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2005年07月

2005年07月27日

しゃべり場より

教室移動のとき、集団のなかでいつも自分が廊下の右端か左端を歩いていて、真ん中の話が聞こえない。[加藤智美さん(14)]


2005年07月26日

奥目死去

05-07-11_17-25.jpg 今夕、またもやぼくにとって衝撃的な訃報が。
「奥目の八ちゃん」こと、岡八朗さんが亡くなったらしい(記事はこちら)。吉本新喜劇で花紀京とのやりとりを毎週土曜の昼に見て育った原体験があるぼくとしては、今の"お笑い"あるいは"芸人"と呼ばれているモノ・人々に何をか言わんや。「通信教育の空手3段」→「スキがあったらかかってこんかい!」ネタは大好きだった。ありがとう、奥目。

台風直撃、との噂があったにも関わらず、朝、出勤途中に少し雨に遭っただけで、関西はとくに影響がなかった。職場的には、今日、明日で予定のあった1年1度の行事を中止(延期)したため、大影響があったのだけど。ま、安全第一ということで。関東はどうなのかな? 最近、ほんとにニュースを見なくなった。
今日の仕事。経理入力。これまで放っておいた書類整理。シュレッダー、大活躍。年度末、年度始めに関わる処理をなんとか終え、落ち着いた仕事を少しずつ始められている状況。やっと。

今日、帰宅してから、阪神−巨人戦(よみうりテレビ)を見ながら、さくらももこひとりずもう』を読み終えたのだけれど、ぼくにとって彼女の本を文庫ではなく単行本で買うこと自体、人生初の出来事で、ちょっと期待しすぎたためか、あまりグッとくるエッセイではなかった。この手の身辺記述エッセイ(少し違うけど原田宗典なども含む。そういや、彼はあんまり今書いてないのかな)は、何年か前ならいざ知らず、今ではこうしたblogで(ぼくも含めて)猫も杓子も書いてるし、それを読めるから、そこでの+αがプロの作家には求められるわけだけど、青春をテーマにした今作についてはその+αに勢いと力がなかった。いや、たぶん、文庫なら、けっこう納得いったと思うのだけど。
基本的に、ぼくはさくらももこという人を評価しています。とくに、あのときどき見受けられる曼陀羅を彷佛とさせるデザイン力。あの画力で世界を一瞬全部見たような気にさせるのはすごい。その世界というのは、あくまで身辺近辺で、それが良いところだと思うけれど。

ひとりずもう
posted with 簡単リンクくん at 2005. 7.27
さくら ももこ / さくら ももこ著 / さくら ももこ著
小学館 (2005.8)
通常24時間以内に発送します。



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名古屋への旅【第1日目】7月11日(月)のつづき

愛・地球博行きは、あくまでも「ついで」で、今回の旅の目的は、ぼくの思い出の地巡りツアーだったため、栄の出口で高速を下りて、まず向かったのは、池下のPEGGYという喫茶店。本来なら、ぼくが名古屋在住の1年半ほとんど毎日通い詰めた今池の「名曲喫茶スギウラ」に行くべきなのだけど、もうすでに何年か前に閉店してしまったという話を聞いていたので、予備校までの通学路であった水道みち沿いにあるPEGGYに行ってみた。途中、ぼくが当時バイトしていた小さな新刊書店・池下有隣堂のあった道路を通ったら、そこはエロDVD屋になっていた。当然の帰結か。でも、ちょい悲しかった。店ではマンデリンを注文。窓からは、ドラゴンズ帽を被った小学生が下校中。名古屋に来た実感が伴った一瞬。
店を出て、辺りを少し見回してみたら、遠くに東山給水塔がそびえ立っていた。あそこは確か春分の日と8月8日だけ一般公開されていて、ぼくも春分の日に昇り、名古屋の街の違う側面を見たことがあった。そして、その塔の近くの鉈薬師というお堂で、ぼくはよく本を読みながら人と待ち合わせをしていたことを思い出した。駅からはだいぶ離れたところにあるのだけど。
そして、ぼくが名古屋在住のほとんどの期間を過ごした鍋屋上野町字東脇のアパートへ向かう。途中、イチローの母校でもある愛工大名電や、ぼくが食料品を調達していたネクサスシンポ(スーパーマーケット)や、ぼくが大江健三郎『キルプの軍団』(岩波書店)を注文したところから店の人と話し始めた左寄りの本ばかり並べていた加藤書店(閉店していた)や、電話のなかったぼくが通っていた電話ボックスのある
上野公園
、そしてその前にあるおもにマンガを購入していた古本屋(奇跡的にまだ開店してた)を横目に見ながら、アパートに到着。
そのアパートは、一応「くろまるくろまるくろまる荘」という名は付いているけれど、明らかに昔は「蔵」として使っていた建物を改造した部屋が4つしかない(うち1階は当時も大家さんの倉庫になっていた)2階建の家で、ぼくは北側の部屋に住んでおり、最初、南側には名大(名古屋大学)生が入っていたけれど、ぼくのせいなのかは不明
なままだったが、すぐに出て行き、そのうちぼくが2部屋とも実質占拠していたという風呂ナシ、トイレ&洗面所兼炊事場(兼ときに浴槽...)があるだけの6畳一間で、当時、家賃2万円弱という部屋だった(洗濯機は、大家さんの家のものを使わせてもらっていたり、洗濯物を干すのも大家さんの庭というか畑にあった物干竿を使わせてもらっていた)。
駅からは遠く(覚王山からも池下からも徒歩だと2,30分はかかったのではないだろうか?)、でも、名古屋市内なのに、住所が「千種区鍋屋上野町字東脇」ということからもわかるように、良いように言えば閑静、
悪くいえば何もない、けれど、ぼくにとっては、ある意味「城」だったそのアパートは、今はもう誰も住んでいないようで、裏にあった畑にも家が建っていたりして、車を停めて、しばらくぼんやりと立っていた。

今日の画像は、名古屋港にて。

(つづく)



2005年07月25日

夕立ち後の七夕(BlogPet)

きのう、滞納したかった。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「すべかわち」が書きました。


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2005年07月24日

氷いちご

みなさん、お久しぶりです。暑さにメゲず、お元気でしたか?
もうどこから何から書いていいのかよくわからないぐらいに書いていない日が溜まっているけれど、とりあえずまた再開です。ぼくは少々バテ気味だけど、とりあえず元気です。

まず最初にお礼、2つ。
ひとつ目のお礼は、右→にラクガキってくれた、404613さんと、ばくだんさん。遅まきながらありがとう。ほんとうに、みんな、よくマウスできれいに描くのでびっくりしています。
そして、ふたつ目のお礼は、ぼくが7月10日(もう2週間も前になる)に『雪牢』(第5部)を書いたとここで報告したのだけれど、それを読んでくれた「BETA TALK」のkjさんが、ものすごく嬉しい批評をそのblog上で書いてくれたこと(それも作品を発表した当日に!)。批評というのは、やっぱり励みになるんだと思った。作品と批評は両輪であるのかもしれない、とくにぼくのような未完成で(完結してない、という意味ではなく)稚拙なものである作品にとっては、「補完」とは全然違う要素で。ほんとうにヒジョーに励みになりました。
ぼくは、ただほんとうに好き勝手に、後先考えず、どこからか聞こえる小さな声を頼って文章化しているに過ぎないのだけどそれをこうしてきちんと評されると、作品のなかでのささいな出来事が、会話が、動きが、光景が、書いているぼく自身にとってもより、鮮明に見えてくる。

以前から少しずつ読んでいる加藤典洋僕が批評家になったわけ
』(岩波書店)で述べられていることは、批評とは「自由参加の、どこからもはじめられる言語のゲーム」である、ということが大筋なわけだけども、つまりその1冊の本、ひとつの文、ひとつの絵、ひとつの音楽...、それらそれぞれについて、ある人が、それひとつしか知らなくても、1,000冊の本、1,000枚の絵、1,000曲の音楽を読み、聴いた人と同じ立場・土俵で語り始めることができるもの、それが批評だ、と言っているわけで、ぼくはこういうことを述べるときの加藤さんの語り口は甘美という意味でも、甘っちょろいという意味においても、とても賛同できるし支持するのだけど、それは、例えば、批評だけじゃなくて、創作の場においては、もっともっと前段階で「何も知らなくても」書き始められる領域であって、批評というものは、そうしてボヤケながらとりあえず世に出されたものを鮮明にしてくれるものだということを、今回、ぼくはkjさんのおかげで改めて実感することになった
もちろん、ぼくは『雪牢』を文学学校の授業で合評されることを前提に書いているわけだけれど、その合評と言うのは、いつも口頭でしか行われず、そして、もちろんぼくもそうなりがちだけれど、言い回しや文章それ自体、そして構成などに関してあーだ、こーだ、と言い合う時間がほとんどで、自分の作品についての感想、評を、ここまで文章化してくれたのは今回のkjさんが初めてだった。

加藤 典洋
岩波書店 (2005.5)
通常24時間以内に発送します。


そういえば、ぼくが小説をそれなりにきちんと書いたのは、今回の『雪牢』が初めてなのだけど、それまでに一度だけ(12、3年近く前)わりと多くの人に見てもらうことを前提で書いた作品があった。
それはほんの数十枚の短い作品だけれど、作品名を『氷いちご』といって、ある人には「甘ったるい少女小説(そういうジャンルがあるのかどうかは別として)のようだ」と言われたけれど、それはぼくが予備校時代に出していたプチ同人誌(誌名「撞木(しゅもく)」)に、誰も投稿してくれる人がいないために無理矢理書いたもので、ただ、妙な予備校だったため、その作品を現代文の授業で問題文として扱ってくれ(問題は講師が考えてくれた)、そこに作者であるぼくも居合わせるという経験をしたことがある。
そういう経験は、たぶんプロの小説家でもなかなかできない経験で、照れくさいやら、よくある「傍線の一文について作者の心情を20字以内で述べよ」というような問題で、いろんな人が20字以内で答えてくれたりして、そこではやっぱり、今回のkjさんの評でもそうだけれど、作者が全然意図していないことを読み取ってくれる人もいたりして(その後、講師が作者であるぼくに向かって「どう?合ってる?」と聞いてくれたり)楽しかったりもしたわけなのだけど、...そう、何が言いたいのかというと、ぼくはその『雪牢』を書き上げた翌日から、その予備校のあった名古屋へ旅をした。...そう、そして『氷いちご』の舞台は、1990年に開催された「花の万博(国際花と緑の博覧会@大阪・鶴見緑地)」なわけだけれど、この時期名古屋に行くからには、もちろん「愛・地球博」を訪れるために。

(名古屋への旅のことは、いろいろと長くなりそうなので、またボチボチ書いていきます)
(それ以外のことも、ボチボチ書きます)

*

今日の仕事。
蝉の声が果てしなく聞こえてくる事務所にて、納品書や明細書の整理。経理入力は、なんとか6月分まで終了しました。



2005年07月21日

やっぱり親→子の夜

2005年07月18日

愛・地球博(BlogPet)

きょうすべかわちがここでblogしたの?


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「すべかわち」が書きました。


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2005年07月17日

愛・豊田博

2005年07月14日

愛・地球博

2005年07月11日

ほんとうの水無月が終わる(BlogPet)

きのうは東芝とタイヤにお知らせした。
実は東芝は琵琶湖まで報道するはずだった。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「すべかわち」が書きました。


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