巴水の曼荼羅的水郷観ー浮島は桃源郷

水郷牛堀1.png
(「水郷牛堀」昭和8年。初摺、個人蔵。石渡 江逸〈いしわた こういつ〉作、明治30年生〜昭和62年没、盗用防止のため、一部に加工を施してあります)

3月30日(土)に行われた稲敷市での講演会(染谷登壇)は無事に終了いたしました。
お蔭様にて満員御礼となりました。参席された方々には心より御礼をもうしあげます。

今回の稲敷市の巴水展は、何と言っても、展示と図録が秀逸でして、ぜひ展示へ足をお運びくださいませ。また、足を運ばれた際にはぜひ図録をお求めくださるのが良かろうかと思います。

近年、様々な巴水展が行われています。また、その場にて図録が販売されています。それらは展示された作品の写真とその作品についての説明なのですが、それらの多くは、すでに発表された本や図録の解説とそれほど違いがありません。むろん、それであっても有用なのですが、今回の図録は、稲敷市の学芸員でいらっしゃる森田忠治さんが、様々に調査をされた上での新見が多く、極めて価値的です。

特に渡邊庄三郎や巴水の浮島探訪についてのご調査と解説は、圧巻だと思います。

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(今回の巴水展図録、表紙)

なお、私の話は、潮来・牛堀・浮島・麻生の11点の作品が豊かな水郷の情緒を浮かび上がらせているのに加えて、浮島の2点がなぜモノトーン(浮島戸崎)や薄いタッチ(浮島柳縄)で描かれたのかについて、いささか深堀りいたしました。

この11作品を眺め渡して気付くのは、同じ趣向や、雰囲気を醸し出しているものが無い点です。
ざっと説明しましょう。まず、描かれた場所ごとに、その作品と特徴をあげてみます。

潮来界隈
❶潮来の夕暮 三つ切版、三日月によって深い秋を表現
❷潮来の夏 虹と積雲、夏らしさ
❸潮来の月 夜のエンマ(水路)を照らす満月と民家の灯り
❹潮来の夕 上ったばかりの満月と秋の深まり

牛堀、常陸利根川付近
❺牛堀 雪の牛堀とその渡し船
❻雨の牛堀 雨によって渡し場としての牛堀の美しさを表現
❼潮来の初秋 初秋の明るさ、爽やかさ
❽牛堀の夕暮 濃いブルーによって更に深まった秋の景色

麻生
❾麻生の夕 濃い夕暮れで湖畔の淋しさ美しさを表現

浮島
❿浮島戸崎 モノトーンの霞ケ浦、広がり渡る世界を表現
⓫浮島柳縄 薄い透き通るようなタッチで浮島の世界を表現

水郷の描写といえば、水辺の生活や景色を描くのが第一ですが、この11作品を見て驚かされるのは、そうした世界を描きながら、巴水はそれらを季節ごとに、夏から冬にかけて、また天候も、晴、雨、雪、そして一日の時刻も、昼、夕、夜と、丁寧に描き分けていることです。すなわち、巴水が感じた水郷の世界の全体像、もう少し踏み込んで言うなら、曼荼羅的景観が描出されているということになります。

茨城県の霞ケ浦から潮来にいたる地図に、作品が描かれた場所を定めて、この11作品が組み込んでみましょう。

巴水水郷曼荼羅3.jpg

まず、一番右の潮来界隈ですが、ここは水路の世界です。複雑に交錯するエンマ(水路)とそこに生活する人々の息吹が描かれていることが分かります。

その左の牛堀は、川と舟の世界ですね。広い川幅をもつ常陸利根川をゆく舟やその両脇の生活が描かれます。

その左は、「麻生の夕」ですが、ここでは鄙びた漁村の風景を深い夕闇の中に浮き上がらせています。注目すべきは、描かれた湖(霞ケ浦)の対岸に浮島が浮かんでいることです。そして、この絵に続くように、浮島の2作品がその左に位置します。

この「麻生の夕」から浮島への眺めというのは実は重要な意味を持っています。
次に掲載するのは、昭和10年(1935)の水郷観光案内地図です。

浮島絵図1.png
(『水郷めぐり』水郷汽船株式会社)

潮来、牛堀、麻生、浮島に傍線を引きました。この観光地図から分かるのは、麻生が霞ケ浦や浮島観光の基点となっていることです。つまり、先に指摘した「麻生の夕」の浮島を望む場面というのは、観光客が抱く浮島のイメージそのものだということです。

先に特徴をまとめたように、この2作品はモノトーン(戸崎)、透き通るような薄いタッチ(柳縄)で描かれているのですが、こうして、他の9作品の中に置いた時にその特徴がさらに独特なものとして私たちの前に現れてきます。

すなわち、他の9作品は、水郷の自然や、水辺での人間生活、その彩りを表現しているのですが、浮島はそうしたものとは離れた別天地・桃源郷のように描かれているのです。まさに字義通りに他作品から「浮」いた「島」なのです。

それが最もよく表れたのが「浮島戸崎」の世界ですね。この一面に広がる霞ケ浦に舟のように浮かぶ家とそこでの生活、まるで別天地・桃源郷の世界と言って良いでしょう。巴水は、この水郷11作品以外にも、実に多くの作品で水辺を取り上げていますが、この「浮島戸崎」ほどに極め尽くされた「水辺」の世界を描いた作品は他にありません。

私は、個人的にも、この「浮島戸崎」を巴水作品のベスト3に入れていますが、それは巴水の描いた「水辺」の到達点がここにあるように思うからです。

ちなみに、到達点と言った時、この「浮島戸崎」が浮世絵の到達点であったようにも思えてきます。
ご存知のように、浮世絵は江戸時代中期の鈴木春信から多色刷りを絵の第一として来ました。その多色刷りを捨てて、モノトーンの世界に深く沈潜する。それは浮世絵の終幕でもあったと思います。巴水が最後の浮世絵師と呼ばれるのは、こうした画業が背景としてあったからでしょう。そして、このモノトーンは、浮世絵の前の時代にあった、墨絵や水墨画に繋がってゆきます。巴水は浮世絵を越えた日本画にたどり着いたと言ってもいいでしょう。

いずれにしても、ここから分かるのは、こうした水郷の全体像、もしくは曼荼羅的世界が表出されるには、単純にその時その場でのスケッチを絵にしたとすれば考えられません。巴水は、この11作品を一つの世界・風景として、それぞれの関係性や位置を踏まえて描き出そうとしたとしか考えられないのです。すなわち、ここでの巴水はスケッチ→版画化、という単純な作業過程を経て作品を成しているのではなく、スケッチ→他の水郷作品との共有及び棲み分けの検討→版画化という作業を行っているように思います。

もちろん、こうした「検討」を行って初めて版画化に踏み切るということではなくて、すでに版画化された景色を踏まえながら、様々なバリエーション、豊かな広がりが生まれるようにしていた、ということです。

よく、問題点として指摘されるのですが、「牛堀」がなぜ雪景色になったのか。
もともと、スケッチでは初秋の景色だったことが分かっています。この初秋→雪への変更の理由は様々に考えられますが、やはり他の水郷作品に冬景色・雪景色がないことが一番の理由だったと思われるのです。

もし、そうした推測が正しいとすれば、巴水作品は個別の作品鑑賞とともに、こうした水郷作品のように作品群全体で鑑賞してみる必要があるように思います。そうした全体を俯瞰した後に、また個別の作品鑑賞に戻ると、それまで見えなかったことが見えてくるように思います。

と同時に、やはりこの水郷地域を実際に訪れることが極めて重要ですね。

潮来から牛堀まで来て、そして麻生、浮島へと旅すると、まさに浮島は別天地・桃源郷のような世界なのです。
今では車で浮島には簡単に行けますが、巴水が来訪した時にはまごうかたなき島でした。
おそらく、その時の浮島は、まさに別天地・桃源郷であったはずです。

これは当地へ行ってみないと分かりません。ぜひ、一度足をお運びくださいませ。

なお最初に掲出したのは、巴水の弟子の一人である、石渡 江逸(いしわた こういつ)の「水郷牛堀」(昭和8年制作、初摺、個人蔵)です。木版だけでなく、合羽摺をはじめ多くの技法を研究された方で、東京近郊や横浜を中心に市井の描写に力を注いだ方です。この絵の視点は、巴水の「牛堀」とほぼ同じで、もう少し北側から牛堀の渡し先を描いたものです。晩夏・初秋のゆったりとした夕刻の雰囲気がよく出ている絵だと思います。

以上です。















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