されたご家族から、「眠るような最後でした」という言葉を聞くことがある。
その方々の最期が悲惨だなどと、いったい誰が断言できるのか。
そんな権利は誰にもない。須原にも、わたくしたちにも。
それとも、東京都の東の一部だけに、「悲惨な自然死」が存在しないユートピアが存在するとでもいうのだろうか?
そんなことはあるわけがない。
死者に鞭打つ気は毛頭ないが、わたくしは身内を「悲惨な自然死」で見送ったものとして、須原に反論せねばならない。
「死ぬ瞬間」で有名な精神科医キューブラー・ロスを、須原は酷評している。
死の直前にあってなお、ロス自身に死の受容ができていなかったというのがその理由だが、読んでいて吐き気を催すような内容だった。
(ここに引用するのも怒りが蘇るので、興味のある方は一読されたし。無責任で申し訳ない)
須原のご母堂は、ロスの言う5段階を経て死に至ったという。
だが、妻の父の死に関し、須原は「神も医者も親族も本人も完全に無責任な体制での死」という表現を採用している。
ここに、須原の考えを読み解くカギがあるとわたくしは見ている。
須原は、死者はその死の当事者であるとともに、死者の周囲にとっては、その死をめぐる物語の重要な登場人物であるという視点を、ごっそりと欠落させている。
確かに死は、他者に代わって貰うこともできなければ、逆に誰かの死を肩代わりすることもできない。
だが同時に死は、当事者だけでは完結できない事象でもあるのだ。
その死を認知する他者があってはじめて、ある人間の死という事件はあきらかになる。
「死者を認知する他者」の存在しない死はありえない。
行方不明者は、その死体が発見されるか当事者が生きていることが確認されるまでは、あくまでも「行方不明者」でしかないことでもそれはあきらかだ。
言い換えれば、死にさえもコミュニケーションはついて回るということだ。
自死を選ぶ人には、その視点が欠落している。
誰かを永遠に喪う瞬間は、周囲の人間にとっては事件なのだ。
死という事件は、当事者の体内における生命活動の停止としてのみ起こるのではない。
周囲を含めた場で起こるのだ。
わたくしの父は、脳梗塞で倒れ、食物の経口摂取ができなくなり胃ろうを造設した。
なおかつ彼は、歩くこともトイレで排泄することもできない状態で1年半を生き、記憶野が破壊され、今がいつかも理解できなくなって最期を迎えた。
それでもわたくしは、生きていて欲しかったのだ。
自死しないでいてくれて、最後まで生き抜いてくれてありがとうとすら思ったのだ。
それがわたくしの、父の死をめぐる物語なのだ。
父は積極的に死ななかった。
医師は積極的に父を殺さず、最期に呼吸が止まる瞬間に立ち会い、臨終を宣言する大役をつとめてくれた。
わたくしも父を積極的に殺さず、口を塞いだり点滴に毒を詰めることもなく、最期に立ち会った。
最期を看取るということは、そのひとの死という事実を、本人以外に最初に引き受ける大役を仰せつかるということだ。
それでも須原はこれを、無責任な体制の下での死と呼べと言うのか?
そんな哲学は、承認するわけにはいかない。
須原の理論では、周囲に「死にゆく物語」を作ることを許さない。
彼は首を吊り、頸動脈を掻き切るという死に方を選択した。
つまり、彼の家族にとって彼の死は、「突然現れた血塗れの首吊り死体」から始まったのだ。
家族は、周囲は、突然日常にぽっかりと穴が開いた状態を余儀なくされるのだ。
非日常的な光景は、長くトラウマとなる。
須原は目論見通り死ねて満足だろう。
だが、家族はどうなのだ?
なぜ須原は老いてなお生きることを拒んだのだ?
そうまでして、若くあり続けたかったのか?
人間は、他者とかかわらずに生きることはできない。
もしできるのなら、それは「ヒト」という生物にすぎない。
他者とかかわらずに生きられないということは、他者とかかわらずに死ぬこともできないということだ。
なぜ人間に言葉があるのか。
それは、他者と交換するためだ。
何を?
言葉を。
感情を。
愛を。
コミュニケーションを。
そしてわたくしは、死もまた何らかの重要な贈与であり交換であると考える。
死におけるコミュニケーションを拒否した須原からでさえ、こうして何らかを学べるのだから。
最後に、須原が最も欲しくないであろう弔辞で今日の文章を締めくくる。
「哲学者」、須原一秀氏のご冥福をお祈りします。
あなたには長生きしてほしかった。
そして、もっと本を書いてほしかった。
そうすれば、読者とのコミュニケーションがあなたを自死には誘わなかっただろう。
それともやはりあなたは、他者を拒絶し、孤高の魂のままで逝っただろうか。
注1・白骨のご文章
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに
凡そはかなきものは、この世の始中終、幻のごとくなる一期なり。
されば未だ万歳(まんざい)の人身(じんしん)を受けたりという事を聞かず、一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。吾や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は本(もと)の雫(しずく)・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬればふたつの眼(まなこ)たちまちに閉じ、ひとつの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)の装を失いぬるときは六親、眷属集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかいなれば、誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて阿弥陀仏を深くたのみまいらせて念仏申すべきものなり。
浄土真宗・蓮如上人のお言葉。
父を真宗式で送ったので、お通夜でこのお言葉を聞きました。
ああなんて「無常」という単語を美しく表現されるのだろうと感動したのを覚えています。
参考文献
自死という生き方 覚悟して逝った哲学者
(須原一秀 双葉社 2008 ISBN 978-4-575-29998-4)
死と身体 コミュニケーションの磁場
(内田樹 医学書院「ケアをひらく」シリーズ 2004 ISBN 978-4-260-33366-5)
ハイデガーとレヴィナスは笠井潔の「哲学者の密室」の登場人物、ハルバッハとガドナスを通してしかエッセンスに触れたことはないし、ジャック・デリダに至っては、生理的に文章を受け付けられない人がデリダ論を書いているので、そもそも読む気にすらなれないのが現状。脱構築?なにそれ、食べられるもの?って状態だ。
フッサール現象学にしたところで、パトリシア・べナーの看護理論その他の記述を通して二次的に理解しているような状態だから、専門に研究している人から見れば、鼻で笑いたくなるレベルであろう。
うだうだと前置きをしたのには一応理由がある。
須原一秀という人をご存じか。
武士道の実践という幻想に取りつかれ、自然死は悲惨だという思い込みから、自らの命を絶った「哲学者」だ。
遺作「自死という生き方」は、その自死に至る思索の経緯が綴られている。
本の帯にはこうある。
「65歳の春。晴朗で健全で、そして平常心で決行されたひとつの自死」
どこがだ。とわたくしは思った。
自殺は自殺だ。
自殺した時点で、平常心は喪われている。
須原には、「己の死はそこらの自殺とは違う」という意識があるようだが、残念ながら
そこに高潔な死も卑小な死もありはしない。
魂の乗り物としての身体を粗末に扱ったものとしての記号=自殺者という統計に計上されることに変わりはない。
大体、武士道に自殺を奨めるような記述などない。
有名な言葉に、「武士道は死ぬことと見つけたり」というのがあるが、これが蓮如上人の「白骨のご文章(注1)」の言い換えであることは、「葉隠」をきちんと読んだ上でなら明白なはずだ。
自ら死ぬことの道理を説いているのが武士道なのではない。
武士という生業についているのであれば、(追記) いつ死ぬことがあってもやり残したことがないように、常に全力で生きよと説いているのが武士道 (追記ここまで)なのではないか?
また、こういう読み方もできるだろう。
武士道は、バーチャルな死を先取りする哲学だと。
死んだ後の自分を定点として、そこから過去を俯瞰するような精神のありようで生きることができるのであれば、どのような事態が起こっても、意識の中での時系列は「過去」になり、過去に起こったことと意識する以上、そこにはリアルな動揺はなく、常に平常心で生きられるのではないか?
なぜなら、「死後の世界」は常に、今生きている自分の先にあるものだから。
人生の到達点は、言うまでもなく死である。
死後の時間から「今」を俯瞰するということは、未来から現在を眺めるということである。
現在は決して未来にはなりえない。
未来とは、未だ起こっていないこと、これから起こるであろうことを指すのであるからだ。
未だ起こっていない時間から自分を、今を俯瞰する。そのどこに、自ら死ぬことを指すロジックがあるというのか。
武士道は死を希求する哲学とはなりえないのだ。
須原はそれを意識的に読み違えているとしか思えない。
わたくしは、文章に須原の病的なまでの死への依存を見る。
特攻隊の美学や、三島由紀夫の市ヶ谷での割腹自殺の過剰な美化は、自死への執着が生み出したものとしか見えなかった。
執着で聞こえが悪ければ妄執と言い換えてもいいが、どちらも須原は否定するだろう。
須原は、悲惨に死んでゆく(であろう)老いた己の幻想から逃れられなかった。ただそれだけのことだ。
わたくしは高齢者施設に勤務している関係上、様々なお年寄りに出会う。
須原のいう「悲惨な自然死」が現実であるというならば、なぜわたくしが出会う高齢者には素敵な笑顔の方が多いのだろうか?
天寿を全うして、わたくしたちの前から去ってしまわれる方は毎年複数おられる。
病院のベッドで最期の時を迎える方もあれば、ご自宅でご家族に見守られながら...という方もいる。
残されたご家族から、「眠るような最後でした」という言葉を聞くことがある。
その方々の最期が悲惨だなどと、いったい誰が断言できるのか。
そんな権利は誰にもない。須原にも、わたくしたちにも。
それとも、東京都の東の一部だけに、「悲惨な自然死」が存在しないユートピアが存在するとでもいうのだろうか?
そんなことはあるわけがない。
死者に鞭打つ気は毛頭ないが、わたくしは身内を「悲惨な自然死」で見送ったものとして、須原に反論せねばならない。
「死ぬ瞬間」で有名な精神科医キューブラー・ロスを、須原は酷評している。
死の直前にあってなお、ロス自身に死の受容ができていなかったというのがその理由だが、読んでいて吐き気を催すような内容だった。
(ここに引用するのも怒りが蘇るので、興味のある方は一読されたし。無責任で申し訳ない)
須原のご母堂は、ロスの言う5段階を経て死に至ったという。
だが、妻の父の死に関し、須原は「神も医者も親族も本人も完全に無責任な体制での死」という表現を採用している。
ここに、須原の考えを読み解くカギがあるとわたくしは見ている。
須原は、死者はその死の当事者であるとともに、死者の周囲にとっては、その死をめぐる物語の重要な登場人物であるという視点を、ごっそりと欠落させている。
確かに死は、他者に代わって貰うこともできなければ、逆に誰かの死を肩代わりすることもできない。
だが同時に死は、当事者だけでは完結できない事象でもあるのだ。
その死を認知する他者があってはじめて、ある人間の死という事件はあきらかになる。
「死者を認知する他者」の存在しない死はありえない。
行方不明者は、その死体が発見されるか当事者が生きていることが確認されるまでは、あくまでも「行方不明者」でしかないことでもそれはあきらかだ。
言い換えれば、死にさえもコミュニケーションはついて回るということだ。
自死を選ぶ人には、その視点が欠落している。
誰かを永遠に喪う瞬間は、周囲の人間にとっては事件なのだ。
死という事件は、当事者の体内における生命活動の停止としてのみ起こるのではない。
周囲を含めた場で起こるのだ。
わたくしの父は、脳梗塞で倒れ、食物の経口摂取ができなくなり胃ろうを造設した。
なおかつ彼は、歩くこともトイレで排泄することもできない状態で1年半を生き、記憶野が破壊され、今がいつかも理解できなくなって最期を迎えた。
それでもわたくしは、生きていて欲しかったのだ。
自死しないでいてくれて、最後まで生き抜いてくれてありがとうとすら思ったのだ。
それがわたくしの、父の死をめぐる物語なのだ。
父は積極的に死ななかった。
医師は積極的に父を殺さず、最期に呼吸が止まる瞬間に立ち会い、臨終を宣言する大役をつとめてくれた。
わたくしも父を積極的に殺さず、口を塞いだり点滴に毒を詰めることもなく、最期に立ち会った。
最期を看取るということは、そのひとの死という事実を、本人以外に最初に引き受ける大役を仰せつかるということだ。
それでも須原はこれを、無責任な体制の下での死と呼べと言うのか?
そんな哲学は、承認するわけにはいかない。
須原の理論では、周囲に「死にゆく物語」を作ることを許さない。
彼は首を吊り、頸動脈を掻き切るという死に方を選択した。
つまり、彼の家族にとって彼の死は、「突然現れた血塗れの首吊り死体」から始まったのだ。
家族は、周囲は、突然日常にぽっかりと穴が開いた状態を余儀なくされるのだ。
非日常的な光景は、長くトラウマとなる。
須原は目論見通り死ねて満足だろう。
だが、家族はどうなのだ?
なぜ須原は老いてなお生きることを拒んだのだ?
そうまでして、若くあり続けたかったのか?
人間は、他者とかかわらずに生きることはできない。
もしできるのなら、それは「ヒト」という生物にすぎない。
他者とかかわらずに生きられないということは、他者とかかわらずに死ぬこともできないということだ。
なぜ人間に言葉があるのか。
それは、他者と交換するためだ。
何を?
言葉を。
感情を。
愛を。
コミュニケーションを。
そしてわたくしは、死もまた何らかの重要な贈与であり交換であると考える。
死におけるコミュニケーションを拒否した須原からでさえ、こうして何らかを学べるのだから。
最後に、須原が最も欲しくないであろう弔辞で今日の文章を締めくくる。
「哲学者」、須原一秀氏のご冥福をお祈りします。
あなたには長生きしてほしかった。
そして、もっと本を書いてほしかった。
そうすれば、読者とのコミュニケーションがあなたを自死には誘わなかっただろう。
それともやはりあなたは、他者を拒絶し、孤高の魂のままで逝っただろうか。
注1・白骨のご文章
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに
凡そはかなきものは、この世の始中終、幻のごとくなる一期なり。
されば未だ万歳(まんざい)の人身(じんしん)を受けたりという事を聞かず、一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。吾や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は本(もと)の雫(しずく)・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬればふたつの眼(まなこ)たちまちに閉じ、ひとつの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)の装を失いぬるときは六親、眷属集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかいなれば、誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて阿弥陀仏を深くたのみまいらせて念仏申すべきものなり。
浄土真宗・蓮如上人のお言葉。
父を真宗式で送ったので、お通夜でこのお言葉を聞きました。
ああなんて「無常」という単語を美しく表現されるのだろうと感動したのを覚えています。
参考文献
自死という生き方 覚悟して逝った哲学者
(須原一秀 双葉社 2008 ISBN 978-4-575-29998-4)
死と身体 コミュニケーションの磁場
(内田樹 医学書院「ケアをひらく」シリーズ 2004 ISBN 978-4-260-33366-5)