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徳光和夫アナ 小倉智昭さん追悼「番組の司会者としての人生を貫いた」「かけがえのない人物を失った」

[ 2024年12月14日 15:12 ]

徳光和夫
Photo By スポニチ

フリーアナウンサー徳光和夫(83)が13日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」(土曜前5・00)に出演。9日に膀胱(ぼうこう)がんのため77歳で死去したキャスター小倉智昭さんを追悼した。

徳光アナは「司会者仲間であり、司会者としてもリスペクトしておりました小倉智昭さんが、がんと闘い続け、闘病者としてメッセージを送り続けながら、誠にもって無念極まりありませんけど、黄泉の国に旅立たれたと。訃報はちょっと私も本当にびっくりしたんでありますけど」と訃報を伝えた。

「マスメディアは小倉キャスターと肩書をつけておりましたけど、彼はキャスターではなく、番組の司会者としての人生を貫いたと思えてなりませんね」と徳光アナ。「なんだろうな...見事な司会者でしたよ、彼は。司会者といたしまして、その実力派は彼の師匠であります大橋巨泉さんや、自らも自分はニュースキャスターではない、ニュース番組の司会者だと言っておりました久米宏さん、古舘伊知郎さんに勝るとも劣らないMCだったことは間違いない」とした。

「私は常日頃から、No.1MCはこの人だなっていう、深みといい、鋭さといい、謙虚さといい、それが草野仁さんなんですけど、草野さんに勝るとも劣らぬというか、肩を並べるような、努力家でしたね。彼はホント努力家だったな」としみじみ。「だからこそ、いろいろと鋭いことを言ってましたけど、自分の中で裏打ちがあって、ちゃんとした彼に対しての批判的なコメントする人おりましたら、その人たちとちゃんと向かい合って、あるいは、話し合いができる、論破できる、そういった土台がしっかり見についていた、水面下でいかに努力していたか」と思いをはせた。

「小倉さんは私のことを"徳さん"といい、私は"智ちゃん"と呼んでいたんですけど、かといってそんなに親しい間柄ではなくて、この業界独特な言い回しで、何となく親し気にしましょうみたいな、不思議な関係。ということは、お互いに相手のことを客観的に見ることはできたのではないかなと」と関係性に触れた。

「自分の価値観で作品を作ることができる、ミュージシャン的な司会者。音楽的なセンスを持つ、草分け的なMCですね」と称賛。小倉さんの師匠である大橋巨泉さんにも触れ「巨泉さんに傾倒していたというか、巨泉さんを研究していたと思う。厳しいこともズバッと言うじゃないですか。これは巨泉さんもそうでありますし、自分の目で見て、自分で取材して、自分の言葉で語る、これが巨泉流。小倉くんはまさにそうだった。そういうMCだった」とした。「舌鋒鋭いことをカメラに向かって語りまして、それに対しまして、批判や疑問にも応えられる、そういったことをよく勉強されていたんではないかなと。巨泉さんと違うところは滑舌は小倉さんの方が全然良かったという、そんなようなことは小倉くんに話したことがある」と振り返った。

さらに巨泉さんと同じように歳の差婚で、妻を人前で褒めることも共通点だったとしつつ、「智ちゃんは本物の付き合い、心の友と書いて心友(しんゆう)と読ませるなら、そう呼べる仲間が多かったなと。胸襟を開いて付き合うし、向かい入れるところは彼はしている。私の知る限り、小倉智昭の信奉者は有名、無名を問わず、本当に多くを数えました。加山雄三さんとか寺尾聡さんとか、菊川怜さんとか、眞鍋かをりさんとか、みんな小倉さんの信奉者。彼がそういった皆さんがタレントとしてピンチに陥った時には必ず手を差し伸べていた」と回想した。

「彼が日テレで午後の情報番組『キャッチ』を担当している時に、『ズームイン!!朝!』時代から親しくしていたADくんがその番組につくことになって"よろしく!"って言いましたら、本当によく面倒を見てくれまして。その番組が終わって次の番組に行った時もそのADくんを連れていってくれた」と回顧。「何といっても、小倉智昭の人柄の良さ、人間の大きさ、その目の当たりにしたのは、『とくダネ』の笠井(信輔)くんへの心遣いと勇気づけ、天気予報士の天達(武史)くん。毎朝、親しみを込めて呼び捨てた。ああいうところが小倉智昭の素晴らしさであり、凄いところだなと思いますね。かけがえのない人物を失いましたね」と追悼した。

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