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売野雅勇氏 中森明菜「少女A」の誕生秘話語る「拒否反応が大変だったというお話は、後から聞きました」

[ 2022年11月4日 22:00 ]

作詞家の売野雅勇氏
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作詞家の売野雅勇氏(71)が4日BS-TBSで放送の「中森明菜デビュー40周年 女神の熱唱!喝采は今も」(後9・00)にVTR出演。大ヒットとなった中森明菜2枚目のシングル「少女A」の誕生について語った。

中森は16歳だった1982年5月1日に「スローモーション」でデビュー。同年2枚目のシングルが「少女A」だった。いわゆる「ツッパリ路線」へのイメージチェンジとなったことで、売野氏は「よく、明菜さんに取材して書いたとか、色んな事を言われたんですけど面識は当然ないし」と明かし、依頼を受けた時には「面識がなかった。ゼロゼロ。インフォメーションゼロ。アイドルを書く んです。明菜さんっていう方で、スローモーションでデビューした、ちらし1枚です」と語った。

そのため、ストックしておいた「16歳くらいの女の子を口説いている、プールサイドでって話を書いたんだけど、それを女の子の目線にして書いた」という。だが、中森は売野が自分を不良少女と思い込んで書いたと受け取り「絶対に歌いたくない」と拒否反応を示したという。それでも、歌の世界と理解して主人公になり切り歌いあげ、40万枚のヒットにつなげた。

売野氏は「等身大って言うのは失礼かもしれないですけど、偶然かなり共鳴するようなところが。雰囲気ですよ。体質的に似ているような部分とか理解できる部分とか共鳴する部分とか。曲の感じとかアレンジの感じとかロックのビートで書いていますから、不良にしか感じないですよね そう感じたんじゃないですか?それなんで、拒否反応が大変だったというお話は、後から聞きました」と振り返っていた。

その後も売野氏は「1/2の神話」「禁区」「十戒」など、オリコンチャート1位に輝く曲を提供し続けた。中森の表現力について売野氏は「作詞家が書いた詞をね、20倍くらいというか深いところまで。それは掘り下げようとして、掘り下げるのではなくて、表現すると全部出てきちゃう。彼女がすごいものを持っているということなんですね」と語った。

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