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土屋淳一[tyjisc]Blog

「練馬のラーメン太郎伝説!」は、単なるラーメン屋さんの紹介・論評ではありません。都会の片隅に15年続く狭きたないラーメン屋さんのマスターと、そこに集まる常連さんたちの人間模様を描きます。大きく分けると「料理のこと」「店舗のこと」「マスターのこと」「常連たちのこと」「地域(練馬)のこと」などになります。食・お店の楽しさ、人の気持ちの優しさ・気づかい、都会でもまだまだ捨てたもんじゃない地域の人たちのつながりを伝えられれば、と思っています。[表編]はTwitter[tyjisc]でつぶやいていますので、こちらもよろしく!

2011年11月22日11:30
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昨年、常連のグッチが急逝した。まだ40代。神妙な葬儀でマスターはひとり泪しながら「グッチー!」と叫んだ。これは、以来常連になったグッチのお父さんから聞いた話。亡くなった息子が常連だった店の常連に父親がなる。それにはそれなりの理由がある。

【裏解説】
グッチはアラフォーだったと思うが、典型的なメタボ体系で、お酒とカラオケが好きな男だった。
私とはラーメン太郎で会う以外には、一度何人かでスナックに飲みに行ったことのある程度でそれほど親しくなかった。
マスターとはウマが合い、たまに食事に行ったり、ときにはグッチがラーメン太郎で酔いつぶれて、朝まで寝かせてあげたりしたこともあったらしい。

そんなグッチが急逝したもの、なんとラーメン太郎のビルの階上の店でカラオケを歌っていたときのこと。詳しい死因までは聞いていないが、本人は特に苦しんだふうもなく、居眠りしながら逝ってしまった。

葬儀に行ったマスターは、参列者が黙々とご焼香している中で、大声で「グッチ―!!」と目に涙を溜め叫んだらしい。これは、のちにラーメン太郎の常連になったグッチのお父さんから聞いた。

お父さんはマスターの心の底から出たこの叫びにいたく感動した。
おそらくいろいろと悩みと抱えていたであろう息子のことをわかってあげなかった後悔と、一方で単なるラーメン屋のマスターにここまで思われた息子の小さな幸せを理解したんだと思う。
以来、お酒の飲めないお父さんが、たまに出かけるとラーメン太郎で食事をするようになった。

このエピソードは、私がラーメン太郎伝説を書こうと思ったきっかけのうちの大きな一つでもある。

飲食店の運営にあたり、QSC(クオリティ、サービス、クレンりネス)→(商品の品質、高度な接客、清潔な店舗)という運営セオリーがある。この物差しから言うとけして優等生ではない店だが、このQSCには浮かび上がってこない「(商売の前に)人と人との心のふれあい」がラーメン太郎にはあるからだ。

「そんなことやっていたら商売にならない」「効率が悪い」「理想では成り立たない」と言う人もいるだろう。確かに私もそう思う。
しかし、街の個店で売上至上主義じゃない店があってもいいと思う。

おそらくマスターに「何のために店やっているの?」と聞けば「食う(生活の)ため」というだろう。それでいい。「お客様に喜んでもらいたい」とか「店を大きくしてできればチェーンに...」なんで耳ざわりのいい答えはいらない。
自分が食って生活していく中には、当然グッチとの心のふれあいや、その付き合いによってマスターが心を動かされた「何か」があっても不思議はないし、それがあるから日々の地味な作業が面白くなる。

昔からの常連は、そんなゆるい場(空間)であるラーメン太郎が好きだ。
もっとも、最近はマスターもやる気になっているから「常連は時間帯売上の足を引っ張ってんなぁ」とか言われそうだが...(笑)

にじゅうまる裏解説なしの[表編]をまとめて読むには、トゥギャッター

http://togetter.com/li/155424 を見てね![表編]は160話まです。

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