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映画監督・崔洋一さん死去 晩年はがんとの闘い...親交あった松田優作さんと「まさか同じ病気になるとは」

[ 2022年11月27日 18:50 ]

崔洋一監督
Photo By スポニチ

「月はどっちに出ている」「血と骨」など骨太の作品を数多く発表し、22年6月まで日本映画監督協会の理事長を務めた崔洋一(さい・よういち)監督が27日午前1時、ぼうこうがんのため東京都内の自宅で死去した。73歳。長野県出身。がんを患っていることを1月に公表して闘病したが、力尽きた。葬儀・告別式は家族や近親者で行う。喪主は妻青木映子(あおき・えいこ)さん。後日、お別れの会を開く。

硬軟問わず、パンチの効いた作品で映画界に風を起こし続けた崔監督が静かにその生涯を閉じた。19年にぼうこうがんが見つかり、翌20年4月に16時間に及ぶ手術で摘出。その後、小康状態を保ったが、術後1年の検査で右腎、リンパ、肺に転移していることが判明。まずは大元のぼうこうがんを撃退するため22年2月4日から「パドセブ」という新療法を取り入れて、月に3回の投与を続けてきた。

4月には「ラスト・ショー」と題した7日間に及ぶトークライブをテアトル新宿で開催し、完走した。助監督時代に「最も危険な遊戯」(1978年)の現場で出会って親交が始まった松田優作さんの没後30年を記念して製作した「松田優作・メモリアル・ライブ」「優作について私が知っている二、三の事柄」の上映と連動させたイベントだった。

「優作とまさか同じ病気になるとは...」と因縁めいたものを感じていた崔監督だが、連日の大入りで無事に完走できたことに「企画立ち上げから準備、そして本番と、ショービジネスの世界で生きてきた自分にとっては面白いセブンデイズだった」とステージで感涙。大入りのファンから大きな拍手を送られた。その後、再び抗がん剤治療を受けていたが、ついに帰らぬ人となった。

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