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トップ > 富士の国 やまなしの魅力 > その3 やまなしのれきし
ページID:20645更新日:2019年2月1日
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山梨の地には1万年以上前から人びとがくらしはじめ、1700年ほど前には山梨県のもととなった甲斐国(かいのくに)が生まれました。多くの人の力やかつやくによって、今の山梨県があります。
[画像:海道前土器]山梨県の北杜市(ほくとし)では、今から1万年以上前の旧石器(きゅうせっき)時代の土器(どき)が発見されていて、その時代から人がくらしていたことがわかります。
1万2000年ほど前からはじまった、縄文(じょうもん)時代の遺跡(いせき)や土器もたくさん見つかっていて、5000年ほど前は、山梨のあたりが文化の中心地だったといわれています。
さらにくわしく:
山梨県立考古博物館
山梨県立博物館(かいじあむ)(外部リンク)
[画像:銚子塚古墳]
山梨県はむかし、甲斐国(かいのくに)とよばれていました。そのはじまりは、古代(こだい)といわれる4せいきごろです。そのころ、法律(ほうりつ)で人びとをおさめる政治(せいじ)がはじまり、その中で4つの郡(ぐん)が集まった甲斐国が生まれました。
甲府ぼん地の南には、4せいき前半ごろにつくられた銚子塚古墳(ちょうしづかこふん)があります。古墳はこの地いきをおさめる力を持った一族(いちぞく)のおはかだといわれています。長さが169mもあり、東日本でいちばん大きい古墳です。
また8せいきの奈良(なら)時代のみやこだった平城京(へいじょうきょう)の遺跡(いせき)から見つかった、木簡(もっかん)という木で作られたノートにも、「甲斐国」という名前がのこっています。
甲斐国では、鎌倉(かまくら)時代に源氏(げんじ)という一族のなかの武田氏の力が大きくなり、16せいきに武田信玄(しんげん)のお父さんの信虎(のぶとら)によって甲斐国は一つになりました。
武田信玄の時代になると、甲斐国はさらにさかえて大きくなりました。信玄は甲斐国に一度も敵(てき)を入れたことがなかったといわれるほど戦(いくさ)に強く、また甲斐国の人びとのために、水がいをへらす工事や、農業や商業にも力を入れました。
なかでも人びとをたすけ、甲斐国をさかえさせた取り組みがあります。一つは甲府ぼん地をながれる釜無川(かまなしがわ)でたびたびおこる洪水(こうずい)をふせぐために、約17年をかけてつくった堤防(ていぼう)の「信玄堤(しんげんつつみ)」です。
もう一つは、わき水をめぐって水あらそいがおきていた水路(すいろ)を、3つの村に均等にながれるようにしくみをつくった「三分一湧水(さんぶいちゆうすい)」です。
「信玄堤」は甲斐(かい)市で、「三分一湧水」は北杜(ほくと)市で、今もそのすがたを見ることができます。
また甲府市にある武田神社は、武田家が3代にわたって60年以上もすみ、政治(せいじ)をおこなっていた、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)のあとにある神社で、信玄がまつられています。
さまざまな取り組みをして、甲斐国を大きくした信玄は、今も多くの人にしたわれていて、毎年、信玄が亡くなった4月には「信玄公祭り」が開かれています。
さらにくわしく:
信玄公祭り(外部リンク)
内藤多仲(ないとうたちゅう)
南アルプス市出身のけんちく家。地しんに強い建物のつくり方を生み出し、東京タワーなど多くの鉄こつの塔(とう)の設計(せっけい)をして、「塔博士(とうはかせ)」とよばれました。山梨県庁(けんちょう)本館も設計しました。
若尾逸平(わかおいっぺい)
南アルプス市生まれの実業家。甲州財閥(こうしゅうざいばつ)といわれる、山梨を代表する商売人の一人です。甲府市のはじめての市長で、銀行のけいえいやJR中央線の開通にも力をつくしました。
小林一三(こばやしいちぞう)
韮崎(にらさき)市生まれの実業家。阪急鉄道(はんきゅうてつどう)、阪急百貨店(ひゃっかてん)、宝塚歌劇団(たからづかかげきだん)、東宝(とうほう)などをつくった人で、さまざまな新しい事業を生み出しました。
大村智(おおむらさとし)
韮崎(にらさき)市生まれの化学者(かがくしゃ)。2015年にノーベル生理学・医学賞をうけました。大村さんの研究からつくられた感染症(かんせんしょう)の薬は、毎年、世界の2おく人の人をすくっています。
さらにくわしく:
山梨県立近代人物館
方言は、その地方だけで使われている言葉や言葉使つかいのことをいいます。山梨県の方言は「甲州弁(こうしゅうべん)」ともよばれ、山梨県内でも、地いきによって言葉がちがうことがあったり、年代によっても使う方言がちがいます。
甲州弁はきょう通語に近いですが、山梨ならではの言い回しがあります。
例えば、否定する「〜ない」は、「〜ん」が使われます。
「行かないよ」➞「行かんよ」
人の気持ちや物事のじょうたいをおしはかるときの「〜でしょう」は、「〜ら」「〜ずら」が使われます。
「食べるでしょう?」➞「食べるら?」
ほかにもどくとくな言い回しや単語があります。県立はく物館や北杜(ほくと)市にある金田一春彦(はるひこ)きねん図書館に行くと、いろいろな地いきの方言を耳で聞くことができます。