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新実彰平氏インタビュー(1)僕はなぜアナウンサーを辞めたのか? なぜ政治家を目指したのか?

[ 2024年12月19日 16:50 ]

衆院選を前に応援演説を行った維新の新実彰平氏
Photo By 提供写真

新実彰平氏(35)が関西テレビを退社して、まもなく3カ月が経とうとしている。退社後、すぐに日本維新の会から来夏の参院選へ出馬する意向を表明した。脂が乗りきっている30代半ばで、メディアの花形であるアナウンサーを辞してまで、いばらの道とも言える政治家への転身を目指したのはなぜなのか?その真意を語った。(取材・構成 江良 真)

だいやまーくだいやまーく アナウンサーになるとは夢にも思わず だいやまーくだいやまーく

実は大学の頃は、マスコミという選択肢はほぼゼロでした。国家1種を受けるか、民間に就職するにしても電力会社とかガス会社とかインフラ系を考えていました。

その中で別枠的にテレビが好きだったので、ディレクターを想定して、好きなもの枠としてテレビも受けてみようと思ったのですが、アナウンサー試験は2、3ヵ月前にあるので会社の雰囲気も分かるし、エントリーシートを出すだけ出してみたんです。周りの受験生はみんなスクールに行って仕上がった人ばかりでしたので、受かるわけないと思いましたけど、逆に目立ったんでしょうね(笑い)。

仕事は思ってたのと違ったんじゃなくて、思ってたことがなかったんで、完全にゼロからでした。日々仕事が降ってきて、顔さらして、言葉も日々選ばないといけないし、楽しくないときでも当然笑わないといけないし、テレビに出ること自体に特段喜びもなければ、希望もしてなかったので、最初はしんどかったです。

でも、ニュース報道の仕事なら、学生の時に考えていた元々の公の思考みたいなものも満たせるかも、自分の言葉に意味を持たせられるかも、と思うようになりました。ただ、なかなか報道に行けず、もうこれは転職しようかなと思っていたんです。そしたら6年目にキャスターの仕事(「みんなのニュース 報道ランナー」)をいただいて、そこからはもう、やりたい仕事でしたし、やりがいを持って、仕事してきました。

アナウンサーとしての成熟度は高くなかったし、それでも抜擢していただいたのはまず気持ち優先で、熱意の方を先に取っていただいたんだろうなと思います。現場で取材することも好きだし、ちゃんと思いが伴っているというところをまず評価していただいたんだと思います。逆に言うとその熱意しかなかった。技術もなければ社会経験もないし、現場経験も少ない。その中でその熱意と、同時にニュースをやりたいと思って集ってる報道のメンバーからの一定の信頼というか、同じ思いでやってくれるやつだろうという見られ方はしていたと思うし、そこの思いの部分だけでしたね。

多くの先輩は基本的にアナウンス部に籍を置きながら、アナウンス部に荷物を置いて報道に出かけるというような形でした。僕は報道に出勤して報道から帰る。アナウンス部には顔を出さなくなりました。朝から晩まで完全に報道と一緒で、同じ釜の飯を食う感じ。しゃべる記者という感覚でやってましたし、アナウンス部の籍を外してくれということもずっと言ってたんですけど、そこは完全には一体化させない方がいいという発想が会社にはあって、アナウンス部には籍を置いたままにはなったんですけど、個人的な思いとしてはアナウンス部ではなく報道所属でした。

だいやまーくだいやまーく 安倍元首相銃撃事件での発言が炎上 だいやまーくだいやまーく

【経緯】事件後に「生きて歴史の審判を受けてほしかった」という発言が大炎上。本人の"政治家としての宿命"という意図とは違う形で拡散されてしまう。翌年3月にキャスターを降板し、発言との因果関係が憶測された。

安倍さんをめぐる発言ですが、降板とは多分1%も関係ないんです。これはもういくら言っても信じてもらえないし、全く取材しない憶測記事も割と出て、関係者談みたいな感じで書かれてる記事もあるんですけど、番組編成や報道の意思決定に関わってる人間はしゃべらない。しゃべるのは周辺の人なんだなっていうのは改めて実感しました。衆院選の時も結構"あれであれなんやろ"って言われました(笑い)。

少し前から視聴率の数字が落ちてて、会社とも話し合いをしてたんです。どうする?って。僕自身も進退伺を出そうかなと思ってた時期の発言でした。あの発言の翌週から2週間休んでるんですけど、それも本当に前から決めた夏休みでした。正直、数字の低迷とか、6年間やってマンネリもあって、ちょっとしんどくなって、一回休みをいただけないかって話をしていたんです。通常は1週間なんですけど、2週間休ませてくれへんかっていう相談をしてました。

タイミング的には参院選が終わって、その翌週から参院選の振り返りをします。当選した人も落選した人も、党の代表も呼ぶので、それが終わってから2週間休もうと決めた中であの事件が起きました。でも、その後の3日間も出演しています。これが懲罰休養じゃない証左なのですが、案の定、そのせいで休んだ、カンテレが休ませたんだろうと書かれて、視聴者もだいたいそう思っている状況が今も続いています。まあ、不幸でしたね。

だいやまーくだいやまーく 視聴率低迷が降板の大きな理由 だいやまーくだいやまーく

視聴率は最初の3年ほどガーッと良くなって1位を争うぐらいになりました。そこでコロナがあって、ちょっと自分の中で使命感が先鋭化しすぎたんです。命がかかっているとか、そういうことばっかりに頭がいってました。関西の夕方だとトークバラエティ的な要素とか見やすさも追求していかないとダメなのに。社会的意義にばかり関心がいきすぎて、かなり固い番組になってしまいました。同時に視聴率も頭を打ち始めて、差を開けていた番組とも競るようになって3位、4位というところに来てしまったのが5年目、6年目。だから降板は編成決定だったと思います。

だいやまーくだいやまーく 実は新しい報道番組の話あった だいやまーくだいやまーく

最後はお昼の番組「旬感LIVE とれたてっ」の生活情報などを紹介するコーナーを担当しました。私自身がやりたいこととの乖離はもちろん感じてましたが、番組内のポジションについては完全に納得しています。将来的に全国ネットを目指している番組なので、なかなか局アナが顔というのは難しいです。だから、あの番組でどうこういうものはありません。それに、実は報道関係の具体的な仕事についての話もあったんです。だから、やりたい仕事ができないから政治家転身というわけではありません。

これはキャスターあるあるですが、実はやってる時から複数の政党からお声掛けはいただいてました。正直、キャスターをやってた時も悩んだことはあります。でも、その時はまだテレビでやらなあかんことがあるという感覚だったのでお断りしてました。一方で、テレビの中だけではやりきれないことを痛感する日々でもあったので、ジレンマもいろいろ感じていました。

これは大学で進路を考えていた頃からですが、モチベーションの問題として自分が稼ぐとか、自分が豊かになるということだけでは頑張りきれなかったんです。自分の仕事が誰かのためになっている、誰かが救われている、そういうことのために人生を使いたいという感覚はありました。

僕なんか比較にならないほど高尚な人はいっぱいいるし、自分を捨ててやっている人もいっぱいいるので、おこがましいですけどね。ただ、キャスターという仕事をしながら、ドラスティックな今の社会のスピード感の中で救われない人のためにできることはあるのか?それを考えたとき、もっと直接的に仕組みを変える方向じゃないと、とは思いました。そうなると、この道しか思い浮かばなかったんです。=(2)に続く

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