『交渉の知識も経験の何一つなかった青二才の私が、平穏にそのすべてを終えることができた影には、交渉以来私と一心同体になって励ましとご指導をいただいた、今は亡き、満濃池土地改良区の徳田忠夫主任技師の公私にわたってのご協力があったればこそと、感謝の気持ちいっぱいである。(中略)視野の広い先見の明をもった人で、信念の人でもあった。奉仕の精神に富み、水没交渉の過程では私によく「怒ったらいかんぜ」と戒めもしてくれた気概の人であった。また、水没交渉は、殆どが夜間で、夜ともなれば2人で泥棒のように夜の商売、自転車で五毛集落へ出向いたが、徳田さんは忍耐強い、飾り気のない人であり、私にはおおいに徳としなければならないものを兼ねそえた信頼の厚い人であったし、水没者や用地提供者からも信頼され、さらに土地改良区においても信頼を得ていたから、若い私にとっては、強い味方であったとつくづく思う。』と、心から先輩に感謝している。当然、理不尽なことを関係者から言われれば怒りたくなるが、先輩は、「その場ですぐに怒ったらいかんぜ」と諭す。
『用地交渉は相手のある仕事ですので、相手の立場に立って考えることが、信頼関係を構築する一歩であることを理解してもらいたいですね。その為には、普段から様々な場面での対人交渉の経験を積むことが必要です。交渉術という学問ではなく、多くの経験を通してしか会得できないものだからです。』(「用地ジャ−ナル」平成16年8月号)と、語っている。