山形・新潟交流の素材探し報告


越後米沢街道・十三峠 イザベラバードの足跡調査

越後米沢街道・十三峠交流会では、本年度の事業の主要なテーマとして「山形・新潟交流」があります。
その事業の第1弾として標記事業が科漁りされました。「イザベラ・バード」がみた新潟から山形への足跡をたどり、当時の文化(特に新潟県側)・自然環境・及び人的交流の素材を見い出し、「山形・新潟(東北・北陸)交流」の進展させることを目的に実施されました。


1 日 時 平成28年7月12日(火) 午前9:00〜午後5:00
2 場 所 関川村〜越後米沢街道〜小国町
3 目 的 新潟県と山形県
県境近辺におけるイザベラ・バードの足跡をたどり、自然環境や歴史・文化及び人的交
流の素材について実地調査を行い、将来活用可能な「山形・新潟(東北・北陸)交流」
の素材を見出す。
4 参加者 実参加者 16名
5 講 師 山形県小国町大字松岡 森林インストラクター 古道ガイド 舟山 功氏

一行が調査した主な場所
【国指定重要文化財 渡邉邸】
母屋は文化14(1817)年再建、三千坪の敷地、五百坪の宅地の大邸宅、貴重な建築物や収蔵品が数多く残されている。特に米沢藩との関わりのある品が多い。隣接して「東桂苑」(渡邉家の分家)がある。
[画像:イメージ 2] 渡邉邸正面

【せきかわ歴史とみちの館】
渡邉邸など、旧米沢街道の十八世紀の町並みが模型で紹介されている。越後米沢街道・十三峠の資料も数多く展示されている。
[画像:イメージ 1] 建物正面

【越後米沢街道・鷹の巣峠】
下川口が峠の入口、新潟県側からは最初の峠である。越後側からは鷹巣・榎・大里の三峠を経て出羽内陸に入る道を「米沢街道」と呼んでいた。ここ入口から入ってすぐに石塔群がある。「庚申」「馬頭観音」の文字、街道が栄えた当時、牛馬が大切にされたことが伺える。
[画像:イメージ 3] 下川口 鷹の巣峠入口
《二重坂》
下川口入口から500mほど進むと「米沢街道 二重坂入口」という標識あり。ここから熊坂を登り、一つめの頂上につくが、中ノ沢に下る。また登り、二つめの頂上鷹の巣峠に達する。当時は大変難儀した峠であった。

【越後米沢街道・榎峠】
入口は国道113号脇から階段を急登するが、これは現在の国道が出来たためである。
《無名戦士の墓》
戊辰戦争時慶応4(1868)年、8月1日に、この榎峠での激戦を繰り広げて戦死した米沢藩士と新発田市藩士の供養塔、高さは約110cm、燈身は44cm角である。 この供養塔は明治元(1868)年、蛇喰(じゃばみ)村弘長寺の住職と集落の人々によって建立された。

【越後米沢街道・大里峠】
畑(はた)鉱山跡 わかぶなスキー場より約30分歩くと、畑鉱山跡に着く。ここではかつて200人を超す従業員がいた銅鉱山である。昭和20年に閉山、かつては集落もあった。
山形県と新潟県の境にある峠、大蛇伝説の舞台となった。峠の頂上には地蔵があり、堂内には「地蔵尊」「観音様」「大里大明神」が祀られている。頂上からは日本海が望める。