2009年05月13日
転職しました。
元旦那(と書いて、はいきぶつと読む)から、「いつ掃除に来るんだ?」という脱力メールが来る今日この頃。
行きがけの駄賃とばかりに元自宅をそりゃあ凄い勢いで散らかして出てきたものだから、内部はまさに「汚部屋」状態で、確かに住むには多少不自由するかもしれないですけどね。
だからって、離婚したら私達、他 人 で す が 何 か ?
他人に掃除を命令するほどあんたは偉いんですか?
つーか。
一ヶ月以上そのまんまなんかい...それって人としてどうなんだ(汗)
ということで今後も掃除になんか行くつもりはありませんのでそこのところよろしく(でも奴はここ見てないけどなw)。
で。
転職ですよ。転職。
看護師の王道というか、病棟勤務に戻りました。
実に十数年ぶりの病棟復帰です。
看護計画が看護診断だったり、記録がすべて電子カルテだったり、いまや三方活栓など死語の世界だったり、とリアル浦島太郎状態なわけですが。
「あなたの今までの経験を活かして頑張って下さいね」って師長...そりゃ無理っす。私が今までいたのって、訪問入浴やら献血やら老健やらですよ?
内科急性期病棟に還元できるスキルなどございません。
ついでに汎用性のある頭脳の持ち合わせも、生憎とございません。
ひたすらスタッフの皆様の足を引っ張らぬよう、ついていこうとするのが精一杯です。
あ、一個あった。経験がものを言うスキル。
「わからない時にわからないと言える図々しさと、なんでも人に聞いてしまえる図々しさ」
...え?ただのおばちゃんだろそれ ですって?
そ の 通 り で す が な に か ?
行きがけの駄賃とばかりに元自宅をそりゃあ凄い勢いで散らかして出てきたものだから、内部はまさに「汚部屋」状態で、確かに住むには多少不自由するかもしれないですけどね。
だからって、離婚したら私達、他 人 で す が 何 か ?
他人に掃除を命令するほどあんたは偉いんですか?
つーか。
一ヶ月以上そのまんまなんかい...それって人としてどうなんだ(汗)
ということで今後も掃除になんか行くつもりはありませんのでそこのところよろしく(でも奴はここ見てないけどなw)。
で。
転職ですよ。転職。
看護師の王道というか、病棟勤務に戻りました。
実に十数年ぶりの病棟復帰です。
看護計画が看護診断だったり、記録がすべて電子カルテだったり、いまや三方活栓など死語の世界だったり、とリアル浦島太郎状態なわけですが。
「あなたの今までの経験を活かして頑張って下さいね」って師長...そりゃ無理っす。私が今までいたのって、訪問入浴やら献血やら老健やらですよ?
内科急性期病棟に還元できるスキルなどございません。
ついでに汎用性のある頭脳の持ち合わせも、生憎とございません。
ひたすらスタッフの皆様の足を引っ張らぬよう、ついていこうとするのが精一杯です。
あ、一個あった。経験がものを言うスキル。
「わからない時にわからないと言える図々しさと、なんでも人に聞いてしまえる図々しさ」
...え?ただのおばちゃんだろそれ ですって?
そ の 通 り で す が な に か ?
2009年04月29日
2008年12月22日
「自死という生き方」に憤る
哲学は完全に門外で、エトムント・フッサールの現象学くらいしか感覚的にですら理解できる理論はない。
ハイデガーとレヴィナスは笠井潔の「哲学者の密室」の登場人物、ハルバッハとガドナスを通してしかエッセンスに触れたことはないし、ジャック・デリダに至っては、生理的に文章を受け付けられない人がデリダ論を書いているので、そもそも読む気にすらなれないのが現状。脱構築?なにそれ、食べられるもの?って状態だ。
フッサール現象学にしたところで、パトリシア・べナーの看護理論その他の記述を通して二次的に理解しているような状態だから、専門に研究している人から見れば、鼻で笑いたくなるレベルであろう。
うだうだと前置きをしたのには一応理由がある。
須原一秀という人をご存じか。
武士道の実践という幻想に取りつかれ、自然死は悲惨だという思い込みから、自らの命を絶った「哲学者」だ。
遺作「自死という生き方」は、その自死に至る思索の経緯が綴られている。
本の帯にはこうある。
「65歳の春。晴朗で健全で、そして平常心で決行されたひとつの自死」
どこがだ。とわたくしは思った。
自殺は自殺だ。
自殺した時点で、平常心は喪われている。
須原には、「己の死はそこらの自殺とは違う」という意識があるようだが、残念ながら
そこに高潔な死も卑小な死もありはしない。
魂の乗り物としての身体を粗末に扱ったものとしての記号=自殺者という統計に計上されることに変わりはない。
大体、武士道に自殺を奨めるような記述などない。
有名な言葉に、「武士道は死ぬことと見つけたり」というのがあるが、これが蓮如上人の「白骨のご文章(注1)」の言い換えであることは、「葉隠」をきちんと読んだ上でなら明白なはずだ。
自ら死ぬことの道理を説いているのが武士道なのではない。
武士という生業についているのであれば、(追記) いつ死ぬことがあってもやり残したことがないように、常に全力で生きよと説いているのが武士道 (追記ここまで)なのではないか?
また、こういう読み方もできるだろう。
武士道は、バーチャルな死を先取りする哲学だと。
死んだ後の自分を定点として、そこから過去を俯瞰するような精神のありようで生きることができるのであれば、どのような事態が起こっても、意識の中での時系列は「過去」になり、過去に起こったことと意識する以上、そこにはリアルな動揺はなく、常に平常心で生きられるのではないか?
なぜなら、「死後の世界」は常に、今生きている自分の先にあるものだから。
人生の到達点は、言うまでもなく死である。
死後の時間から「今」を俯瞰するということは、未来から現在を眺めるということである。
現在は決して未来にはなりえない。
未来とは、未だ起こっていないこと、これから起こるであろうことを指すのであるからだ。
未だ起こっていない時間から自分を、今を俯瞰する。そのどこに、自ら死ぬことを指すロジックがあるというのか。
武士道は死を希求する哲学とはなりえないのだ。
須原はそれを意識的に読み違えているとしか思えない。
わたくしは、文章に須原の病的なまでの死への依存を見る。
特攻隊の美学や、三島由紀夫の市ヶ谷での割腹自殺の過剰な美化は、自死への執着が生み出したものとしか見えなかった。
執着で聞こえが悪ければ妄執と言い換えてもいいが、どちらも須原は否定するだろう。
須原は、悲惨に死んでゆく(であろう)老いた己の幻想から逃れられなかった。ただそれだけのことだ。
わたくしは高齢者施設に勤務している関係上、様々なお年寄りに出会う。
須原のいう「悲惨な自然死」が現実であるというならば、なぜわたくしが出会う高齢者には素敵な笑顔の方が多いのだろうか?
天寿を全うして、わたくしたちの前から去ってしまわれる方は毎年複数おられる。
病院のベッドで最期の時を迎える方もあれば、ご自宅でご家族に見守られながら...という方もいる。
残されたご家族から、「眠るような最後でした」という言葉を聞くことがある。
その方々の最期が悲惨だなどと、いったい誰が断言できるのか。
そんな権利は誰にもない。須原にも、わたくしたちにも。
それとも、東京都の東の一部だけに、「悲惨な自然死」が存在しないユートピアが存在するとでもいうのだろうか?
そんなことはあるわけがない。
死者に鞭打つ気は毛頭ないが、わたくしは身内を「悲惨な自然死」で見送ったものとして、須原に反論せねばならない。
「死ぬ瞬間」で有名な精神科医キューブラー・ロスを、須原は酷評している。
死の直前にあってなお、ロス自身に死の受容ができていなかったというのがその理由だが、読んでいて吐き気を催すような内容だった。
(ここに引用するのも怒りが蘇るので、興味のある方は一読されたし。無責任で申し訳ない)
須原のご母堂は、ロスの言う5段階を経て死に至ったという。
だが、妻の父の死に関し、須原は「神も医者も親族も本人も完全に無責任な体制での死」という表現を採用している。
ここに、須原の考えを読み解くカギがあるとわたくしは見ている。
須原は、死者はその死の当事者であるとともに、死者の周囲にとっては、その死をめぐる物語の重要な登場人物であるという視点を、ごっそりと欠落させている。
確かに死は、他者に代わって貰うこともできなければ、逆に誰かの死を肩代わりすることもできない。
だが同時に死は、当事者だけでは完結できない事象でもあるのだ。
その死を認知する他者があってはじめて、ある人間の死という事件はあきらかになる。
「死者を認知する他者」の存在しない死はありえない。
行方不明者は、その死体が発見されるか当事者が生きていることが確認されるまでは、あくまでも「行方不明者」でしかないことでもそれはあきらかだ。
言い換えれば、死にさえもコミュニケーションはついて回るということだ。
自死を選ぶ人には、その視点が欠落している。
誰かを永遠に喪う瞬間は、周囲の人間にとっては事件なのだ。
死という事件は、当事者の体内における生命活動の停止としてのみ起こるのではない。
周囲を含めた場で起こるのだ。
わたくしの父は、脳梗塞で倒れ、食物の経口摂取ができなくなり胃ろうを造設した。
なおかつ彼は、歩くこともトイレで排泄することもできない状態で1年半を生き、記憶野が破壊され、今がいつかも理解できなくなって最期を迎えた。
それでもわたくしは、生きていて欲しかったのだ。
自死しないでいてくれて、最後まで生き抜いてくれてありがとうとすら思ったのだ。
それがわたくしの、父の死をめぐる物語なのだ。
父は積極的に死ななかった。
医師は積極的に父を殺さず、最期に呼吸が止まる瞬間に立ち会い、臨終を宣言する大役をつとめてくれた。
わたくしも父を積極的に殺さず、口を塞いだり点滴に毒を詰めることもなく、最期に立ち会った。
最期を看取るということは、そのひとの死という事実を、本人以外に最初に引き受ける大役を仰せつかるということだ。
それでも須原はこれを、無責任な体制の下での死と呼べと言うのか?
そんな哲学は、承認するわけにはいかない。
須原の理論では、周囲に「死にゆく物語」を作ることを許さない。
彼は首を吊り、頸動脈を掻き切るという死に方を選択した。
つまり、彼の家族にとって彼の死は、「突然現れた血塗れの首吊り死体」から始まったのだ。
家族は、周囲は、突然日常にぽっかりと穴が開いた状態を余儀なくされるのだ。
非日常的な光景は、長くトラウマとなる。
須原は目論見通り死ねて満足だろう。
だが、家族はどうなのだ?
なぜ須原は老いてなお生きることを拒んだのだ?
そうまでして、若くあり続けたかったのか?
人間は、他者とかかわらずに生きることはできない。
もしできるのなら、それは「ヒト」という生物にすぎない。
他者とかかわらずに生きられないということは、他者とかかわらずに死ぬこともできないということだ。
なぜ人間に言葉があるのか。
それは、他者と交換するためだ。
何を?
言葉を。
感情を。
愛を。
コミュニケーションを。
そしてわたくしは、死もまた何らかの重要な贈与であり交換であると考える。
死におけるコミュニケーションを拒否した須原からでさえ、こうして何らかを学べるのだから。
最後に、須原が最も欲しくないであろう弔辞で今日の文章を締めくくる。
「哲学者」、須原一秀氏のご冥福をお祈りします。
あなたには長生きしてほしかった。
そして、もっと本を書いてほしかった。
そうすれば、読者とのコミュニケーションがあなたを自死には誘わなかっただろう。
それともやはりあなたは、他者を拒絶し、孤高の魂のままで逝っただろうか。
注1・白骨のご文章
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに
凡そはかなきものは、この世の始中終、幻のごとくなる一期なり。
されば未だ万歳(まんざい)の人身(じんしん)を受けたりという事を聞かず、一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。吾や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は本(もと)の雫(しずく)・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬればふたつの眼(まなこ)たちまちに閉じ、ひとつの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)の装を失いぬるときは六親、眷属集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかいなれば、誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて阿弥陀仏を深くたのみまいらせて念仏申すべきものなり。
浄土真宗・蓮如上人のお言葉。
父を真宗式で送ったので、お通夜でこのお言葉を聞きました。
ああなんて「無常」という単語を美しく表現されるのだろうと感動したのを覚えています。
参考文献
自死という生き方 覚悟して逝った哲学者
(須原一秀 双葉社 2008 ISBN 978-4-575-29998-4)
死と身体 コミュニケーションの磁場
(内田樹 医学書院「ケアをひらく」シリーズ 2004 ISBN 978-4-260-33366-5)
ハイデガーとレヴィナスは笠井潔の「哲学者の密室」の登場人物、ハルバッハとガドナスを通してしかエッセンスに触れたことはないし、ジャック・デリダに至っては、生理的に文章を受け付けられない人がデリダ論を書いているので、そもそも読む気にすらなれないのが現状。脱構築?なにそれ、食べられるもの?って状態だ。
フッサール現象学にしたところで、パトリシア・べナーの看護理論その他の記述を通して二次的に理解しているような状態だから、専門に研究している人から見れば、鼻で笑いたくなるレベルであろう。
うだうだと前置きをしたのには一応理由がある。
須原一秀という人をご存じか。
武士道の実践という幻想に取りつかれ、自然死は悲惨だという思い込みから、自らの命を絶った「哲学者」だ。
遺作「自死という生き方」は、その自死に至る思索の経緯が綴られている。
本の帯にはこうある。
「65歳の春。晴朗で健全で、そして平常心で決行されたひとつの自死」
どこがだ。とわたくしは思った。
自殺は自殺だ。
自殺した時点で、平常心は喪われている。
須原には、「己の死はそこらの自殺とは違う」という意識があるようだが、残念ながら
そこに高潔な死も卑小な死もありはしない。
魂の乗り物としての身体を粗末に扱ったものとしての記号=自殺者という統計に計上されることに変わりはない。
大体、武士道に自殺を奨めるような記述などない。
有名な言葉に、「武士道は死ぬことと見つけたり」というのがあるが、これが蓮如上人の「白骨のご文章(注1)」の言い換えであることは、「葉隠」をきちんと読んだ上でなら明白なはずだ。
自ら死ぬことの道理を説いているのが武士道なのではない。
武士という生業についているのであれば、(追記) いつ死ぬことがあってもやり残したことがないように、常に全力で生きよと説いているのが武士道 (追記ここまで)なのではないか?
また、こういう読み方もできるだろう。
武士道は、バーチャルな死を先取りする哲学だと。
死んだ後の自分を定点として、そこから過去を俯瞰するような精神のありようで生きることができるのであれば、どのような事態が起こっても、意識の中での時系列は「過去」になり、過去に起こったことと意識する以上、そこにはリアルな動揺はなく、常に平常心で生きられるのではないか?
なぜなら、「死後の世界」は常に、今生きている自分の先にあるものだから。
人生の到達点は、言うまでもなく死である。
死後の時間から「今」を俯瞰するということは、未来から現在を眺めるということである。
現在は決して未来にはなりえない。
未来とは、未だ起こっていないこと、これから起こるであろうことを指すのであるからだ。
未だ起こっていない時間から自分を、今を俯瞰する。そのどこに、自ら死ぬことを指すロジックがあるというのか。
武士道は死を希求する哲学とはなりえないのだ。
須原はそれを意識的に読み違えているとしか思えない。
わたくしは、文章に須原の病的なまでの死への依存を見る。
特攻隊の美学や、三島由紀夫の市ヶ谷での割腹自殺の過剰な美化は、自死への執着が生み出したものとしか見えなかった。
執着で聞こえが悪ければ妄執と言い換えてもいいが、どちらも須原は否定するだろう。
須原は、悲惨に死んでゆく(であろう)老いた己の幻想から逃れられなかった。ただそれだけのことだ。
わたくしは高齢者施設に勤務している関係上、様々なお年寄りに出会う。
須原のいう「悲惨な自然死」が現実であるというならば、なぜわたくしが出会う高齢者には素敵な笑顔の方が多いのだろうか?
天寿を全うして、わたくしたちの前から去ってしまわれる方は毎年複数おられる。
病院のベッドで最期の時を迎える方もあれば、ご自宅でご家族に見守られながら...という方もいる。
残されたご家族から、「眠るような最後でした」という言葉を聞くことがある。
その方々の最期が悲惨だなどと、いったい誰が断言できるのか。
そんな権利は誰にもない。須原にも、わたくしたちにも。
それとも、東京都の東の一部だけに、「悲惨な自然死」が存在しないユートピアが存在するとでもいうのだろうか?
そんなことはあるわけがない。
死者に鞭打つ気は毛頭ないが、わたくしは身内を「悲惨な自然死」で見送ったものとして、須原に反論せねばならない。
「死ぬ瞬間」で有名な精神科医キューブラー・ロスを、須原は酷評している。
死の直前にあってなお、ロス自身に死の受容ができていなかったというのがその理由だが、読んでいて吐き気を催すような内容だった。
(ここに引用するのも怒りが蘇るので、興味のある方は一読されたし。無責任で申し訳ない)
須原のご母堂は、ロスの言う5段階を経て死に至ったという。
だが、妻の父の死に関し、須原は「神も医者も親族も本人も完全に無責任な体制での死」という表現を採用している。
ここに、須原の考えを読み解くカギがあるとわたくしは見ている。
須原は、死者はその死の当事者であるとともに、死者の周囲にとっては、その死をめぐる物語の重要な登場人物であるという視点を、ごっそりと欠落させている。
確かに死は、他者に代わって貰うこともできなければ、逆に誰かの死を肩代わりすることもできない。
だが同時に死は、当事者だけでは完結できない事象でもあるのだ。
その死を認知する他者があってはじめて、ある人間の死という事件はあきらかになる。
「死者を認知する他者」の存在しない死はありえない。
行方不明者は、その死体が発見されるか当事者が生きていることが確認されるまでは、あくまでも「行方不明者」でしかないことでもそれはあきらかだ。
言い換えれば、死にさえもコミュニケーションはついて回るということだ。
自死を選ぶ人には、その視点が欠落している。
誰かを永遠に喪う瞬間は、周囲の人間にとっては事件なのだ。
死という事件は、当事者の体内における生命活動の停止としてのみ起こるのではない。
周囲を含めた場で起こるのだ。
わたくしの父は、脳梗塞で倒れ、食物の経口摂取ができなくなり胃ろうを造設した。
なおかつ彼は、歩くこともトイレで排泄することもできない状態で1年半を生き、記憶野が破壊され、今がいつかも理解できなくなって最期を迎えた。
それでもわたくしは、生きていて欲しかったのだ。
自死しないでいてくれて、最後まで生き抜いてくれてありがとうとすら思ったのだ。
それがわたくしの、父の死をめぐる物語なのだ。
父は積極的に死ななかった。
医師は積極的に父を殺さず、最期に呼吸が止まる瞬間に立ち会い、臨終を宣言する大役をつとめてくれた。
わたくしも父を積極的に殺さず、口を塞いだり点滴に毒を詰めることもなく、最期に立ち会った。
最期を看取るということは、そのひとの死という事実を、本人以外に最初に引き受ける大役を仰せつかるということだ。
それでも須原はこれを、無責任な体制の下での死と呼べと言うのか?
そんな哲学は、承認するわけにはいかない。
須原の理論では、周囲に「死にゆく物語」を作ることを許さない。
彼は首を吊り、頸動脈を掻き切るという死に方を選択した。
つまり、彼の家族にとって彼の死は、「突然現れた血塗れの首吊り死体」から始まったのだ。
家族は、周囲は、突然日常にぽっかりと穴が開いた状態を余儀なくされるのだ。
非日常的な光景は、長くトラウマとなる。
須原は目論見通り死ねて満足だろう。
だが、家族はどうなのだ?
なぜ須原は老いてなお生きることを拒んだのだ?
そうまでして、若くあり続けたかったのか?
人間は、他者とかかわらずに生きることはできない。
もしできるのなら、それは「ヒト」という生物にすぎない。
他者とかかわらずに生きられないということは、他者とかかわらずに死ぬこともできないということだ。
なぜ人間に言葉があるのか。
それは、他者と交換するためだ。
何を?
言葉を。
感情を。
愛を。
コミュニケーションを。
そしてわたくしは、死もまた何らかの重要な贈与であり交換であると考える。
死におけるコミュニケーションを拒否した須原からでさえ、こうして何らかを学べるのだから。
最後に、須原が最も欲しくないであろう弔辞で今日の文章を締めくくる。
「哲学者」、須原一秀氏のご冥福をお祈りします。
あなたには長生きしてほしかった。
そして、もっと本を書いてほしかった。
そうすれば、読者とのコミュニケーションがあなたを自死には誘わなかっただろう。
それともやはりあなたは、他者を拒絶し、孤高の魂のままで逝っただろうか。
注1・白骨のご文章
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに
凡そはかなきものは、この世の始中終、幻のごとくなる一期なり。
されば未だ万歳(まんざい)の人身(じんしん)を受けたりという事を聞かず、一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。吾や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は本(もと)の雫(しずく)・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬればふたつの眼(まなこ)たちまちに閉じ、ひとつの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)の装を失いぬるときは六親、眷属集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかいなれば、誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて阿弥陀仏を深くたのみまいらせて念仏申すべきものなり。
浄土真宗・蓮如上人のお言葉。
父を真宗式で送ったので、お通夜でこのお言葉を聞きました。
ああなんて「無常」という単語を美しく表現されるのだろうと感動したのを覚えています。
参考文献
自死という生き方 覚悟して逝った哲学者
(須原一秀 双葉社 2008 ISBN 978-4-575-29998-4)
死と身体 コミュニケーションの磁場
(内田樹 医学書院「ケアをひらく」シリーズ 2004 ISBN 978-4-260-33366-5)
2008年07月16日
カイロプラクティック
書き始めたら同じ日に2エントリアップですか(呆)
相変わらず手加減のできない夕顔でございます皆様こんばんは。
♪足痺れる 手も痺れる 肩こり頭痛は当たり前
目がかすむ 耳鳴りする 目眩で毎日ぐーるぐる
朝起きて 駆け込みで 30分ちょっとの通勤路
隙間がねえ 吊革ねぇ マジで身体が潰される!
突然ですが、わたくしは↑というような通勤事情に5年ほど耐えておりました。
おそらくもともとかなり骨格が歪んでいたものと推察されるわたくしの身体にとって、
上記のようなラッシュは更なる歪みをもたらすものであったことは想像に難くないわけでして。
ことに今年春以降にいたっては
♪湿布効かねぇ 電気効かねぇ 整形外科医もさじ投げた
腰痛は あるけれど レントゲン撮っても異常なし
という状況まで追加されておりました。
(あ、今更ですが、吉幾三氏の「あの名曲のメロディ」で読んで頂きたいなー)
で、藁にも縋る思いで、最寄り駅近くに開業したばかりのカイロプラクティックの治療院に行きはじめたのが5月末のこと。
ここ数年、腸骨(骨盤)が歪んでいることの自覚だけはあったのです。
具体的に言うと、左側の腸骨稜だけが前方に飛び出たようになってまして。
何が困るかというと。
スカートをはくと、回っちゃうんですよ。
いや、わたくしはかなり肉付きがいい(←控えめな表現)んですけど、スレンダーでスカートが回るとかじゃなくて、骨ごと身体が歪んでるから、だからスカートが回っちゃうんですね(汗)
さらに、足の長さも左右で違ってしまうため、ズボンも片方だけ裾が傷む傷む。
問診では笑顔のあった先生、触診が始まるとあまりの酷さにか絶句。
「あのぅ夕顔(仮)さん...」
「酷いですよね?たぶん」
「いや、なんというかその」
「胸椎はまあましだと思うんですけど、腰椎とかぼろぼろじゃないですか?」
「いや、あの」
「何でしょう?」
「...胸椎のアーチ、消滅してますよ...」
「......(滝汗)」
いまさらですが、脊椎の解剖を少々。
7つの頚椎、12の胸椎、5つの腰椎、5つの椎体が癒合している仙椎(仙骨といいます)、4つの椎体が癒合している尾椎(尾骨といいます。尾てい骨ちゅーのは俗称です)をあわせて脊椎と呼びますが、これらは直線的にではなく、緩やかにS字カーブを描いてつながっており、それによって体重の負担や外部からの衝撃を緩和する構造になっています。
正常な人体であれば、胸椎は後彎(身体の後面にむかってカーブを描いていること)しているはずです。
そのカーブが消滅しているということは、その上下に連続する頚椎、腰椎が、胸椎の分も負担を引き受けているということです。
...なんか、聞かなくても、どんな状況か想像がついてきた。
骨格歪んだ状態で、て○しろまるみんとかナチュ○しろまるル○しろまるテーションとか行っても無駄だわ、確かに。
凝りを一時的にほぐしても、結局また歪みに引っ張られるんだもん。
そして整形外科的にも、折れてるとかヒビ入ってるとか靭帯伸びてるとかじゃない、要するに治療の対象になってるわけじゃないもんなぁ。
結局わたくしの身体は、腰椎頚椎に多大なる負担がかかっていることが判明。
具体的に言うと、胸椎3〜12がカーブを失っているため、それを代償するために胸椎1,2が急激に前に倒れ(一応、後彎つーのか?)、それに連なる頚椎は椎間板が潰される寸前の勢いで前彎(前側にアーチを描くこと)していると。
腰椎も派手に歪み、これが腰痛の元だったというわけで。
そして、予測どおり腸骨は歪みまくり、おかげで仙骨もねじれる様に歪んでいたと...よく生きてるなぁ、わたくし。
で、施術。
バキバキと小気味いい音を立てて脊椎を矯正するってのを想像していたんですが、わたくしの場合、歪みが酷すぎるので初回からバキバキは無理とのこと。なんかちょっと残念。
軽く1時間ほど、ほぐしてもらいました。
きついのはやっていないとのことでしたが、それでも視界が明るい!
なんか神経つながった!!って感じ。
そんなわけで、それから毎週欠かさずに行ってます、カイロ。
おかげで首が少し伸び、首の皺が消えました。バンザイ。
すっかりカイロ信者(?)と化しているのですが、ひとつわからないことがあります。
それは、「整体とカイロの違いって、何?」ってことなんですが。
どなたかご存知の方いませんか?
相変わらず手加減のできない夕顔でございます皆様こんばんは。
♪足痺れる 手も痺れる 肩こり頭痛は当たり前
目がかすむ 耳鳴りする 目眩で毎日ぐーるぐる
朝起きて 駆け込みで 30分ちょっとの通勤路
隙間がねえ 吊革ねぇ マジで身体が潰される!
突然ですが、わたくしは↑というような通勤事情に5年ほど耐えておりました。
おそらくもともとかなり骨格が歪んでいたものと推察されるわたくしの身体にとって、
上記のようなラッシュは更なる歪みをもたらすものであったことは想像に難くないわけでして。
ことに今年春以降にいたっては
♪湿布効かねぇ 電気効かねぇ 整形外科医もさじ投げた
腰痛は あるけれど レントゲン撮っても異常なし
という状況まで追加されておりました。
(あ、今更ですが、吉幾三氏の「あの名曲のメロディ」で読んで頂きたいなー)
で、藁にも縋る思いで、最寄り駅近くに開業したばかりのカイロプラクティックの治療院に行きはじめたのが5月末のこと。
ここ数年、腸骨(骨盤)が歪んでいることの自覚だけはあったのです。
具体的に言うと、左側の腸骨稜だけが前方に飛び出たようになってまして。
何が困るかというと。
スカートをはくと、回っちゃうんですよ。
いや、わたくしはかなり肉付きがいい(←控えめな表現)んですけど、スレンダーでスカートが回るとかじゃなくて、骨ごと身体が歪んでるから、だからスカートが回っちゃうんですね(汗)
さらに、足の長さも左右で違ってしまうため、ズボンも片方だけ裾が傷む傷む。
問診では笑顔のあった先生、触診が始まるとあまりの酷さにか絶句。
「あのぅ夕顔(仮)さん...」
「酷いですよね?たぶん」
「いや、なんというかその」
「胸椎はまあましだと思うんですけど、腰椎とかぼろぼろじゃないですか?」
「いや、あの」
「何でしょう?」
「...胸椎のアーチ、消滅してますよ...」
「......(滝汗)」
いまさらですが、脊椎の解剖を少々。
7つの頚椎、12の胸椎、5つの腰椎、5つの椎体が癒合している仙椎(仙骨といいます)、4つの椎体が癒合している尾椎(尾骨といいます。尾てい骨ちゅーのは俗称です)をあわせて脊椎と呼びますが、これらは直線的にではなく、緩やかにS字カーブを描いてつながっており、それによって体重の負担や外部からの衝撃を緩和する構造になっています。
正常な人体であれば、胸椎は後彎(身体の後面にむかってカーブを描いていること)しているはずです。
そのカーブが消滅しているということは、その上下に連続する頚椎、腰椎が、胸椎の分も負担を引き受けているということです。
...なんか、聞かなくても、どんな状況か想像がついてきた。
骨格歪んだ状態で、て○しろまるみんとかナチュ○しろまるル○しろまるテーションとか行っても無駄だわ、確かに。
凝りを一時的にほぐしても、結局また歪みに引っ張られるんだもん。
そして整形外科的にも、折れてるとかヒビ入ってるとか靭帯伸びてるとかじゃない、要するに治療の対象になってるわけじゃないもんなぁ。
結局わたくしの身体は、腰椎頚椎に多大なる負担がかかっていることが判明。
具体的に言うと、胸椎3〜12がカーブを失っているため、それを代償するために胸椎1,2が急激に前に倒れ(一応、後彎つーのか?)、それに連なる頚椎は椎間板が潰される寸前の勢いで前彎(前側にアーチを描くこと)していると。
腰椎も派手に歪み、これが腰痛の元だったというわけで。
そして、予測どおり腸骨は歪みまくり、おかげで仙骨もねじれる様に歪んでいたと...よく生きてるなぁ、わたくし。
で、施術。
バキバキと小気味いい音を立てて脊椎を矯正するってのを想像していたんですが、わたくしの場合、歪みが酷すぎるので初回からバキバキは無理とのこと。なんかちょっと残念。
軽く1時間ほど、ほぐしてもらいました。
きついのはやっていないとのことでしたが、それでも視界が明るい!
なんか神経つながった!!って感じ。
そんなわけで、それから毎週欠かさずに行ってます、カイロ。
おかげで首が少し伸び、首の皺が消えました。バンザイ。
すっかりカイロ信者(?)と化しているのですが、ひとつわからないことがあります。
それは、「整体とカイロの違いって、何?」ってことなんですが。
どなたかご存知の方いませんか?
近況報告
ほぼ一年ぶりじゃん更新...
一年たったんだ、なぁ。
いろいろありすぎの一年でした。
なんかぜんぜん頭が整理できていないので、つらつら書いてみます。
ものすごく読みづらい文になると思いますので最初に謝ります。ごめんなさい。
1・いろいろの内訳。
母が倒れたり。
父が鬼籍に入ったり。葬儀があったり。
子供が中学生になったり。
するするといいながら離婚がなかなかできなかったり。
実家が県営団地で、返還がオオゴトだったり。
2・いろいろの詳細。
(1)父に関して。
父は3月の最後の日に鬼籍に入りました。
脳梗塞で倒れ、経口摂取ができず胃ろうになり、リハビリも拒否して寝たきり生活に入った段階で、ある程度覚悟はしていました。
それでも、生きてて欲しかったですけど。
(2)で、母は。
母は昨夏、熊谷市が日本最高気温を更新したあの日に熱中症で倒れ、それ以降認知症の症状が顕著になりました。
ガスの火をつけたままほったらかすというデンジャラスなお約束をやらかし、腐ったものとそうでないものの区別がつかず腹を下し、夫(父)が浮気をして若い女のところに通っていると言い張り夜中に泣いて電話をよこし(とーちゃんは入院中だっつの)...などなど。
そして9月末。
家の中に盗賊団がいるという妄想に取り憑かれた母は、一日に何度も警察を呼び、警察官が来たら来たで「知らない男が家にいる!」とパニクりわたくしの携帯に連絡をよこし、目を離すと実家の前を通る国道の真ん中にふらふら出て行くという状態を呈するにいたりました。
長年患っていたパーキンソン病の内服薬が変更された直後に幻覚妄想が悪化しているので、認知症の症状というよりは、薬の副作用だったのかもしれませんが、とにかく母に在宅で生活させることは事実上不可能になり、施設入所の運びとなりました。
母は入所。父は入院。
仕事が終わったら母の顔を見に行って父の病院に寄り洗濯物を回収する、という生活が、半年続きました。
兄弟でもいればよかったんですけど、生憎わたくしはひとりっこです。
過ぎてみればたった半年でしたが、永遠にも思えた半年でした。
(もっと長年介護に看護に明け暮れている方は山ほどいらっしゃいますよね。みんな、身体を壊さないでくださいね)
(3)父の葬儀とそれにまつわる馬鹿話。
葬儀では、状況からわたくしが喪主になりました。
その席で、戸籍上の配偶者がいろいろやらかしてくれました。
通夜開始直前に祭壇に子供と並んで記念撮影とかもうね、アホかと。馬鹿かと。
子供は嫌がってるしわたくしも激怒しているのに
「記念なんだからさ」とか、それが48にもなった男の言葉か。どこが記念だバカタレ。親が死んで記念もへったくれもあるか大馬鹿者。
怒り狂った挙句、危うく喪服で回し蹴りを繰り出す寸前でした。
実は、これには更なる後日談があります。
父のお骨は、わたくしの家に仮置したのですが。
中陰壇の線香に、配偶者君は「不○しろまる家のケーキについてきたローソクの燃え残り」で火をつけやがりました。
ええ、中尾彬のねじねじばりにひねりの入った、カラフルにビタミンカラーなアレです。
仏壇用のローソクをちゃんと買ってあるのになぜそういうアホなことをする?と思うのですが、配偶者君いわく
「買ったローソクを使うのはもったいないからリサイクル」だそうで。
供養にリサイクルとか、意味がわかりません。
つまりわたくしの父親は、供養に新しいローソクを使う価値なしということですか、そうですか。
(でも、リサイクルとかそんな話は、絶対後出しに違いないですけどね。だって、ご丁寧に息子に口止めしてるんだもの)
ここにいたって完全にぶちきれたわたくしは配偶者君に離婚を請求いたしました...って5年も前から離婚してって言ってるんだけどね。
それに対する配偶者君の言い分の要約。
「たぶん自分の親に対してでも使用済みローソクで線香をあげる。だから、君の親だからという理由でしたわけではないし、そもそも嫌がらせでもなんでもない。ごくごく常識的なことで、それに対してこんなに怒る人がいるとは思わなかった。だがそれほど怒るということは、おそらく自分が何か間違ったのだろう。離婚は、応じてもいいが、今すぐはできない。自分は家庭科を小学校しか教わっていないので、料理も洗濯も満足にできないから」
とのこと。
いろいろあって、離婚については現在も協議中。
概ね、離婚は避けられないということで基本合意は得られているのですが、条件面がなかなか折り合いません。
(4)父亡き後の実家の始末。
実家は県営の団地でした。
父が亡くなったということに加え、母も自宅での生活が不可能になったので、公社に返還せざるを得なくなったのですが...
二人暮らしだったというのに、何であんなにモノがいっぱいあるんだか!!
返還期限が近づいても、片づけが遅々として進まず、ほぼお手上げ状態。
そんなときに思い出したのがこちらのブログの会社。
以前にトラックバックして頂いたことがあり、それからちょくちょく拝見してたのです。
で、遺品整理と処分を一緒にお願いできるということで、実家の片付けを依頼することにしました。
当日現れたスタッフの方々は、見たところ皆さんまだ「若者」。
でも仕事はプロでした。
どう仕分けたらいいか途方にくれていた大荷物たちが、あれよあれよという間に片付いていくさまは、感動モノでした。
キーパーズ東京支店の皆様、その節はお世話になりました。
おかげさまで無事に片付けも終わり、本当に感謝しております。
今後の皆様のますますのご活躍をお祈り申し上げます。
とまあ、そんなこんながありました。
久々に、仕事以外で文章を書いた気がします。
次の更新はいつになるでしょう...(←さっさと書け馬鹿者)
一年たったんだ、なぁ。
いろいろありすぎの一年でした。
なんかぜんぜん頭が整理できていないので、つらつら書いてみます。
ものすごく読みづらい文になると思いますので最初に謝ります。ごめんなさい。
1・いろいろの内訳。
母が倒れたり。
父が鬼籍に入ったり。葬儀があったり。
子供が中学生になったり。
するするといいながら離婚がなかなかできなかったり。
実家が県営団地で、返還がオオゴトだったり。
2・いろいろの詳細。
(1)父に関して。
父は3月の最後の日に鬼籍に入りました。
脳梗塞で倒れ、経口摂取ができず胃ろうになり、リハビリも拒否して寝たきり生活に入った段階で、ある程度覚悟はしていました。
それでも、生きてて欲しかったですけど。
(2)で、母は。
母は昨夏、熊谷市が日本最高気温を更新したあの日に熱中症で倒れ、それ以降認知症の症状が顕著になりました。
ガスの火をつけたままほったらかすというデンジャラスなお約束をやらかし、腐ったものとそうでないものの区別がつかず腹を下し、夫(父)が浮気をして若い女のところに通っていると言い張り夜中に泣いて電話をよこし(とーちゃんは入院中だっつの)...などなど。
そして9月末。
家の中に盗賊団がいるという妄想に取り憑かれた母は、一日に何度も警察を呼び、警察官が来たら来たで「知らない男が家にいる!」とパニクりわたくしの携帯に連絡をよこし、目を離すと実家の前を通る国道の真ん中にふらふら出て行くという状態を呈するにいたりました。
長年患っていたパーキンソン病の内服薬が変更された直後に幻覚妄想が悪化しているので、認知症の症状というよりは、薬の副作用だったのかもしれませんが、とにかく母に在宅で生活させることは事実上不可能になり、施設入所の運びとなりました。
母は入所。父は入院。
仕事が終わったら母の顔を見に行って父の病院に寄り洗濯物を回収する、という生活が、半年続きました。
兄弟でもいればよかったんですけど、生憎わたくしはひとりっこです。
過ぎてみればたった半年でしたが、永遠にも思えた半年でした。
(もっと長年介護に看護に明け暮れている方は山ほどいらっしゃいますよね。みんな、身体を壊さないでくださいね)
(3)父の葬儀とそれにまつわる馬鹿話。
葬儀では、状況からわたくしが喪主になりました。
その席で、戸籍上の配偶者がいろいろやらかしてくれました。
通夜開始直前に祭壇に子供と並んで記念撮影とかもうね、アホかと。馬鹿かと。
子供は嫌がってるしわたくしも激怒しているのに
「記念なんだからさ」とか、それが48にもなった男の言葉か。どこが記念だバカタレ。親が死んで記念もへったくれもあるか大馬鹿者。
怒り狂った挙句、危うく喪服で回し蹴りを繰り出す寸前でした。
実は、これには更なる後日談があります。
父のお骨は、わたくしの家に仮置したのですが。
中陰壇の線香に、配偶者君は「不○しろまる家のケーキについてきたローソクの燃え残り」で火をつけやがりました。
ええ、中尾彬のねじねじばりにひねりの入った、カラフルにビタミンカラーなアレです。
仏壇用のローソクをちゃんと買ってあるのになぜそういうアホなことをする?と思うのですが、配偶者君いわく
「買ったローソクを使うのはもったいないからリサイクル」だそうで。
供養にリサイクルとか、意味がわかりません。
つまりわたくしの父親は、供養に新しいローソクを使う価値なしということですか、そうですか。
(でも、リサイクルとかそんな話は、絶対後出しに違いないですけどね。だって、ご丁寧に息子に口止めしてるんだもの)
ここにいたって完全にぶちきれたわたくしは配偶者君に離婚を請求いたしました...って5年も前から離婚してって言ってるんだけどね。
それに対する配偶者君の言い分の要約。
「たぶん自分の親に対してでも使用済みローソクで線香をあげる。だから、君の親だからという理由でしたわけではないし、そもそも嫌がらせでもなんでもない。ごくごく常識的なことで、それに対してこんなに怒る人がいるとは思わなかった。だがそれほど怒るということは、おそらく自分が何か間違ったのだろう。離婚は、応じてもいいが、今すぐはできない。自分は家庭科を小学校しか教わっていないので、料理も洗濯も満足にできないから」
とのこと。
いろいろあって、離婚については現在も協議中。
概ね、離婚は避けられないということで基本合意は得られているのですが、条件面がなかなか折り合いません。
(4)父亡き後の実家の始末。
実家は県営の団地でした。
父が亡くなったということに加え、母も自宅での生活が不可能になったので、公社に返還せざるを得なくなったのですが...
二人暮らしだったというのに、何であんなにモノがいっぱいあるんだか!!
返還期限が近づいても、片づけが遅々として進まず、ほぼお手上げ状態。
そんなときに思い出したのがこちらのブログの会社。
以前にトラックバックして頂いたことがあり、それからちょくちょく拝見してたのです。
で、遺品整理と処分を一緒にお願いできるということで、実家の片付けを依頼することにしました。
当日現れたスタッフの方々は、見たところ皆さんまだ「若者」。
でも仕事はプロでした。
どう仕分けたらいいか途方にくれていた大荷物たちが、あれよあれよという間に片付いていくさまは、感動モノでした。
キーパーズ東京支店の皆様、その節はお世話になりました。
おかげさまで無事に片付けも終わり、本当に感謝しております。
今後の皆様のますますのご活躍をお祈り申し上げます。
とまあ、そんなこんながありました。
久々に、仕事以外で文章を書いた気がします。
次の更新はいつになるでしょう...(←さっさと書け馬鹿者)
2007年08月22日
ROCK!Naramata.
堰堤(ダム・注)は、水もの。
七月八月ばかり、雨降らず、いみじう暑ければ、旱魃にならんとするをいかにかせむとて雨乞いなどするこそ、よき。
ひとたび雨降れば、水のいと増えたるを、貯水せんものなりて、溜池、発電、河川維持などにも役立ちたる。
放水中なれば、水煙たなびきたり、轟々と音立てつ。
堰堤、数あり。
岩積堰堤(ロックフィルダム・注)、核(コア)となりぬ土の層、石もて積み、核をば覆い、堤体となすものをいうなり。
上州に、いとめでたき岩積堰堤あり。
名をば、奈良俣となむいひける。
堤体の白きよげなるに、水をば湛えたり。
いと青き山肌に照り映ゆも、いみじうをかしければ、車など留めて、見まほしくこそあれ。
洪水吐より流れいでたる水の、漣がごとき水紋となりぬは、目に涼しきこと、はた言ふべきにあらず(注)。
左岸に、案内所あり。
人呼びて、「ヒルトップならまた」といひけるを、中にぞ入れば、奥利根の自然のよきを知らしむるなり。
楢の実に目鼻付けたりし、童にさも似たりを、奈良俣が象徴とせんとて「源くん」「愛奈ちゃん」と名づけたる、いとをかし(注)。
なれど、人口に膾炙せざるは、あはれなり。
奈良俣、水資源機構が治めし堰堤なれば、ダムカードあるべしとて、管理所を訪ねけり、よき得たる。
注釈
堰堤:河川や自然湖沼や地下水等を堰止め貯水する土木構造物全般を指すが、日本の河川法上、堤高15M以上のものはダムと呼ぶ。
つまり、河川法上、堰堤とダムとをイコールの扱いをするのは(厳密には)誤りであるが、ここでは語感を大事にした結果、こういう扱いになった。ご了承いただきたい。
ロックフィルダム:ロックは岩、フィルは積み上げること、ということで「岩積堰堤」なる無理な訳語をひねり出してみた。
ダム便覧はおろか、国土交通省のダム情報にだって載っていない単語なので、くれぐれもよい子のみんなはこの単語でググったりしないように。
洪水吐の水紋:奈良俣ダムの放水は非常に美しいことで有名である。だが、夕顔は写真とDVDでしか見たことがない。残念である。
源くんと愛奈ちゃん:奈良俣ダムのキャラクター。
夕顔的には黒部ダムの「クロベダムマン」よりも萌え要素大である。
どんぐりに顔と手足がついただけの意匠ではあるが、そのシンプルさに潔さを感じる(←大袈裟)。
土産物屋ではシールとごま餅のパッケージに登場するが、夕顔としてはストラップとぬいぐるみの商品化を激しく希望する。
古文はいうまでもなく、ボロボロである。
奈良俣の美しさを語るには「枕草子」だ!とパクリを決め込んだのはいいが、古文の成績が悪かったことをすっからかんに忘れていた。
おかげで係り結びも助動詞もあったもんじゃない。
国文を専攻された方には盛大なツッコミを喰らうこと間違いなしである。
シロートの戯言にしても目に余るという方、どうぞコメントください。
なお、当方ではダムの是非について語るつもりはありません。
ダム是非に関わるコメントは、まことに勝手ながら削除させていただきますので悪しからず。
七月八月ばかり、雨降らず、いみじう暑ければ、旱魃にならんとするをいかにかせむとて雨乞いなどするこそ、よき。
ひとたび雨降れば、水のいと増えたるを、貯水せんものなりて、溜池、発電、河川維持などにも役立ちたる。
放水中なれば、水煙たなびきたり、轟々と音立てつ。
堰堤、数あり。
岩積堰堤(ロックフィルダム・注)、核(コア)となりぬ土の層、石もて積み、核をば覆い、堤体となすものをいうなり。
上州に、いとめでたき岩積堰堤あり。
名をば、奈良俣となむいひける。
堤体の白きよげなるに、水をば湛えたり。
いと青き山肌に照り映ゆも、いみじうをかしければ、車など留めて、見まほしくこそあれ。
洪水吐より流れいでたる水の、漣がごとき水紋となりぬは、目に涼しきこと、はた言ふべきにあらず(注)。
左岸に、案内所あり。
人呼びて、「ヒルトップならまた」といひけるを、中にぞ入れば、奥利根の自然のよきを知らしむるなり。
楢の実に目鼻付けたりし、童にさも似たりを、奈良俣が象徴とせんとて「源くん」「愛奈ちゃん」と名づけたる、いとをかし(注)。
なれど、人口に膾炙せざるは、あはれなり。
奈良俣、水資源機構が治めし堰堤なれば、ダムカードあるべしとて、管理所を訪ねけり、よき得たる。
注釈
堰堤:河川や自然湖沼や地下水等を堰止め貯水する土木構造物全般を指すが、日本の河川法上、堤高15M以上のものはダムと呼ぶ。
つまり、河川法上、堰堤とダムとをイコールの扱いをするのは(厳密には)誤りであるが、ここでは語感を大事にした結果、こういう扱いになった。ご了承いただきたい。
ロックフィルダム:ロックは岩、フィルは積み上げること、ということで「岩積堰堤」なる無理な訳語をひねり出してみた。
ダム便覧はおろか、国土交通省のダム情報にだって載っていない単語なので、くれぐれもよい子のみんなはこの単語でググったりしないように。
洪水吐の水紋:奈良俣ダムの放水は非常に美しいことで有名である。だが、夕顔は写真とDVDでしか見たことがない。残念である。
源くんと愛奈ちゃん:奈良俣ダムのキャラクター。
夕顔的には黒部ダムの「クロベダムマン」よりも萌え要素大である。
どんぐりに顔と手足がついただけの意匠ではあるが、そのシンプルさに潔さを感じる(←大袈裟)。
土産物屋ではシールとごま餅のパッケージに登場するが、夕顔としてはストラップとぬいぐるみの商品化を激しく希望する。
古文はいうまでもなく、ボロボロである。
奈良俣の美しさを語るには「枕草子」だ!とパクリを決め込んだのはいいが、古文の成績が悪かったことをすっからかんに忘れていた。
おかげで係り結びも助動詞もあったもんじゃない。
国文を専攻された方には盛大なツッコミを喰らうこと間違いなしである。
シロートの戯言にしても目に余るという方、どうぞコメントください。
なお、当方ではダムの是非について語るつもりはありません。
ダム是非に関わるコメントは、まことに勝手ながら削除させていただきますので悪しからず。
2007年08月20日
奥利根ダムツアー1・藤原ダム
ダム好きになぜダムを見に行くのかと問えば、そこにダムがあるからだと答えるでしょう...多分。
もちろん、わたくしもご多分に漏れないことは言うまでもありません。
ダムが森林の中から姿を現した時。
巨大な橋を目にした時。
電車の駆動音を耳にした時。そしてその車両を目にした時。
やっと逢えた〜〜〜!!
相手が人であったなら、辺りを憚らず抱き付いてしまいたいような感覚になります。
さすがにダムや橋には抱きつけないし、電車なんか抱き付こうと飛び出したら人身事故になっちゃいますからやりませんけど(爆)
はい、なんですか?
え?変態?
...で。えーと(スルーかヲイ)
ちょうどダムツアーを組める時間があり、かつ、こんなマニアックな行程に付き合ってくださる貴重な運転手も確保できたので。
行ってまいりました、奥利根のダム群。
ええとですね、群馬県って水力発電のダムが多いんです。
なんでも、東電のダムのかなりの数を群馬が抱えているんだとか。
もちろん国土交通省や水資源機構のダムもわらわら存在しますし。
やっぱり多いのは重力式コンクリートになっちゃうんですが、少ないながらも味のある形式のダムが頑張ってます。
日本最大級のセンターコア型ロックフィルダムにして、色白美人な奈良俣ダム。
日本に6基しかない貴重なバットレスダムとして、国宝に指定されている丸沼ダム。
埼玉との境に位置し、直角に曲がった堤体を持つ変り種重コン、下久保ダム(ダムデータ等では埼玉県のダムとして記載されている場合が多いようですが)。
そして、人里離れた山奥、利根川最上流にひっそりと佇むアーチ式コンクリートダム、矢木沢ダム。
で。
群馬と漠然といっても、群馬県は広いです。
なのでエリアは奥利根限定で回ってきたわけですね。
行った順に、藤原ダム、奈良俣ダム、須田貝ダム、矢木沢ダムの4箇所です。
藤原ダム。
形式は重力式コンクリートダム。
堤高95.0M、堤長230.0M、有効貯水量35,890,000立方M。
国土交通省が管理する洪水調節・防災・河川維持用水などを目的とするダムであり、同時に玉原発電所(東電の揚水発電所)の下部ダムとして、上部ダムの玉原ダムと一体運用されている発電ダムでもあります。
(おそらくは世界初のダムめぐりDVD「ザ・ダム」において、栄えある1基目の出演を果たしたダムだったりもしますが、見た人います?)
外見はずばり、重コンスタンダードスタイル。王道です。
つまり、おおよその人が「ダム」と聞いて思い浮かべる姿に近いのではないかと思われます。
なんというか、真面目とか実直とか堅実とか質実剛健とか出前迅速とか、そういった言葉が似合いそうな姿です。って最後のひとつは違いますか、そうですか。
人にたとえるなら、詰襟が似合う委員長タイプってところでしょうか。
そんなに背は高くないけど成績優秀、実は運動も得意で制服脱いだら筋肉がしっかりついてるよーな...って完全に妄想ですね。
どうみてもオバサンです。本当にありがとうございました(汗)
気を取り直して、藤原ダム。
夏季ゆえに水位はやや下がっており(夏季制限水位)、豪快な放水が見られなかったのは前回の浦山ダムと同じ。
重力式コンクリートという形式も、浦山ダムと同じ。
しかし、古いうえ、「地域に開かれたダム」でもなんでもないここ藤原ダムには、うららぴあのよーなPR施設なぞ、何もありゃしません。
きっとダムカードは管理事務所...でもなんか敷居高いよなー...と逡巡しているうちに、結局、チキンなわたくしはカードを貰いに行き損ねてしまいました。
藤原ダム。
アクセスは良好なほうだし、首都圏の水がめ、利根川水系だし。
管理者はもっと宣伝してよい。
そんでもっとビジターを大事にしたダムサイト作りをしてほしいのね。
つーことで、提言。
国土交通省様におかれましては、すみやかに藤原竜也氏に藤原ダムイメージキャラクターを依頼されたし。
絶対にうららぴあのウラちゃんよりは萌え要素大だから。
え?私だけ?(笑)
もちろん、わたくしもご多分に漏れないことは言うまでもありません。
ダムが森林の中から姿を現した時。
巨大な橋を目にした時。
電車の駆動音を耳にした時。そしてその車両を目にした時。
やっと逢えた〜〜〜!!
相手が人であったなら、辺りを憚らず抱き付いてしまいたいような感覚になります。
さすがにダムや橋には抱きつけないし、電車なんか抱き付こうと飛び出したら人身事故になっちゃいますからやりませんけど(爆)
はい、なんですか?
え?変態?
...で。えーと(スルーかヲイ)
ちょうどダムツアーを組める時間があり、かつ、こんなマニアックな行程に付き合ってくださる貴重な運転手も確保できたので。
行ってまいりました、奥利根のダム群。
ええとですね、群馬県って水力発電のダムが多いんです。
なんでも、東電のダムのかなりの数を群馬が抱えているんだとか。
もちろん国土交通省や水資源機構のダムもわらわら存在しますし。
やっぱり多いのは重力式コンクリートになっちゃうんですが、少ないながらも味のある形式のダムが頑張ってます。
日本最大級のセンターコア型ロックフィルダムにして、色白美人な奈良俣ダム。
日本に6基しかない貴重なバットレスダムとして、国宝に指定されている丸沼ダム。
埼玉との境に位置し、直角に曲がった堤体を持つ変り種重コン、下久保ダム(ダムデータ等では埼玉県のダムとして記載されている場合が多いようですが)。
そして、人里離れた山奥、利根川最上流にひっそりと佇むアーチ式コンクリートダム、矢木沢ダム。
で。
群馬と漠然といっても、群馬県は広いです。
なのでエリアは奥利根限定で回ってきたわけですね。
行った順に、藤原ダム、奈良俣ダム、須田貝ダム、矢木沢ダムの4箇所です。
藤原ダム。
形式は重力式コンクリートダム。
堤高95.0M、堤長230.0M、有効貯水量35,890,000立方M。
国土交通省が管理する洪水調節・防災・河川維持用水などを目的とするダムであり、同時に玉原発電所(東電の揚水発電所)の下部ダムとして、上部ダムの玉原ダムと一体運用されている発電ダムでもあります。
(おそらくは世界初のダムめぐりDVD「ザ・ダム」において、栄えある1基目の出演を果たしたダムだったりもしますが、見た人います?)
外見はずばり、重コンスタンダードスタイル。王道です。
つまり、おおよその人が「ダム」と聞いて思い浮かべる姿に近いのではないかと思われます。
なんというか、真面目とか実直とか堅実とか質実剛健とか出前迅速とか、そういった言葉が似合いそうな姿です。って最後のひとつは違いますか、そうですか。
人にたとえるなら、詰襟が似合う委員長タイプってところでしょうか。
そんなに背は高くないけど成績優秀、実は運動も得意で制服脱いだら筋肉がしっかりついてるよーな...って完全に妄想ですね。
どうみてもオバサンです。本当にありがとうございました(汗)
気を取り直して、藤原ダム。
夏季ゆえに水位はやや下がっており(夏季制限水位)、豪快な放水が見られなかったのは前回の浦山ダムと同じ。
重力式コンクリートという形式も、浦山ダムと同じ。
しかし、古いうえ、「地域に開かれたダム」でもなんでもないここ藤原ダムには、うららぴあのよーなPR施設なぞ、何もありゃしません。
きっとダムカードは管理事務所...でもなんか敷居高いよなー...と逡巡しているうちに、結局、チキンなわたくしはカードを貰いに行き損ねてしまいました。
藤原ダム。
アクセスは良好なほうだし、首都圏の水がめ、利根川水系だし。
管理者はもっと宣伝してよい。
そんでもっとビジターを大事にしたダムサイト作りをしてほしいのね。
つーことで、提言。
国土交通省様におかれましては、すみやかに藤原竜也氏に藤原ダムイメージキャラクターを依頼されたし。
絶対にうららぴあのウラちゃんよりは萌え要素大だから。
え?私だけ?(笑)
2007年08月15日
浦山ダム2
うらら〜うらら〜浦山ダム♪
という訳で、間空けすぎましたが浦山ダム徘徊記その2です。
荒川支流の浦山川を堰き止めて作られた、秩父さくら湖という(優雅なんだか平凡なんだか判断に苦しむ名前の)ダム湖を抱えた浦山ダムは、荒川水系で最大のダムです。
今回は夏の訪問ということで水位が若干下がっており、洪水吐からの豪快な放水は目にすることができませんでしたが、それでも威容はたっぷり。
思わず天端から身を乗り出し、堤体直下に向けて写真を撮ってしまいました。
くどいようですが、浦山ダムは高さ156Mあるんですよ?
こうなるともう、どこが高所恐怖症なんだかわかりませんね。
さて。
「地域に開かれたダム」の指定を受けている浦山ダム。
ダム天端は公園として開放されていて、謎のオブジェがいくつか展示されています。
オブジェは芸術作品なんだろうけど、わたくしにはイマイチぴんと来ませんでした。
何でダム天端に安産祈願?何でダム湖のほうを向いて恋愛成就を祈らにゃならんの?って感じで。作者の人ごめんなさい。
えーと。
ここでダムに詳しくない方(=一般の方)にダム用語豆知識。
知ってても得はしないけど、あなたの周りの隠れダムマニアを発見するツールくらいにはなると思われ(笑)
まず、さっきから何度か登場しているこの単語、「天端」。
てんば、と読みます。ダム堤体(ダムや堤防など、水を堰止めている構造物本体のこと)のいちばん上部のことで、道路になってたり、公園や遊歩道になっていることが多いようです。
ちなみに、堤頂(ていちょう)という言葉もほぼ同じ意味で使用されます。
堤頂(天端)の右岸から左岸までの長さは「堤頂長(堤長ともいう)」といい、まあ要するに横幅ですね。ちなみに縦、堤体の基礎地盤から堤頂までの高さを堤高といいます。
はてさて。
そんでダムというと黒部ダムが有名ですが、あのダムはアーチ式コンクリートダムという形式。
橋にもアーチ型がよく見られますけど、アーチで水の圧力に対抗しようという発想のダムですね。
で、今回訪問した浦山ダムは、重力式コンクリートダム。
そのものずばり、巨大なコンクリート構造物の重さで水を堰止めるという、非常にシンプルかつわかりやすい形式です。
このわかりやすさが重コンの良さだと断言してしまうくらいで(笑)
そのほか、アースダムやロックフィルダムという形式もありますが、ダムは、建設される土地の地質や地形により、その形式が決定されます。
つまり完全オリジナルにして完全オーダーメイド。
よーするにオンリーワン。いいですねぇ。
つまり同じ山が、同じ川が二つはないように。
同じダムもまた、二つはないのです。
ダム天端右岸に、浦山ダム資料館「うららぴあ」があります。
一階は売店兼食堂、2階が資料館です。
ここ、結構がんばってわかりやすい展示をしています。
無料で利用しちゃっていいんですか?って思うほど本格的です。
が。
浦山ダムのキャラクター、ウラちゃんのイラストがいまいちだと思うのはわたくしだけでしょうか先生!!
ウラちゃんに萌えられず、うららぴあの総合ポイントは星4つ(5つ星が最高)でした。
興味のある方はぜひ「うららぴあ」にお出かけください。
そして、ウラちゃんをもっと萌えキャラにしたい方、いらっしゃいましたら夕顔にご一報ください。
人が集まったら、ウラちゃん向上委員会を発足させる所存です。
という訳で、間空けすぎましたが浦山ダム徘徊記その2です。
荒川支流の浦山川を堰き止めて作られた、秩父さくら湖という(優雅なんだか平凡なんだか判断に苦しむ名前の)ダム湖を抱えた浦山ダムは、荒川水系で最大のダムです。
今回は夏の訪問ということで水位が若干下がっており、洪水吐からの豪快な放水は目にすることができませんでしたが、それでも威容はたっぷり。
思わず天端から身を乗り出し、堤体直下に向けて写真を撮ってしまいました。
くどいようですが、浦山ダムは高さ156Mあるんですよ?
こうなるともう、どこが高所恐怖症なんだかわかりませんね。
さて。
「地域に開かれたダム」の指定を受けている浦山ダム。
ダム天端は公園として開放されていて、謎のオブジェがいくつか展示されています。
オブジェは芸術作品なんだろうけど、わたくしにはイマイチぴんと来ませんでした。
何でダム天端に安産祈願?何でダム湖のほうを向いて恋愛成就を祈らにゃならんの?って感じで。作者の人ごめんなさい。
えーと。
ここでダムに詳しくない方(=一般の方)にダム用語豆知識。
知ってても得はしないけど、あなたの周りの隠れダムマニアを発見するツールくらいにはなると思われ(笑)
まず、さっきから何度か登場しているこの単語、「天端」。
てんば、と読みます。ダム堤体(ダムや堤防など、水を堰止めている構造物本体のこと)のいちばん上部のことで、道路になってたり、公園や遊歩道になっていることが多いようです。
ちなみに、堤頂(ていちょう)という言葉もほぼ同じ意味で使用されます。
堤頂(天端)の右岸から左岸までの長さは「堤頂長(堤長ともいう)」といい、まあ要するに横幅ですね。ちなみに縦、堤体の基礎地盤から堤頂までの高さを堤高といいます。
はてさて。
そんでダムというと黒部ダムが有名ですが、あのダムはアーチ式コンクリートダムという形式。
橋にもアーチ型がよく見られますけど、アーチで水の圧力に対抗しようという発想のダムですね。
で、今回訪問した浦山ダムは、重力式コンクリートダム。
そのものずばり、巨大なコンクリート構造物の重さで水を堰止めるという、非常にシンプルかつわかりやすい形式です。
このわかりやすさが重コンの良さだと断言してしまうくらいで(笑)
そのほか、アースダムやロックフィルダムという形式もありますが、ダムは、建設される土地の地質や地形により、その形式が決定されます。
つまり完全オリジナルにして完全オーダーメイド。
よーするにオンリーワン。いいですねぇ。
つまり同じ山が、同じ川が二つはないように。
同じダムもまた、二つはないのです。
ダム天端右岸に、浦山ダム資料館「うららぴあ」があります。
一階は売店兼食堂、2階が資料館です。
ここ、結構がんばってわかりやすい展示をしています。
無料で利用しちゃっていいんですか?って思うほど本格的です。
が。
浦山ダムのキャラクター、ウラちゃんのイラストがいまいちだと思うのはわたくしだけでしょうか先生!!
ウラちゃんに萌えられず、うららぴあの総合ポイントは星4つ(5つ星が最高)でした。
興味のある方はぜひ「うららぴあ」にお出かけください。
そして、ウラちゃんをもっと萌えキャラにしたい方、いらっしゃいましたら夕顔にご一報ください。
人が集まったら、ウラちゃん向上委員会を発足させる所存です。
2007年07月27日
DISCOVER DAM〜そうだ、ダム行こう〜
P1000031.JPG先日の台風4号(アジア名:マンニイ)による大雨は、異常渇水に喘いでいた四国の早明浦ダムをして、一夜のうちに貯水率100パーセントを達成させるという離れ業をやってのけたわけですが。
聞くところによると、灌漑用水とか上水道などの目的のダムでは雨乞いをするところもあるそうで。
早明浦で雨乞いをしたという記事は見つかりませんでしたが、同じ四国の豊稔池ダムで、地元に伝わる雨乞い行事を3つも重ねて行ったとのこと。
いわば雨降らしの儀式の公開入札みたいなことになって、神様も相当頑張ってくださったということでしょうか(笑)
で、そんなわけで(?)水を満々と湛えた早明浦ダムの映像が世間に出回るに至ったわけですが。
世間を見回すと、ダム写真集なんかは売ってるわ、立山黒部アルペンルートでは日本最大のダム・黒部ダムへのアクセスをさんざっぱら宣伝してるわ、地元埼玉では滝沢ダムが竣工するわ、なんだかダムがすごく熱いみたいで。
元々わたくしは巨大なストラクチャー(建造物)を非常に愛しているわけで。ええ、橋とかトンネルとかダムとか(いわゆる公共工事が発注されそうなストラクチャーとも言えますが)。
つまりは「ビバ土木」な人が散々ダム情報を見せられた挙句に満水の早明浦を見てしまったわけで、おかげで巨大建造物バンザイな心に火がつけられてしまったと。
そんなこんなで突然降ってわいたマイブーム、DISCOVER DAM。
仕事が休みで天気もよかったもので、思いつく限りで一番駅から近いダム、地元埼玉は秩父の浦山ダムに行ってまいりました。
埼玉って県は東西にだだっ広く、なのに県を横断する公共交通網はかなり悪い(つーか発達してない)と言わざるを得ません。
わたくしが住む県の南東部と、県のド西に位置する秩父とではもう、アクセスのしにくさは最悪です。
つか、隣の県の高崎とか太田とかに行くほうが、秩父に行くよりも早く着くってどういうことですか(汗)
まあぶつぶつ言っても仕方ないので東武線で羽生へ。そこから秩父鉄道に乗り換え、ダム最寄の浦山口駅に出るというルートを選択したわけですが。
羽生駅で待っていたのはデハ1002。元国鉄(JR)で活躍した100系のなれの果て、もといリニューアル車両です。
懐かしい駆動音に包まれ、埼玉の田舎風景の中を走っているうち、妙なことに気がつきました。
暑いんですよ奥さん!
天井を見て納得しました。
そこにはくるくる回る扇風機の姿しかない。
つまり、この車両、クーラーがないんじゃん!!(爆)
本日の埼玉北部の最高気温、33度。
ハッキリ言って暑い。控えめに言っても暑い。なんというか、窓ガラスで目玉焼きが作れそうな勢いで暑い。
へそで茶を沸かすってのはこういう状況なんだろうなあとぼんやり思う午後。扇風機がむなしく熱い空気をかき回す...(注:へそで茶を沸かすの意味はまったく違うので誤用しないよーに)
途中の熊谷駅で、3両編成のうちクーラーがないのは中間のこの車両だけだということに気がついたのですが、ここで車両を変わるのはなんだか負けのように思え、自分でも何の勝負をしているのか判らぬまま、浦山口駅までの2時間弱を過ごしたのでありました。
浦山口で下車したのは、わたくしのほかには小さなお子様とご夫婦の家族連れのみ。
たいした過疎っぷりですが、考えてみれば浦山口なんてマニアックな駅、近くにある橋立渓谷か橋立鍾乳洞に向かうレジャー客くらいしか利用客いないって。その家族だって鍾乳洞に行くみたいだったし。
利用客がいないのを幸いと、駅舎の中の人に浦山ダムへの道を尋ねてみたのですが、これがまた親切な人で。
ホームから遠くに見えるアーチ橋のような物体が目指すダムであることとともに、そこまでの道順と、これまたご丁寧に堤体上に上がるエレベーターの使用法まで教えてくれました。すごいぞ、秩父鉄道。
教わったとおりにてくてく歩くこと10分強。
突然眼前に先ほどのアーチ橋のような建造物が、下部のコンクリート構造物を伴って眼前に現れました。
浦山ダム。
堤高156M、堤頂長372M。
重力式コンクリートダムとしては新潟の奥只見ダムに次いで全国二位(神奈川の宮ヶ瀬ダムと並ぶ)の高さを誇る威容。
ダム下流、浦山川にかかるトラスアーチの美しい橋を渡り急峻なV字谷に沿って堤体に向かいます。
洪水吐からの放水はないけれど、堤体直下にある発電所でタービンを回したであろう水が放水路から勢いよく流れるのが見えます...って、あれ?
わたくし、高所恐怖症じゃなかったっけ?
なんで普通に覗きこんでるわけ?しかもガードレールから身を乗り出して写真撮ってるぞ自分(爆)
すごいぞダム!!ストラクチャー見たさに高所恐怖まで克服しちゃったよわたくし!
駅の人が教えてくれたとおり、堤体にはエレベーターがあり、夏季は17時まで(冬季は16時まで)自由に天端(=てんば:ダム堤体の頂上のこと)に上がれるようになっていました。
車椅子でも入れるバリアフリー設計のエントランスの中は、そこはつまりダムのコンクリの中。建設に使われたという175万立方Mのコンクリートがこの通路の上に乗っかってるというわけで、そーいや重力が他よりかかってる気が(←明らかに気のせいです)。
堤体中央よりも少々下流側、プラムライン(ダムが受ける水圧や岩盤とのつながりの動きを振り子の動きで監視するシステム)のすぐ手前にエレベーターがあります。
天端までの132Mを、およそ1分かけてエレベーターは昇っていきます。
エレベーターホールを出るとそこは浦山ダムの天端、クレストゲート(非常用洪水吐)や下から見えたアーチ橋状の装飾のさらに上になります。
その天端は、いったいどんなところなのか??については次回。
長いので一旦切ります。
聞くところによると、灌漑用水とか上水道などの目的のダムでは雨乞いをするところもあるそうで。
早明浦で雨乞いをしたという記事は見つかりませんでしたが、同じ四国の豊稔池ダムで、地元に伝わる雨乞い行事を3つも重ねて行ったとのこと。
いわば雨降らしの儀式の公開入札みたいなことになって、神様も相当頑張ってくださったということでしょうか(笑)
で、そんなわけで(?)水を満々と湛えた早明浦ダムの映像が世間に出回るに至ったわけですが。
世間を見回すと、ダム写真集なんかは売ってるわ、立山黒部アルペンルートでは日本最大のダム・黒部ダムへのアクセスをさんざっぱら宣伝してるわ、地元埼玉では滝沢ダムが竣工するわ、なんだかダムがすごく熱いみたいで。
元々わたくしは巨大なストラクチャー(建造物)を非常に愛しているわけで。ええ、橋とかトンネルとかダムとか(いわゆる公共工事が発注されそうなストラクチャーとも言えますが)。
つまりは「ビバ土木」な人が散々ダム情報を見せられた挙句に満水の早明浦を見てしまったわけで、おかげで巨大建造物バンザイな心に火がつけられてしまったと。
そんなこんなで突然降ってわいたマイブーム、DISCOVER DAM。
仕事が休みで天気もよかったもので、思いつく限りで一番駅から近いダム、地元埼玉は秩父の浦山ダムに行ってまいりました。
埼玉って県は東西にだだっ広く、なのに県を横断する公共交通網はかなり悪い(つーか発達してない)と言わざるを得ません。
わたくしが住む県の南東部と、県のド西に位置する秩父とではもう、アクセスのしにくさは最悪です。
つか、隣の県の高崎とか太田とかに行くほうが、秩父に行くよりも早く着くってどういうことですか(汗)
まあぶつぶつ言っても仕方ないので東武線で羽生へ。そこから秩父鉄道に乗り換え、ダム最寄の浦山口駅に出るというルートを選択したわけですが。
羽生駅で待っていたのはデハ1002。元国鉄(JR)で活躍した100系のなれの果て、もといリニューアル車両です。
懐かしい駆動音に包まれ、埼玉の田舎風景の中を走っているうち、妙なことに気がつきました。
暑いんですよ奥さん!
天井を見て納得しました。
そこにはくるくる回る扇風機の姿しかない。
つまり、この車両、クーラーがないんじゃん!!(爆)
本日の埼玉北部の最高気温、33度。
ハッキリ言って暑い。控えめに言っても暑い。なんというか、窓ガラスで目玉焼きが作れそうな勢いで暑い。
へそで茶を沸かすってのはこういう状況なんだろうなあとぼんやり思う午後。扇風機がむなしく熱い空気をかき回す...(注:へそで茶を沸かすの意味はまったく違うので誤用しないよーに)
途中の熊谷駅で、3両編成のうちクーラーがないのは中間のこの車両だけだということに気がついたのですが、ここで車両を変わるのはなんだか負けのように思え、自分でも何の勝負をしているのか判らぬまま、浦山口駅までの2時間弱を過ごしたのでありました。
浦山口で下車したのは、わたくしのほかには小さなお子様とご夫婦の家族連れのみ。
たいした過疎っぷりですが、考えてみれば浦山口なんてマニアックな駅、近くにある橋立渓谷か橋立鍾乳洞に向かうレジャー客くらいしか利用客いないって。その家族だって鍾乳洞に行くみたいだったし。
利用客がいないのを幸いと、駅舎の中の人に浦山ダムへの道を尋ねてみたのですが、これがまた親切な人で。
ホームから遠くに見えるアーチ橋のような物体が目指すダムであることとともに、そこまでの道順と、これまたご丁寧に堤体上に上がるエレベーターの使用法まで教えてくれました。すごいぞ、秩父鉄道。
教わったとおりにてくてく歩くこと10分強。
突然眼前に先ほどのアーチ橋のような建造物が、下部のコンクリート構造物を伴って眼前に現れました。
浦山ダム。
堤高156M、堤頂長372M。
重力式コンクリートダムとしては新潟の奥只見ダムに次いで全国二位(神奈川の宮ヶ瀬ダムと並ぶ)の高さを誇る威容。
ダム下流、浦山川にかかるトラスアーチの美しい橋を渡り急峻なV字谷に沿って堤体に向かいます。
洪水吐からの放水はないけれど、堤体直下にある発電所でタービンを回したであろう水が放水路から勢いよく流れるのが見えます...って、あれ?
わたくし、高所恐怖症じゃなかったっけ?
なんで普通に覗きこんでるわけ?しかもガードレールから身を乗り出して写真撮ってるぞ自分(爆)
すごいぞダム!!ストラクチャー見たさに高所恐怖まで克服しちゃったよわたくし!
駅の人が教えてくれたとおり、堤体にはエレベーターがあり、夏季は17時まで(冬季は16時まで)自由に天端(=てんば:ダム堤体の頂上のこと)に上がれるようになっていました。
車椅子でも入れるバリアフリー設計のエントランスの中は、そこはつまりダムのコンクリの中。建設に使われたという175万立方Mのコンクリートがこの通路の上に乗っかってるというわけで、そーいや重力が他よりかかってる気が(←明らかに気のせいです)。
堤体中央よりも少々下流側、プラムライン(ダムが受ける水圧や岩盤とのつながりの動きを振り子の動きで監視するシステム)のすぐ手前にエレベーターがあります。
天端までの132Mを、およそ1分かけてエレベーターは昇っていきます。
エレベーターホールを出るとそこは浦山ダムの天端、クレストゲート(非常用洪水吐)や下から見えたアーチ橋状の装飾のさらに上になります。
その天端は、いったいどんなところなのか??については次回。
長いので一旦切ります。
2007年06月26日
どんだけー!!!
先週のことでしたが、息子が登校前に非常に面倒くさそうな顔で言いました。
「昨日さぁ、O先生(担任)が出張に行ったんだよ。だから今日はちょっと、面倒くさいんだ」
何がいったい面倒くさいのか尋ねますと、彼はこう言いました。
「『出張お疲れさまでした』って黒板に書いておかないとさ、怒るんだよ」
「誰が???」
「O先生」
思わず、強面のお兄さん方がずらっと並び、「兄貴!お勤めご苦労様です!」とやってる風景を想像してしまい、本気で子供の転校を検討してしまったわたくしでありました。
......それ、なんて出所風景?
「何それ。あんた達、そんなことやってんの?」
すると息子は
「仕方ないじゃん。書かないでまたお説教で授業潰されても面倒だし」
なんか息子はすっかり達観してるようなんですが、親としてはちょっと納得いきません。
そんなことを子供達に書かせる教師ってどうなんだ?と、朝の玄関先でわたくしがぶつくさ言っていると
「あ、先生はさ、ぼく達に直接『書け』とは言ってないから。だから『ぼく達の自主的な行動』ってやつなわけ」
O教諭は、息子の学年の学年主任です。
主任という役職にある以上、研修等で出張する機会も多いのでしょうね。
昨年もO先生は息子達の学年のとあるクラスの担任でした。
そのクラスの子達は、どうも出張の後に先生が不機嫌になっていることが多い、「仕事で学校以外のところに行ってきたっていうのに」云々の内容でお説教されることが多いことに気がついた(らしい)んですね。
そこで子供達が一計を案じ、黒板に「先生、出張お疲れさまでした」と書いたところ、出張後のお説教がなくなったのだとか。
それが発端で始まったことが、今年のクラスにも引き継がれたのだと息子から聞きました。
息子の話を聞く限り、O先生は『自分のアクションに対して、自分が想定した反応を児童がしないと怒る』タイプの先生のようです。
そして厄介なことに、具体的に「ああしろ、こうしろ」とは言わない。
一定の方向にしか結論が向かないように外堀を埋めた状態で、結論を出す作業自体は子供に振るのです。「あとは、みんなで決めなさい」と。
汚いやり方だと思うのはわたくしだけでしょうか?
結論を出したのが子供達である以上、先生はいくらだって逃げられる。「私は強要してませんから」の一言で。
パワーハラスメントって言うのでしょうか、こういうの。
先日、新聞に「学校に顧問弁護士」とかって記事が載ってましたね。
給食費を払わず開き直る親とか、子供が主役じゃないのはなぜたと苦情をつける親だとかがいて、授業にすら差し障る場合があるので、その対応のためとかありましたけど。
それはそれでひどい親だと思うし、対応する先生も大変だろうけど。
その前に。
先生方には、本当に「正すべき襟」はないのかと問うてみたい。
「昨日さぁ、O先生(担任)が出張に行ったんだよ。だから今日はちょっと、面倒くさいんだ」
何がいったい面倒くさいのか尋ねますと、彼はこう言いました。
「『出張お疲れさまでした』って黒板に書いておかないとさ、怒るんだよ」
「誰が???」
「O先生」
思わず、強面のお兄さん方がずらっと並び、「兄貴!お勤めご苦労様です!」とやってる風景を想像してしまい、本気で子供の転校を検討してしまったわたくしでありました。
......それ、なんて出所風景?
「何それ。あんた達、そんなことやってんの?」
すると息子は
「仕方ないじゃん。書かないでまたお説教で授業潰されても面倒だし」
なんか息子はすっかり達観してるようなんですが、親としてはちょっと納得いきません。
そんなことを子供達に書かせる教師ってどうなんだ?と、朝の玄関先でわたくしがぶつくさ言っていると
「あ、先生はさ、ぼく達に直接『書け』とは言ってないから。だから『ぼく達の自主的な行動』ってやつなわけ」
O教諭は、息子の学年の学年主任です。
主任という役職にある以上、研修等で出張する機会も多いのでしょうね。
昨年もO先生は息子達の学年のとあるクラスの担任でした。
そのクラスの子達は、どうも出張の後に先生が不機嫌になっていることが多い、「仕事で学校以外のところに行ってきたっていうのに」云々の内容でお説教されることが多いことに気がついた(らしい)んですね。
そこで子供達が一計を案じ、黒板に「先生、出張お疲れさまでした」と書いたところ、出張後のお説教がなくなったのだとか。
それが発端で始まったことが、今年のクラスにも引き継がれたのだと息子から聞きました。
息子の話を聞く限り、O先生は『自分のアクションに対して、自分が想定した反応を児童がしないと怒る』タイプの先生のようです。
そして厄介なことに、具体的に「ああしろ、こうしろ」とは言わない。
一定の方向にしか結論が向かないように外堀を埋めた状態で、結論を出す作業自体は子供に振るのです。「あとは、みんなで決めなさい」と。
汚いやり方だと思うのはわたくしだけでしょうか?
結論を出したのが子供達である以上、先生はいくらだって逃げられる。「私は強要してませんから」の一言で。
パワーハラスメントって言うのでしょうか、こういうの。
先日、新聞に「学校に顧問弁護士」とかって記事が載ってましたね。
給食費を払わず開き直る親とか、子供が主役じゃないのはなぜたと苦情をつける親だとかがいて、授業にすら差し障る場合があるので、その対応のためとかありましたけど。
それはそれでひどい親だと思うし、対応する先生も大変だろうけど。
その前に。
先生方には、本当に「正すべき襟」はないのかと問うてみたい。