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久米島でみつけた「幸せ」 始めたゲストハウスが"人生の止まり木"に

[ 2023年12月28日 09:15 ]

厨房に立つ大竹さん
Photo By スポニチ

【笠原然朗の舌先三寸】「離島暮らし」を思い立って、沖縄県久米島へ移住した若者がいる。同島の具志川地区で古民家を利用したゲストハウス「想生(そう)―sou―」を営む大竹太平さん(27)だ。島に暮らして丸6年が過ぎた。

もともと「ワクワクするようなアンテナが立たないものはやりたくない」という大竹さんは大学在学中、ある時期になると仲間たちが一斉に就職活動を始めるのに違和感を抱いた。そして「自分が好きなものって何だろう?」と考えたとき、大学のキャンパスのそばにある海をボーっと眺めている時に感じる「ゆったりと流れる時間」だということに気づいた。

ひらめいたのは「離島で暮らしたい」。天啓のようなものだ。

大学3年生のとき「地域おこし協力隊」の一員として1年間、久米島に赴任した。

人口減少が続く同島では2014年から離島留学生の受け入れ制度を始め、島内唯一の高校・久米島高校に毎年、全国から10人前後の留学生を受け入れている。大竹さんの仕事は、留学生寮「じんぶん館」のハウスマスターだった。高校生たちの"兄貴分"として勉強をみたり、生活の相談に乗ったりする一方、島民との交流も増えていく。

「都会に比べると島での生活は不便だし、経済的にも豊かではない。なのにみんな幸せそうに見えました」

「なぜ?」をつきつめて考えていくうちに見えてきたのは島民たちの生き方だった。

「畑をやったり、海で漁や釣りをしたりして食べ物を得る。得たものはお裾分け。コミュニティーの中で面倒なこともあるだろうけど、毎日の繰り返しの中で、いろいろにものを循環させながら生活をしている」。

大竹さんが島でみつけた「幸せ」とは「いま、ここで、ただ生きているだけで良い」。

移住3年目に知り合いから古民家を借り受け、民泊を始めた。

宿名である「想生」は、「最初は"そのまま、ありのまま"に引っかけて"素生"を考えたのですが、漢字がしっくりこなかったので。字は変えましたが思いは同じです」

現在は素泊まりで、朝食は予約制。だが4月から1日1組(4人まで限定)で、島の食材をふんだんに使った料理を提供する1泊2食付きプランを考えている。

大竹さんの料理の腕はお墨付き。現在、週に何回か島内のリゾートホテルの厨房で修行中。最近では自費でイタリアへ1カ月半、料理の勉強に行った。

私が泊まった翌日の朝食は、お釜で炊いたご飯、アオサと島豆腐の味噌汁(味噌は首里味噌)、ゴーヤの佃煮花山椒風味、モズクの酢の物、アオサのだし巻き卵、前日揚がったシイラの味噌漬け焼き、島内の自家焙煎コーヒー店「マキノコーヒー」の豆で煎れたコーヒーだった。

「人間は誰でもあす死ぬかもしれない。ならばいま幸せに暮らしている方がいい」と話す大竹さんにとって食は「幸せないま」を運ぶための重要な要素になる。

時間に追われ、ストレスの海に溺れ、競争社会で心も体もすり減っている人にとって、離島の小さな宿は、人生の「止まり木」になりそうな気がする。

▼想生―sou―(沖縄県島尻郡久米島町字具志川659の3)=(電)080(9542)5343。

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