巴水芸術の真骨頂とは何か(二つの震災と巴水)

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(川瀬巴水「平潟東町」1945年制作。第二次世界大戦後、この街並みは随時新しい家屋に建て替えられたが、2011年3月の東日本大震災に起きた津波によって、この街並みのほとんどが失われた。現在は公園と空き地になっている)

川瀬巴水の風景画は、単なる風景ではなく、そこに生きている人々の生活が写し取られています。巴水の絵から匂い立つような生活臭は、時に強烈な、時にそこはかとない郷愁となって、見る者を魅了するのです。

それを理解するためには、巴水の絵を持って(写しでも大丈夫です)、その巴水が写生した土地に立ち、そこで生活する人々に声をかけてみなければ分かりません。美術館や博物館、画廊等の空間の中からでは、それは理解できません。

巴水が絵に込めたものには二つの方向があったと思われます。

一つは、巴水が心底から描きたいと思った風景を木版画にしたもの。もう一つは、版元の要請によって「売る」ことに徹した木版画たちです。これらは厳密に二分されるものでなく、混在するものでもあります。また、「売る」ことに徹した作品を一等価値の低いものとして認定することは出来ません。それは「売る」ことに徹したとしても、そこに巴水は高度な技術力を注いだと考えられるからです。

これは浮世絵の春画に通じるものです。浮世絵師たちにとって春画は、その制作を要請したパトロンたちの希望に、他の浮世絵にはない高度な技術をもって応えようとしたものです。その背後には春画の制作には高い原稿料が支払われたという事情がありました。しかし、浮世絵師はいつも春画を描きたいわけではありませんでした。もっと多様な世界を浮世絵師たちは志向しました。その絵師たちの「絵心」が、多様な浮世絵、芸術としての浮世絵を誕生させたのです。

すなわち、その巴水の高度な技術力が込められた作品たちと、巴水が真に描きたいと思った作品たち、すなわち巴水の芸術作品とは峻別しなくてはなりません。そして、後者の巴水の芸術作品の芸術性をさぐることが何よりも大切なことです。

この巴水の二つの方向がはっきりと表れてくるのは、大きな出来事が関係しています。

それは、大正12年(1923)の関東大震災です。震災は東京に住んでいた巴水を直撃しました。巴水は自宅にあった絵やスケッチの全てを失いました。その傷心の巴水を、版元の渡邊庄三郎が励まして、残った版画を与えてスケッチ旅行に送りだしたことは有名なことです。

巴水にとって震災の経験は大きかった。それは震災以前と以後の作品を見ればよく分かることです。たとえば、震災以前の「東京十二題」と以後の「東京二十景」を較べてみると、「十二題」にあった巴水の遊び心や茶目っ気が、「二十景」では全て消えています。「二十景」にあるのは、故郷東京の景色を全身全霊で受けとめようとした巴水の姿勢です。

作家、国文学者として著名であり、巴水にも造詣の深い林(はやし)望(のぞむ)氏は、『川瀬巴水探索』(2022年)の巻頭エッセイで次のように述べています。

「巴水は、無名の、市井の、誰も注目しないような「ふとした風景」に無限の同情を寄せていたものと思われる。それは無名の市井人としての巴水の矜恃(きょうじ)に通うもので、私はそこにしみじみとした感情の交感を覚える。」

この林さんの言われる、巴水の「ふとした風景」への真摯な姿勢は、この震災の経験によって培(つちか)われたといってよいと思います。地震は、それまで当たり前であった日常の、何気ない風景を一瞬にして失わせます。名所・旧跡などは、観光という価値観によって、火事や地震から守る工夫が凝らされているものが多く、災害があっても遺るものが多いのです。しかし、日常の当たり前の風景はそうではありません。

巴水は関東大震災によって、当たり前の風景が一瞬にして失われる経験をしました。その経験は、いま、そこにある、何でもない風景が一瞬にして無くなる、それを自分が風景を写し取ることの、何よりもの意義だと考えたに違いありません。

それを再認識してくれる「事件」が近年起こりました。巴水の再ブームです。

巴水は、近年急に再評価されるようになりましたが、そのきっかけになったのは、2013〜15年、千葉市美術館を皮切りに始まった全国巡回展であったことは間違いありません。私も2015年1月に、東京日本橋の高島屋での巴水展を覗きましたが、立錐の余地もないほどの人の入りで、ゆっくりと巴水画を見ることは出来ませんでした。私によく見えたのは、展示の案内をする関係者の方たちの、移動を促す言葉によっても、ちっとも動かない人々の頭でした。それにしても、群衆の頭というのは個性的で面白い。髪型、色、帽子、アクセサリー、実に多様で面白く、ちょっと唸りました(笑)。

閑話休題。なぜ、この時期に巴水人気が沸騰したのか。私は、2011年の東日本大震災の影響があったと思います。地震によって、それまで当たり前であった日常の、何気ない風景が、もろくも消え去りました。その経験は、多くの人々の郷愁をもとめる心に火をつけたはずです。郷愁と言っても、名所や観光スポットなどではない、どこにでもある「無名の、市井の、誰も注目しないような『ふとした風景』」(林氏の上掲文)ですが、その大切さに気付いたのだと思います。

大正と平成の二つの震災。それは巴水の芸術と巴水ブームを理解するためのキーワードです。巴水の絵は、今後ブームが去り、忘れ去られたとしても、人間が危機的状況に追い込まれる度に、あらたな力を得て復活してくるはずです。巴水芸術の真骨頂はそこにあるのです。

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