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長山洋子 演歌歌手としてデビュー準備も急きょアイドル歌手に路線変更「浮いちゃって」「戸惑いばかり」も

[ 2024年4月18日 13:35 ]

長山洋子
Photo By スポニチ

演歌歌手の長山洋子(56)が17日放送のBSフジ「昭和歌謡パレード」(水曜後10・00)にゲスト出演。アイドル歌手としてデビューするきっかけやデビューした当時について語った。

長山は今年でデビュー40周年。歌の原点は「民謡なんです」と言い、幼稚園の時から民謡教室に通い、小学4年生からは「ビクター少年民謡会」に所属していたとした。

「でそのグループで(ザ・)ドリフターズの『8時だョ!全員集合』に出演したのをたまたま事務所の社長さんが見ていてくれて、当時の私をスカウトしてくれたんですね」と長山。当時は中学生で、「幼稚園から民謡やってたんだから、デビューはやっぱり演歌しかないよなっていうことで、市川昭介先生、作曲家のお宅に通いで1年演歌のレッスンに」と高校1年の時にはデビュー準備をしていたという。

そうしてデビューに向け「じゃあそろそろ演歌のデビュー曲を作ろうとなって、作詞が阿久悠先生、作曲がもちろん市川昭介先生の、デビュー曲としてはぜいたくな作品が出来上がって」と仮のレコーディングも終えたとものの、急きょ社長から「やっぱり演歌を歌うにはまだちょっと若すぎるから」「洋子、アイドルでデビューしよう。演歌はね、大人になっても長く歌っていけるから。最初はアイドルでデビューさせよう」と方針転換を告げられたという。

「もう急きょです」と苦笑いしたものの、「言うことを聞くしかなかったですよねえ」と長山。「デビュー日まで決まってて。4月1日って。それで急きょアイドルの曲をレコーディングして、3カ月ぐらいでデビューしたんですよ」と振り返った。

「ダンスレッスンとか急に。髪形もちょっとアイドルらしくとか」との変化に戸惑ったとし、「同期の子たちはアイドル目指して何年もレッスンしていろいろ心得てるので、私はその中に急に入って行ったら浮いちゃって浮いちゃって」と苦笑いした。

当時の移動時の写真が披露されると、「これ16歳ですね。ほぼほぼ毎日キャンペーンでしたね。あの頃は。それで普段の私服があまり可愛らしい物を持ってなかったんですよね。だからアイドルって私服からスタイリストさんが付くんですね。写真の洋服も自分で買ったんじゃなくて、スタイリストさんが移動とか私服で着なさいと」と渡された物を身に着けていたとした。

「今思えば大正解だったなって思いますけど、この当時は言われるがまま、本当に。戸惑いばかりでしたね」と回顧した。

するとデビュー2年目には「ヴィーナス」が大ヒット。「まだ20歳になってなかったですね」と懐かしそうに話した。

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