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2011年01月23日

夜の円筒分水

恐ろしや 地獄の関と 思ひしが 悟ればここぞ 極楽能堰

1月22日、川崎市高津区にて開催された第1回全国円筒分水サミットに行ってきました。

円筒分水というのは
農業用水などを一定の割合で正確に分配するために用いられる利水施設。円筒状の設備の中心部に用水を湧き出させ、円筒外周部から越流、落下する際に一定の割合に分割される仕組みとなっている。地域によっては「円形分水」(えんけいぶんすい)とも呼ばれる(出典/ウィキペディア:円筒分水の項より引用)」とゆー、かなりマニアックなシステムです。
水争い解決の最終兵器的なもので、円周の比率に応じて水の分配が「誰の目にも明らかに」行われるのがポイントなこのシステムは、大正〜昭和30年代頃にかけて全国の農業用水の分水施設として建設されたようです。

水争いの熾烈さは、時に人死にを出していたといいます。
冒頭の短歌は、高崎市にある「長野堰用水円筒分水」近くの石碑に刻まれていますが、ここで分水される用水のひとつは名を「地獄堰」といいます。
人に歴史あり、システムに歴史ありだなぁとしみじみ思います。
で、そんな施設をテーマにサミットが行われるというステキ情報をゲットしたうえ、このサミットにおいて、円筒分水研究家にしてダム愛好家でもある金山様ことおざすきぃ様が基調講演をなさるという更なるステキ情報を聞きつけたからには、そりゃあ万難を排して行かねばなるまいよ。

川崎と高崎、崎の字は共通するものの、高崎からの交通の便はというと...
新幹線でも湘南新宿ラインでもびみょーに不便。
そんじゃいっそ車で行くべぇよ、と関越道をひた走ったんですが。
案の定というか環八で超迷子になり、余裕をもって自宅を出たはずが、到着は開会数分前というドタバタぶり。
高速に乗る前に長野堰用水円筒分水に立ち寄ったのが敗因1、ナビがないのが敗因2、方向音痴が敗因3です。←割合的には2:1:7だがな(汗)

基調講演は素晴らしく、おざすきぃ様らしいというか円筒分水への愛がサーチャージ超えちゃってるというか、あれを聞いてなお円筒分水に興味を持てない人は存在しないだろうという内容でした。いや、ホントに。
あの内容を私ごときがまとめるのは失礼ですのでまとめられません。つかぶっちゃけまとめる力が私にはありません。
ということでおざすきぃ様、どうかニコ生でやってください(え)。

ちゃっかり交流会にもぐりこませていただいたり、サミットに参加されていた地元高崎の長野堰用水円筒分水を管理されている方々に対して「長野堰に案内看板を付けてください!」などと図々しいにも程があるお願いをしたりと有意義な時間を過ごし、そしてまた車で高崎へ。
帰りの道中は、同方向の方お二人(おざすきぃ様と、Dammapsの開発者takane様)をお送りしつつだったのでそれはそれは賑やかで楽しかったんですが...やっぱり迷子になりかけました。

つーか。私、どんだけ方向音痴なん?

お二人を送り届け、向かうは再びの長野堰用水円筒分水。
そーです。
マニアックにも程がある「夜円筒分水」の撮影にチャレンジです。

今回もうっかり105秒シャッター開けちゃったりと、いつもの病は健在(?)なんですが、とりあえずマトモそうなのを貼っておきます。
IMG_2599-1.jpg


...腕がないと、夜景はちょっと辛いなぁ(しょぼぼん)。
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