2005年06月
2005年06月27日
出自(BlogPet)
2005年06月22日
朝露に目がゆく朝とは
05-06-22_08-43.jpg 文校の夜。今日はNさんと、Tさんの作品の合評。
気をつけていても(といって、そんなに気をつけているわけではないのだけど)わりと同一的な目で見がち(考えがち)に、どうしてもなってしまうこの日常だけれど、文校にゆくと、やっぱりそんなことは幻想なのだと、良い意味で思い知らされる。それぞれの人が、道や職場や電車ですれ違うどんな人々をもが、みんな違うことを考え、思い、少し悩んだり、少し楽しんだりしていることが、ありありと実感できる。もしかしたら、独りごちる性癖のあるぼくにとっては、小説云々よりも、それこそが文校に通っている意味なのかもしれない。
今日は、家族の介護で忙しかったYさんが、久しぶりに出席してくれてて嬉しかった。
これは、たいへん語弊のある言い方かもしれないけれど、トーキョーにあるナンタラスクールなどとは違って、これまた良くも悪くも、文校には「生活臭」というのがある。そこが、ぼくが惹かれる点でもある。「生活ありき」だということを、絶対に忘れたくない。「夢見る頃を過ぎても」。「過ぎたから」でもなく「過ぎたら」でもなく、「過ぎても」でいたい。
仕事は、相変わらず府庁に提出する決算書類や、職員の勤続年数に関する算定書類などの作成、そして、月末に締めきりが迫っている施設調書の作成。書類の作成が、府庁や市の法人指導課のホームページでエクセルデータをダウンロードできるのは便利なのだけど、データで提出できないのは、やっぱりまだまだだナと思う。パソコン上で作成して、やっぱり印刷して、郵送なり、メール便なりで送らなければならない。でも、この間の厚生労働省に提出した書類は、ネットを通じてデータで提出できたし、遅かれ早かれ、そういう時代が到来するものだと思う。
それにしても、去年の書類を参考にしながら、書類を作成しているのだけど、どれもイイ加減だということがありありと思い知らされる。提出する側(我が職場)も、それを受け取る側(府庁)もイイ加減でOKだった時代、みんなの(ぼくらの、でもあるわけだけど)税金をイイ加減に食い潰す時代は、そろそろ終焉を告げようとしているのに。ボーナスや給料が当たり前に支払われているこういうシステム、それはあるべき、または理想の、そして逆に現実には噛み合っていない点もたくさんあるのだけど、民間の現状とはかけ離れたあり方には、少々疑問。ずっとそう思ってる。いや、もちろん、ぼく個人としては、ものすごく現状維持を願いたいことではあるけれど。
ちなみに、今日、6月22日という日は、ぼくにとって忘れられない日。ずっと、もう、忘れてたフリはしてるけど、絶対に忘れられない日。ぼくの生きる姿勢(なんて大袈裟だけど)を、もう15年以上前になるけれど、その動機づけ(死ぬにしても生きるにしても)を与えてくれた人が生まれた日。その人にこっぴどい目(ぼくが一方的に「悪」なのは確実)に遭わされたにしても、その後の15年間を生き延びさせてくれたのは、その人とのアレコレがあったりなかったりしたからだと思う。
ありがとう。ぼくは、あなたと愛(15歳のだけど)を成就できなかったから、その恨<ハン>で乗り越えられたことがあったように思う。初恋を成就(何をもって「成就」というのかは別として)できた人とできなかった人では、その後の歩む道にそうとう大きな差ができるのではないか?と考えているぼくだけど、成就できなかったおかげで、ぼくはきっと今生かされていると思います。ありがとう。
気をつけていても(といって、そんなに気をつけているわけではないのだけど)わりと同一的な目で見がち(考えがち)に、どうしてもなってしまうこの日常だけれど、文校にゆくと、やっぱりそんなことは幻想なのだと、良い意味で思い知らされる。それぞれの人が、道や職場や電車ですれ違うどんな人々をもが、みんな違うことを考え、思い、少し悩んだり、少し楽しんだりしていることが、ありありと実感できる。もしかしたら、独りごちる性癖のあるぼくにとっては、小説云々よりも、それこそが文校に通っている意味なのかもしれない。
今日は、家族の介護で忙しかったYさんが、久しぶりに出席してくれてて嬉しかった。
これは、たいへん語弊のある言い方かもしれないけれど、トーキョーにあるナンタラスクールなどとは違って、これまた良くも悪くも、文校には「生活臭」というのがある。そこが、ぼくが惹かれる点でもある。「生活ありき」だということを、絶対に忘れたくない。「夢見る頃を過ぎても」。「過ぎたから」でもなく「過ぎたら」でもなく、「過ぎても」でいたい。
仕事は、相変わらず府庁に提出する決算書類や、職員の勤続年数に関する算定書類などの作成、そして、月末に締めきりが迫っている施設調書の作成。書類の作成が、府庁や市の法人指導課のホームページでエクセルデータをダウンロードできるのは便利なのだけど、データで提出できないのは、やっぱりまだまだだナと思う。パソコン上で作成して、やっぱり印刷して、郵送なり、メール便なりで送らなければならない。でも、この間の厚生労働省に提出した書類は、ネットを通じてデータで提出できたし、遅かれ早かれ、そういう時代が到来するものだと思う。
それにしても、去年の書類を参考にしながら、書類を作成しているのだけど、どれもイイ加減だということがありありと思い知らされる。提出する側(我が職場)も、それを受け取る側(府庁)もイイ加減でOKだった時代、みんなの(ぼくらの、でもあるわけだけど)税金をイイ加減に食い潰す時代は、そろそろ終焉を告げようとしているのに。ボーナスや給料が当たり前に支払われているこういうシステム、それはあるべき、または理想の、そして逆に現実には噛み合っていない点もたくさんあるのだけど、民間の現状とはかけ離れたあり方には、少々疑問。ずっとそう思ってる。いや、もちろん、ぼく個人としては、ものすごく現状維持を願いたいことではあるけれど。
ちなみに、今日、6月22日という日は、ぼくにとって忘れられない日。ずっと、もう、忘れてたフリはしてるけど、絶対に忘れられない日。ぼくの生きる姿勢(なんて大袈裟だけど)を、もう15年以上前になるけれど、その動機づけ(死ぬにしても生きるにしても)を与えてくれた人が生まれた日。その人にこっぴどい目(ぼくが一方的に「悪」なのは確実)に遭わされたにしても、その後の15年間を生き延びさせてくれたのは、その人とのアレコレがあったりなかったりしたからだと思う。
ありがとう。ぼくは、あなたと愛(15歳のだけど)を成就できなかったから、その恨<ハン>で乗り越えられたことがあったように思う。初恋を成就(何をもって「成就」というのかは別として)できた人とできなかった人では、その後の歩む道にそうとう大きな差ができるのではないか?と考えているぼくだけど、成就できなかったおかげで、ぼくはきっと今生かされていると思います。ありがとう。
2005年06月20日
上原隆という人(BlogPet)
きょうは取り扱いとか発送したかもー。
ただきょう毎日新聞社の、ルポみたいな予想するはずだったみたい。
ただすべかわちはボンへ新潮社がボンでカッコっぽい組織したよ♪
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「すべかわち」が書きました。
ただきょう毎日新聞社の、ルポみたいな予想するはずだったみたい。
ただすべかわちはボンへ新潮社がボンでカッコっぽい組織したよ♪
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「すべかわち」が書きました。
2005年06月15日
名づけない、ということ
05-06-02_18-55.jpg 文校の日。
今日も『樹林』(在特号)に掲載された「箱の中の子守歌」という作品についての合評。日曜よりも作者と近い感じで話せたのが良かった。何より印象に残っているのは「主人公には名前を付けない」と言っていた作者のことば。浅いようで、これほど深くクールな作者のことばってのはないんじゃないだろうか。
今日も『樹林』(在特号)に掲載された「箱の中の子守歌」という作品についての合評。日曜よりも作者と近い感じで話せたのが良かった。何より印象に残っているのは「主人公には名前を付けない」と言っていた作者のことば。浅いようで、これほど深くクールな作者のことばってのはないんじゃないだろうか。
2005年06月13日
『樹林』<在特号>合評会
昨日の文校の機関誌『樹林(じゅりん)』<在学生特別号(略称:在特号)>の合評会は、なかなか刺激的なものだった。
ぼくたちが選んだ作品の作者を交えての合評だということはもちろんなのだけど、構成してる人が違うから、いつものクラスの合評の雰囲気とはまた違った牽制や駆け引き、またそれらのない率直な意見交換が、まぁまぁのレベルで行えたと思う。合評会後の飲み会は、残念ながら作者の参加は少なかったけれど、ぼくは体調が芳しくないから少ししたら帰るつもりだったのが、ついつい長居したどころか、きちんと2次会にまで足を運んでいて、ひたすら下ネタなどを連発して女性陣にヒカれたりしていて、帰宅したのは、結局、日付けが変わってからだった。
帰って来てから、また知り合いと電話をしていたら、あっという間に3時前になっていて、泥のように眠る。
寝不足で出勤した休み明けの仕事は、なんとなくグウタラしてしまって、昼休みは休憩室で本気モードで眠ってしまったけど、厚生会の会計報告や賞与の試算表を上司に確認してもらったり、社会保険事務所に提出する、今月新たに入った職員の資格取得届や、先月病欠した人の傷病手当金請求書や、扶養者申請の手続きなどの書類を作成したり、前回の理事会で理事を退任された人に、感謝状や記念品を届けに行ったり、上司が印刷屋に名刺作成を頼んだのだけど、ある職員の肩書きが「生活支援員」であるべきなのに「保育士」になっていて、名刺100枚分、「生活支援員」という小さなシールをぼくが作成し、100枚分切り貼りをしたり、それなりにそれなりの仕事はこなした。
ぼくたちが選んだ作品の作者を交えての合評だということはもちろんなのだけど、構成してる人が違うから、いつものクラスの合評の雰囲気とはまた違った牽制や駆け引き、またそれらのない率直な意見交換が、まぁまぁのレベルで行えたと思う。合評会後の飲み会は、残念ながら作者の参加は少なかったけれど、ぼくは体調が芳しくないから少ししたら帰るつもりだったのが、ついつい長居したどころか、きちんと2次会にまで足を運んでいて、ひたすら下ネタなどを連発して女性陣にヒカれたりしていて、帰宅したのは、結局、日付けが変わってからだった。
帰って来てから、また知り合いと電話をしていたら、あっという間に3時前になっていて、泥のように眠る。
寝不足で出勤した休み明けの仕事は、なんとなくグウタラしてしまって、昼休みは休憩室で本気モードで眠ってしまったけど、厚生会の会計報告や賞与の試算表を上司に確認してもらったり、社会保険事務所に提出する、今月新たに入った職員の資格取得届や、先月病欠した人の傷病手当金請求書や、扶養者申請の手続きなどの書類を作成したり、前回の理事会で理事を退任された人に、感謝状や記念品を届けに行ったり、上司が印刷屋に名刺作成を頼んだのだけど、ある職員の肩書きが「生活支援員」であるべきなのに「保育士」になっていて、名刺100枚分、「生活支援員」という小さなシールをぼくが作成し、100枚分切り貼りをしたり、それなりにそれなりの仕事はこなした。
花開く前の鬱屈(BlogPet)
2005年06月11日
カセットテープ
05-06-02_13-25.jpg 近畿地方、梅雨入り。
...そのことを祝して、というわけでは全然ないけれど、今日はビールを飲みながら日手紙更新。ビールを飲みたい、と思えるほど、体調が回復してきたみたい。
朝から職場の「厚生会」(職場独自の福利厚生システム。システムというほどでもない。職員が月々2,000円ずつ積み立てて、そこから職員旅行や忘年会や慶弔などの費用を捻出する)の遅い17年度最初会議のための会計資料づくり。まったくもってこれも、あまりきちんと整理されていないので、金額が合わずゲンナリ。午後までかかる。その後、賞与(別名、ボーナス!)の計算。去年12月のボーナス時、ぼくは、まだ働き始めて3ヶ月ほどだったので、みんなの4分の1程度しかもらえなかったけど、今回は全額支給される。ヒャッホー。ボーナスが出る職場は2度目だけど、計算してみたら、生涯一のボーナス支給額に。これまた、ヒャッホー。ただ、その使途はすでにほとんど決められていて、学生時の奨学金の返済やら、文校の次期授業料(今のところ、今度の秋からももう1年通うつもり)やら、その他モロモロに当てる予定。
仕事帰りに、ぼくのなかではもう長さが限界をゆうに越えていた髪の毛を切りにZESTへ。2ヶ月と1週間ぶり。今日も担当はIさんで。いつもほとんど坊主なのだけど、それよりもさらに短くしてくれと要求し、それでもさらに髪に流れをつくれと困難な要求を提示する。笑いながらIさんは応じてくれる。
風邪をこじらしていた→病気のとき、ひとり暮らしはツライ→でも、ひとり暮らしはやめられない(ひとりのスペースは手放せない)、というような話から、ぼくの「もし仮に結婚することができたとしても、ぼくは、できれば相手とは別々の家(部屋)に住みたい」という結婚観を話すと、Iさんは笑った。相手と金銭的事情が許すなら、ぼくは本気でそうしたいと願っているのだけど。
帰宅すると、ポストに分厚い封筒が届いていた。差出人を見ると、文校のIチューターから。この間の授業を欠席してしまったから気になっていたのだけど、中には風邪の見舞いと、1本のカセットテープが。そう、『雪牢』の続きが書けなくて、授業前日に作品を送付し、貴重な合評の授業を体調管理不行届きのために欠席した、とんでもなく掟破りなぼくのために、クラスの皆が、ぼくの作品について授業時に発言した内容を録音してくれたらしい。すこぶる感激。すこぶる感謝。ありがとう、ほんとうに、ありがとう。
トイレに行くよりもまず、着替えるよりもまず、ビールに片手が伸びる前にまず、ラジカセの前に正座し(それはウソだけど、ほんとうにそういう気分ではあった)、みんなの声に耳を傾ける。
右→からダウンロードして読んでもらえた人にはわかってもらえると思うけれど、『雪牢』(第4部)でみんなの意見が集中した点は以下の通り。
こんなところです。
aについては、「変でしょー」っていうのは、「でしょー」という語尾をつける名古屋弁というのか、三重弁というのか、そういう言い方があって、これはとくに女性語というわけではないのだけど、知らない人にとってはそう読めてしまうのかもしれない。あとの指摘は、すべて素直に認めるところだけど、とくに指摘してもらって良かったのは、dについてで、確かに、自分のことで精一杯で視野の狭い主人公(「わたし」)像をこれまでつくってきたのに、この描写だけで台無しにしてしまう可能性があったことを反省。
それにしても、作品を前日に送りつけてしまったのに、みんながていねいに読んでくれていることに、改めて脱帽。そして、感謝。このテープは、ぼくの一生の宝物になります。ほんとうにありがとう。
およそ、4、50分のテープを聴き終えた後、その感謝の念を伝えたい気持ちが強く起こって、当日出席して、作者不在のままに意見をテープに向かって述べてくれていたクラスの皆7人にハガキを書き、興奮覚めやらぬまま、さっきポストに投函してきた。
...そのことを祝して、というわけでは全然ないけれど、今日はビールを飲みながら日手紙更新。ビールを飲みたい、と思えるほど、体調が回復してきたみたい。
朝から職場の「厚生会」(職場独自の福利厚生システム。システムというほどでもない。職員が月々2,000円ずつ積み立てて、そこから職員旅行や忘年会や慶弔などの費用を捻出する)の遅い17年度最初会議のための会計資料づくり。まったくもってこれも、あまりきちんと整理されていないので、金額が合わずゲンナリ。午後までかかる。その後、賞与(別名、ボーナス!)の計算。去年12月のボーナス時、ぼくは、まだ働き始めて3ヶ月ほどだったので、みんなの4分の1程度しかもらえなかったけど、今回は全額支給される。ヒャッホー。ボーナスが出る職場は2度目だけど、計算してみたら、生涯一のボーナス支給額に。これまた、ヒャッホー。ただ、その使途はすでにほとんど決められていて、学生時の奨学金の返済やら、文校の次期授業料(今のところ、今度の秋からももう1年通うつもり)やら、その他モロモロに当てる予定。
仕事帰りに、ぼくのなかではもう長さが限界をゆうに越えていた髪の毛を切りにZESTへ。2ヶ月と1週間ぶり。今日も担当はIさんで。いつもほとんど坊主なのだけど、それよりもさらに短くしてくれと要求し、それでもさらに髪に流れをつくれと困難な要求を提示する。笑いながらIさんは応じてくれる。
風邪をこじらしていた→病気のとき、ひとり暮らしはツライ→でも、ひとり暮らしはやめられない(ひとりのスペースは手放せない)、というような話から、ぼくの「もし仮に結婚することができたとしても、ぼくは、できれば相手とは別々の家(部屋)に住みたい」という結婚観を話すと、Iさんは笑った。相手と金銭的事情が許すなら、ぼくは本気でそうしたいと願っているのだけど。
帰宅すると、ポストに分厚い封筒が届いていた。差出人を見ると、文校のIチューターから。この間の授業を欠席してしまったから気になっていたのだけど、中には風邪の見舞いと、1本のカセットテープが。そう、『雪牢』の続きが書けなくて、授業前日に作品を送付し、貴重な合評の授業を体調管理不行届きのために欠席した、とんでもなく掟破りなぼくのために、クラスの皆が、ぼくの作品について授業時に発言した内容を録音してくれたらしい。すこぶる感激。すこぶる感謝。ありがとう、ほんとうに、ありがとう。
トイレに行くよりもまず、着替えるよりもまず、ビールに片手が伸びる前にまず、ラジカセの前に正座し(それはウソだけど、ほんとうにそういう気分ではあった)、みんなの声に耳を傾ける。
右→からダウンロードして読んでもらえた人にはわかってもらえると思うけれど、『雪牢』(第4部)でみんなの意見が集中した点は以下の通り。
a.(P.1)「うん、望んでた。変でしょー...」、「変でしょー」は男性の発話なのに女性語に読める。
b.(P.1〜2)イーくんが、母親からの暴力を「望んでた」という心情は、理解できない、屈折している。or 理解できる。
c.(P.2後半)「悪いのはわたしだ。わたし一人で充分なんだ」という「わたし」の心情は、理解できない、屈折している。
d.(P.2後半)「テレビのニュースで...」の部分。ここまで良くも悪くも閉鎖的な「わたし」の自己完結型なある種モノローグで書かれてきたのに、突然、「テレビのニュース」という比較対象をもってくることは、この作品にそぐわない。作品の雰囲気を壊す。
e.(P.3)「わたしも、コアラは初めて見る」から以降9行は秀逸。とくに会話のリズム。
f.(P.4)「味噌煮込みうどん」についての描写が欲しい。
g.(P.4〜)エレベーターを昇ってから見える風景描写。もう少し丁寧に or クドい。
h.(P.5)「けれど」の乱発が目立つ。
i.(P.5)「三六〇度、...」の段落の描写は良い。
こんなところです。
aについては、「変でしょー」っていうのは、「でしょー」という語尾をつける名古屋弁というのか、三重弁というのか、そういう言い方があって、これはとくに女性語というわけではないのだけど、知らない人にとってはそう読めてしまうのかもしれない。あとの指摘は、すべて素直に認めるところだけど、とくに指摘してもらって良かったのは、dについてで、確かに、自分のことで精一杯で視野の狭い主人公(「わたし」)像をこれまでつくってきたのに、この描写だけで台無しにしてしまう可能性があったことを反省。
それにしても、作品を前日に送りつけてしまったのに、みんながていねいに読んでくれていることに、改めて脱帽。そして、感謝。このテープは、ぼくの一生の宝物になります。ほんとうにありがとう。
およそ、4、50分のテープを聴き終えた後、その感謝の念を伝えたい気持ちが強く起こって、当日出席して、作者不在のままに意見をテープに向かって述べてくれていたクラスの皆7人にハガキを書き、興奮覚めやらぬまま、さっきポストに投函してきた。