◎にじゅうまる調査課の永井邦仁です。
寄島遺跡の平成23年度の発掘調査では、埋没した川の跡が検出されました。川の跡は北東から南西方向へ調査区を横切っています。もともと水流のある川でしたが、弥生時代後期あたりから流れが悪くなって沼地化が進み、黒色の粘土が厚く堆積していきました。
寄島11B
▲さんかく画像1:寄島遺跡11B区で検出された川の跡
沼地化した時点での川幅は約20mです。ここからは弥生時代末期〜古墳時代初頭の土器や木製品が多数出土しました。沼地は窪んでいますから、土器捨て場になっていたのでしょう。注目されるのは、下懸遺跡の集落がある南側から捨てられた土器がひじょうに多いことです。これは川近くまで居住域だったためで、反対に、寄島遺跡側は居住域ではなく墓域が面しているので、土器がほとんど出土していません。
寄島土器
▲さんかく画像2:土器の出土状況
ところで、鹿乗川流域で実施した当センターの発掘調査では、このような川の跡がほかにも姫下遺跡・下懸遺跡・惣作遺跡で検出されています。いずれも沼地化したところに弥生時代後期から古墳時代前期の土器が多数廃棄されています。
姫下18
▲さんかく画像3:姫下遺跡:平成18年度
下懸23
▲さんかく画像4:下懸遺跡:平成23年度
なかでも下懸遺跡の川の跡は、沼地化した範囲だけでも幅約30m以上あり、寄島遺跡で検出されたものより格段に規模が大きいことから「本流」に当たると考えられます。一方で寄島遺跡の川の跡は、「本流」に流れ込む「支流」のような位置づけになるといえます。「本流」が、前回示した台地寄りの川の跡が相当するとしたら、下懸橋のすぐ北側で合流していたことになります。
寄島
▲さんかく画像5:寄島遺跡を南上空からみる
いずれの川の跡も、古墳時代から平安時代の間に完全に埋没しています。したがって、それまでに新たな川の流れが完成しているはずで、私たちがまだ知らない地点に中世の川の跡があると想像されます。
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