武藤健
武藤 健(むとう たけし、1893年 11月28日 - 1974年 12月18日)は日本の大正時代・昭和時代の牧師。日本基督教団第4代議長、日本キリスト教文化協会理事長、キリスト新聞社社長。
来歴
[編集 ]青森県 八戸市番長のクリスチャンの眼科医武藤一明の三男に生まれる。八戸中学時代より神学者を目指し、八戸中学を首席で卒業し、青山学院で学ぶ。1918年(大正7年)に日本メソヂスト教会の教職になり、メソジスト城西教会の牧師、銀座教会の福音英語学校校長になる[1] 。1919年(大正8年)に結婚し[1] 、東京帝国大学文学部、アメリカ合衆国 ノースウェスタン大学大学院、ベルリン大学で神学の勉強を続ける[1] 。
1924年(大正13年)に帰国して青山学院教授に就任する[1] 。その後、日本メソヂスト教会の三田教会の牧師に就任する[1] 。後に日本メソヂスト教会、本郷中央会堂(現・日本基督教団本郷中央教会)の牧師に就任する[1] 。
1941年(昭和16年)の日本基督教団成立時には第2部に所属する。1942年(昭和17年)長崎活水高等女学院(現、活水女子大学)院長に就任する[1] 。在任中に、原子爆弾で被爆し、被害を受けた生徒の世話と学校の経営に奔走する[1] 。
戦後、1946年(昭和21年)に日本基督教団本郷中央教会に再び招かれて牧師に就任する[1] 。
1954年(昭和29年)に小崎道雄の後をついで、第4代日本基督教団議長に就任する。さらに、日本基督教文化協会(現、日本キリスト教文化協会)理事長、日本キリスト教協議会の議長など要職を歴任し、キリスト新聞の設立にも関わり社長を務めた。
1961年(昭和36年)には、タイ王国で開催された東アジア・キリスト教協議会の大会に出席した。
著作
[編集 ]- 「知られたる我」
脚注
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 『日本キリスト教史大事典』教文館、1988年
外部リンク
[編集 ]統理者 | 富田満(1941年-1946年廃止) |
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