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2025年10月03日 (金) [長年日記]

[雑記]最終出社

勤め先の会社に最終出社してきた。社員に対して貸与されていたPCや入館カードといった諸々を返すため東京の本社まで出向いた。「最終出社」という言い回しと、入館カードなど返却してもう入れなくなった本社ビルを撮影する行為(刑務所を出られた囚人の気持ちに近いのだろうか)はIT業界に独特な慣行のように感じているが、他の金融業や製造業でも当たり前にあるんだろうか。

実質アレなんだけど来週からしばらくは有給休暇の消化期間が続き、まだ会社に籍を置いている状態であるため、今の時点では無職ではない。この期間中に不安な気持ちが湧いてきて唐突に再就職活動する可能性もゼロではなく、まだアレしたとは言えないのである。

8月中には退職のための社内手続きを終えていて9月はずっと業務の引き継ぎをやっていたのだけど、会社の人事情報をインターネット上に書ける訳もなく伏せていたら、インターネットでは普段と変わらぬペースで約2名が僕に退職プレッシャーをかけて来るのが何とも言えない感覚であった。それにしてもロケタッチオフ会inナガシマスパーランドロケタッチ忘年会に参加していなければ、当時カスリオやカスチップスと呼ばれていた銘柄を何故かずっと握っていることもなかったし、この2つだけで老後2,000万円問題が解決しているの、あまりにもバタフライエフェクト過ぎるだろ......。そういえば某氏軍団では東電も話題に上がっていたことを思い出す。データセンター投資ブームで東電HDも爆上げしてたりする可能性もある(保有したことなし)。あの日あの時あの場所でロケタッチの皆に会えていなかったら違った人生だったのだろうか。

今のところ次の仕事は未定で、ずっと未定の可能性もあり、現状で決まっていることは

  • Nintendo Switch 2が届く(年内)
  • ニンテンドーミュージアムに行く(年内)

この2つだけです。さすがにニンテンドーミュージアム行くまでにSwitch 2を開封して遊んでいなかったら人間失格の気がしている。

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2025年10月04日 (土) [長年日記]

[雑記]『チェンソーマン 総集篇』視聴した

そもそもこの『総集篇』がFireタブレットのプライムビデオでデカデカとプロモーションされるまで存在を認識していなかった。劇場版の『レゼ篇』公開にあわせて配信が始まっていたのかな。評判がいいみたいなので視聴した。僕はTVシリーズも当時に視聴済みです。

当たり前だが大変面白く、かつ再編集されていても放映時間はなかなかのボリュームであるため、夢中になって少しずつ見ていたら2025夏アニメの未視聴エピソードがどんどん積まれてしまった。

感想

  • たしかにテンポが良くなっており視聴者が頭デンジ君になって見られるスピード感だった
    • 自分は別にTVシリーズがテンポ悪いとは感じていなかったけど、『総集篇』の方が他人にすすめやすいとは言えそう
    • サムライソードと沢渡が襲撃してきてデビルハンター側の姫パイが幽霊の悪魔でアキ君が呪いの悪魔で対抗するくだりはTVシリーズで見た当時も緊張感がすごかったが、この『総集篇』だとそのままマキマさんの遠距離反撃シーンまでシームレスに繋がるからかなり良かった
  • 実験的試みだったと思われる、毎回変わるED映像と曲はすべてカットになったのは残念
    • 尺を考えると仕方ない面もある
    • ゲロチュー回の『ちゅ、多様性。』が最低な歌詞とレトロでえっちな映像で僕はすごく好きだった(まぁ『総集篇』の中に挿し込んで台無しとする余地がないのは理解できる)
  • デンジ君のCVが戸谷菊之介さんだったのは本当にハマり役ですごいよなぁ、他に考えられん
    • アニメ制作現場でこういうド新人の抜擢文化があるのは素晴らしいと思う(業界慣例であるギャラの問題? なのかも知れないけど若手が起用される機会が多くてキャリアアップに繋がっていること自体はいいこと)
    • 改めてEDクレジット見てたら京都でマキマさんを迎えに来てた天童ちゃん役が上田瞳さんだったことに気付いた、この人の演技本当に好き
  • 『総集篇』そのものは面白かったし評判いいのも納得だけどTVシリーズsageな空気になっているのは少し悲しい
    • 言われるほどテンポ悪いと感じていなかったしアキ君のモーニングルーティンとかの独自要素でキャラクターの解釈は広がってたと思っている
    • 毎回EDを変えるといった「遊び」は、毎話で引きをつくるTVシリーズの時間的余裕があってこそ
    • 2000年代〜2010年代のアニメにほとんど触れなかった民なので円盤の売上でもって大成功とか大爆死とか判定する文化は好きになれない、今や大配信時代なのでサブスクで海外まで含めて広くファン獲得ができれば成功と捉えていいと思うけどなぁ
  • 米津玄師『KICK BACK』の歌詞もあらためて聞くと頭デンジ君すぎてこの人の作品理解度はすごいな
    • そりゃ作品への熱量だけで『メダリスト』のOP曲『BOW AND ARROW』が出力されてくる訳だ

[フレーム]

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2025年10月07日 (火) [長年日記]

[雑記]DMM JCBカード(ポケットカード発行)を解約した

P-oneカードに勝手変換されたポケットカード発行のDMM JCBカードを解約した。P-oneカード自体は一時期メインカードとして使っていたこともあり、決して悪いカードだとは評価していない。が、DMM JCBカードを発行したのは普段使いのメインカードではなくえっちコンテンツをスポット購入するためであり、既に別のメインカードが存在する今の自分にとってはnot for meであったことから解約を決めた。

いまどきWebサービスやスマートフォンアプリからの操作ではなくカードの退会(解約)手続きにある通り、フリーダイヤルに電話して音声応答サービスに操作が必要なんて「本当に令和のクレジットカードサービスか?」と正気を疑ったが、とくに面倒な引き留めは無く5分くらいで解約できた点は評価したい。

残りのカードデッキはDMM JCBカード(クレディセゾン発行)を加えた時に書いた通りである。5枚持ちは自分にとってはやや多いのだが、もう会社員の身分を捨てる予定であることから、今後はイオンカードや楽天カードのように小売系の審査ガバガバカードしか新規発行できないだろうと思うと既存カードのリストラには、やや慎重になってしまう。JR東海エクスプレス・カードは切ってもいいが年内に京都再訪(ニンテンドーミュージアム訪問)が予定されているから、その間は年会費を京都駅のEX-IC専用レーンのファストパス代金と思って継続しておこうと考えている。京都駅、新大阪駅や名古屋駅並みに外国人観光客で溢れているのに改札の数が絶対的に不足していてオワコン過ぎる。

結局DMM JCBカードを(クレディセゾン発行)発行時にチャージされたDMMポイント8,000ptはろくに使い道が思い付かず、10円100円キャンペーン対象の作品をぽちぽち買っても減って行かないし、単価の高い商業ゲームも10本10,000円セールであらかた知ってるタイトルは購入済みである(かつ一度も起動していない)ことを考えると、実はもう表現規制に対抗してJCBカードを持っておく必要は無かったのかも知れない。まぁでも会社員の身分があるうちに発行しておけたのはヨシとして持っておくか。

そういえば三井住友カード Visa Infiniteが発表されたが無限の可能性どころか何の魅力も感じず、本当にこんなカードに年会費10万円弱を支払って使う人が居るのか疑問である。退会匂わせムーブで1年間の年会費無料待遇からの100万円修行済み三井住友カード ゴールド(NL)変換ルートがあるなら、 修行済みゴールド(NL)を複数枚持ちたい人には良いのかも知れない。個人的にはプラチナプリファードの改悪で三井住友カードへの信頼は地に落ちていること、Olive経済圏なんもわからんことから、手持ちの修行済みゴールド(NL)でSBI証券のクレカ積立とセブン・ローソン・モスで使うのとETCカード以外の用途では、他のカードに利用を集約している。

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2025年10月08日 (水) [長年日記]

[Web][雑記]OD調査2025(全国道路・街路交通情勢調査 自動車起終点調査)に回答した

全国の自家用車を所有している人から無作為に抽出して実施されているらしい、国勢調査のクルマ版に相当するOD調査2025(全国道路・街路交通情勢調査 自動車起終点調査)に回答した。選ばれたのは恐らく初めて。

あらかじめ「調査対象に選ばれました」的な予告ハガキが届き、その後10月になると調査票が送られてきた。ハッキリ言って指定された日のクルマでの移動をそれぞれメモっておいて回答・提出するのは非常に面倒なのだが、この統計によって国土交通省の道路新設や補修といった計画が決まるそうなので、当たってしまった以上はやるしかない。

国勢調査と同様に、Webサービスでの回答も受け付けているようで、紙での回答用紙記入だと発狂していたであろう調査内容もWebではGoogleマップ埋め込み地図でビジュアル表示しながらの回答ができて、多少はマシだった。こんなん会社員の人にやらせてたらガチでスルーされるか発狂モンだぞ。

回答を確定してから気付いたけど、自分の運転者としての属性を「無職」で選んでしまった。一応まだ「会社員」だったのだが、もうすぐ属性が変わるので誤差だろう。5年後はどうか抽出で当たりませんように。

[画像:【スクリーンショット】Web回答ページのロゴ:全国道路・街路交通情勢調査 自動車起終点調査]

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2025年10月09日 (木) [長年日記]

[雑記]LOOX ヘッドライト クリア & プロテクトでヘッドライトの黄ばみを取った

まとまった時間が取れたらやろうと考えてたことをやってみようシリーズ。このシリーズには他にPS5の開封や届く予定のSwtich 2開封や設置作業・セットアップ作業などが含まれているぞ。シリーズ全部やるとは言ってない。

今日はお日柄もよく、程よい気温だったため、3回目の車検を通したスイフトRStで気になっていたヘッドライトの黄ばみというか霞んだ感じを解消すべく、朝から小一時間かけて施工した。

施工前

施工前の写真。最近ディーラー寄ったときに洗車機やってもらってるけどヘッドライトは曇ったままなのが気になってるのよねー。

[画像:【写真】霞んだ状態のヘッドライト]

施工後

施工後の写真。撮影したiPhone 17でとくに写真加工はしていないがAI的な何かの処理で小綺麗にされている可能性はある。

やったことは、

  1. 付属のディープクリーナーを散布し、水で濡らした布で拭き上げ
  2. しばらく待って乾いたら、クリアガラスコートを散布

の2つ。ディープクリーナーで掃除した直後はまだ曇ってて、やっぱりこの手の製品は大して効果ないんか〜? と疑問に思っていたが、2番目のクリアガラスコートやったらピカピカのクリアになった。疑ってごめんなさい。

[画像:【写真】クリアになった状態のヘッドライト]

使った製品

使ったやつはKURE 5-56でお馴染み呉工業のLOOXヘッドライト クリア&プロテクトというやつです。製品ページやAmazonの商品説明ページに動画解説があって、手先不器用マンでも割と簡単にできる。7年落ちのクルマでこれだけ効果があった(ように見える)のだから、中古車で買って状態が気に入らないような場合でも結構クリアになるんじゃなかろうか。施工後12時間は水かからないよう放置しなきゃいけないらしいので、やる気あっても実際やれるかは天候に左右されますな。今日は朝からよく晴れててラッキーだった。

僕が買ったときはセール価格1,200-1,300円くらいでした。このクリア状態がどのくらい持つのかは現時点では不明だけど、期待値としては次の車検(2026年2月)までは持ってくれると嬉しいところ。

https://amzn.to/46TF19v

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2025年10月11日 (土) [長年日記]

[Software][死生観]完全引退に向けてOSSを第三者のメンテナに引き継いでいる

先日の最終出社までにどうにか道筋をつけたいと考えていたものの一切どうにもなっていなかったことの一つに、自分のために書いてオープンソースとして公開していて妙に利用者が増えてしまったソフトウェアをどうするか問題があった。諸事情で2024年後半から完全にやる気を失っておりgithub.comにもほとんどログインしていなかった。

もともとこのpip-licensesなるPython上で動作するソフトウェアを作った理由は、当時の勤め先でちょっとした活動をするにあたって解決したい課題があって、サバティカル休暇で時間があったことで一気に書き上げたものだった。僕にとって欲しい機能はv1.0の時点でほぼ完成しており、そのままで良かったのだが、想定外にPRくれる人が居たり、Pythonやpipが毎年新しいバージョンがリリースされるサイクルに変更され、それらに依存するこのソフトウェアも年1回は改修リリースせざるを得ない状況になっていた。よって最初のリリースから6年くらいは真面目にメンテしていて7年目に差し掛かる頃から放置されていたことになる。

もちろん過去に読んだ『OSSライセンスの教科書』でも解説されていた通り、OSIで承認されたライセンスのほとんどは利用者側の自己責任が明記されており、インストール時ライセンスに同意の上で利用しているのだから、作者側は「やる気ないから放棄します」の姿勢でも問題はない筈だ。が、僕自身はプログラミングからは引退するものの別にキーボード打てない状態という訳でもないし、引き続きインターネット上では活動が続いて行くし、どうしたものかなぁと困っていた。

PEP 541

とりあえず久しぶりにGitHubへログインして自分宛てに届いた大量の通知を棚卸していたところ、PEP 541 Request: pip-licensesという連絡が来ていることに気付いた。どうやらこのPEP 541 – Package Index Name Retentionなるプロセスは、作者が行方不明になったり放棄され更新の止まってしまったPyPI(Pythonパッケージを公開するためのソフトウェアリポジトリ)上のプロジェクトを、別の人が引き継ぐために定義されているようだ。承認されれば、同じパッケージ名で別の人が最新バージョンをアップロードできるようになるとのこと。

こういうプロセスが存在すること自体、僕は全然知らなかったし「よく考えられているな〜」とPython全体で整備されている民主的手続きに感心しつつ、せっかくやる気ある人が引き継ぎに向けて動いてくれているようなので、この連絡に乗っかって「自分はもう引退しちゃうからPyPI上で維持することはできないんだけど次に何すればいい?」とコメントし、提案されるがままにメンテナの引き継ぎ作業を開始した。

メンテナを申し出てくれた人に色んな権限を渡したところ、溜まりに溜まっていたPRsが猛烈な勢いで処理され、次のバージョンリリースに向かって爆速で準備が進んでいる。Trusted Publisherに対応することで、今後のリリースはGitHub Actionsから自動でやれそうだし、僕が関知しない間にアクティブなForkも幾つか誕生していたことから、統合の話し合いもコミュニティで始まったようだ。もっと早く引き継ぎやれば良かったなって思いもあるし、でも引退の意思が固まったのは自身の金融資産に一定程度の目途がついた(とはいえ資産の維持や計画的な取り崩しができるか今もって不透明である)最近のことだったから、仕方ないよなの思いもある。

正直ホッとしている

今の気持ちとしては正直ホッとしている。 ホッとしている要因は、きちんと引き継ぎできそうな点はもちろん、想定以上に増えてしまった利用者に対して自分がメンテ継続できない申し訳なさのようなものを感じなくていい点や、自分よりすごい人から来るリクエストやレビュー依頼に対応しなくていい、という点も大きい。

IT業界で仕事していてもそうだし、業務外でOSS活動していても、とにかく自分より若くて才能があって野心に溢れた人が沢山いる。これは業界が知識やスキルの高速道路が常に整備されている以上しょうがないし、もしかしたら僕も(自惚れでなければ)20代-30代の頃は諸先輩方に対して同様に思われてる部分が多少あったかも知れない。勤め先では、自分と同世代か少し上の同僚の中には「若い奴の壁になりたい」と考えて今でも研鑽を怠らない姿勢の人も居た。素直にすごいと思うが僕には研鑽を続けることはできなかった。とにかく、これからは自分よりも若くて優秀でやる気も行動力もある人たちと比べて卑下する思いを抱えなくて済むのは、かなりホッとする。これが正直な気持ちだ。

作者がやる気を失くせばメンテが放棄されるのは当たり前のことだ。自分が使ってるオープンソースのソフトウェアが今日も動いているのは偶然だし、不慮の事故や災害で明日にも更新が止まるかも知れない。npmなんてよく壊れず維持されているよな(もう壊れているのかも知れない)といつも思ってる。QiitaとかZennにOSSの選定理由とか使い方を投稿するのもいいけど、それ以上に死なれて困るソフトウェアがあるなら、何かしら貢献した方がいい。ゾンビ状態で放置されてるソフトウェアなんてGitHubのそこら中に転がっている。

ともあれ、僕はそこそこ使われてしまったOSSの信頼できる人への引き継ぎが幸運にも完了できそうだし、自分のコードがVim/Neovimにマージされた(前にも書いたが僕より遥かに優秀な第三者がやってくれた)し、やる気あった頃にAppleのswiftにもPRがマージされた。また、「オープンソースを支援します」という名目でGoogle先生がTitan Security Keyなるものをプレゼントしてくれたこともあった(2つ貰ったけど2つとも開封していない。GAFAMは色々言われてるけどこうやってOSSを一方的に使うだけじゃなくて人・モノ・金を出すのは偉いと思ってる)。スターエンジニアではなくてもプログラマ人生としては充実していた部類と言えるだろう。引退することに心残りは無い。

引退してしまえば、今とてもホットな領域であるGitHub CopilotとClaude CodeとGemini CLIを誰が一番うまく活用できるか選手権みたいなやつをニュース追いかけて消耗する必要もない。これもホッとする要因の一つだ。最新情報のキャッチアップ競争から降りられるのは本当に嬉しい。願わくば再就職活動が必要になる事態が起きないことを祈っている。

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2025年10月13日 (月) [長年日記]

[雑記]ビデオ会議のために使っていた機器を処分している

勤めていた会社がリモートワークに振り切ってから、5年ほどの間に色々と整えた在宅で働くために購入した機器を処分している。主にスタンド付属のマイクやモニタの上に設置していたWebカメラといった、Zoomというアプリケーションを介して実施されるビデオ会議で使っていたものである。

まだ退職日を迎えていなくて年次有給休暇の消化期間中であるものの、仮に再就職をすることになったとしてもIT業界への復帰は考えておらず、一旦この辺りの機器を片付けて机の上を広くしておいた方がNintendo Switch 2の設置スペースも広く確保できて良さそうだ。まだSwitch 2は設置完了していないものの、箱のサイズからして既にPS5よりも遥かに小さい(多分だけど1/5程度のサイズ感である)ため苦戦せず置けそうな予感がしている。

ビデオ会議するための機器が手元に無いと、例えばマイクロ法人を設立してバ美肉おじさんとして稼いで行く道は閉ざされてしまう訳であるが、そういう才能が自分に無いことは自分で一番よくわかっているため、大丈夫だ、問題ない。

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2025年10月16日 (木) [長年日記]

[時事ネタ][ゲーム]ポケモンGOのレベルアップアップデートが適用され43→62になった

以前から予告されていたポケモンGOのレベルアップに関するアップデートが適用され、僕のアカウントが一気にレベル43からレベル62に上がった。ITmedia Mobileの記事にある通り、僕の道具バッグも例外なく上限突破で溢れてしまったため、まんたんのくすり300個ほど捨ててさらに道具バッグアップグレードを数回実施しておいた。

無茶苦茶すぎるだろう、とは思うものの、トレーナーレベル41から50の「レベルアップリサーチ」タスクがクリアできる気がせず、一生レベル43で止まりそうな感じだったので、一応レベルアップの目標が復活したこと自体はありがたい。裏目標として「年齢に追い付かれないレベルの維持」があったが、これに関してはもう有耶無耶になってしまった。

今年になって刷新したApple Watch Series 10とiPhone 17のバッテリーが思ったよりよく持つこともあって、最近いつでも冒険モードの設定をオンにした。ポケモンGOアプリを起動していなくても意外とあちこち動き回っているんだなとわかって面白い。

一応ポケモンGOに関してはまだ無課金のまま遊んでいるものの、ファイアーエムブレムヒーローズの方は気軽に課金するようになってきてしまっている。やはりガチャは悪い文明......ではあるが、Switch 2向けに発表されたファイアーエムブレムシリーズ最新作の開発予算に多少は貢献できた気がしなくもない。でも今後は毎月の給与キャッシュフローが無くなるんだから、やっぱり課金している場合じゃないぞ。

[画像:【スクリーンショット】レベル62へのアップを知らせる画面]

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2025年10月18日 (土) [長年日記]

[雑記][メタル]一周回ってワイヤードイヤフォン(Apple EarPods)に戻ってしまった

5年くらい使ったAirPods Proの片方(右耳側)が再生されなくなってしまった。Appleストアに持ち込み修理した同僚から聞いた話によると、片方だけでもApple Care+未加入だと費用10,000円超えと聞いたことがあり、さすがにもったいない出費に感じられるしAmazonのポイントはひたすら余ってるから別に新規で買ってもいいのだが、そういえばビデオ会議のために使っていたUSBマイクを処分していて「こいつ買って設置する前はビデオ会議には昔のiPhoneに付属していたEarPods使ってたっけな」と思い出し、まだ手元には2-3個あるため引っ張り出して使ってみたら、これが実に丁度よい。

別に自分はカナル型イヤフォンの圧迫感は苦手ではなくて好きで使っていたのだけど、久しぶりにオープン型イヤフォンであるEarPodsで長時間の音楽を聴いていると、ずっと耳に装着していても全く疲れなくて「こういうのでいいんだよこういうので」が感じられた。いやワイヤーは邪魔だけども。

いまどき端末側にイヤフォンジャック付いてるiPhoneなんて無いでしょって話なのだが、実はまだiPod touch 7th Genを現役で使っており(未だにAppleからもセキュリティアップデートが配信される)、ストレージ128GBあるためApple Musicで追加したライブラリもまだまだ持ち歩ける。別に音質重視でないからiPhoneでクラウドストリーミング再生しても構わないんだけどダウンロードしておけば都度povoのギガが減らないし、EarPodsでならバッテリー切れを気にしなくていい(当たり前だ)し、疲れないしこれでいいじゃんに戻ってしまった。そういえばAirPods Proを使うよりも前は、ソニーのMDRシリーズ(Bluetoothでも繋げるしバッテリーが切れたら有線でも繋げる有能イヤフォン)を好んで使っていたことを思い出した。

iPod touchがAppleから完全に見捨てられEOSとなったら、その時は以前にGoogleストアクレジットの使い道に困って貰ったPixel USB-Cイヤフォン(earbuds)という製品がほぼ未開封で手元にあるから、これをiPhoneに接続して使えばいいや。繰り返しになるが、僕は外で音楽聴くとき別に音質重視していない。再生する音楽ジャンルは専らメタルだから、本当はソニー製品のようなドンシャリ系が向いてるイヤフォンがいいのかも知れないけど、今でもソニーがワイヤードイヤフォン売ってるのかすら知らないし、AppleかGoogleのやつでいいでしょ。

オープン型イヤフォンで気になるのは音漏れではあるが、これも今後は通勤電車に乗らない生活を志向しているため、まぁ大丈夫だろう。ただし、iPad miniとiPhoneの最新機種へのアップデートでようやく捨てられると思ってたLightningケーブルの出番がiPod touchのせいで増えるのはちょっと悲しいので、やっぱりPixel USB-Cイヤフォン + iPhoneがいいのかも知れない。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

ArcCosine [音漏れをあまり気にしない環境になったのなら、ShokzのOpen Runオススメ。骨伝導イヤホンなので、耳が痛くなる..]

雷悶 [Shokzの首掛け型のやつはビデオ会議で使ってる人もよく見かけましたね! たしかに部屋でしか使わないならありかもな〜..]


2025年10月20日 (月) [長年日記]

[Web][Software]LINEヤフー株式会社を退職したので歴代社長の感想を書く(元ヤフー社員視点)

本日付でヤフー株式会社から通算で17年勤務していたLINEヤフー株式会社(以降LY社)を退職した。

退職の理由とかタイミングの話は、すべてLY社の社内ネットワークにあるConfluenceというWikiシステムに書いておいたし、LY社に改善を望むことは退職者インタビューで伝えてあるため、ここでは会社員生活の振り返りとして歴代社長の感想を書いておくことにする。僕は2008年にヤフー株式会社に吸収合併されて入社した立場の社員であったため、文章のほとんどがヤフー時代の社長に関する感想となる。

[画像:【写真】LY社の本社オフィスがあった東京ガーデンテラス紀尾井町]

はじめに

  • このエントリは一義的に 繰り返し自分で読み返すため に書かれている。どうか文章として書いてあること以上の意図を勝手に読み取らないで欲しい。
    • そろそろ僕も記憶力のあやしい中年であるため、間違っている箇所があるかも知れないし、将来的にエントリの内容は更新され得る。
  • 早期リタイアをする決断をしたから転職先は一切探していない。
    • よって、社員だった頃の業務経験なども書かれる予定は無いし、これからLY社に応募を考えているような人が参考にできる情報は書かれていない。そういう人は現役社員を頼ってください。
    • プログラミング活動も自作のOSSを引き継ぎ中で、これが完了したら完全引退する予定であり、仕事の依頼なども受け付けていない。
  • ここで書かれる「ヤフー」はインターネットサービス「Yahoo! JAPAN」を運営している日本の会社であり、米国のYahoo Inc.については一切登場しない。

井上ヤフー時代(2008-2012年)

僕がヤフーに入社した2008年は井上雅博氏が社長をやっていた。後の社長交代後はこの時期をさすレトロニムとして「井上体制」「井上ヤフー」と様々な呼ばれ方があるがここでは「井上ヤフー」で統一する。

どうもヤフー創業時からの伝統だったらしいのだが、当時に中途で入って驚いたところは、

  • 誰も「井上社長」と役職を付けて呼ばず「井上さん」と呼ぶ。
    • 親会社であるソフトバンクグループでも孫正義氏のことは皆が「孫さん」呼びであるため、ソフトバンクグループ全体の文化なのかも知れない。
  • 四半期ごとの決算の中身を社長である井上さん自ら社員に対して説明する。
    • 後任の宮坂さんもこの方針を引き継いでいた。
    • 当時の井上ヤフーは珍しく四半期ごとに賞与が支給されていた。井上さん退任後は一般的な日本企業と同じ年2回の賞与となった。
  • 自社サービスで何か気になることや横着に思えた仕事を見付けるとallメール(いわゆるヤフー株式会社全員宛てのメールアドレス)で即レス質問が始まる。こわい。

こういう独特だったところは最初なかなか慣れなかった。

あと、井上さんは入社年次の早い社員からはとても慕われていて、逆に僕がヤフーに入った前後(2005-2010年頃)に新卒や中途で入った社員からは、冷たい印象を持たれたり「給与が渋い」といった意見をよく言われていた気がする。僕自身もどちらかというと後者の印象だったが、一方で僕らの会社が吸収合併される際は、わざわざ対面で出向いて説明に来ていた。だからビジネス上の「仁義」みたいなものを重視する人なのかなぁ、という印象もあった。

仕事で深く話したことも無かった僕から見た井上さんは、業績に関してはとんでもない結果を出し続けていたが遠い存在であった。好き嫌いの感情もほとんど持っておらず、フラットな気持ちだった。退任劇については書籍などでも色々と書かれているが本当のところはよく分からない。ただ身の引き方は今にして思うと本当にスパっと辞めたのが凄かった。井上さんだけでなく、当時の取締役といった人たちもセットで退任させて、後の宮坂ヤフーに対して一切の影響力を残さなかった。なかなかできることじゃない。

ヤフー創業時から一緒に仕事していた人から見ると、もっとすごいエピソードが出るのだと思うが、僕にとっての井上さんは 身の引き方がすごい が一番の感想であった。

宮坂ヤフー時代(2012-2018年)

2012年からは、現任の東京都副知事をしている宮坂学氏がヤフーの代表取締役社長・CEOに就いた。宮坂ヤフーを経験している社員の中には、未だに宮坂さんのことが大好きだという人が多い。もちろん僕もその一人である。

宮坂ヤフーの時代はもう すべてが変わった 。「えっ、会社ってこんなに変えちゃっていいの?」と心配になるくらい、制度も文化も何もかも変わった。ヤフー株式会社がLINEヤフー株式会社に経営統合されてから今日までの変化量を100とすると、井上ヤフーから宮坂ヤフーになった時の変化量は僕の主観で250くらいは違っている(もちろんLY社は今後さらに変わって行くだろうから、あくまで2025年10月までの変化量で比較している)。何より変化が早かった。そう、爆速である。

「爆速」なるキャッチーなキーワードは、大変わかり易かった。未だに経営者で「打席に立つ回数を増やすんだ」的な野球の例えを用いる人もよく見かけるが、ああいうのは野球経験者やプロ野球観戦する人でもないとピンと来ないのではないか。宮坂さんのメッセージは「俺たちのビジネスはPC大陸からスマートフォン大陸に向かいます! 現場に権限移譲します! じゃあ爆速で皆よろしく!」といった感じで、シンプルだ。当時はまだデプロイの計測をやってる現場は少なかったけど、明らかに本番デプロイの頻度は増えていて、速くなり過ぎた結果インシデント(事故)も増えたからちょっと揺り戻しも必要になるくらいだった。

当時の様子はINTERNET Watchに今でもちゃんと残っていて参照できる。インプレスグループのメディアって本当に素晴らしいよね。記事の見出しも簡潔かつ、よくまとまっている。宮坂さんたち経営陣がメディア露出するときに着用する爆速Tシャツは皆めちゃ欲しがってた。

もちろん、これだけの思い切った変化ができたのは、先に書いたとおり前任の井上さんが一切の影響力を残さず去ったことがとても大きい。宮坂ヤフー時代に、古株社員として威張り散らす人も極めて少なかった(完全に居なかった訳ではないが、ほとんど遭遇しなかった)。

また、宮坂さんだけが凄かった訳ではなく、配役が優れていた。登る山とビジョンを示していつもニコニコしているCEOの宮坂さん、失敗プロジェクトの総括会議や不振サービスのクローズといった嫌われ役もやるCOOの川邊さん、モバイル野郎として面白い制度や情シス的な変更を皆に共有するCMO村上さんの三頭政治がいい感じに機能していたし、本間さんに人事部門のトップを任せて全社的に1on1って制度を浸透させたりと、執行役員レベルでも象徴的な配役をいくつもやっていた。

宮坂ヤフー時代には経営陣が地方拠点を回って社員と話す場を設けたり、コミュニケーションを活性化するためのイベントも増えた。中でも大きなイベントとして年イチで「社員大会」が開催されるようになった。東京で大きな会場を借り切って、1カ所に全国の地方拠点からも集まるイベントだ。たしか宮坂ヤフーのときにCS(カスタマーサポート)子会社も吸収され同じ会社となったことで、いつも社内チャットではお世話になってるけど直に話したことの無かったCS部門の人と初めて対面で挨拶できたし、地方拠点(名古屋オフィス)勤務だった僕らにはシティホテルの宿泊部屋と新幹線の往復チケットも用意され、ちょっとした旅行気分だった。それなりに費用もかかるだろうし、今風に言うと社員のエンゲージメントを高めるための投資として考えた結果の決断ではないかと思われるんだけど、両国国技館を貸し切ってど真ん中に立った宮坂さんが言ったことは「一度やってみたかったんだよね!」であった。社員大会には孫さんも当時の取締役会長として毎回やって来て、一緒に爆速うちわ片手に記念撮影したりしていた。

LY社にも受け継がれて残ってる制度として、祝日と土日が被ったら、消滅する祝日に代わってひとつ前の労働日が休日化される制度がある。消えゆく祝日の救済制度だ。普通に考えたら社員の稼働日が減るだけで、支払う給与総額は変わらないし会社にはあまりメリットが無い気がするのだが、「働く皆がハッピーなら大丈夫でしょ!」という感じで宮坂ヤフー時代にあっさり導入された。考え抜いた末に決めたことも、長ったらしい説明をしないところが宮坂さん流であった。なるべく社員の前では弱みをあまり見せないよう振る舞っていたように僕からは見えたが、当時のヤフー自社製チャットツールMYMには「社長室」というチャットルームがあって、株主総会の終わった直後だけは「今回も緊張したぁ〜」と宮坂さんが本音で書き込んでいた。忙しさから滅多に書き込まれないが、社員からは「これもう日本で一番気軽に入れる社長室だろ」といった感じで親しまれていた。

宮坂さんが残して行った言葉から影響を受けた社員は僕も含め本当に多くて、とくに 「迷ったらワイルドな方を選べ」「脱皮しない蛇は死ぬ」といった言葉は今もよく語り草にされている。僕は「利益はすべてを癒す」が一番印象に残っていて、これは宮坂さんが「卒業講演」で使った言葉だ。卒業講演というイベントも宮坂ヤフー時代に出来上がったもので、かつてのボスだった井上さんに「お願いします! 社長時代の裏話を皆の前で話してくださいよ!」と宮坂さんが連れてきて始まったイベントだ。ヤフーの社長を務めた人は最後に皆の前で明け透けに話すのである。「利益はすべてを癒す」は利益さえ出ていればワイルドなチャンレジもできる、みたいな文脈で使われていたと記憶していて、経営に関する言葉なんだけど、僕はちょうどこの頃から株式投資もするようになっていて「そっか、利益出ていると会社は大胆なチャレンジができるんだな〜」と小学生並みの感想でとても印象に残った。自身の後任社長に川邊さんを指名して「社長が変わる度に就任時の年齢が若返る会社にしたいね! 今回は俺が社長になった時より1歳だけ若い川邊くんに託します!」「俺が使ってみたかった会社のイケてる制度? サバティカルだね!」と最後までニッコニコで話していた宮坂さん。「俺って起業を経験してないサラリーマン社長だからさ〜」と謙遜しながら、とにかく会社に最大の破壊的変化をもたらした型破りな社長だった。

川邊ヤフー時代(2018-2022年)

「私はインターネットが大好きだ!」を合言葉に川邊健太郎氏がヤフーの社長に就任した。43歳だ。すごい。43歳でこんな大企業の社長をやれと言われても普通できないだろう。が、僕は当時の川邊さんはあまり好きじゃなかった。何だか発言の端々が軽薄な印象があったのだ。

あと宮坂ヤフー時代、川邊さんはCOOとして次々と零細サービスをクローズさせ、強いサービスはより強いサービスになるよう人員リソースを集中させていたのも内心では少し反発していた。もともと井上ヤフー時代はインターネットポータルは百貨店、みたいな感じで流行ってなくてもいいから色々やってるのが大事、主力サービスがちゃんと稼げてればOKって方針で、細々やってるサービスはある意味で牧歌的であった。急に利益貢献をシビアに求められるのは違和感があった。ただ営利企業である以上は、誰かがやらなきゃいけない判断だったような気もする。

そんな川邊さんがシン・川邊さんとして覚醒した時期があった。シン・川邊さんというのは社内通称としてあった訳ではなくて、何となく文章を打ち込みながら僕が今思い付いた勝手な呼び方である。コロナ禍として感染症が猛威を振るったのち、収束後もヤフーがフルリモートに振り切ると決断した頃だ。この時期はAll Hands Meeting(いわゆる全社朝礼)も1カ所に集まれず全員リモート参加でやらざるを得なかった。ビデオ会議ツールに投稿された社員からの多くの質問に時間を費やし、川邊さんは予定時間を超過して分刻みのスケジュールを心配している裏方の社員に対しても「いや、全員に回答するよ」と延長してでも話して伝える努力をしていた。フルリモート化というのは、全員が諸手を上げて賛成していた施策ではなかったのだ。そりゃそうだ。全員が全員、自宅で会社と同じパフォーマンスで働ける環境がある訳ではない。

他にも、シン・川邊さんエピソードとして印象に残っているのは、(詳細は書けないが)ソフトバンクグループの全体イベントみたいな場で、孫さんが老害と思える言動をした時に誰もが茫然と見ていたところを川邊さんが諫めたことだ。こういう言動できる人が自分たちの社長なんだ、と頼もしいし誇らしい気持ちになった。

LY社の会長となってからの川邊さんは、X(Twitter)でのインプレッションを集めることに熱中していて以前とはまたちょっと別の人になってしまった感じだ。スカッとする経営者一刀両断なことを投稿しているが、それLY社でもできてないじゃん、としか感じられない発言もあって、正直モヤモヤする。

僕にとっての川邊さんは 人は40代になっても変われる ことを体現して見せてくれた人だ。

小澤ヤフー時代(2022-2023年)

川邊さんの後任として、インターネット業界では通称おざーんで著名な小澤隆生氏が社長になった。結果としてヤフーで最後の社長である。小澤さんは宮坂ヤフー時代にショッピングの事業責任者として引っ張って来られた人だ。僕はヤフーでeコマース関係の仕事を担当したことが無くて、小澤さんは「とにかく話が面白い人」くらいの認識しかなかった。実際、人前で話すと本当に面白くて、とくに楽天球団立ち上げなんかのエピソードは何回聞いても面白いので、もしインターネット上に動画があればぜひ見てみて欲しい。社長になるにあたってヤバい発言が多いとかの理由でX(Twitter)アカウントを削除して臨んだ小澤さんは、並々ならぬ決意で社長をやろうとしているのを感じた。

ただ、結局その後は広く知られている通り、LINEヤフーとして経営統合がされる運びとなり、小澤ヤフーに変化するための制度案なども示されていた(詳細は書かないが若手社員にはいい話が多そうだった)にも関わらず、結局これらは実施されなかった。

僕がいち社員として川邊さん・小澤さんに対して抱いていたギャップとしては、PayPayの立ち上げに関する認識の違いがあって、プロ野球方面のインターネットミームに「わしが育てた」というものがある。平たく言うとこれだ。とくに小澤さんはPayPayの立ち上げを成功体験として度々話していた。が、末端にいた社員からするとPayPayは「ソフトバンクのやり方でいつの間にか盤面をひっくり返して全部掻っ攫っていったコード決済サービス」であって、ヤフーで一丸となって作り上げたものではない。一部の社員はアプリエンジニアとしてヤフーからPayPayに出向していたから、そういう人の中にはオーナーシップを感じている人も居たかもしれないけど。

PayPay立ち上げ期のある日、僕が勤務先のヤフー名古屋オフィスに出社するとフロアの端にショッカーのように統制された集団が居てあれは何だろうと不思議に思っているとPayPay営業部隊として新規に採用された人たちだった。ローラー作戦で店舗を開拓すべく、全国の拠点で毎日こんな感じだったらしい。すごくソフトバンク流っぽい。僕らヤフー社員も、PayPayアプリから支払いできるとピンが立ってる店に実際行って使えたかレポートするといった程度の協力はしていたが、自分たちで作ったり育てた感覚は皆無だったから、とにかくギャップは感じた。ソフトバンクグループに特有の複雑な出資や株式交換のスキームもあって、未だにPayPayは誰がつくって成功に導いたサービスなのか何もわからない。逆に言うと訳わからんうちにPayPayができているのがソフトバンクグループの強さ・恐ろしさとも言える。

その後の小澤さんはLY社の顧問を辞して、ベンチャーキャピタルを始めたようだ。もともとYahoo!ショッピング責任者の傍らでYJキャピタルという名前のCVCをやっていて、社員に対しても「私はM&Aが大好きだ―っ」と繰り返し言ってたので、好きなことやりたくて行動した結果だろう。小澤さんがLY社を去るとき社内チャットにも「権力闘争に敗れた」とか「将来に見切りを付けた」と好き勝手に評する意見が投稿されたが、僕から見ると 本当に好きなことやるために決断して素早く動いた 人に映った。eコマース関連の仕事を一緒にしていた社員からは、もっと面白いエピソードがいくらでも出て来そうな、とてもユニークな人物である。

出澤LINEヤフー時代(2023年-)

ZホールディングスのCo-CEOという、あまり聞かない共同CEOなる役割を川邊さんと2人でやっていた出澤剛氏が経営統合後LINEヤフーの社長となった。川邊さんが会長で出澤さんが社長だ。この時の経営統合スキームも複雑で、僕には何が何だかよくわかっていない。

出澤さんのことはよく知らないため、LY社における印象でしかないが、良く言えば冷静沈着で淡々としているし、悪く言えば自社のことを他人事みたいに話すなぁと思った。僕は昔からライブドア社のサービスをよく使っていて、もっと少人数に対してパッションを語る感じの人なのかなぁ、と想像していて、ちょっと思ってたのと違った。これは僕が勝手に期待して勝手に落胆しただけなので、感情としてはフラットだ。好きでも嫌いでもない。

余談になってしまうけど、井上ヤフー時代は社員に「お前らなるべく自社サービスを使えよ」といった方針があった。つまり検索なら「Yahoo!検索」を使い、競りなら「Yahoo!オークション」を使おうねということだ。今風に言うとドッグフーディングだろうか。宮坂ヤフー時代になると「他社のサービスもどんどん使ってみよう」になった。「My Yahoo!」よりも「livedoor Reader」、「Yahoo!ブックマーク」よりも「livedoor クリップ」を好んで使っていた僕も隠れキリシタンのように潜伏しなくて良くなった。うれしい。ただ自社サービスを優先的に使わせるのか、他社サービスも積極的に使ってみるのか、果たしてどっちの方針が理想かは難しいところだ。

とにかく出澤さんのことは詳しくないし手腕も知らないが、経営者としては結果を出す(業績・株価を上げる)ことしか求められていないと思っていて、ヤフー時代も含め僕は指定の証券口座を増やすのがどうしても面倒で最後まで使わなかった自社株制度で買っている社員が報われ、1株も持ってない僕が悔しくなるくらいの結果を出してくれると良い。2020年代に5大商社に勤めて自社株制度で買って積み立てている人なんかは株高のいま本当に報われているだろうし、羨ましい。

まとめ

  • 「書いたらこうなるだろな〜」と事前に予想していたとおり、宮坂ヤフー時代のことばっかり書いてしまった。
    • 宮坂ヤフーを経験した元ヤフー社員は宮坂さんのことが好き過ぎるとは、よく指摘される話であり、実際そうだと思う。官業に行くことに抵抗の無い人は、もしかしたら宮坂さんと一緒に働きたくて東京都へ転職しているんだろうか。宮坂さんと川邊さんも、何かのイベントで「官から民へ、民から官へ、もっと官民の人材流動を活発化したいね」と言っていた。
    • 個人的に社会人の青春(できる事も任される事も増えて人脈も広がる楽しい時期)は25-35歳くらいと思っていて、この時期を宮坂ヤフー時代で過ごせたのはとても幸運だった。
  • 最終出社後の有給休暇の消化期間中に家を建てたら、会社が変わった。夫婦でLINEヤフーを辞めました。というエントリが話題になっているのを見た。
    • 「会社を信じる方が愚か」といった反応は、まぁ外から見たらそうなんだろうなと思ったが、僕は川邊ヤフー時代のシン・川邊さんを内から見て知っているため、郊外に家を建てたこのご夫妻の選択が愚かだとは思わない。それくらい当時の川邊さんはフルリモートに振り切る覚悟を伝えていたから。
    • 当時のヤフー採用アカウントの投稿がずっと当て擦り続けられるのも何だか同情する。あの頃はフルリモートに引っ越してもう戻らないんだ、これがニューノーマルの働き方だ、という雰囲気は確かにあった。noteのエントリを書いた元社員の人も採用担当の人も、僕は恐らく全く知らない人だ。別に庇うような義理もない。ただ内外で見えてる景色は違う、ということだけ書きたかった。
    • 僕がLY社を辞める理由はRTO(出社回帰)ではない。が、最初に書いたとおり理由やタイミングはLY社のConfluenceにすべて書いてあって、ネガティブなことも含め退職者インタビューで伝えてあるから、ここに改めて書くことは無い。
  • ちょっと自分でもびっくりするくらい寂しさは湧いて来ていなくて、清々しい気持ちだ。
    • 結局のところ、「ヤフー株式会社」「ヤフー名古屋オフィス」は僕にとって居場所であったが、LY社は別に居場所ではなかった。逆説的に言うと思い切ってFIREしようと決められたのは、LY社だからこそだ。多分だがヤフーの時には決断できなかった。
    • LY社にはお世話になった人や尊敬する人も沢山いるが、伝えるべき人に対しては社内エントリでちゃんと感謝を伝えてから貸与MacBookを会社に返却できたので、書いておいてよかった。これもやり残したことの無い清々しさにつながっている。
    • ちなみに創業期のヤフーで働いていた人からは、自社株がインターネットバブルの株価上昇で恩恵を受けて、早期リタイアした人なんてナンボでも居た筈だ。少なくとも僕には思い当たる人が何名かいらっしゃる。が、まだ当時はFIREという名前が無かった。デザインパターンとかと同じだ、名前重要。

Appendix :社員時代に書いたもの

この日記では勤め先の社名は極力書かないようにしていて、今回のエントリで初めて明記した。以下のエントリはヤフー社員時代の話だ。別に現在のLY社に対して不利益を与える内容ではないと思われるからリンクしておく。

Yahoo! JAPAN Tech Blogにも僕の書いた記事が残っている(いつまで残るのかは全く知らない)。非実在社員ではない証明くらいにはなるかも知れないからリンクしておく。

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雷悶 [>yuskato きっとお前はわしが育てた! (と言いたいがメンターだった人は他にもいる)]

同時期にYJを通過した者です [めっちゃ全文共感でした! 宮坂さんサイコー! ウォーターサーバーありがとう! 迷ったらワイルドな方を選べ!]


2025年10月21日 (火) [長年日記]

[FIRE][tDiary] 今日から無職になったからトップページに無職カウンターを設置した

とうとう再就職活動をしないまま退職日を過ぎ、今日から晴れて無職になった。日記システムtDiaryで新しい記事カテゴリを追加で生やそうと考えて、

  • FIRE
  • NEET
  • 無職

の中から選ぶことにした。最初は「無職」で行こうと思ったが、日和って響きのちょっとかっこよく感じられる「FIRE」にした。うまく資産を取り崩せそうか不安になったり、暇すぎて中年の危機を感じたときにFIREカテゴリで何か書いて行きたい。

しかし「無職」で何か目印になるものを作っておくアイデアも捨てがたく感じられ、Hatena::Counting上に無職カウンターを作成した。株式会社はてなは過去に株式投資で爆損を強いられたが、こういうニッチなWebサービスを会社として提供してくれるから全く嫌いになれない。GitHub風の草を生やすサービスで無職生活を可視化しても面白いなと思ったけど、プログラマを辞めるのにGitHub風のUIを使うのは何だか未練がましいし、やはりシンプルなカウンターがいい。トップページも7年ぶりに更新して無職カウンターを設置した。

tDiaryで書いている以外の静的ページはMercurialで管理してレンタルサーバー上からBitbucketにpushしていたんだけどhg push何回やっても失敗するな〜と不思議に思ったら2020年にMercurialサポート終了してた......。git initしてGitHubのプライベートリポジトリにでも入れておくべきか。

とりあえず、今の心境としては、こんなんでプログラマとしてちゃんと引退できるのかも不安だし、それ以上に資産運用が大丈夫なのかも不安である。さすがに引退初日とあってメイン証券口座もログインして眺めたところ、自公連立崩壊ショックの大騒ぎは何だったんだという感じの無風であった。やはり気絶投資しか勝たんのか。いつの間にかインドのインデックス投信もパフォーマンス戻ってきている気がするし、いいゾ〜これ。全然しっかり把握していないが税引き前1.15億り人くらいからのスタートになりそう。

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  2. 雷悶 (2025年10月21日(火)17:39)「>yuskato きっとお前はわしが育てた! (と言いたいがメンターだった人は他にもいる)」
  3. yuskato (2025年10月21日(火)16:51)「自分もはてブから来ました!度々お世話になりました!雷悶さんが最初のメンター(のうちの一人)だったのはほんとに僥倖でし..」

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