「9(苦)の付く日の餅つきは縁起が悪い」と、子どものころから聞いていた。明日は29日。玄関先の土間で、急ごしらえの竈(かまど)には、もち米を蒸す「蒸篭(せいろ)」が積まれていた遠い記憶の思い出がある。シベリア抑留生活からの帰還後の父はまだ、男盛りで母も若かった。祖母も元気だった。
▼小学生のころ、小餅に丸める作業を手伝った。並べた終わった木箱には、行儀よく並んだ餅を眺めて、威張っていたことも思い出した。餅つきが終わったころ、母が大根おろしを持ってきて、つき立ての餅をつけて食べた味が忘れられない。懐かしい年末のささやかな記憶を思い浮かべていた。
▼いつものように、配達された新聞を取りに、玄関先に出たが、まだ真っ暗だった。習慣づいた一番先に眼を通す「おくやみ欄」。3期勤めた元加賀市長が、神戸の病院で亡くなったという記事も載っていた88歳だという。
▼そして、3面記事には、60〜70代女性の「記憶喪失者に新戸籍」という記事も載っていた。いずれは、誰もが「冥土の戸を叩く」。足跡を残した人も、これから残す人も、自分の過去を忘れた人も・・・。そして、明日は我が身かもしれない。
▼ストーブが置かれた6畳間は、生きていることを実感する場でもある。寝る以外をこの場所で過ごす。食事準備から食べた後の後片付けもできる。テレビを見て、新聞も読む。来年の3月までの勤務予定表もある。デスクトップのパソコンからは、「You Tube」からの好きな「星めぐりの歌」を聴きながら、ノートPCで「つぶやき」の発信を今日もできた。
▼テレビは75年前、「真珠湾攻撃」で戦死した米軍戦士を、「アリゾナ記念館」で慰霊する日米の両首脳が映っていた。忘れていけない戦後の辛い体験を二度と繰り返さない為に、安倍首相は、今後の日米友好を誓い、眠る戦士や生き残った戦友に和解の気持ちを宣言していた。なんとか74回目の「御用納め」の朝を迎えていた。
熊本県でまた数万匹の鶏が処分された。日本列島の北から南の各地で「鳥インフルエンザ」で、今年になってから感染し、養鶏場で処分された数は120万羽以上になった。こんなニュースを目にするたびに、カレーライスに生卵を割って食べる者には少し心配だ。
▼むかし、物知りの先輩から、「生卵を食べるのは日本人だけだ」と聞いてから、生卵を割って食べるときに、この言葉を思い出す。「こんなうまいもを、日本人だから食べられる」と。だが、こどものころには、簡単に口にできなかった高価な栄養食品のひとつだった。
▼風邪で寝込んだときには、必ず枕元には「ミカンとゆで卵」があった。それ以外はめったに見ることのなかったが、寝込むと必ず食べることができた。貧しいかったが、今、思うと母親が工面してどこからか、手に入れてきた風邪の特効薬だった。
▼成人すると「卵酒」が、風邪に効いた。決して飲み易い「クスリ?」ではなかったが、目をつぶって何度か流し込んだ。何十年かぶりで「卵酒」の効能について、ネットで調べると、卵とアルコールで体を温めるには、日本だけの文化ではないという。
▼イタリア・アルプス地方ではカクテルで卵のリキュールにラム酒やブランデーを加え、たっぷりのホイップクリームを載せて作る「ボンバディーノ」。イギリスの「エッグノッグ」は、牛乳やクリームに卵と砂糖を加えたものに、ブランデーを足して飲むらしい。
▼情報量の乏しい時代には、「昔からの言い伝え」が唯一の民間療法であった。「蜂に刺されたら小便が効く」。「タンコブには砂糖を塗る」。などを思い出したが、緊急時の対応であって、大した効果はないという。
▼「中谷宇吉郎随筆集」に「立春の卵」を書いた「郷土の偉人」を思いだした。末尾に、「人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。・・・・人間の歴史が、そういう些細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである」。と。
バランスの取れた食事をして、階段を上り下りする。日常生活のなかで、人の為に生きる「満足感」を感じながら生きる。これが、健康長寿の秘訣だという。「100歳の世界」という収録されたテレビ番組を見た。「老年的超越」という言葉を知った。10年間、介護施設にいて、外出しないでも、目的意識を持てば元気に生きられるという。
▼「自然とポジテブなものに関心を寄せると、豊かな気分で生甲斐のある毎日が続く」という。ゲスト出演の105歳の医学博士。「日野原重明」先生は、100歳を超えてからそんな気持ちなったという。新しいことを創りはじめる。「プロダクト・エージング」が大事なことである。長生きの「生き字引」でもある大先輩の教えを画面から教わった。
▼快晴の「クリスマス」の日曜日は、空は高く青かった。当番役に当たった「活性化サロン」には、誰も訪れない。だが、寂しくも退屈もしない不思議な空間である。サロンの代表である瀬戸達さんが、撮り残してくれたビデオから、いろんなジャンルの情報が得られる。
▼このサロンに集まる仲間の生活スタイルはそれぞれである。趣味のジオラマ制作を楽しむ人。また、体力維持の為にバイトする高齢者もいる。そんな環境のなかでも、ボランティア活動に生甲斐を感ずる老人に、収録という設備のない人の為に、収録してくれている。「喜びを分かち合いたい」の、気持ちが痛いほど分かる。
▼今年も、あと6日。残された時間で、組織の一員として完了しなければ事務処理もない。お歳暮の届け先もない。年賀状の準備に追われていない。もちろん、大晦日の紅白歌合戦に出演するファンの歌手もいない。年末年始のご挨拶の予定もない。「正月ぼっち」が始まって十数年。
▼「義理」という社会的通念の枠から、外れた「自由の身」が乗る車には、「枯葉マーク?」を付ける義務があるという。「分かっている!」と。意固地が顔を出す時もある。視力は大丈夫だから、来年は、読書の時間をもっとつくることにしよう。「若手起業家支援・・・」から、健康長寿の「活性化サロン」かもしれない。
「クリぼっち」の昨夜だった。全日本フィギュヤスケート大会の「女子ショート」と「男子フリー」を見ながら、声援を送っていた。氷上ダンスは、やっぱり女の子がいい。競技中は年齢を感じさせない色っぽいしぐさを見て楽しんでいたが、終わって退場するときのアップ表情には、あどけさが見えるまだ15歳の少女でもあった。
▼悔し涙をためながら競技を終えたアスリートたちは、インタビューに答えている。見事に内容を分析をしながら、明日に向けての受け答えは立派なものだ。反省をしながら、コーチへの感謝と次回への抱負を口にする。
▼「愛しています、ごめんなさい、許してください、ありがとう」。世界のいかなる国での感情表現でもある、四つの共通語。その言葉が年を重ねても、素直に口から出ないときも多々ある。そんな我が身を反省する。
▼「老いては子に従い」。言葉は知っていても、なかなか真髄をつかんでいない「宝の持ちぐされ」だった。この機会に、辞書を開く。「女体の体は、幼くして(則)すなわち父母に従い、(少)わかくして(則)すなわち夫に従い、老いては(則)すなわち子に従う」。
▼先日、「匠のかくれ里・加賀市」のDVD発刊を記念しての贈呈式を終えた。そのときの、クリスマスツリーの電光装飾が残る「活性化サロン」で、昼下がりに老域の2人が、「人が老いると。また、こどものようになる。老いては愚にかえる」。老いては二度(ふたび)児(ちご)になっていた。
▼「私が生まれた本当の意味って?」。マヤ歴占星術で自分の使命が分かる、あなたらしく輝いた生き方になる方法とは。ネットの「無料・四柱推命」を開いて、互いの来た道を確認しながら、来年は、健康を意識しながら生きることに抱負を語るひとときだった。
きょうは「クリスマス・イブ」。世界中が「イエス・キリスト」の生誕を祝う前夜祭である。わが世代は傍観者の立場でもあるから、冷ややかな目線で、この時期の世情を眺めている「クリぼっち」でもある。以前までのクリスマスを、「Xマス」と表示していたがいつの間にか消えている。表示要因も消滅経緯もクエッション・マークの「?」である。認知症予備軍は予防の為に調べてみた。
▼「X」は、アルファベットの「24番目」の文字。数学で未知数の符号だから、転じて「未知の物事」。ローマ数字の「10=X(テンス)」である。と、辞書にあった。日本人が計算に使う「1・2・3・・・ワン・ツウ・スリー」は、「アラビア数字」。ローマ数字とは、「I・II・III・・・X(ファスト・セカンド・サード...テンス)」。
▼古来から使っていた「壱・弐・参・・・拾や一・二・三・・・十」の影は薄いが。いつも思う、「五万とある漢字」や「ひらがな」・「カタカナ」に「横文字」。そして、「アラビア数字」に「ローマ数字」と「和算数字」を、こなす日本国民の能力は世界一である。
▼戦後の日本は、欧米諸国に「追いつけ、追い越せ」と懸命にがんばって、一時期「世界一」にまでなった経験があった。当時、「パクリ」の「メイドインジャパン」と、軽視された時代もあった。最近のニュースで、経済発展が著しい中国で「大江戸温泉物語・上海」がオープンして、「クマモン」のぬいぐるみもいて、日本食も食べれるという。
▼きのう、「クリぼっち」は、まだ少し早い新年用の買い物に「イオン」の食品売り場に行った。すると、場内アナウンスで外国語が流れていた。「英語・中国語・韓国語」?だった。そして、独りで過ごす若い人向けの「クリスマスケーキ」が、売られていた。報道から、50%の若者が「クリぼっち」だという。
▼西欧からの「パクリ」で流行った日本の「クリスマス」も、家族で祝う宗教的行事の根源を知らない。商戦の餌食にされ、半世紀後に現れた現象だろうと老人は思った。