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年賀状を用意する時期になった。近況を知らせる言葉を決めた。「賀状ありがとうございました。防空頭巾を被り、『銃後の守り』の中を生き抜いて、75回目の誕生日を元旦に迎えることができました。ありがたいことに、外見は健康体です。軽めの清掃作業員として、空き時間を地域の活性化活動に参加し、楽しみながら余生を生かされています」。

▼数年まえから、20枚ほどの年賀状を用意して、届いた賀状の宛先へ正月明けにポストへ投函している。同級生や友人の遺族から、「喪中はがき」が多くなっている。前年に届いた賀状はあてにならない。「あすはわが身」だから、慣習の年賀状は「安否確認状」のつもりでいる。

▼昭和28年度に小学校を卒業した84人の同級生がいた。3年前に、60年ぶりの同窓会を開いたが、集まったのは32人だった。出席率は多いのか少ないのか、何ともいえないが、中には連絡先の分からない同級生もいた。

▼我が人生は、決して順調ではなかった。「山あり谷あり」の、誰もが乗り越えてきた人生航路。自慢できる晩年とは言えるのかもしれない。青年の頃から知り合いだった人との出会いから、後年に信頼関係になった男は、地元では成功者だった。

▼2人は、共に老域に入っている。彼の「隠居所」が、「活性化サロン」として再利用されて、若手起業家支援の看板を掛けている。静かなサロンで、走ってきた昔話をすることが多くなった。乱高下した経済社会を、別々の道で生きてきたが、生きるための利害を通して、組織で生きた我が身と自営業者の苦しみには、大きな違いはなかった。

▼だが、生き方の違いがあった。彼は「利害関係の相手に、必ず正面から対等に対時して、相手の利することを考えて商売したという。「わが道を行く」から「相手を生かしながら生きる」。この次元で「勝負はあった」。遠い昔に、教えられていた言葉を思い出した。

早朝に「ゴロゴロ」と鳴った。いよいよ来たな「雪ガミナリ」。1504回目の新聞コラム「時鐘」を写し書きしながら、パソコンの手を止めて「くわばら・くわばら」と、つぶやいた。今日の記事は、「恋路駅」もあった能登線を映画化した「不敵に笑う男」に、吉永小百合が出演していたことや開拓した土地に開通した広尾線の駅名を、「福井より幸せになりたい」と命名した「幸福駅」もあったが、廃線になって久しい。

▼「レールは消えても、駅名は残る」。時の流れで、採算の合わない路線は消えていく現実を伝える記事だった。だが、季節の変わり目に起きる気象現象は、太古の昔から不変である。雷鳴がとどろくのは、日本海側で冬の到来を告げる風物詩でもある。

▼「くわばら、くわばら」と、カミナリが聞こえると祖母から教わった「オマジナイ」をつぶやいていた、幼き頃を思い出した。「カミナリさん、あっちの水は甘いぞ、こっちの水は苦いぞ」、「ヘソを隠せ」。意味も分からず年を重ねてきたが、呪文の意味を知った。

▼日本海沿岸には、この時期大陸からの冬将軍が、神鳴というラッパを吹きながらやってくる。日本海側に9本の大きな川がある。その川(水)に向かって来るという。なかでも手取川の中流地区にある「手取フイッシュランド」付近の新保町には、昔から落雷するという。

▼諸説があるという「くわばら=桑原」は、大宰府に左遷されて憤死した菅原道真が怨霊となり、都に「カミナリ=神鳴」となって落雷する噂が流れた。人々は、菅原公が暮らしていた「桑原荘」なら、カミナリは落ちないだろうとの噂が京の町に広がった。

▼千年前からの呪文が、今でも生きている。大学の先生が研究した結果、「雷は大好きな大川の近くの新保町」を目指して、冬の日本海を渡って来ることを、テレビを通して二日前に知った。、以前は人が住まない新保地区だったが、近年になってから住宅地に変貌した。呪文を唱えながら「ヘソ」を抑えて、頭が下がる先人の教えだった。

「夢の八訓」。夢のある者は、希望がある希望のある者は、目標がある目標のある者は、計画がある計画のある者は、行動がある行動のある者は、実績がある実績のある者は、反省がある反省のある者は、進歩がある進歩のある者は、夢がある

▼吉田松陰(1830ー1859)は、「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」。と残す。

▼渋沢栄一(1840ー1931)の「夢の七訓」を残している。夢なき者は理想なし、理想なき者は信念なし、信念なき者は計画なし、計画なき者は実行なし、実効なき者は成果なし、成果なき者は幸福なし、ゆえに幸福を求むるものは夢なかるべからず。

▼吉田貞雄(1940ー1999)が唱えた「夢の八訓」は、加賀市南町のNPO団体「歴町センター大聖寺」の下部組織「若手起業家支援センター」・活性化サロンの理念」として、2016年6月17日の開設式に、「合言葉」として唱和された。

▼この度、新しく設けられた「活性化サロン」の「スタッフ・ブログ」を通して、メンバーの一人でもある「元気で多感な?」爺さんが「つぶやく」コーナーで、活動状況を織り交ぜて報告することになりました。ひとりでも多くの若者が、加賀市内で独立して、「定住できるように」に支援して行こうと思っています。

▼NPO団体「歴町センター大聖寺」の、瀬戸代表の方針でもある「楽しく、分かりやすく、為になる」ことが表現できる内容に知恵を絞って、いきたいと思っています。時には、「耄碌(もうろく爺)」が運転するブログに、アクセルとブレーキを間違えて走行す時は、指摘していただきたい。

▼「サロン」は、談話や芸術(美術・音楽など)を楽しむ場所でもある。加賀市の定住化」につながる会話や鑑賞ができるサロンとして、活用できれば理想的だと思っています。そんな、「夢のあることを目指したい」。と、1回目の号砲発信にしたい。

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