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中川家 今くるよさん追悼「さみしい」「思い出ありすぎて」 モノマネ交え秘話も ユニット組むなど親交

[ 2024年5月31日 13:02 ]

「中川家」の剛(左)と礼二
Photo By スポニチ

お笑いコンビ「中川家」の剛(53)と礼二(52)が31日、ニッポン放送「中川家ザ・ラジオショー」(金曜後1・00)に出演。漫才コンビ「今いくよ・くるよ」で活躍し、27日に膵(すい)がんのため76歳で亡くなった今くるよさんを追悼した。

番組冒頭、訃報を受け、剛は「いくくるさんもうおらんのですよね。さみしいですわ。モノマネもさせていただいて」」と語った。礼二は「いくよさん亡くなった後、3人で漫才もしたりね、思い出がいっぱいありすぎて」と回顧。

「中川家」が上京する前、一番給料がなかった時に手を差し伸べてくれたという。剛は「番組を一緒にコメディをさせていただいて。一番最初に声掛けてくれたんが、いくくる師匠で」とし「"どやさ"言うて。"なんや、若いのに暗い顔して。しょうもない顔して"って」と回想し笑った。番組で苦労していた「中川家」を見かねた「今いくよ・くるよ」の2人は収録終わりに毎回焼き鳥屋に連れて行ってくれたという。礼二は「いっつも励まされてたね」と話した。剛は「一番最初にしゃべれた師匠方じゃないですかね、あの二人は。優しかったですね」と懐かしんだ。

またくるよさんが後輩芸人にあだ名をつけていたエピソードも披露。剛は「なんて言われてたん?」と礼二に振ると「俺は北大路欣也」と笑い、剛は「俺はジョージ・クルーニー」と秘話を語った。

続けて剛は「"体痛い"言ったら薬持ってきてくれたりね」とし、礼二は「優しかったですね」とくるよさんの優しさにも触れた。

礼二は「いくよ師匠の時もさみしかったけどなあ」と2015年に亡くなった今いくよさんのことを切り出すと、剛が「悪口言いたかったなあ。あの二人の悪口がものすごく面白くて」としみじみ。礼二も「そう!全然嫌な気持ちになれへんのよね」。剛は「"見た〜?今日のあいつの顔。へえーみたいな顔してな"ってね」とモノマネ。2人で笑いあった。

「中川家」は、2015年に今いくよさんが死去した後ピンで活動していたくるよさんと3人で「今くるよ・中川家」、「今いくよ・くるよ・くるよ」などの名でユニットを組み、舞台・テレビ出演したこともある。

くるよさんが最後に舞台に上がったのは2022年4月2日。大阪・なんばグランド花月で行われた吉本興業創業110周年の特別公演「伝説の一日」に車椅子で登場。黄色い派手な衣装に身を包み「どやさ」と、変わらぬギャグで笑いを誘った。最近は、「中川家」ら後輩の活躍を楽しみに過ごしていたという。

今いくよさんと名コンビで「今いくよ・くるよ」として女流漫才のトップに立った。細身で派手メークのいくよに対し、くるよさんはふくよかな体型で派手な衣装がトレードマークだった。威勢よく「どやさ」という言葉でも知られた。

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