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画像:20180218「肩書」より名前で]
東京新聞・中日新聞2018年2月18日(日)障害者は四つ葉のクローバー
「肩書」より名前で
学生時代、米国に留学した時、困ったことの一つが、先生の名前を知らないと、質問できないことでした。「先生!」と呼ぶのではなく、「ミスター」や「プロフェッサー」に先生の名前を付けて呼ぶためです。またアメリカでは先生が保護者を「〇〇ちゃんのおかあさん」ではなく、その人の名前で呼ぶのが普通で、個人を尊重していると感じました。
結婚すると、急に夫の同僚や知り合いから「奥さん」と呼ばるようになり、その違和感も忘れられません。私の名前、言い換えると私自身は必要がないように感じられ、夫が前に立たないと何もできない気持ちにさせられました。
今は時々子どもたちに「今日はママはお休み。なっちゃんって呼んでね」という時間をつくっています。名前で呼ばれると、がんばらなくてもいいかな、手を抜いちゃえ!と、気持ちが楽になるからです。私は、友だちの子が泣いたり、イタズラをしたりしても、温かく見守ることができますが、わが子だと「どうしたんだろう」と気になってしまいます。「ママ」と呼ばれると、「母親として何かしなければならない」と思ってしまうのです。「肩書」で呼ばれると、無意識に社会的役割を担ってしまうのですね。
インターネットで「あたしおかあさんだから」という歌が、理想の母親像の呪いのようだと話題になりました。女性は子どもができると「母親なんだから、仕方ない」と諦めてしまうことの多いこと!でも名前を呼んでもらえると、やりたかったことを思い出し、自分らしさを取り戻すことができるかもしれません。
そして相手を名前で呼ぶことで、今まで知らなかった面白い一面を発見できるかもしれませんよ。肩書にとらわれず、お互いに「名前」で呼び合うのことをひろめてみませんか?
写真:私の車椅子に乗って、車掌さんを見るのが大好きな子どもたち