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2006年04月01日

帰りたいけど帰れない

またえらくほったらかしてました...
別に放置プレイ推奨なわけじゃないんですけどね?


で、またお仕事の話なんかをしてみようかな、と。


今日は認知症階の担当でした。
Tさんというおばーちゃんがいます。御年96歳、1年前から急激に認知症が進行し、自分の名前以外の認識が非常に危うい方です。(ややこしいですが以前のエントリで書いた救急搬送したTさんとは別人です)
そのTさんが、急に困った顔で相談に来ました。

「おねーさん、私ね、明治なんですよ」
確かに明治生まれだよな、と思い「そうですね」と返事するとTさんは
「なのに気がついたら大正なんですよ。いる部屋がなくなっちゃって...明治に還してくれませんかねぇ、私の居場所がありますんで」

...大正どころか昭和も終わっちゃってるんですけど(汗)
も、笑いを我慢するのがえらく大変でした。


認知症という「状態」があります。
以前のエントリにも書いたことですが、以前は痴呆症とかボケとか表現されていたこの状態は、「単に物忘れが酷い状態」を指すものではなく、「日常生活のお約束が徐々に通用しなくなってゆく状態」を指すものです。
それは記憶野が緩慢に、しかし確実にその用をなさなくなってゆくさまと言い換えてもよく、ご本人にとっては常に何かが判らない、しかもすっきり解決しない状態が延々続くわけです。
現場にいるものの実感として、プライドが高ければ高いほど、そして何事もきっちりしていなければすまない性格であった方ほど、自身の状態への不安と現状への否認は強く起こるようです。
そして人は(控えめに言っても、多くの人は)、常に不安に囲まれた状態で安穏と暮らせるほどには強くもなく、さらにその不安の原因が自分自身にあると自覚できるほどには悟りを開けないものです。
しかも大体において、老いて衰える己を受容できる人など、いるはずもなく。
結果どういうことが起こるかというと。
安心を得ようとして行動を起こすか、安心できる物語に縋ろうとするわけです。

認知症の周辺症状のひとつに「物取られ妄想」というのがあります。
人生相談などで目にしたことがある方もいるのではないかと思いますが、単純に図式化すると、お年寄りが「物を取られた」と言い張り周囲を泥棒扱いするというものです。
この事象における客観的な事実は、お年寄り当人が「物(その多くは財布)を置いた場所が判らなくなった」ということのみです。
しかし当人はそうは認めない。「どこにあるか判らない」ということが自分の記憶力の低下に起因することだと認められず、その結果認識にズレが生じます。

つまり、「物がない」=誰かが取った(あるいは隠した)という決め付けがおこるのです。

大体において、疑われるのは近くにいる誰かです。
疑われたほうにとっては迷惑この上ない話ですが、疑っているほうとしてはその解釈が一番「安心できる」(安心という表現に語弊があるなら、「納得できる」と言い換えてもいいですが)「物語」なのです。
妄想というのは、事実でないことをそうと思い込み修正できない状態を指すものですが、修正できようはずもないのでしょう。
なにしろことは己のアイデンティティに関わるのですから。

そして物取られ妄想と同じくらいに厄介なのが「帰宅願望」です。
施設に勤務していて、特に認知症のお年寄りから「帰りたいので迎えを寄越してください」とか「今から帰ります、家の者も心配していると思うので」といった訴えを耳にしない日はありません。
その家の者がここのサービスを利用させているんですけどというツッコミは無粋すぎる上、当人を混乱させるだけの効果しかないので言いませんけど。つか、それを言えるとしたら、その神経は人としてどうなんだ(汗)
で、入所期間が終了したらお年寄りは家に帰るんですが、家族が迎えに来た時にそれとなく聞いた限りでは、大抵の人が家でも「帰りたい」と言っているらしいんですね。

きっと、彼女達にとって帰りたい家というのはなつかしい子供の頃の家、もっと言うならふるさとなんだろうなと思うのです。

おそらくは記憶にしかないふるさと。
同じ地名の同じ場所に立っても、おそらくはもう見られない景色。
そんなことを考えると切なくなります。

今いるここはどこなのか、今はいつなのか、何をしているのか。
そういったことをまとめて「見当識」といいます。記憶野の働きがなくなっていくのが認知症ですから、当然見当識はボロボロに障害されます。
それゆえ安心できる「場」を求めるということでは、帰宅願望も物取られ妄想も、根底にあるものは同じと言えるでしょう。


認知症を持つ当人の不安と、介護する周囲の困惑と。
どちらも深刻で、どちらも辛いものです。

嫁が財布を盗むと言い張るばーさまと。
盗人扱いされたと悩む介護者と。

そのどちらにとっても、わたくし達の存在が助けになればと願わずにはいられません。
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