『わが国の有数の電源地帯である只見川は昭和3年からようやく開発の手が入ったが、河川一貫開発の構想は第3次発電水力調査時代から日発東北支店によって練られてきた。昭和23年に日発から奥只見、田子倉の大貯水池を中核とする只見川の本流一貫開発の計画が発表されると新潟県は奥只見から分水する計画を打ち上げ長い論争が始まることとなった。(中略)ちょうど電源開発促進法が施行され電源開発(株)が創立された頃で、昭和27年9月の電調審で只見川が電源開発(株)の調査河川に指定され、本流、分流案論争はますます激しく、昭和28年6月22日の電調審で初めて取り上げ、両県知事の意見が聴取された。それから数日を経て29日に再び俎上に上げ、全体計画の優劣について詳細な議論がなされた。こうしてようやく7月22日の電調審で本流を主体にした全体計画が決まり、そのうちの一部である奥只見、田子倉、黒又第一の開発地点が決まり、一応本流、分流案論争にピリオドが打たれ、只見川の一貫開発が始まることとなった。』田子倉ダム地点は、福島県南会津郡只見町田子倉、奥只見ダムは同県南会津郡檜枝岐村駒獄である。後述するが、このダムの建設をめぐる水没者の人間模様を作家城山三郎が小説『黄金峡』で描いている。
『「絶対反対なんですね」今度は織元は念を押すように云った。少しずつ水没者の補償交渉がまとまっていく。だが、喜平次は頑強にも抵抗していく。水没者交渉の最後のつめの段階で、突如織元所長はダム現場所長の職を解かれ「東京本社役員室詰」の閑職へ左遷を命ぜられる。ようやく、反対していた喜平次も補償契約に調印する。
「ンだ」「ンだ」の声が返ってくる。
「困りましたなあ。あんた方は絶対反対と云われるが、われわれは絶対につくらにゃならん」
人垣の表情がいっせいにけわしくなった。
喜平次もまたダムには絶対反対であった。発電関係者を見ることさえいやであった。
ゴールドラッシュがはじまった。
一戸あたり平均四百万という山林水没補償金の支払いがはじまるとほとんど同時に行商人の群れが戸倉へなだれこんだ。』
『主題のひとつは、金銭というものが、いかに人間を動かし、人を変えていくか、というところにある。(逆に金銭に動じない人間の魅力もある。)(中略)だが金銭による充足には、とどめがない。それまで考えもしなかった欲望が、次から次へとふくらみ、足もとをすくう。そして最後には、土地を失った悲しみだけが残る、ということになりかねない。沈める側の人間にも、もし心があれば、それがわかる。日本が高度経済成長へ向かっていくとき、この小説はこれからの日本人が、金銭至上主義へ進むことを暗示している。
この作品に登場する所長は、農民たちへの人間的な共感を抱えながら、彼なりの誠意と努力で奔走する。この種の人間がこれほどするならと、人を動かすだけのものがある。 土に生きる人間のみずみずしさと、黄金の冷やかな軽さ、したたかさ。黄金が舞い狂う谷間は、しかし、ここだけではないはずである。黄金に向き合って、得るもの失うもの何なのか。心の中にぽっかり谷間に穴をあけ、虚しく吹きぬける風の音だけが聞こえるということを、おそらくだれも望んではいないであろうに。』