2017年01月
きのうは、公官庁の「仕事初め」だった。役所では、「初出勤」の「新年初会式」もあった。そんな役所の清掃員としての勤務だから、運動不足の正月明けに「心地よい汗」をかいた。年の初めの仕事で汗をかいたことを、漢字で表すとどんな熟語になると調べたが、辞書にも歳時記にもなかった。似たような言葉に「発汗(はっかん)」があった。
▼年の初めの季語には、「初(はつ)」と読ます「訓読み」であることが分かった。「初茜」、「初明かり」、「初商い」、「初伊勢」、「初売り」、「初神楽」、「初鵜」、「初景色」、「初声」、「初東風」など〆て26の季語があった。
▼わが座右の銘でもある、「初心忘するべからず」のような、年の初めに属さない「初(ショ)」と読ます「音読み」がある。「初心(ショしん)」、「初心者」、「初診」、「初審」、「初世」、「初生児」、「初戦」など30以上の熟語がある。
▼「初産(ウイざん)」。「初陣(ウイじん)」。「初立ち(ウイだち)」。「初の子(ウイのこ)」。「初花(ウイばな)」。「初枕(ウイまくら)」。「初孫(ウイまご・ハツまご)」。そして、「書初め(かきゾめ)などの「訓読み」の言葉もあった。
▼「初」の漢字成り立ちを調べた。「衣と刀」の合意文字。衣と刀の象形から、刀で衣服を裁断する事から、裁断する作業が衣服を作る手始めから「はじめ」を意味する「初」という漢字が成り立った。「初」を、漢音で「ショ」。訓読みの「はつ」、「はじメ」、「うい」、「ぞ」。いつもながらに、日本語は奥が深くて難しい。
▼ここまでの「時間」を表す場合の「初め」と、仕事「始め」という漢字を考えてきたが、「汗をはじめてかいた」時の漢字は、やっぱり辞書にもない「初」の漢字を使う「初汗(はつあせ)」かもしれない。遠い昔に、「冷や汗」や「気持ち悪い汗」などの「嫌な汗」をかいたことがあった。
サララーマン時代の趣味は企業戦士だった。その後のリタイヤした時に、「篆刻」に興味をいだき、独学で学んだ。篆刻展示会があると、足を伸ばして遠くの会場まで見学に行っていた。もちろん独学用の教科書も手に入れ、篆刻用の道具を売っている文房具店にも足を運んだ。
▼石のハンコを見たときには、いかにして彫刻するのかと悩んだが、道具を使って間単に彫れたときには、やったと思った。しかし、篆刻は「篆書」文字で彫るから、漢字の事典を手に入れたときにも、篆刻作家の気分になった。
▼古代中国からの歴史をつなぎ、日本に伝わったのは江戸初期だという。師匠がいない独学者はすべてが自己流だから、その道の権威から見れば、子どもが彫ったゴム印程度の知識で偉そうに語るなと言われそうだ。
▼多趣味のことを、「みるものこじき」と言うらしいが、知らないことに挑戦する好奇心は、人類の発展に寄与してきた。スパーコンピューター「京」が日本の技術者で開発されたが、その上を行く、遺伝子同士が連絡する?計算機を作った東京大学の学者がいる。そんなニュースを見て、発明の原点は「好奇心」からだと、あらためて思った。
▼古民家には、古い漆塗りの五段重ねのタンスが似合う。写経用の「書道」。水彩画の「絵画」。「写真」。「篆刻」の順で名札が貼ってある。上段には、使いやすいように種々雑多の「文具品」の引き出しになっている。「タンス預金」が流行っているが、我が家のタンスには「聖徳太子」に匹敵するモノが収まっている。
▼返信用の「年賀はがき」には、篆刻文字で「福壽」。「平成二十九年」。「元旦」。「義」や「鶏の絵」、「釈迦像」、「小坊主」などをあしらったデザインを、石に刻んだ作品を20枚用意していたが、5枚残った。年々少なくなる「年賀はがき」を、いつまで根気よく篆刻作品で、無事を知らせる年賀状を制作できるのか。
今年の初参りは、「大聖寺の七社」を選んだ。ことしの吉方は「北北西」だという。自宅からの方向には上福田町の「春日神社」がある。旧大聖寺川に架かる松島橋を渡って、町中を行くと素朴な社がある。いつもは素通りしているが、ご縁あって初めてお参りすることができた。「おみくじ」は半吉で、何ごとも控えめにだった。
▼次ぎは戻って「江沼神社」。自宅からほぼ真北に鎮座するお社で、何度かお参りしている。菅原道真公と大聖寺藩祖の「利治公」を祀っている。境内は旧藩邸の一部でもある。3代利直公が、兼六園を意識して造った武家庭園があり、重要文化財指定「長流亭」には、一見の価値がある。
▼3番目は、岡町の「愛宕神社」。大聖寺川を眼下に見下ろす土手の高台に鎮座する。御祭神は祭神火之神(ひのかみ)として、大聖寺町及び江沼郡一円の鎮火守護として鎮座する社でもある。
▼4番目は、隣接の1400年の歴史がある、敷地の「菅生石部神社」は、加賀国二ノ宮としての古社である。2月10日の「御願神事」での「竹割りまつり」は有名である。好天に恵まれた2日は、多くの参詣者だった。
▼5番目に選んだのは、以前何度か参拝した菅生町の「菅生神社」。拝殿の後ろにJR線が通っている。その高架橋をくぐる三叉路左側に鳥居が見える。静かな境内に入ると心が休まる不思議な神社だった。
▼6番目の南郷町「八幡神社」を選ぶには少し迷った。神殿までの参道が高くて急坂である。通称「三谷川」を渡り、初めて南郷町の神社を目指す。85段の階段を休まずに登った。
▼7社目は、神明町「加賀神明宮」別称「山下神社」。わが町内の、「氏神さま」の初詣は最後になった。境内から115段の階段を登ると「白山宮」。階段途中からは、霊峰白山と大聖寺の城下町が眼下に見渡せる絶景ポイントだった。町中を流れる川を5回も渡り、高台の三社を参詣し、足腰を鍛えた初詣であった。
年の初めの定番は、「今年の目標を立てる」。そんなことを何十回も挑戦してきたように思うが、何一つ目標達成したことがない。受験。就職。結婚。出産。子育て。マイハウス。などの人生での基本的目的は、曲りなりにも達成してきた。だが、途中の生活以外の趣味や習い事を目標にしたことがあった。これがどうも、今一つだめだった。
▼いま振り返ると、ナンバーワンを目指していなかったら当然である。オリンピックで金メダルや入賞した選手たちのような環境や努力もしてこなかった。単なる「思いつき」で始めて、好きになれなかった記憶がある。だから継続できなかった。
▼自慢にもならないが、誰もがやってきた生きるための仕事は、職種を転々としながらも、大病をせずに10代の後半からの57年間、休まず働いてこられた。ときどき、頑丈な体を授けてくれた両親に感謝の気持ち思うこともあったが、維持してきたのは自分自身だと気づいたのは、最近のことだった。
▼「秘訣」は何かと問われても、答えられない。「今年の目標」を立てずとも、結果である。「夢は100」でも、腹八分の「いっしょうけんめい」で生きてきた。困難に出会ったこともあったが、無理せずに時間が解決したこともあった。他人のことに頑張ったこともあった。痛い目にもあった。
▼「夢は努力して与えられる」ものだと知っている。残る人生に「宝くじ」が当たったらという夢もあるが、そんな夢は当てにしていない。海外旅行をして、珍しいものを食べながら、うまい酒を飲む。だからそれがどうなる?何かの夢を達成するためなら、それも必要だろう。
▼今年は、「一歩前に出る」ことを意識しよう。公共トイレの男子用に張り紙があるように、暮れのわが家の掃除に気が付いた。トイレの床板が漏れた小便で黒ずんでいた。老化現象の所為だろう。そして、我が身を労わって、「他がために楽しく生きる」。
「謹賀新年」と「明けましておめでとうございます」。は、同じことを言っているから、「年賀はがき」に併記するのは間違いである。と、年末の話題になっていた。話題の場所は公表するわけにはいかないが、面接時の履歴書には、最終学歴は大学卒が定番になっている職場でもある。
▼そんな建物での清掃係りは、高齢者ばかりの会社から派遣されている。トイレ掃除を終えて、分煙室の吸殻を始末するために、年始に向けて清掃していた時に、耳にした会話である。
▼話題にしていた世代は、孫世代だから、多分スマホから得た知識をお披露目していたのであろうが、老人は知っていた。受け取る方も分かっていない。不義理を欠かない「年賀状」だから。と、長老の知恵をアドバイスしたかったが、無口な年寄りを演じていた。
▼ 「タンス預金」 が増えているという。低金利、マイナス金利のせいである。銀行に預けておくより、自宅に現金を置いておく方が便利でいいというご時勢になった。年末休暇でテレビを観る時間が多くなった。
▼どこかの銀行がコマーシャルで、銀行にも「引き出し」が幾つもあるから「ぜひ預けてほしい」と。タンスではなかった。紅白の幕で飾ったトラックには、タンスは嫁入り道具のなかでも花形であった。そんな光景が消えて久しい。
▼やなぎごうり、下駄、こうもり傘、風呂敷、手ぬぐい。普通にあると思っていた物がいつの間にか身のまわりから消えている。モノが消えれば言葉も消える。遠ざかるお金と言葉の後ろ姿を追いかける年の瀬である。と、購読新聞に同世代の記事が載っていた。
▼死語になって消えていく言葉があるなか、新語の「クリぼっち」だったと使ったら、「その歳で」が、後に続く「褒め言葉」だった。元旦に配達される賀状には「賀正」「迎春」「初春」と、先輩や年長者への「マナー違反語」も混じっているだろうが、気にしない75回目の元旦生まれ。