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超放任軍団から徹底管理球団へトレードされた元エース 阿波野秀幸氏「セーフって聞こえてきたんですよ」

[ 2024年12月30日 19:37 ]

巨人投手チーフコーチ時代の阿波野秀幸氏
Photo By スポニチ

1990年代に「トレンディエース」と呼ばれ、近鉄、巨人、横浜でNPB通算75勝を挙げ、コーチとしても手腕を発揮した阿波野秀幸氏(60)が30日に更新されたYouTube「よしひこチャンネル」にゲスト出演。全く環境の違うチームに移った自身最初のトレードにまつわるエピソードを紹介した。

阿波野氏は1986年のドラフト1位で近鉄に入団。1年目にいきなり15勝を挙げ新人王を獲得し、翌88年は伝説の「10・19」で悲劇の主人公を演じた。キャリアハイの19勝をマークした89年にはリーグ優勝へ導くなど、エースとして君臨。その後は故障などもあり、94年オフに香田勲男投手との交換トレードで巨人へ移った。

「(移籍は)嬉しかったですね」と当時の心境を明かした阿波野氏は、続けて両球団の決定的な違いを説明。「いろんなチームのルールってあるじゃないですか。近鉄って、多分12球団イチ緩いと思うんですよ。ユルユルです。それが12球団イチ厳しいとこに行ったんで、このギャップが僕にとっては、えっ何で、ってことばっかりでした」

阿波野氏が端的な例として挙げたのが門限の有無。ルール自体が存在しなかった近鉄と違い、巨人はナイターがある時でも午前0時と決められていたという。

忘れられないエピソードとして、阿波野氏が挙げたのが、巨人へ移籍後、初めて帯同した名古屋遠征。当時エース格の槙原寛己、木田優夫に誘われ、ナイターの後、夜の街に出掛けた。「槙原さんとかすごいスピード、イッキに近い状態で飲んでて。"こんなんで朝までもつのかな"と思っていたら、11時半くらいに"よし、帰ろう"って言われて...」

不完全燃焼のまま、宿舎にするホテルのロビーを通り抜けようとすると、どこからか声が...。「奥からセーフって聞こえてきたんですよ。真っ暗ですよ。え? 今なんかセーフって聞こえたと思ったら、マネージャーがいました」。球界の盟主と呼ばれるチームの厳格な一面に、阿波野氏は身の縮まる思いだった。

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