稚内とサハリンの関係
そもそも何故、稚内市がサハリンに事務所を構えて、今日に至っているのか?ということについてですが、この写真を見て下さい。
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地図を見れば一目瞭然ですが、稚内市は日本の北端に位置し、宗谷岬からサハリンの南端クリリオン岬までは、わずか43kmの距離です。
本市の歴史はサハリンと共にあり、その関係は、昨日今日、始まったものではありません。
稚内市とサハリンの友好都市3市、ネベリスク、コルサコフ、ユジノサハリンスクとは、何かのきっかけや偶然で友好都市提携に至ったというより、その歴史的経緯からいっても、当然、そうなる運命であったといえます。
勿論、その時々の情勢により、サハリンとの関係にも「浮き沈み」はつきものですが、この関係が消えて無くなることは、絶対にあり得ない位置に、稚内市は存在しています。
そして今でも、稚内市とサハリンの間では、観光、貿易、文化・教育、建設など、様々な分野での交流を通じ、互いの友情を育んでいます。
そういった方々が築いた土台の上に、稚内市サハリン事務所があって、そして今、私がいることを忘れてはいけないと思います。
長くなりましたが...このような近しい関係ですから、この海峡(宗谷海峡・ラペルーズ海峡)を泳いで!渡ってしまおうと考えるロシア人がいても不思議ではありません。
実はこの写真に見られる記念の盾は、クリリオン岬から宗谷岬へ遠泳を行うプロジェクトのため、7月20日にコルサコフ市プリゴロドノエ海岸で催された記念セレモニー(開会式)の場で、頂いたものです。
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地図を見れば一目瞭然ですが、稚内市は日本の北端に位置し、宗谷岬からサハリンの南端クリリオン岬までは、わずか43kmの距離です。
本市の歴史はサハリンと共にあり、その関係は、昨日今日、始まったものではありません。
稚内市とサハリンの友好都市3市、ネベリスク、コルサコフ、ユジノサハリンスクとは、何かのきっかけや偶然で友好都市提携に至ったというより、その歴史的経緯からいっても、当然、そうなる運命であったといえます。
勿論、その時々の情勢により、サハリンとの関係にも「浮き沈み」はつきものですが、この関係が消えて無くなることは、絶対にあり得ない位置に、稚内市は存在しています。
そして今でも、稚内市とサハリンの間では、観光、貿易、文化・教育、建設など、様々な分野での交流を通じ、互いの友情を育んでいます。
そういった方々が築いた土台の上に、稚内市サハリン事務所があって、そして今、私がいることを忘れてはいけないと思います。
長くなりましたが...このような近しい関係ですから、この海峡(宗谷海峡・ラペルーズ海峡)を泳いで!渡ってしまおうと考えるロシア人がいても不思議ではありません。
実はこの写真に見られる記念の盾は、クリリオン岬から宗谷岬へ遠泳を行うプロジェクトのため、7月20日にコルサコフ市プリゴロドノエ海岸で催された記念セレモニー(開会式)の場で、頂いたものです。
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