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勝俣州和 大学辞めた翌日に弁当店店長...それがなぜ芸能界に? 「欽ちゃん」との絆と恋愛相談秘話も

[ 2024年4月18日 22:22 ]

勝俣州和
Photo By スポニチ

タレントの勝俣州和(59)が18日、文化放送「くにまる食堂」(月〜金曜前11・00)にゲスト出演し、恩師である"欽ちゃん"との秘話を語った。

パーソナリティーの野村邦丸と芸能生活37年のベテランとなった勝俣が、この世界に入るきっかけをトーク。その中で勝俣は「もともと芸能界は目指していなかったんです。国語の先生を目指して大学に入ったんですけど、4月の頭に(大学の)先生に、先生になれるかどうか聞きに行ったら、"お前クラスで3番以内に入ってるの?"って聞かれて。"入ってないです"って答えたら(先生に)なれない、ってなって次の日に大学を辞めたんです。オヤジに電話して、でも何かを習得して(生まれ育った)御殿場に帰りますからって言って」と元々は芸能界に入るつもりはなかったと回想。

続けて「大学を辞めた次の日にはお弁当屋の店長になってました」と大笑い。その後、妹がファンクラブに入っていたことがきっかけで「劇男一世風靡」(一世風靡セピアの母体)のオーディションに挑戦。その2年後、萩本欽一の番組のオーディションを受けることに。お笑いは一切分からなかったが、「元気のいい子がいない」と行き詰まるオーディション側の悩みを知ってか知らずか「シャーっ!」などと声を上げ騒いで過ごしていたことが功を奏し、スタッフから「あいつは面白い」と評価され欽ちゃんファミリーの一員になり、アイドルグループ「CHA-CHA」のメンバーとして活動する流れとなった。

芸能界の師匠である萩本に対して勝俣は、「萩本さんは、人としての思いやりや人としての育成をちゃんと教えてくれた。芸能界にずっといたいっていう思いよりも、テレビの向う側にいる萩本欽一さんの近くにずっといたいっていう思いの方が強かった」と当時の自身の考えを回顧。芸能界で有名になりたいとかではなく「欽ちゃんを喜ばせたい、欽ちゃんに褒めてもらいたい」という純粋な気持ちで日々を過ごしていた勝俣を、萩本は気に入ったのだろう。「お前はずっと"欽ちゃん"って呼んでてくれ」と萩本に言われたことを、勝俣はうれしそうに振り返った。

また、ゲストコーナー中盤では、萩本に恋愛相談をしていたエピソードも。

「一応アドバイスはしてくれるんですけど、"(彼女と)別れちゃいました"って言うと(欽ちゃんは)すごい喜ぶんです。なんだこの人はって思ったけど、"運を使わないでほしい。運をためておいてほしい。お前彼女と別れたってことは、運を使わなかったんだな。お前がためた運を番組に使ってくれ、それで番組はハネるから"って」とお笑い界の大物らしい"アドバイス"をもらったことを楽しそうに明かしていた。

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