2006年12月05日
身体を置き去りにするな
一度は「およそ3」などという、どう考えても子供をバカにしているとしか思えない表記にされ世界中の失笑を買った(に違いない)円周率が、また3.14に戻されるようです。
当ったり前じゃねーか(笑)
3.14だっていい加減過ぎるんだぞ本来は。
子供達の混乱を避けるための配慮でした、って、要は子供のアタマの出来を見くびってたってだけの話でしょ?教えて文部科学省のエライ人。
円周率の「およそ3」問題はつい最近のことで、だから直接の関わりはないのかもしれないけれども、学生全般の「学力低下」が叫ばれて久しいですよね。
その一方で、「体力低下」について警鐘を鳴らす人があまりに少ないという事実に、どうしようもなく違和感と危機感を覚えてしまう夕顔でございます皆様こんにちは(←前振り長過ぎ)。
メタボリックシンドロームとやらのカタカナ語が、健康オタク御用達「日経health(←ちなみに愛読してます)」や「ゆほびか」などの雑誌のみならず、一般の雑誌にまでも踊る今日この頃なワケですが。
<以下チラプの裏>
めたぼりっくしんどろーむ、ねえ。
うちのIMEは、ユーザーの体型を考慮したのか「目た簿リック新度ローム」とか誤変換を起こしやがりました。変な配慮は無意味だぜベイベー。つーかどこの言葉だそれは(汗)
<以上チラプの裏>
「あるある」とかで散々ネタにされてる以上、内臓脂肪を溜めすぎるとどうやら身体に良くないらしい、つーことくらい判っている方は多いでしょう。
さらに「ミラクルシェイプ」などの実践的ダイエット番組もけっこうな視聴率を稼いでいるようですし...って別にわたくしが永井マサルのファンだから言うわけじゃありませんよ決して!(爆)
そんなこんなで世にはメタボリックシンドロームの怖さ&太っていることはオソロシイといったようなことを啓蒙するメディアが溢れているようなんでございますが。
内臓脂肪は怖いねとか、運動は大事なんだねとか、正しいダイエットは効果があるんだねとか。
そういう結論だけじゃいかんと申し上げたい。
それで終わってしまってはいかんのですよ。
そもそも日本人て、身体のことには余り頓着しないのが伝統というか。
昔、お貴族さま(公家)は、学問と芸能に秀でていることが良いとされていました。
芸能って、和歌を詠んだり楽器を演奏したりとかそういう方面ね。
唯一、蹴鞠が運動らしい運動じゃん!と思ったんですが、どうもあれは「和」とかそっち方面を重視する、一種のコミュニケーションツールであったらしく。蹴鞠からは決してロナウジーニョも田中マルクス闘莉王も生まれないってことですね(笑)
身体を動かして仕事をするのは、やんごとない方々ではないってことで。うーん、インドア派だったのね、貴族って。
しかも文献で見る限り、あの方達の移動手段てば...「牛車」。
貴族の皆さん!歩きましょうよ!!
この世をば我が世と思う望月の欠けたることのなしと思えば
などと、ホ○しろまるエモンでも詠まないようなトンデモオレサマ系な歌を詠んだことで知られる藤原道長は晩年糖尿病だったって説もありますし。
どう考えたって運動不足ですよ貴族の皆さん!
壮絶ながん闘病のすえに世を去った故・池田貴族氏に申し訳ないと思いませんか?
水戸のご老公だって助さん格さん八兵衛と歩いて諸国を漫遊されてますよっ!...ってあの人は貴族じゃない(お武家様です)うえにテレビドラマの話をしてもしょうがないわけですが。しかも時代違うし。じゃーなーくーてー。
そもそも貴族の身体能力(危機管理能力?)が余りにもお粗末だったからこそ生まれたのが、荘園等個人資産の守り手としての武装集団、武士だったわけで。
荘園に入り込むごろつきと戦い、守るということはすなわち人を殺めるという意味でもあり、自分の手を汚すなんて、死を穢れとして認識しているお公家様には逆立ちしたってできないことだったんですね。
自分は汚いことするのが嫌だからほかのやつらに任せちゃえ、って論法。卑怯ですね。
で、嫌なことを押し付けた挙句、その穢れの論理ゆえに貴族は武士を蔑むわけですよ奥さん。さらに卑怯なり貴族。
かわいそうすぎるぞ武士!
許せないぞ貴族!
自分は手を汚さずに、汚れ仕事を押し付けた相手を蔑むなんて、えーい、天にかわっておしおきだ!
と、相当感情移入してるのにはワケがありまして。
かつて我が家のトイレが詰まった時、何もできずうろうろするだけの産業廃棄物旦那に業を煮やしたわたくしは、ゴム手袋一枚で便器内容物(控えめな表現に留めてみました)を掻き出すという手段をもって事態の解決を図りました。
無事にトイレは開通したんですが、その際に産業廃棄物旦那は
「うわお前、きったねー」とのたまったんですね。
平安のお貴族さまかお前は!と大いにぶち切れたわたくしは、汚物まみれの手袋を投げつけたい衝動を我慢するのに非常な努力を要したんですよ奥さん!!
耐えたわたくしを誰か褒めてください(涙)
閑話休題。
そんなわけで。きっと武士も貴族に対して、斬った盗賊の血にまみれた刀や鎧を投げつけたくなるときがあったんじゃないか、いやあったに違いない、絶対にあった筈だと勝手に想像して勝手に同情しているのですが(笑)
ともあれ、不当な扱いを受け続けてそれに甘んじていられるほど武士は弱くなかった。
力あるものが上に立つのは必定。そうして、武家政治に日本史は突入するのだけれど。
まあ、戦国の動乱が過ぎてしまえば豪華絢爛な文化が隆盛し、貴族のような生活を始める武士も多いワケで。平清盛然り、足利将軍家然り、江戸幕府の末期然り。ってこれは余談ですけど。
えーと。
つまり何が言いたいかというと。
日本人の身体(身体能力)に対する意識ってのは、平安のお貴族さまとそうたいして変わってないじゃないかってことなんすけどね。
日本人の体格が小柄(欧米に比べて)なのは、アジア系人種の特徴もあるだろうけど、伝統的に身体に無頓着だったことと無関係ではないだろうと思うんですがどうでしょう。
島国でほぼ単一民族であるということは、他民族との争いや侵略、略奪に怯える必要がないということでもある。
大陸系の民族は、常に侵略と略奪の不安と戦わざるを得なかったわけで、そのことが皮肉にも身体能力を高める結果につながったのではないでしょうか?
大量破壊兵器など存在もしない時代において、戦いは常に「兵力」に頼らざるを得ず、つまり有事に備えるということはすなわち兵士の能力を高めることに他ならないわけで。
優雅に歌だなんだと詠んでる場合じゃないんですよ奥さん。
久方の光のどけき春の日にしずこころなく花の散るらむ とか言ってる場合じゃない。
久方にのどかな日差しの日になろうが土砂降りの雨だろうが、目の前の敵は消えてなくならないんですよ。
どっちが勝つか負けるかよりも。
サバイバルゲームじゃない以上、己に突きつけられるのは模擬刀ではなく、ほんものの槍や刀。
斬られれば死ぬ。
誰だって生き残りたい。
だから、生きるために戦う。
それがいいことか悪いことかはともかくとして、戦わざるを得ない状況が大陸系の民族の皆さん(主に兵士)の前にあったと。
で、視点をちょっと変えてみましょう。
危険とは無縁であったにもかかわらず、そんな日本の学校教育に体育という教科があるという事実。
これは不思議じゃないですか?
えーと、長いんで分けます。以下次回。
当ったり前じゃねーか(笑)
3.14だっていい加減過ぎるんだぞ本来は。
子供達の混乱を避けるための配慮でした、って、要は子供のアタマの出来を見くびってたってだけの話でしょ?教えて文部科学省のエライ人。
円周率の「およそ3」問題はつい最近のことで、だから直接の関わりはないのかもしれないけれども、学生全般の「学力低下」が叫ばれて久しいですよね。
その一方で、「体力低下」について警鐘を鳴らす人があまりに少ないという事実に、どうしようもなく違和感と危機感を覚えてしまう夕顔でございます皆様こんにちは(←前振り長過ぎ)。
メタボリックシンドロームとやらのカタカナ語が、健康オタク御用達「日経health(←ちなみに愛読してます)」や「ゆほびか」などの雑誌のみならず、一般の雑誌にまでも踊る今日この頃なワケですが。
<以下チラプの裏>
めたぼりっくしんどろーむ、ねえ。
うちのIMEは、ユーザーの体型を考慮したのか「目た簿リック新度ローム」とか誤変換を起こしやがりました。変な配慮は無意味だぜベイベー。つーかどこの言葉だそれは(汗)
<以上チラプの裏>
「あるある」とかで散々ネタにされてる以上、内臓脂肪を溜めすぎるとどうやら身体に良くないらしい、つーことくらい判っている方は多いでしょう。
さらに「ミラクルシェイプ」などの実践的ダイエット番組もけっこうな視聴率を稼いでいるようですし...って別にわたくしが永井マサルのファンだから言うわけじゃありませんよ決して!(爆)
そんなこんなで世にはメタボリックシンドロームの怖さ&太っていることはオソロシイといったようなことを啓蒙するメディアが溢れているようなんでございますが。
内臓脂肪は怖いねとか、運動は大事なんだねとか、正しいダイエットは効果があるんだねとか。
そういう結論だけじゃいかんと申し上げたい。
それで終わってしまってはいかんのですよ。
そもそも日本人て、身体のことには余り頓着しないのが伝統というか。
昔、お貴族さま(公家)は、学問と芸能に秀でていることが良いとされていました。
芸能って、和歌を詠んだり楽器を演奏したりとかそういう方面ね。
唯一、蹴鞠が運動らしい運動じゃん!と思ったんですが、どうもあれは「和」とかそっち方面を重視する、一種のコミュニケーションツールであったらしく。蹴鞠からは決してロナウジーニョも田中マルクス闘莉王も生まれないってことですね(笑)
身体を動かして仕事をするのは、やんごとない方々ではないってことで。うーん、インドア派だったのね、貴族って。
しかも文献で見る限り、あの方達の移動手段てば...「牛車」。
貴族の皆さん!歩きましょうよ!!
この世をば我が世と思う望月の欠けたることのなしと思えば
などと、ホ○しろまるエモンでも詠まないようなトンデモオレサマ系な歌を詠んだことで知られる藤原道長は晩年糖尿病だったって説もありますし。
どう考えたって運動不足ですよ貴族の皆さん!
壮絶ながん闘病のすえに世を去った故・池田貴族氏に申し訳ないと思いませんか?
水戸のご老公だって助さん格さん八兵衛と歩いて諸国を漫遊されてますよっ!...ってあの人は貴族じゃない(お武家様です)うえにテレビドラマの話をしてもしょうがないわけですが。しかも時代違うし。じゃーなーくーてー。
そもそも貴族の身体能力(危機管理能力?)が余りにもお粗末だったからこそ生まれたのが、荘園等個人資産の守り手としての武装集団、武士だったわけで。
荘園に入り込むごろつきと戦い、守るということはすなわち人を殺めるという意味でもあり、自分の手を汚すなんて、死を穢れとして認識しているお公家様には逆立ちしたってできないことだったんですね。
自分は汚いことするのが嫌だからほかのやつらに任せちゃえ、って論法。卑怯ですね。
で、嫌なことを押し付けた挙句、その穢れの論理ゆえに貴族は武士を蔑むわけですよ奥さん。さらに卑怯なり貴族。
かわいそうすぎるぞ武士!
許せないぞ貴族!
自分は手を汚さずに、汚れ仕事を押し付けた相手を蔑むなんて、えーい、天にかわっておしおきだ!
と、相当感情移入してるのにはワケがありまして。
かつて我が家のトイレが詰まった時、何もできずうろうろするだけの産業廃棄物旦那に業を煮やしたわたくしは、ゴム手袋一枚で便器内容物(控えめな表現に留めてみました)を掻き出すという手段をもって事態の解決を図りました。
無事にトイレは開通したんですが、その際に産業廃棄物旦那は
「うわお前、きったねー」とのたまったんですね。
平安のお貴族さまかお前は!と大いにぶち切れたわたくしは、汚物まみれの手袋を投げつけたい衝動を我慢するのに非常な努力を要したんですよ奥さん!!
耐えたわたくしを誰か褒めてください(涙)
閑話休題。
そんなわけで。きっと武士も貴族に対して、斬った盗賊の血にまみれた刀や鎧を投げつけたくなるときがあったんじゃないか、いやあったに違いない、絶対にあった筈だと勝手に想像して勝手に同情しているのですが(笑)
ともあれ、不当な扱いを受け続けてそれに甘んじていられるほど武士は弱くなかった。
力あるものが上に立つのは必定。そうして、武家政治に日本史は突入するのだけれど。
まあ、戦国の動乱が過ぎてしまえば豪華絢爛な文化が隆盛し、貴族のような生活を始める武士も多いワケで。平清盛然り、足利将軍家然り、江戸幕府の末期然り。ってこれは余談ですけど。
えーと。
つまり何が言いたいかというと。
日本人の身体(身体能力)に対する意識ってのは、平安のお貴族さまとそうたいして変わってないじゃないかってことなんすけどね。
日本人の体格が小柄(欧米に比べて)なのは、アジア系人種の特徴もあるだろうけど、伝統的に身体に無頓着だったことと無関係ではないだろうと思うんですがどうでしょう。
島国でほぼ単一民族であるということは、他民族との争いや侵略、略奪に怯える必要がないということでもある。
大陸系の民族は、常に侵略と略奪の不安と戦わざるを得なかったわけで、そのことが皮肉にも身体能力を高める結果につながったのではないでしょうか?
大量破壊兵器など存在もしない時代において、戦いは常に「兵力」に頼らざるを得ず、つまり有事に備えるということはすなわち兵士の能力を高めることに他ならないわけで。
優雅に歌だなんだと詠んでる場合じゃないんですよ奥さん。
久方の光のどけき春の日にしずこころなく花の散るらむ とか言ってる場合じゃない。
久方にのどかな日差しの日になろうが土砂降りの雨だろうが、目の前の敵は消えてなくならないんですよ。
どっちが勝つか負けるかよりも。
サバイバルゲームじゃない以上、己に突きつけられるのは模擬刀ではなく、ほんものの槍や刀。
斬られれば死ぬ。
誰だって生き残りたい。
だから、生きるために戦う。
それがいいことか悪いことかはともかくとして、戦わざるを得ない状況が大陸系の民族の皆さん(主に兵士)の前にあったと。
で、視点をちょっと変えてみましょう。
危険とは無縁であったにもかかわらず、そんな日本の学校教育に体育という教科があるという事実。
これは不思議じゃないですか?
えーと、長いんで分けます。以下次回。
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