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岡本法律事務所のブログ

岡山市北区にある岡本法律事務所のブログです。 1965年創立、現在2代めの岡本哲弁護士が所長をしています。 電話086-225-5881 月〜金 0930〜1700 電話が話中のときには3分くらいしてかけなおしください。

カテゴリ:民法 > 法律相談

2019年3月にかいたものですが、2020年10月に手をくわえました。2024年9月11日にミスタッチ訂正。 参考文献に法学教室2024年6月号7頁を追加。

アイコラと名誉毀損罪 法律雑学 刑法各論 刑法230条 弁護士 岡本哲

1 アイコラとは

アイコラはアイドルコラージュの略称であり、ウィキペディアによると(2019年3月1日検索)、アイドルコラージュ(アイドルコラージュ写真、アイドルコラージュ画像)とはアイドルなど有名人の写真を加工し、別の状況にある写真のように作り替えること。またそのような合成画像、を意味している。例えばアイドルの画像の顔の部分と別人のヌード画像の首から下の部分を組み合わせることにより、あたかもそのアイドルのヌード姿のような画像を製作することができる]。このような写真同士を合成させる手法を始め、写真の上から巧妙に絵を描き、衣服を無くしたり透けているように見せる(描きコラ)など多様である。かつては写真や印刷物を手で切り貼りしていたが、近年では、デジタル写真の加工に用いる写真編集ソフトウェアが高性能になっている。パソコンを用いて素人でも比較的簡単に作成が可能である。また近年では静止画像だけでなく動画に対するアイコラも現れている。しかし、自然で優秀なものを作るには技術を要する。ネット上では筆者がパソコン通信主体の1995年ごろまではあまりネット上ではなく雑誌等でなされるものであったが、1990年代後半にはネット上でも普及していたように思われる。

2 本人許諾のないアイコラ作戦及びネット上の頒布は名誉毀損罪(刑法230条)に該当するか。東京地判平成18年4月21日判決判例集未登載は肯定している。

一般に名誉毀損罪は人に対する社会的評価を低下させるに足る事実を適示した場合に成立する。これでは社会的評価は低下しているといえるのだろうか。

平野龍一(執筆当時は東京大学教授のちに東大総長)『法学セミナー』203号78頁 通常人なら恥とするような事情や倫理的あるいは能力的な欠陥を公にすることによって持つであろう個人の恥辱の感情を名誉毀損罪の保護法益とされているが、各論の基本書はだされていないので昭和の段階ではあまり知られていない。平成になってから前田雅英教授や木村光江教授が同様の主張をされている。

しかし、名誉毀損としては、定型性に欠けることは否めない。主張者は少なくとも定型説の範疇にはないひとばかりである。

3 東京地方裁判所平成28年3月15日判決

東京地方裁判所平成28年3月15日判決判例時報2335号105頁

被告人が,実在する児童の姿態をコンピューターグラフィックス(CG)で描いたなどとして,児童買春・児童ポルノ処罰法違反に問われた事案である。裁判所は,本件CG3点の各画像データに係る記録媒体は児童ポルノに該当し,同各画像データは電磁的記録に該当すると認定し,児童ポルノ製造罪・同提供罪がそれぞれ成立するとし,被告人を懲役1年・罰金30万円・執行猶予3年に処している。

名誉毀損の告訴がえられなかったのかもしれないが、名誉毀損罪では起訴されていない。

公表された写真等によるアイコラであれば、著作権法違反による処罰も考えられる。ただ、著作物の特定が困難なくらいの改変も現在のCG技術では容易であろう。

参考文献 山口厚編「クローズアップ刑法各論」124頁(島田総一郎執筆)成文堂・2007年

転籍とその効力 労働法の法律相談 もとは2014年2月19日の記事です。

質問

わたしはY会社の従業員でした。赤字経営が続いていたころから子会社に転籍を命じられましたが断りました。すると会社はわたしを解雇しました。こんな解雇は有効でしょうか。

回答

転籍には労働者の個別同意が必要です。転籍に同意しないからといっての解雇は無効です。

ただ、実際に解雇無効を争うとなると会社側はほかの解雇事由ももちだしてきますし、でっちあげをすることもありえます。法廷闘争になった場合に味方になるひとがどれくらいいるか、証拠資料がどれくらいあるかも含めて労働事件に詳しい弁護士に相談したほうがいいでしょう。

岡山市 岡本法律事務所 所長 弁護士 岡本哲

このブログは、岡本法律事務所(岡山市)の所長岡本哲(おかもとてつ) 岡山弁護士会の個人的見解などを日々書き綴るものです。ロータリアンでもあるのでロータリークラブ関連の話題もあります。

法律関連の話題が中心になりますが、趣味に関するかるい話題もまじえていきたいと思います。

岡本法律事務所は1965年に先代岡本貴夫が開設した事務所です。

民事全般(商事・民事介入暴力対策を含む)・刑事全般(暴力団員の私選弁護はいたしません)・行政訴訟を扱っています。

勝訴での判例集搭載判例あり、無罪獲得複数あり、税務異議認容例あり、となっています。


2015年で50周年をむかえました。

岡山市北区にあります。

所長 弁護士 岡本哲


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2019年3月24日現在では弁護士3名でやっております。

重要判例53事件

知的財産高等裁判所/平成17年(ネ)第10100号

平成18年2月27日

【判示事項】中濱万次郎(通称ジョン万次郎)の銅像の著作者人格権の確認と、銅像の管理者に対し銅像の著作者名の変更と慰謝料を求めた原告が、原審で勝訴したのに対し、被告が控訴したが、棄却された事例

【掲載誌】 LLI/DB 判例秘書登載 著作権法判例百選第6版40

【評釈論文】別冊ジュリスト242号82頁

主 文

1 本件控訴を棄却する。

2 当審における反訴請求を棄却する。

3 当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1 一審被告(控訴人・当審反訴原告)の求めた裁判

1 控訴の趣旨

(1)原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)被控訴人の請求をいずれも棄却する。

2 当審における反訴請求の趣旨

当審反訴原告が原判決別紙物件目録1及び2記載の各銅像について,著作者人格権(氏名表示権)を有することを確認する。

3 訴訟費用は,第1,2審を通じて被控訴人(当審反訴被告)の負担とする。

第2 事案の概要

1 幕末から明治にかけて活躍した中濱万次郎(通称ジョン万次郎)の銅像は,昭和43年7月11日に建立され,高知県土佐清水市足摺岬公園内に設置されている。その台座部分等には,制作者として一審被告の通称である「X」と記入されている。

一方,駿河銀行元頭取Pの銅像は,昭和45年に建立され,静岡県沼津市青野の岡野公園内に設置されている。その台座部分には,制作者として「X」と記入されている。

2 本件訴訟は,彫刻家である一審原告が,一審被告から原判決別紙物件目録1記載の中濱万次郎の銅像(昭和43年完成。以下「ジョン万次郎像」という。)及び同2記載のPの銅像(昭和45年完成。以下「P像」という。なお,上記2体の銅像をまとめて「本件各銅像」ともいう。)の制作を依頼され,その塑像を制作したにもかかわらず,上記各銅像の台座部分に前記のとおり「X」が表示されているとして,一審被告に対し,1本件各銅像について一審原告が著作者人格権(氏名表示権)を有することの確認と,2銅像の所有者ないし管理者(以下「所有者等」という。)である土佐清水市長又は株式会社駿河銀行に対し各銅像の制作者が一審原告であること及びその表示をY(一審原告)に改めるよう通知すること,並びに,3謝罪広告を,それぞれ求めた事案である。

3 原審の東京地裁は,平成17年6月23日,一審原告の上記請求のうち,1と,2のうち一審被告に対し原判決別紙通知目録(1)及び(2)記載の通知をさせる限度において認容し,その余の請求を棄却した。

そこで,一審被告が敗訴部分を不服として本件控訴を提起するとともに,当審において新たに反訴を提起し,本件各銅像について一審被告が著作者人格権(氏名表示権)を有することの確認を求めたものである。

第3 当事者の主張

1 当事者双方の主張は,次に付加するほか,原判決の「事実及び理由」欄の第2の2及び第3記載のとおりであるから,これを引用する。

2 当審における一審被告(控訴人・当審反訴原告)の主張

(1)本件各銅像の著作者についての認定の誤り

ア ジョン万次郎像につき

(ア)制作への複数関与者が存在する場合と著作権法14条

本件のように創作的表現を行ったと主張するものが複数関与する場合であって,その一方当事者につき著作権法14条による推定が働いている場合にあっては,推定を受けない他方当事者が自らの単独著作を主張するためには,双方とも著作者である可能性がある以上,当該著作物が自らの著作物であることを主張・立証することに加え,当該著作物が推定を受けている者の著作物ではないことまでを主張・立証する必要がある。すなわち,推定を受けない他方当事者は,自らが「事実行為としての創作行為」を行ったことを主張・立証するだけでは足りず,推定を受ける一方当事者の当該著作物に対する関与の態様が,「事実行為としての創作行為」を行ったといえる程度に至っていないこと(当該著作物に推定を受ける一方当事者の創作的要素が一切残っていないこと)を主張・立証する必要があるのである。そして,推定を受ける一方当事者が「事実行為としての創作行為」を行ったといえる程度には至っていないことにつき,他方当事者(一審原告)が立証できなかった場合には,理論的には,共に著作者であるか,又は,共同著作物の要件を備えれば当該著作物は共同著作物となることになる。

そもそも,本件においては,事実行為として一審被告・一審原告の双方が本件各銅像の制作に携わっていることについては,当事者双方に争いはない。すなわち,一審原告は,一審被告が本件各銅像につき粘土付け等の行為を行った事実は認めており,また,一審被告も一審原告が本件各銅像の制作に関与した事実を認めている。そして,本件各銅像に一審被告署名が付されている以上,一審原告の単独著作を認定するためには,一審原告は,本件各銅像に対する自らの関与の態様からして,一審原告が「事実行為としての創作行為」を行ったといえる程度に至っていることを主張・立証すべきことに加え,本件各銅像に対する一審被告の関与の態様からして,一審被告が「事実行為としての創作行為」を行ったといえる程度に至っていないこと(当該著作物に一審被告の創作的要素が一切残っていないこと)を主張・立証する必要があったのであり,また,この一審原告の主張に沿った認定を原審が行うためには,本件各銅像に対する一審被告の関与の態様からして,一審被告が「事実行為としての創作行為」を行ったといえる程度に至っていないこと(当該著作物に一審被告の創作的要素が一切残っていないこと)を認定する必要があったのである。上記判断方法の下では,本件各銅像につき,一審被告による創作的要素が一切残っていないことを一審原告が立証できない限り,本件各銅像の著作者は一審被告である(少なくとも一審被告は共同著作者である)と認定されるべきである。

しかるに,原判決は,著作者が一審被告か一審原告のいずれか一方であることを当然の前提として,私的鑑定書に依拠しつつ,当事者の供述の信用性のみを根拠として,著作権法14条の推定を覆して一審原告の単独著作を認めるという立論をしているが,その判断手法は誤りであり,正当な判断過程を経た場合には,一審被告が著作者でないとはいえず,少なくとも一審被告・一審原告の双方が著作権者であるとの認定が正当な結論である。

(イ)鑑定書について

a 原判決は,一審原告が提出したC鑑定(甲68),D鑑定(甲69)及びE鑑定(甲42)を採用し,一方で一審被告が提出したF鑑定(乙69),G鑑定(乙72の1,2)及びH鑑定(乙130)のいずれも採用できないとした上で,一審原告が提出した各鑑定(主にC鑑定)に依拠して,本件各銅像の著作者は一審原告であるとの結論を導いている。しかしながら,そもそも本件につき,原判決のように鑑定の結果に全面的に依拠した事実認定を行うことには,以下のとおりの問題がある。

まず,第1の問題点として,本件のような美術品の著作者を判断するに当たって,鑑定がどれほどの役割を果たし得るか疑問であるという点が挙げられる。そもそも,美術品については,鑑定する者の感性(感覚的要素)によって「似ている」,「似ていない」等の判断が区々となり得るのであって,実際に,本件において訴訟に提出された各鑑定は,いずれも専門家によってなされているにもかかわらず,その判断は分かれているのである。そして,本件各銅像の場合,これが肖像であること,つまり特定の人物の容貌・姿態などを写し取った彫刻であることから,その鑑定の困難さは通常の彫刻家自身の作品とは比べものにならないはずである。さらに,本件訴訟において提出された各鑑定が,いずれも写真に基づいて行われており,本件各銅像の実物に基づいた鑑定がなされているわけではないことも各鑑定の証拠価値を限定的なものにしているといえる。なぜならば,写真では,1立体を平面としてとらえることから,その凹凸等を見る者が正確に認識できるわけではなく,また,2レンズを通して物体を撮影することから不可避的に生じる「収差」による歪みの問題が存するからである。

第2の問題点として,当事者の提出した私的鑑定の結果に依拠することの危険性の問題が挙げられる。これは,仮に鑑定書が作品の著作者の認定に当たって一定の役割を果たし得るとしても,一方当事者の提出する鑑定書については,その鑑定人と当該鑑定を依頼しこれを提出する当該一方当事者との間に,何らかの人的関係が存することが通常であり,それゆえ,一方当事者の提出した鑑定の結果のみを採用し,他方当事者の提出した鑑定の結果をすべて排除するのでは,当該採用された一方当事者に偏った判断がなされる危険が高い。

第3の問題点として,本件訴訟のように,本件各銅像の制作に一審被告・一審原告の双方が関与したことが明らかな事案において,一方当事者の作風に「似ている」か否かの鑑定を行って,その結果,一方の当事者のみの著作であると断定している鑑定にどれほどの信用性がおけるのか疑問であるという点が挙げられる。すなわち本件のように双方とも事実行為としての創作行為を行った可能性がある場合,一方当事者の作風に「似ている」か否か,という鑑定は余り意味がないといえる。例えば,ある銅像の顔と手の部分をAが制作し,着物部分をBが作成した場合には,双方とも著作者となる(共同著作物)はずのところ,その顔の部分のみを取り上げて,Aの作風に似ているから当該銅像は全体としてAの作品であると結論づける鑑定があるとして,その結論が誤りであることは論をまたない。同様に,着物部分のみを取り上げて,Bの作風に似ているから当該銅像は全体としてBの作品であると結論づけることもまた誤りなのである。

b C鑑定についての問題点

C鑑定には,上記aで述べた問題点がいずれも妥当する。すなわち,C鑑定の対象は本件各銅像という肖像であること,その鑑定の材料は写真であること,一審原告という一方当事者の提出した私的鑑定にすぎないこと,一方当事者たる一審原告の作風と本件各銅像の作風との一致点を指摘することで,一審原告の単独著作を結論づけていること,等の問題が指摘できるのである。

また,C鑑定の問題点として,理由を付すことなく,断定的判断を示す点が挙げられる。例えば,同鑑定3頁には,「大型塑造彫刻作品を造る場合に,イメージを固める意味で習作として寸法の小さな作品を予め制作することは,作家によってはありうる。」とあるが,「大型塑造彫刻作品」がどの程度の規模のものを指しているのかは不明であるし,「作家によっては」というのがどの範囲の作家に妥当するのかが明らかにされておらず,また根拠・具体例を示すことなく「寸法の小さな作品」を制作しないケースがあり得るかのような見解を示しているのである。他にも,同鑑定4頁には,「写真から推察すると,ほぼエスキースは完成に近い状態である。」などと,根拠を示さずに意見を述べており,その鑑定における論理性の欠如は,他の諸鑑定と大差ない。

c D鑑定についての問題点

D鑑定についても,上記aで述べた問題点がいずれも妥当する。すなわち,D鑑定の対象は本件各銅像という肖像であること,その鑑定の材料は写真であること,一審原告という一方当事者の提出した私的鑑定にすぎないこと,一方当事者たる一審原告の作風と本件各銅像の作風との一致点を指摘することで,一審原告の単独著作を結論づけていること,等の問題が指摘できるのである。

d E鑑定についての問題点

E鑑定は,日本人の顔を「中落ち型」,「中高型」,「中間型」等に分類する手法に基づいて,非常に大胆かつ独創的な見解が示されており,また「曲がり癖」なる概念も持ち出されているなどの特徴を有する。これらの見解の当否はともかくとして,美術の鑑定にはこのように鑑定する者の感性(感覚的要素)が多分に影響するのであって,既述のとおり,その証拠価値には一定の限界があることが,E鑑定から読み取れるというべきである。

(ウ)一審被告の供述の信用性について

原判決は,ジョン万次郎像の制作に関する一審被告の供述について,押し並べてその信用性が低いものととらえ,証拠として採用していないが,その判示内容は,不合理な事実認定に立脚するものであって,是認し得ない。

(エ)一審原告の供述の信用性について

原判決は,一審原告のジョン万次郎像に関する供述の信用性について,結論として「ジョン万次郎像の制作に関し,原告の供述は概ね一貫しており,供述の変遷はほとんど認められないし,他の客観的な証拠との間に矛盾はない。」として,その信用性を全面的に肯定している。しかしながら,一審原告の供述の信用性に関する原判決の認定には,問題が多く,一審原告の供述の信用性は認められないというべきである。

(オ)以上の検討のとおり,原判決がジョン万次郎像の著作者を一審原告と認めた理由はいずれも不合理であって,原判決の判示内容は失当である。ジョン万次郎像の制作者は一審被告であり,一審被告が著作者と認められるべきである。

イ P像につき

(ア)制作への複数関与者が存在する場合の判断手法については,上記ア(ア)で述べたとおりである。

(イ)鑑定書について

P像について,原判決の各鑑定書に関する判断の問題点については,ジョン万次郎像に関する上記ア(イ)のaないしdに述べたとおりである。

(ウ)一審被告の供述の信用性について

原判決は,P像の制作に関する一審被告の供述について,押し並べてその信用性が低いものととらえ,証拠として採用していないが,その判示内容は,不合理な事実認定であり,またその理由において誤りや不備があるので,是認し得ない。

(エ)一審原告の供述の信用性について

原判決は,「原告の供述はいずれも,原告が妻に宛てた手紙等の内容と概ね一致しており,また客観的な事実との矛盾もなく,信用することができる。」と判示している。しかし,当該部分の判示内容は,不合理な事実認定であり,またその理由において誤りや不備があるので,是認し得ない。一審原告の供述には不自然な部分が複数認められ,その供述の信用性は認められないというべきである。

(オ)以上の検討のとおり,原判決がP像の著作者を一審原告と認めた理由はいずれも不合理であって,原判決の判示内容は失当である。P像の制作者は一審被告であり,一審被告が著作者と認められるべきである。そして,仮に評価の問題として,一審原告のP像に対する関与の程度からして,一審原告が著作者に該当すると評価されるとしても,そのことは一審被告が著作者でないことを意味するものではなく,一審被告が事実行為としての創作行為を行ったことが認められないとの立証のない本件においては,一審被告が(又は一審被告も)著作者であることは肯定されるべきである。

(2)一審被告名義での公表に関する合意の存在

ア 一審被告と一審原告との間には,本件各銅像につき,一審被告名義で公表することについての明示又は黙示の合意(以下「本件合意」という。)が存在した。

イ ジョン万次郎像について

(ア)ジョン万次郎像につき本件合意が存在したことは,以下の各事実から認められる。

a ジョン万次郎像に一審被告署名が明確に入っていること

ジョン万次郎像の台座部分に,その完成時より一審被告の署名が入っている事実は,甲4から明らかである。また,この事実と同様の意味を有するものとして,ジョン万次郎像に備え付けられた石板に,同作品の制作者として一審被告の名前が記載されていることも挙げられ,これは甲79により明らかである。

b 一審原告自身,当初より一審被告署名の存在を認識していたこと

そもそも,一審原告は,昭和43年7月ころ,ジョン万次郎像の完成式典の1週間くらい前に,足摺岬に赴き,ジョン万次郎像の据え付け作業に立ち会い,また,同月の完成式典にも参列している。これらの事実からして,一審原告が,ジョン万次郎像の一審被告署名と一審被告が制作者として記載された石板を確認していたことは明らかであり,一審原告は,ジョン万次郎像が制作された当時から,ジョン万次郎像に一審被告署名が入っていることを認識していたといえ,また同像に備え付けられた石板に一審被告が制作者として記載されていることを認識していたといえる。この事実について,一審原告はその陳述書(甲66)8頁において,「私は,万次郎像の制作直後から,万次郎像の地山部分や台座,あるいは備え付けの石板などにXのサインが入っていることは薄々感じていたかもしれません。」として,これを自認し,また,原審における一審原告本人尋問においても,自らのサインがない理由を問われ「これは,この注文を受けたXが,ないほうがいいと言ったんだと思います」,「支払の都合上,サインがないほうがいいと言ったと思います」(原告本人尋問調書1頁)と供述し,ジョン万次郎像の制作者としての署名は,受注者である一審被告とすることにつき合意があったことを明確に認めている。

c 30年以上もの長期にわたり異議を述べていなかったこと

上記のとおり,ジョン万次郎像には一審被告の署名が明確に入っており(備え付けの石板にも同趣旨の記載があり),一審被告は,その事実をジョン万次郎像が制作された当時から認識していたにもかかわらず,これに対して30年以上もの長期にわたり,何ら異議を述べていなかった。

d ジョン万次郎像に一審原告のサインがないこと

一審原告は,自分が作った作品には自分のサインを入れるのが通常であるところ,それにもかかわらず,ジョン万次郎像にはサインを入れていない。その理由として,一審原告は,上記のとおり,原審における一審原告本人尋問において,一審被告との話し合いの結果,一審原告のサインを入れないことにしたと供述している。

(イ)以上のように,ジョン万次郎像には当初より一審被告の署名が入っており,かつ,その事実を一審原告は当初より認識していたにもかかわらず,30年以上もの長期にわたり何ら異議を述べていなかったこと,一審原告が自らの作品であれば自分のサインをいれるのが通常であるのにこれを入れていないこと,その理由として一審原告は一審被告からジョン万次郎像に一審原告のサインを入れない方がよいと言われたためであるとしていること等の事情からすれば,一審被告と一審原告の間には,ジョン万次郎像を一審被告名義で公表することとし,一審原告は同像の著作者としての権利を主張しない旨の合意が存在したことが認められ,これに反する証拠はない。

ウ P像についての本件合意の存在

(ア)P像につき本件合意が存在したことを裏付ける以下の各事実が認められる。

a P像に一審被告の署名が明確に入っていること

P像に,一審被告の署名が入っている事実は,甲7から明らかである。

b P像に一審原告のサインがないこと

一審原告は,自分が作った作品には自分のサインを入れるのが通常であるところ,それにもかかわらず,P像には,ジョン万次郎像の場合と同様に台座部分にはサインを入れていない。一審原告は,P像の頭部という一般の人には見にくいところに「Y」と読める紋様を入れているが,これは自らが制作に関与したことを示すためにした行為にすぎず,本件合意の存在を否定するものではない。

(イ)以上のように,P像につき,一審原告が自らの作品であれば台座部分等に自分のサインを入れるのが通常であるのにこれを入れておらず,その代わりに頭部という一般の人には見にくいところに紋様を入れていること(他の作品ではこのようなケースはないこと),及び,当初より一審被告の署名が入っていたこと(その事実を一審原告は当初より認識していたにもかかわらず,30年以上もの長期にわたり,何ら異議を述べていなかったことは,ジョン万次郎像の場合と同様である)等の事情からすれば,一審被告と一審原告の間には,P像を一審被告名義で公表することとし,一審原告は同像の著作者としての権利を主張しない旨の合意が存在したことが認められる。

エ 本件合意の有効性及びその効果

そもそも,著作者人格権の一内容としての氏名表示権は,「著作物の原作品に,又はその著作物の公衆への提供若しくは提示に際し,その実名若しくは変名を著作者名として表示し,又は著作者名を表示しないこととする権利」(著作権法19条1項)であるとされている。そして,この定義からすれば,著作者には自らの著作物に著作者名を表示するかしないか,表示するとしていかなる表示をするかについての処分権限を有するものと考えられる。このように,法が著作者に対して,その氏名表示権の行使として著作者名を表示しないことも許容していることからすれば,著作者が自らの意思により(氏名表示権の行使として)著作物にその氏名を表示しないこととした上で,他者との合意により,当該他者の氏名を自らの著作物に表示させることにつき,その有効性を否定すべき理由はない。

次に,本件合意の効果について検討すると,本件各銅像を一審被告名義で公表することとし,一審原告は本件各銅像の著作者としての権利を主張しない旨の合意が存在することの効果として,仮に一審原告が本件各銅像の著作者(ないし共同著作者)であったとしても,一審原告は一審被告のみをその著作者として表示する義務を負うことになり,一審原告が本件各銅像の著作者(ないし共同著作者)であるという事実を本件合意に反して第三者に対して明らかにすることは許されないことになるという効果は,当然に含まれているというべきである。

以上のとおりであるから,仮に一審原告が本件各銅像の著作者(ないし共同著作者)であったとしても,本件合意の効果として,一審原告はその事実を第三者に対して明らかにすることは許されず,したがって,本件通知請求は認められないことになる。

(3)本件通知請求について

ア 原判決は,本件通知請求を認容する前提として,本件各銅像の著作者は一審原告であると認定したが,この事実認定が誤りであることは,既に詳述したとおりである。また,仮に本件各銅像に対する一審被告の関与の態様からして一審被告は本件各銅像の共同著作者であって,一審原告も本件各銅像の著作者であるとしても,原判決の認めた本件通知請求の内容(原判決別紙通知目録(1)及び(2)の各記載内容)は,一審被告が制作者(共同著作者)でないことをその内容とするものであるから,誤った内容であり,したがって,このような内容の本件通知請求は認容されるべきではない。さらに,本件においては,本件各銅像の制作に一審被告・一審原告の双方が関与しているところ,同人らの間には,本件各銅像につき,本件各銅像を一審被告名義で発表することについての合意(本件合意)が存在したのであって,本件合意の効果として,一審原告が本件各銅像の著作者(ないし共同著作者)であるという事実を第三者に対して明らかにすることは許されないというべきである。

イ 著作権法115条の解釈・適用の誤り

著作権法115条は,名誉回復等のために「適当な措置」を認めているのであって,当然のことながら,当該措置が名誉回復等に直接に役立つことが必要である(直接に名誉回復等に役立つ措置こそが「適当」な措置なのである。)。ところが,本件通知請求を認めても,本件通知請求を認めない場合と比して,一審原告の名誉回復等に役に立つといった事情は本件では認められない。仮に,本件通知請求を認めることにより本件各銅像の所有者等に対し本件各銅像の真の著作者が誰であるかを知らしめることで,「原告が本件各銅像の著作者であることを確保」できるという理由であれば,これは一審原告が確定判決を得た上で,一審原告自らが所有者等に通知すればよく,原判決のいう「原告と本件各銅像の所有者との紛争を未然に防止することにもつながる」とする点についても,「原告と本件各銅像の所有者との紛争」とは何を想定しているのか,また,一審被告が本件通知請求にかかる通知をすれば当該紛争を避けられる合理的見込みがあるのか,などについては全く不明である。結局,本件通知請求を認めたとしても,これにより一審原告の名誉回復等には直接に役立たず,したがって本件通知請求に係る通知は「適当な措置」には該当しないのである(当然のことながら,過去にも,同様の通知請求を認めた裁判例等は見当たらない。)。

また仮に本件合意が認められないと仮定しても,著作権法115条に基づく名誉回復等の措置が認められるための要件として,侵害者の「故意又は過失」が要求されるところ,本件では一審被告は本件合意が存在すると考えて本件各銅像に署名を行っていたのであり,本件合意が存在すると信じるにつき相当の理由があるので,一審被告には一審原告の著作者人格権を侵害する故意も過失も認められず,そうである以上,同法115条に基づく本件通知請求は認められるべきではないことになる。

(4)権利濫用等であることについて

本件の事情にかんがみれば,本件においては,一審被告が一審原告の氏名表示権に基づく権利行使が行われないと信頼すべき正当な事由が存在するというべきであって,権利失効の原則に基づき,一審原告の著作者人格権に基づく各請求は認められるべきではない。また,権利失効と評価できなくても,権利濫用(民法1条3項)として,一審原告の著作者人格権に基づく各請求は否定されるべきである。

(5)当審における反訴請求について

前述のとおり,本件各銅像の著作者は一審被告であるのに,一審原告はそれを争うので,一審被告が本件各銅像について著作者人格権(氏名表示権)を有することの確認を求める。

3 当審における一審原告(被控訴人・当審反訴被告)の主張

一審被告の当審における主張は,以下に述べるとおり,いずれも失当であり,本件控訴及び当審における反訴請求はいずれも棄却されるべきである。

(1)本件各銅像の著作者について

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